提案-2

「どうぞ」


 真っ黒なセーラー服に再び身を包んで、ローテーブルの近くに体育座りしている文香に、絢人はマグカップに入れた水を差し出した。


「牛乳とか紅茶とかコーヒーとかも用意されてたんだけれど、正直安全かどうかわからないから、取り敢えず水道水にした。ごめんね」


 文香は不思議そうに、絢人のことを見つめていた。その表情の意図がわからなくて、絢人は小さく首を傾げる。文香は「何でもないです」と言って、水に口を付けた。


「その辺りの飲み物は、安全ですよ。私のところにもあって、一通り飲みましたので」

「そうなんだ。……怖くなかったの?」

「別に?」


 文香は流し目で絢人のことを見ながら、ゆっくりと水を飲む。絢人は彼女の向かい側に座って、緊張した面持ちを浮かべた。


「それで……僕に話したいことって何?」

「ああ、そんなに構えなくて大丈夫ですよ。貴方にとっても悪くない話だと思います」


 文香は冷たく微笑んで、それからテーブルの上にことりとマグカップを置いた。悪くない話――絢人がそれについて考え始める前に、文香は切り出した。



「嶋倉絢人くん。明日から始まるゲームにおいて、私と協力関係を築いてくれませんか?」



 絢人は目を見開いた。

 文香の赤色をしたヘアピンは、部屋の明かりに照らされて、てらてらと輝いていた。

 少しの沈黙のあとで、絢人は口を開く。


「……協力関係、というところについて、詳しく聞きたいかな」

「言葉の通りです。要は、チームを組もうということです。私は貴方を助けて、貴方は私を助ける。そういう秘密の関係になろうということですよ」

「……でも、君にも、命をけてまで叶えたい願いがあるんだろう? 願いを叶えられるのは一人だけだ。そういう関係を築いたところで、最後には決裂けつれつしてしまうんじゃないかな」


 絢人の言葉に、文香は薄く笑いながら首を横に振る。


「ないんです」

「ない……?」

「そうです。


 真っ黒な瞳に絢人の姿を映しながら、文香は語る。

 絢人はぽかんとした表情を浮かべてから、ゆっくりと言葉をつむいだ。


「だとしたら鶴木さんは、何でこのゲームを降りなかったの? 死ぬかもしれないんだよ。あのときゲームをやめる選択をしていれば、君はこんなことに巻き込まれなかった……」

「死ぬことの何が怖いんですか?」


 絢人は唖然あぜんとして、文香を見つめる。

 彼女は不思議そうに、冷えた微笑みを浮かべていた。


「私はね、自分が死ぬことに関して何も怖くないんです。むしろ嬉しいんですよ。だから、ゲームに参加することにしました。でも、どうせ死ぬのなら、素敵な願いを叶えたいと思っている人の助けになりたいじゃないですか?」


 そこまで言って、文香は再び水に口を付ける。それからまた、話し出す。


「瀬川宏太郎くんと話しているのを聞きました。貴方、妹さんの病気を治したいんですよね? 美しい願いじゃないですか。歪な願いよりもそういう願いを叶えるべきだと、私は思います」


 絢人は相槌あいづちを打ちながら、文香の話を聞いていた。

 彼女の申し出を受けることは、不正かもしれなかった。他の四人が各々の力だけでゲームを乗り越えようとしているだろうところで、彼自身と文香が協力関係を築くことは、明らかにずるいだろう。


 ――でも。


 病院で、夕陽に照らされながら涙を流していた瑠花の姿が、脳裏のうりに焼き付いている。


 ――正しくないとしても、僕は。


 絢人は文香を見据みすえた。彼の瞳には確かな決意が滲んでいて、それを見た文香は愉快ゆかいそうな笑顔を零した。


「では、聞きますね。私と協力関係を築いてくれますか、嶋倉絢人くん?」


 彼女はすっと、乾燥して荒れてしまった右手を差し出した。

 絢人はその手を、自身の右手でゆっくりと握った。


「……よろしくお願いするよ、鶴木さん」


 文香は口角を上げた。まるで三日月のようだった。

 セーラー服の袖から見える彼女の腕から、あざが見えていた。

 目にしているだけで悲しくなってしまうような、鈍い青色だった。

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