邂逅-3

 庭園の上にかれた白い大理石の道を進みながら、絢人と宏太郎は話をする。


「ゲームに参加するってことは、絢人くんにも叶えたい願いがあるってことっすよね?」


 宏太郎の問いに、絢人はこくりと頷いた。


「うん。……さっきの自己紹介で、妹の体調がよくないと話しただろう?」

「ああ、言ってましたね。覚えてますよ」

「どうも。実は妹は、がんなんだ」


 絢人の言葉に、宏太郎は目を見張った。


「……そう、なんすか」

「そう。酷いよね、まだ中学二年生だよ? これから生きていく上で楽しいことが沢山あるはずなのに、全部奪われた。

 僕は何かを憎むのは好きじゃないんだけれど、それでも憎悪してしまうほどに、妹に巣食う病気が憎くてたまらない。だから僕の願いは、妹の病気を消し去ることなんだ」


 黒ずんだ感情を言葉に乗せながら、絢人は語る。視界に入る綺麗な模様を浮かべた蝶々の自由さが、羨ましい。


「……わかるなあ」


 絢人は宏太郎の方を見る。彼の横顔は、誰かを思い出しているかのような哀愁を帯びていた。


「オレの弟、中学一年生なんすよ。オレ、正直自分の人生とかはどうでもよくて、ただ弟が幸せであってほしいんです。そのために何度も……恐ろしいものを消そうとしたんすけど、これがまあ上手くいかなくて。だから、偶然与えられたこの機会にすがりたいんすよね」


 宏太郎はどこかを見つめるようにして、呟くみたいに言った。それから絢人の方を見て、柔らかく微笑む。


「でも、困っちゃいますね。話を聞いていたら、絢人くんの妹さんにも元気になってほしいなって思いました。……全員の願い事を、叶えてくれればいいのに」


「そうだね。でも、あの人……ロゼは言っていた。世界をつくり変えるような願い事でも、叶えることができると。世界には沢山の奇跡があるけれど、それはきっと偶然の側面が強くて、こういう必然の奇跡を起こすのには、それだけで膨大ぼうだいなエネルギーがいるのかもしれないね」


 絢人の言葉を聞いていた宏太郎が、くすりと笑う。どうして笑われたのかがわからなくて、絢人はきょとんとした表情を浮かべた。宏太郎は申し訳なさそうに、自身の両手を合わせてみせた。


「すみません、ちょっと可笑おかしくて。絢人くんの言葉って何だか不思議っすよね。説明的というか、丁寧というか」

「ああ、本当? まあそうかもしれないね。僕かなり読書が好きでさ、いわゆる本の虫なんだ。何だか最近、思考が文章に引っ張られている気がしてはいるかな」


「へえ、面白いっすね。オレは活字離れがいちじるしいので、小説好きな人は憧れます。おすすめとかありますか?」

「おすすめか……明るい作品と暗い作品だったらどっちがいい?」


「ええ、それは断然明るい話っすよ! だって暗い話を読むと、気持ちまで沈んじゃいませんか?」

「いや、それが実は違うんだよ。暗い作品は時折救済になるんだ。創作の中に閉じ込められた絶望を目にすることで、自分が抱えている絶望が淡く、柔らかくなっていくような心地になることがあって……」


 絢人の言葉に、宏太郎がまた笑った。


「おい、何で笑うんだよ。僕は結構真面目に話してるんだけれど」

「いやその、真面目なのが面白いんすよ! 自分で気付かないんすか?」

「……正直自分では余りわからないんだけれど、妹に指摘されたことはあるかな」

「ほらやっぱり!」


 宏太郎が純真な笑顔をこぼすものだから、絢人も何だか可笑しくなってしまって、つられて笑ってしまう。


 笑い声が気になったのか、前を歩いていた零が一瞬だけ振り向いた。絢人と零の目が合わさって、でも零はまたすぐに前を向いてしまったから、それは本当に僅かな時間だった。


 *


 ロゼと六人は、開けた場所に出る。


 丈の短い草原の上に、一戸建ての建物が六軒並んでいる。前列に三軒、後列に三軒という配置だった。どれも白い壁に紺色の屋根で、形状や大きさに特に違いは見られない。空間に変化を付けるかのように、背の高い樹が所々に植えられている。


 ロゼは立ち止まると振り向いて、楽しそうに笑った。


「どう、素敵でしょ? 一人につき一軒あるんだよ。表札が付いていて、そこに苗字を記しておいたから、自分の苗字のところを使ってね」


 人差し指を立てながら、ロゼは解説する。


「先述した通り、ゲームは明日から。だから今日は、色々考え事は頭をよぎるかもしれないけど、よく寝た方がいいよ。それじゃあね」


 その言葉を最後に、ロゼの姿が消える。絢人は驚いて周囲を見渡したが、もうどこにも彼女の姿はなかった。


「……手品みたいっすね」

「そうだね、本当に」


 宏太郎の言葉に、絢人は同調する。

 零は小さくめ息をついて、足早に去っていく。それに続くように、文香も絢人たちの元を離れていった。残された四人は顔を見合わせる。


「なんか、現実味ないっすよね。命をけたゲームって言われても、どういうことをするのかよくわかんないですし」


 困ったように微笑んだ宏太郎に、千里が大きく頷いた。


「それ、すっごくわかる! ゲームの内容もそうだし、結局ここがどこかとか、ロゼさん? が何者かとかもわかんないし、説明が足りなさすぎだよねえ。全くもうって感じ!」

「……というか皆、命を懸けてまで叶えたい願いがあるんだ。なんか意外」


 蘭が零した言葉に、絢人は首肯しゅこうする。


「確かにね。そういう願いって、普通の人は余り持っていない気がする。『こうなったらいいのにな』という願望は色々あると思うけれど、それに自身の生死が関わってくると、尻込みしてしまう人の方が全然多いんじゃないかな」


「うんうん、絢人くんの言ってること、すっごいわかる! びっくりだなあ、三人ともそうまでして叶えたい望みがあるんだねえ」

「オレとしては、そういう千里さんが一番意外かもしれません」

「えええっ、わたし? 何で!?」


 あたふたとする千里に、宏太郎は少し考える素振りを見せてから、言葉を続ける。


「何て言えばいいんでしょう……千里さんは、この短期間話しただけでもわかるくらい明るくて素直だから、強い願いを持ってるのがちょっと意外だったんすよ」

「ええっ、そうかなあ? それを言ったら、宏太郎くんもわたしと似てると思うんだけど!」

「そ、そうっすか?」


 少し戸惑っている様子の宏太郎に、絢人と蘭は頷いてみせる。


「そうなんすね……」

「僕もそう思う。……きっと、辛いことや苦しいことを、どの程度表に出すかどうかの違いじゃないかな。元気に振る舞っている人が本当に元気かどうかなんて、わからないよ」


「わあ、絢人くん、すっごくいいこと言う! まあ確かに、わたしよく言われるよ? 千里は悩みなんてなさそうだよね、いいなあ、みたいな? その度に、違うのにーって思うんだけど、否定するのも大変だしと思ってへらへら相槌あいづち打っちゃうんだよねえ」

「あんたいい子すぎでしょ」


 呆れたように笑う蘭に、千里は嬉しそうに「ありがとお、蘭ちゃん!」と言って抱き付く。


「ちょ、ちょっと、あんたスキンシップ多いわよ!」

「えー別にいいじゃん! 蘭ちゃんの身体、石鹸せっけんのいい香りするねえ」

ぐな!」

「えへへー」


 楽しそうな女子二人の様子に、絢人と宏太郎は顔を見合わせて笑う。


 ――ああ、嫌だな。


 絢人はふと思う。元々争いが嫌いな彼は、誰かを蹴落とすのが本当に苦手だった。それを明日から、課せられることとなる。こうまでも温かな人たちを、敵と見做みなして。


 ――でも。


 瑠花のことを思い出した。病院での彼女の姿を、そして元気だった頃の彼女の姿を。

 右手を握りしめながら、絢人はつくろうように微笑んでいた。

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