第二章 信仰

花畑-1

 誰かに話しかけられている気がして、絢人はゆっくりと意識を取り戻した。

 視界に、白い髪の少女が大きく映る。


「う、うわっ」


 絢人は驚いて声を上げる。少女――ロゼは、絢人をのぞき込むのをやめて、「ようやくお目覚めかあ」と笑った。微かに聞こえる鳥のさえずりと、カーテンの隙間すきまから薄く差し込む陽光が、朝の訪れを告げていた。


「よく寝た方がいいよとは言ったけど、こうまで爆睡ばくすいするなんてすごいね。きみ以外はもう皆起きているよ」

「……本当? 起こしてくれてありがとう」

「別に構わないよ。あ、用意しておいたパジャマ、使ってくれたんだね」

「流石に、制服で寝るとしわになるから」

「ふふ、それもそうだね。ちなみに、ゲームに参加する際の服装は制服でよろしくね。箪笥たんすの中に幾つか制服の替えは入れておいたから」

「……制服の替えって、僕が元々持っていたもの?」


 尋ねた絢人に、ロゼはくくっと笑いながら、「さあ、どうだろうね」と告げる。はぐらかされたことを残念に思いながら、絢人はベッドから降り立った。


「じゃあ僕、着替えるから」

「ああ、ぼくがいると気になる? 初心うぶなんだね」

「初心というか、誰だって異性が部屋にいるところで着替えないと思うんだけれど」

「へえ、きみはぼくのことを、女性だと思っているんだね」


 ロゼの言葉に、絢人は微かに目を細める。


「……違うの?」

「別に肯定も否定もしないよ。きみはきみの捉えたいように、ぼくのことを捉えればいいと思うから」


 楽しげに笑いながら、ロゼは絢人に背を向ける。数歩歩いたところで歩みを止めて、「あ、そうそう」と振り向いた。


「他者を信用することは、危うさをはらむよ。こういう状況ならなおさらね」


 青色の瞳が、不安げな表情を浮かべた絢人の姿を映し出している。


「……どういう意味?」

「さあ? まあ、ぼくは正直、どうでもいいんだ。きみたちには最低限のルールさえ守って貰えれば、あとは何をしてくれても構わないよ。それじゃあね」


 ロゼは意味ありげに笑って、扉を開けて出て行った。

 絢人は俯いて、考える。


 ――鶴木さんと協力関係を築いたことが、ロゼにばれている?


 監視カメラや盗聴器のようなものがあるのだろうかと思い、絢人は視線を様々なところに動かした。でもざっと見た限りでは、そういった類のものは見当たらない。


 そもそも、ロゼは消えるように移動することができるのだから、そうした魔法の力のようなものを幾つか保持しているのかもしれなかった。絢人はめ息をつく。

 でも、今の時点で状況を把握はあくされ特に怒られなかったのは、むしろ好都合だろう。後々ばれてルール違反だと見做みなされれば、きっとろくなことにならないだろうから。


 絢人は着ているパジャマを脱ぎながら、この着替えがどうか覗き見されていませんように、と祈った。


 *


 部屋にあったパンと牛乳を胃に流し込んで、歯磨きを済ませて、絢人は制服姿で家を出た。文句の付けようがない快晴がどこまでも広がっている。


 視界の先には、既に集まっている五人の姿があった。絢人は小走りで彼等の元へ向かう。それにいち早く気付いた千里が、大きく手を振ってくれた。


「おはよー、絢人くん! 待ってたよー」

「遅れてごめんね。おはよう」


 挨拶あいさつを口にした絢人に、宏太郎は「おはようございます」と笑顔になり、蘭は「おはよう」と淡く微笑んでくれた。零は一本の樹にもたれかかって、腕を組みながら目を閉じている。文香はちらりと絢人に視線をやってから、すぐに俯いた。

 千里は「そうそうっ」と話し始める。


「蘭ちゃんと宏太郎くんにはもう話したんだけど、絢人くんにも話したいことがあって!」

「え、どうしたの、何かあったの?」

「わたしの髪、今日ちょっとギシギシしてない?」


 絢人は千里の髪を見る。ボブカットに整えられた茶色の髪は、昨日と比べて特段変わっているようには見えなかった。


「いや、正直に言うと、わからないかな」

「ほんと!? それならよかったあ。実はね、昨日お風呂に入って髪洗おーって思ったんだけど、間違えてボディソープ使っちゃったの! ちょっとしてから気付いて、結局洗い直したんだけど、だいじょぶかなって心配だったんだあ」


 千里は自分の髪をつまみながら、困ったように笑う。蘭が呆れたように口を開く。


「というか、洗い直したならわかるわけなくない? そのあとリンスインシャンプー使ったんでしょ?」

「え、うん、使ったよ!」

「それなら上書きされてるはずっすよね」


 蘭と宏太郎の言葉に、千里は「うわあ、確かに……!」と頭を抱える。その様子が可笑おかしくて、絢人はつい笑ってしまう。つられたように三人も笑い出した。


「……くだらない会話だな」


 そんな言葉が聞こえてきて、絢人は驚いたように声のした方向を見る。零が、眼鏡の奥に冷笑をにじませていた。

 千里は悲しそうに微笑んでいる。宏太郎は零の近くに歩み寄ると、口を開いた。


「どうしてそういうことを言うんすか? 千里さんは空気を和やかにするために、明るく振る舞ってくれているんすよ。流石にひどいと思います」

「空気を和やかに、か。一つ聞きたいんだが、和やかにして何の意味がある?」

「何の意味が、って……そりゃあ色々あるでしょう! 緊張をほぐしてくれたりとか!」

「……瀬川。お前は一つ、勘違いをしているんじゃないか?」


 零は切れ長の目を細めながら、微かに笑う。


「今から俺たちは、殺し合いをするんだ。仲良しごっこをしたところで、どうせ最後の一人以外は死ぬんだよ。無駄だと思わないか?」

「……っ」


 瞳を揺らがせた宏太郎に、零はさらに言葉を続けた。


「いいか? これからゲームに参加する時点で、俺たちは敵同士なんだよ。変に肩入れすると後々辛くなるぞ。わかったか?」


 宏太郎は悔しそうに目を伏せる。

 千里は傷付いたように俯いて、蘭は苛立いらだちの視線を零に向けた。


「……まに、怒られてしまえばいい」


 何かをささやいた宏太郎に、零は目を細める。


「何か言ったか?」

「……別に」


 宏太郎の言葉を最後に、再び静寂せいじゃくが訪れる。


「影谷くん。さっきみたいな言い方は、やめた方がいいんじゃない?」


 沈黙を破ったのは、絢人だった。零は口角を上げて、絢人の方を見る。


「何故お前に否定されなければならない? それなら言ってみろ、仲良しごっこをすることで生じる利益を」

「……そもそも最後の一人になる人は、他の五人のことを覚えていなくてはならないと思う。その人が全てを忘れてしまったら、五人の思いや最期はきっと、闇にまれて消えてしまうんじゃないかな。それはとても恐ろしいように思えるし、無責任だと考える」


 言い終えた絢人に、零は「なるほどな」と笑った。


「嶋倉、お前が気持ち悪いほどお人好しなのは伝わってきたよ。……反吐へどが出る」


 心底鬱陶うっとうしそうな様子で、零は言う。絢人は悲しそうに眉をひそめて、それでも零を見据みすえることをやめようとしない。


「はいはーい、喧嘩けんかしない!」


 どこか場違いな明るい声が響く。

 ロゼが立っていた。髪と同じ白さをしたワンピースに身を包んで、穏やかに笑っている。


「全くもう、仲良くやってよ。喧嘩してもいいことなんてないよ? まあ人間は、そう理解していても争っちゃう生き物なのは知ってるけどさ」

「お前だって人間じゃないのか?」


 ロゼを横目で見ながら、零は言った。その言葉に、ロゼはうっすらと目を細めて、口角をつり上げる。


「さあね?」


 彼女の返答に、零は薄く笑う。

 ロゼはそっと手を広げて、目を閉じる。



 ――気付けば六人とロゼは、一面の花畑に立っていた。

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