いぬ-1

 ロゼの力によって、五人は遺跡のような場所に集められていた。


 白色、鼠色ねずみいろ鈍色にびいろが組み合わさった建築物は、どれもほとんど壊れてしまっている。建物と同じ色合いの道が様々な場所に伸びており、まるで迷路のような様相をていしていた。草原の緑だけが鮮やかだった。


 ロゼは大きく伸びをしてから、にこっと笑う。


「それじゃあ、二つ目のゲームを始めようか。……ところできみたち、何だか表情重くない?」


 ロゼの問い掛けに、どんよりとした沈黙が場を満たす。「あはは……」と肩をすくめたロゼが少し可哀想になったので、絢人は口を開いた。


「この状況で楽しそうな顔をしている人がいたら、流石にそっちの方が特殊だと思うけれど」

「ああ、まあそうかもね。それじゃあとっとと、ルール説明に移ろうか」


 ロゼは頷いてから、指笛を鳴らす。甲高い音が辺りに響き渡ると同時に、何かが近付いてくるかのような大きな音が聞こえてくる。


「なっ……何!?」


 千里はあたふたとしながら、蘭の腕にすがり付いた。零は面倒くさそうに腕を組み、文香は表情を変えずに立ち尽くしている。


 絢人の視界に、何やら大きなものが映った。動物……? 段々とそれは、ロゼと五人の方に向かって近付いてくる。


 絢人は呆然ぼうぜんとしながら、目を見張った。


 巨大な獣だった。毛並みは闇を想わせるほどに黒く、銀色の瞳は全部で八個も付いている。薄く開かれた大きな口からは、幾つもの鋭利な歯が覗いていた。長い尻尾は、楽しげに左右に揺られている。


 獣はロゼにすり寄った。ロゼは「おーよしよし、可愛いね」と微笑みながら、獣の毛並みを撫でてやる。絢人の額に冷や汗が滲んだ。

 ロゼは五人に向けて、笑いかける。


「紹介するね? ぼくのペットの『いぬ』。可愛いでしょー」


 獣――いぬは、ぐるぐると喉を鳴らす。零が口を開いた。


「そいつ、名前が『いぬ』なのか?」

「そうだよー、素敵な名前でしょ!」

「素敵というよりも、悪趣味だと思うが」


 零の言葉に、ロゼは軽く首を傾げてから、ルール説明を始める。


「さて、二つ目のゲームは単純明快。こちらのいぬから逃げ切ればいいだけ!」


 絢人は沈黙しながら、いぬを見ていた。ロゼは何も言わないでいる参加者たちを、にこにこしながら眺めている。


「この辺りは茶色い柵に囲まれているから、そこから出たら駄目だよ? 一分経ったらいぬに『食べていい』旨を伝えるから、ご飯にならないように頑張ってね。……ああそれと、一つ攻略のヒントをあげる。皆、ぼくを見てくれるかな?」


 ロゼの言葉に、五人の視線が彼女へと集中する。

 そうしてロゼは、一人ずつと視線を合わせていった。青色の目に、参加者の姿が映し出される。

 全員を見終えて、ロゼは柔らかく笑った。


「これがヒントだよ。それじゃ、解散しようか。ゲームを始めよう」


 言葉の終わりと引き換えに、五人の太腿には昨日と同じナイフホルダーが付けられていた。

 それが合図だったかのように、一人、また一人と、逃げ出した。


 ――ら、らら、ららら、らららら……


 一分経って、不協和音が響き渡った。


 *


 絢人は壊れかけの建物の陰で、片膝立ちの体勢を取りながら息を殺していた。どすん、どすんという地響きがうるさかった。自分の顔からぼたぼたとこぼれる汗が、地面に模様を描いている。


「お、お、おお、おなか、すい、すいた、な、あああ、あああ」


 いぬの、歪でいてくぐもった低い声が聞こえる。人語を解さないのかと思っていたが、いぬの言葉は確かな意味を成して絢人の耳に届いた。普通の獣ではないという事実が、絢人のことを一層緊張させ、恐怖におとしいれた。


「ご、はん、ごはんごは、ん、たべ、たべべ、たべた、いいいいい、なああ」


 絢人はそっと周囲を見渡した。他の四人の姿は見当たらないから、自分とは幾らか離れた場所にいるのかもしれないと思う。

 心臓の音がうるさかった。これだけ大きな心臓の音を立てていれば、見つかってしまうのではないかと頭をよぎる。強い不安で吐き気がした。


「え、えさ、えさえさ、えさは、ど、どこここ、どこ、かなあああああ、ああ」


 早くゲームが終わってほしいと願った。でもそれを願うことは、他の誰かの死を願うことに等しい? そう思ってしまい泣き出しそうになった。死にたくない。他の誰にも死んでほしくない。課せられた二律背反にりつはいはんが痛くてたまらない、苦しくて堪らない。


「う、うふふふ、ふふふ、いぬ、いぬはね、ね、こわく、な、ないよお、ないよおおおおお」


 少しずつ、いぬの声の大きさが増している気がした。自分のいるところに近付いてきている? 絢人の呼吸が早くなる。


 どうすればいいのかと思って、ロゼがくれたヒントが頭をよぎった。でも結局、彼女の行動が示唆しさする意味はわかりそうもなかった。絢人は諦めたように、首を横に振る。


 いぬの位置を確認した方がいいかもしれない、と思う。相手がどこにいるかを把握はあくしなくては、上手い逃げ方も考えられない。絢人は慎重に、建物の影から顔をのぞかせる。


 遠くの方にいぬがいた。二又ふたまたに分かれた尻尾が、ゆらゆらと動いている。絢人はふと、違和感を覚える。先程までと何かが異なっている? 真相が気になって、絢人は密やかにいぬの姿を観察する。そうして、気付く。


 ――瞳の色が、違う?


 始まるときは銀色だったはずの八個の目は、どれも真っ赤に染まっていた。鮮血を閉じ込めたような不気味な色合いだった。


 その瞬間、目が合った。


 まずいと思って絢人は走り出そうとする。でも不思議なことに意識はかすんでいって、あれ、何で、と思うだけで精一杯で、視界は暗転していく。



「……みつけた」



 最後にそんな声を、聞いた気がした。

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