第三章 依存

彼等

 真っ黒の長髪が、窓から差し込む朝日を受けて、柔らかくきらめいていた。


 文香は左手に紫色の花を持ちながら、部屋の中でたたずんでいる。顔の前に持ってくるようにして花を掲げ、右手でそっと一枚の花弁に触れた。荒れた唇が、ゆっくりと開かれる。


「……生きる」


 その言葉と同時に、文香はぶちりと花弁を引き抜いた。美しい紫色をしたそれは、まとまっていた花から分離するだけで、途端とたんにみすぼらしく見えた。花弁は文香の手を離れて、床へと落ちた。


「死ぬ……」


 また一枚、花弁が引き抜かれる。


「生きる」

「死ぬ」

「生きる」

「死ぬ」

「生きる」

「死ぬ」

「生きる」


 段々と花が壊れていく。文香の周りには、終わってしまった花弁が散らばっている。彼女が次の花弁に手を掛けたときだった。


「ちょっと、ぼくが大切に育てた花で花占いしないでよー」


 不満げな声が後ろから聞こえて、文香は驚いたように振り向いた。

 そこには、ロゼが立っている。今日は真っ白の長髪を高い位置で結んでおり、昨日までとは少しばかり外見が異なっていた。

 文香は彼女をつまらなさそうに見つめながら、口を開く。


「何の用ですか? 主催者」

「主催者、って……ぼくにはロゼって名前があるんだよ? 影谷零といい、きみたちはあだ名を付けるのが好きなんだね」

「影谷くんと私を一緒にしないでくれますか?」


 一段と冷ややかな声に、ロゼはくすくすと笑った。


「ごめんごめん、きみは影谷零のことが嫌いなんだね」

「彼に限らず、私は基本的に他者というものが嫌いなんですよ」

「へえ。……だとしたら、嶋倉絢人のことはどう思っているの?」


 ロゼの問いに、文香は微かに目を細める。黒い瞳に、楽しげな笑みを浮かべるロゼの姿が映り込んでいる。


「貴女は、どこまで知っているんですか?」

「質問しているのはぼくの方だよ? まあ先に答えてあげるとするなら……全部、かな」

「全部?」


 聞き返した文香に、ロゼは軽く手を広げながら笑う。


「全部と言ったら、全部だよ。ところで鶴木文香、ぼくの質問への答えは?」


 文香は面倒くさそうに微笑んだ。


「嶋倉くんのことも、嫌いですよ?」


 その返答に、ロゼは笑いながら首を傾げる。


「……きみはやっぱり、嘘つきだね」


 その言葉を残して、ロゼは姿を消した。

 文香はちっと舌打ちをする。それから思い出したように壊れかけの花に視線を移して、どうでもよくなったみたいに放り投げた。


 *


 千里は家の側で、蝶々に向け右手を伸ばしていた。


 真っ青な蝶々だった。綺麗な模様は濃い青色で描かれていた。彼女は淡く微笑みながら、蝶々を招く。やがて蝶々は、千里の右手に止まった。


 千里はそっと、空いていた左手を蝶々に近付ける。

 彼女の視界に、絢人の姿が映った。絢人も千里に気付いたようで、ゆっくりと近付いてくる。彼女の左手は、蝶々の羽を優しくでた。

 絢人は千里の近くで立ち止まり、柔らかく微笑んだ。


「おはよう、糸野さん。……それ、蝶々?」

「おはよ、絢人くん! そうだよー、綺麗だなあって思って見てたら、手に乗ってくれたの」

「へえ、すごいね。自分の手に蝶々が止まってくれたことなんてない気がするよ。もしかすると君は、生き物に好かれるんじゃないかな」


 絢人の言葉に、千里は微かに目を見張った。それから、ふふっと笑う。


「あはは、そんなことないよー! むしろ、どちらかというと、嫌われてるんじゃないかなあ?」

「そうなんだ。そう感じた出来事とか、あったりしたの?」


 その質問に、千里は「んー」と考える声を漏らす。青色の蝶々を見てから、再び絢人に笑いかけた。


「昔ね、猫カフェに行ったとき、猫ちゃんの尻尾しっぽを踏んじゃったことがあって。もう、猫ちゃん大騒ぎ! ぎにゃーって感じで叫んでた。沢山謝ったけど、あの猫ちゃんはわたしのこと嫌いだと思うよー」


「なんだ、そういうミスなら誰でもあるよ……と言おうとしたけれど、猫カフェで猫を踏んでしまう人は、いささか希少かもしれないね」

「うー、希少とか言わないでよ! わたしだってわざと踏んだ訳じゃないもん!」

「わざと踏んでたら、だいぶ悪い人だと思う」

「確かに!」


 楽しげに千里は笑う。

 蝶々はそっと羽を広げて、千里の元を離れていく。


「あー、行っちゃったあ……」


 そう言いながら、千里は青色の生命をどこか名残惜なごりおしそうな目で見つめていた。


 *


 紺色のブレザーを羽織りながら、零は自身に割り当てられた家を出る。彼はすぐに、扉の横に一人の参加者がいることに気付いた。


 彼女は零に視線を向けると、そっと会釈した。三つ編みにされた赤茶色の髪が、さらりと揺れる。零はいぶかしげな顔付きになった。


「……弓山。俺に何の用だ?」


 名前を呼ばれ、蘭は紅色の唇を開いた。


「用というほどの用はないわ。でも、一つ言っておきたいことがあって」

「何だ? 聞いてやるよ」


 冷笑をにじませている零を、蘭はすっと見据える。



「あんたでしょ。瀬川くんを殺したの」



 その言葉に、零は切れ長の目を細める。


「別に俺は殺していないが?」

「この状況で、はいそうです自分が殺しました、なんて言う奴はいないと思うわ」

「まあそれもそうだな。で、だとしたらお前はどうする?」


 零に問われ、蘭は淡く悲しそうな表情を浮かべて、俯いた。


「そういう汚い戦略を取るのは、もうやめて。正々堂々と戦おうよ。そんな風にして願いを叶えて、嬉しいの?」


 その質問に、零は少しばかり考えるような素振りを見せてから、ほのかに笑った。


「勝利に至る過程がどうであれ、俺は嬉しいよ」

「何でっ……」

「俺は俺の願いを、崇高すうこうなものだと信じているからだ」


 説明を続ける零を、蘭はにらみ据えている。


「俺は世界をつくり変えたいんだよ。そのために多少の犠牲を払うことくらい、全くもって構わない。……なあ、弓山。お前の願いは、お前自身に誇れるものか?」


 その問いに、蘭は少しの間呼吸するのを忘れる。

 ――あたしの、願い……

 答えられずにいる蘭を嘲笑あざわらうように、零は口角をつり上げた。


「悪いが話にならないな。自分の正義の在処ありかくらい、把握はあくしておけ。ああ、それと」

「……何」

「忠告だ。嶋倉と糸野と『仲良く』しているようだが、こんな状況下で友人をつくったところで、苦しくなるだけだぞ」


 蘭は目を見張る。それからその表情に、憎悪を溶かした。


「……うるさい。あたしのことは悪く言ってもいい。でも、こんなあたしと仲良くしてくれてる二人をけなすのはやめて」

「別に貶してなどいないが? なあ、お前、余り友達いないだろ」


 その言葉に、蘭は微かに身を震わせる。「図星か」と言って、零は腕を組んだ。


「だったら何!」


 蘭は叫んだ。自身の両手を握りしめて、零から顔を背ける。


「別にあたしは、友達が少なくても、何ならいなくてもいい。……一人だけに見ていて貰えれば、それでいいの」


 その言葉を残して、蘭は零の元を去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る