花畑-4

 彼の大きな身体には幾つもの刺傷ししょうが存在していて、真っ赤な血が学ランの黒に染みていた。呆然ぼうぜんとしたような表情はもはや動かなくて、それは何かに怯えているようでもあった。

 そばかすの散らされた頬には、涙が零れた跡があった。花畑の甘い香りに、微かな死の匂いが混ざり合っていた。


「瀬川くん……」


 絢人は彼の名前を呼んだ。何も言葉は返ってこなかった。吐き気が押し寄せてきて、それを何とかこらえる。


「そんなっ……嘘だよね、嘘だよねえ、宏太郎くん!?」


 動転した様子の千里を、蒼白になっている蘭がそっと抱きしめる。「嫌だ……嫌だよお……」と言いながら、千里は嗚咽おえつを漏らし始めた。


 文香は何も言わずに、宏太郎の姿を見つめ続けていた。零は腕を組みながら、つまらなさそうにしている。


 絢人は、自分の太腿ふとももに付けられていたナイフホルダーが消失していることに気付く。その事実に加えて、全員がこの場所に戻されたということは、恐らくゲームは終了したのだろう。瀬川宏太郎という、一人の参加者の死亡を原因として。


 宏太郎の右手の近くに紫色の花が落ちていることに、絢人は遅れて気付く。


 ――まさか。


 思い至った可能性にぞくりとしながら、絢人は思考を巡らす。それから、震えてしまう声で言葉をつむぎ始めた。


「……この花畑で目的の花を探すよりも、もっと単純な花の入手方法があるよね」


 千里、文香、蘭、零が、一斉に絢人の方を向いた。絢人は手のひらに爪を食い込ませながら、続ける。


「スタート地点で、待っていればよかったんだよ。そして、最初に花を持って戻ってきた人を殺して、花を奪うんだ。そうすれば……絶対に、勝つことができる」


 静寂の中で、風の音だけがうるさかった。

 次に口を開いたのは、零だった。


「そもそも、そんな回りくどい手法を使わなくても、誰かを殺せばよかったんじゃないか? 花は五本しか存在していないのだから、一人殺せば勝利は確定するだろう」

「……初めてのゲームだったから、わからなかったんじゃないかな。結局のところ、瀬川くんの死でゲームは終わったみたいだけれど、花を持った五人が集まらないと終わらない場合だったら、それから探すのは大変だ。知らされていなかったけれど、制限時間が存在したかもしれないし……」


 凄惨せいさんな現実から目を背けるかのように、絢人はつらつらと言葉を並べる。その様子に、零はすっと目を細めた。


「随分と饒舌じょうぜつだな、嶋倉」

「……何が言いたいの?」

「冷静に状況を分析すれば、容疑者から逃れられるとでも思ったか?」


 零の言葉の意味が、絢人は少しの間わからなかった。ようやく理解が追いついて、すぐにかっとなる。


「ふざけるな! 僕は瀬川くんを殺してなんかいないよ!」

「どうしてそう言い切れる? 花はあるのか?」

「花は……ない、けれど」


 絢人は目を伏せる。宏太郎を除けば、紫色の花を持っているのは千里と文香だけのようだった。

 零は絢人を嘲笑あざわらうかのように、口角をつり上げた。


「花をすでに持っていたのなら、瀬川を殺すメリットはないだろう。でも嶋倉、お前は花を持っていないんだろう? 仲良しごっこをしていたから僕は違うんです、とでも言いたいのか?」


 絢人は首を横に振る。悔しかった。言葉を多く交わした宏太郎が死んでしまったこと、そして彼を殺した人間ではないかと疑われていること。そのどちらもが、悔しくてたまらなかった。


「私には、影谷くんの方が怪しく見えますけれどね」


 冷たい声が響き渡る。

 零は絢人を見るのをやめて、文香に視線を移した。文香と零のてつくような視線が、交差し合う。


「何故だ?」

「へえ、頭がいい感じに見えて、それすらわからないんですか? 笑えますね」


 あおるような口振りをした文香に、零は苛立いらだったように目を細める。


「ずっと押し黙っていたところで、ようやく話し出したと思ったらそれか。論理的な理由さえ説明できないのなら、これからも黙っておけ」

「説明できないってすぐに決め付けるなんて、馬鹿みたいですね。単純ですよ。こんな状況下で簡単に人を殺せるのは、頭がよくて残酷な人間でしょう? そういう人間に近いのは、嶋倉くんではなく影谷くんだと思います」

「……なるほどな」


 零は少し納得したように、首肯しゅこうした。それから、何かに気付いたように笑う。


「ところで俺は、ずっと会話を拒んでいたお前が、いきなり話し出した理由の方が気になるよ。そんなにも、嶋倉がいじめられているのが気に食わなかったか?」


 その言葉に、文香は一瞬瞳を揺らがせる。でも、その動揺をすぐに隠して、冷たく微笑み返した。


「嶋倉くんがどうと言うよりも、私は影谷くんのことが嫌いなんだと思いますよ」

「そうか。俺も、お前のような愚か者は嫌いだ」


 にらみ合う文香と零に、泣いていた千里が「もうやめてよっ!」と叫んだ。


「今言い合ってどうなるの! わたしは、わたしはっ……皆が、仲良くしてほしいよ……」

「千里。大丈夫よ、大丈夫だから」


 泣きじゃくる千里の背中を、蘭はそっとさすってやる。

 零は千里を嘲笑ちょうしょうするように、鼻を鳴らした。


「皆が仲良くしてほしい? 笑わせるな。まだ理解できていないとしたら、お前は阿呆だ。……このゲームは、他者を蹴落けおとしていくことに本質があるんだよ」


 零の残酷な言葉を、絢人は心の中で反芻はんすうする。


 ――僕が一回生き延びるごとに、一人の人間が死んでいくんだ。


 動悸が、可笑おかしくなっていく心地がする。


 ――それはきっと、殺すことに等しいんだ……


 少ししてロゼが現れるまで、絢人はもう動かない宏太郎の姿を見つめ続けていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る