花畑-3

 絢人はばっと振り返る。真っ黒なセーラー服と真っ赤なスカーフ。黒の長髪は風を受けて、さらさらとなびいている。


 ――鶴木文香が、立っていた。


 絢人はすぐに気付く。彼女の左手に握られている花は、妖艶ようえんな紫色をしていた。その美しい色合いは、絢人を嘲笑あざわらうかのように見つめていた。


「……鶴木さん」

「どうですか? 花は見つかりましたか?」

「……全然」


 そう言った絢人の目から、一筋の涙がすべり落ちた。文香はそんな絢人に歩み寄ると、すっと紫色の花を差し出す。絢人は呆気あっけに取られながら、薄く微笑んでいる文香を見つめ返した。


「これ、あげます」

「……そんな、だって、これは鶴木さんが見つけたものじゃないか。そう簡単に、僕に渡さない方がいいと思う……」

「貴方は何を言っているんですか?」


 文香の口調には、糾弾きゅうだんするような響きが含まれていた。


「昨晩、約束しましたよね? 貴方と私は協力関係を築くと。それなのに、受け取れないんですか?」

「だって、これから君が花を見つけ出せなかったら、君は……死ぬんだよ!」


 叫ぶように言った絢人に、文香は冷たく笑った。


「何度言えばわかるんですか? 私は別に死んでもいいんですよ」


 昨日はただ受け入れることのできたその言葉が、今の絢人にとっては理解できなくて、痛々しくて、苦しかった。

 気付けば絢人は、文香の肩をつかんでいた。彼女の目が微かに揺らいだ。それはどこか、怯えるような色をはらんでいた。


「どうして君は、死ぬことを恐れないの!」


 絢人の言葉に、文香はぱちぱちと瞬きをしてから、視線をらす。


「……私にとっては、生きることに執着しゅうちゃくがある人の気持ちがわからないです。だって生きることなんて、辛くて、苦しくて、救いようのない事象じゃないですか」


 絢人は悲しそうに目を細める。そんな彼の表情を、文香はただ見つめていた。


「僕はそうは思わない。生きることには確かに大変なときもあるけれど、でもそれを上回るくらい幸せなときだって、確かに存在しているはずだよ」


 その返答に、文香はふっと笑った。それは何かを諦めたような笑顔だった。


「……そういう人生を送ることができたなら、私ももう少し、今とは違う人間だったかもしれませんね」


 絢人はようやく、彼女の肩から手を離す。それから文香を見据えて、口を開いた。


「僕は、その花は受け取れない。それは君が見つけ出したものだから。……でも、もしよければ、花を探すのを手伝ってほしい。僕は、こんなところで死にたくない……」


 震えた声で言う絢人に、文香は少し可笑しそうに笑ってから、「いいですよ」と言った。


 *


 絢人と文香は紫色の花を求めて、広大な花畑を彷徨さまよい続けていた。


 どれほど時間が経ったかはわからない。それを考えると心が崩落ほうらくしていく気がしたから、絢人は考えるのをやめた。ただ赤色と青色の地獄に身を任せながら、進んでゆく。


「……全然見つかりませんね」

「そうだね、本当に」

「でも、このくらい見つからないのが普通かもしれません。私はただ、運がよかっただけですね。偶然見つけることができただけ……」


 絢人はちらりと文香の横顔を見た。真っ赤なヘアピンは、陽光を受けて微かにきらめいていた。


「……鶴木さんってさ」

「何ですか?」

「初めは、余り喋らない人なのかと思っていた」

「私は余り喋らない人ですよ?」

「そうか。でも今、喋ってくれているよね」

「ああ、そうですね。何故でしょうね?」


 少しだけ口角を上げながら、文香は言う。

 絢人は思う。今彼女が積極的に話してくれているのは、きっと自分のことを思いやってくれてのことなのだろう。人は一人で考え事を続けると、暗い思考に落ちていってしまいがちだから。


「ありがとう」


 絢人の言葉に、文香は顔を上げた。彼女はどこか不思議そうに、絢人のことを見つめている。


「どうしてお礼なんて言うんですか?」

「君に感謝したかったからだよ。それ以上でもそれ以下でもない」

「……嶋倉くんって、変な人ですよね」


 それだけ言って、文香は再び俯いた。絢人も彼女に倣って、再び花を探し始める。


 そのとき、視界が歪んだ。


 その感覚は初めてではなかった。花畑に連れてこられたときと全く同じ感覚。ロゼが操る魔法の感覚――

 白い門の側で目を開いた絢人は、小さな叫び声を上げた。


 ――嘘、だよね……?


 そう問い掛けても、見えている光景は何一つ変わらない。絢人は強く目を擦った。それでも何も変化しないから、もう受け入れるしかなかった。



 花畑に横たわるようにして、宏太郎が死んでいた。

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