第一章 提案

邂逅-1

 ――大丈……か?


 絢人はぼんやりとした意識の中で、聞き慣れない声の響きを感じていた。


 ――大丈……すか……ねえ、起き……さいよ……


 誰だろうかと思った。段々と言葉の輪郭りんかくがはっきりとしてきたから、絢人は自分が眠っていたのだと理解して、起きることにする。


 ゆっくりと目を開いた。そうして絢人は、すぐに違和感を覚えることとなる。

 広がっているのは見慣れた自室の天井ではなく、雲一つない澄んだ青色の空。絢人はその事実に驚いて、がばっと上体を起こした。


 そこには見渡す限り、美しい庭園が広がっていた。淡い緑色の葉をした植物が様々な場所に植えられていて、桃色や水色の小さな花々が彩りを添えている。流れる川はせせらぎを優しく響かせながら、広がる空を反射している。


 絢人は高校の制服姿で、白い大理石のタイルがき詰められた広場にいた。学ランに身を包んだ背の高い少年が、絢人のことを心配そうに見つめている。短く切られた焦げ茶色の髪と、頬の辺りに薄く広がったそばかすが印象的だった。少年が口を開く。


「よかった。目、覚ましたんすね。体調とか大丈夫っすか?」

「大丈夫、だけれど。ここはどこ、それと、君は誰……?」


 そう問いながら、絢人は立ち上がる。そしてようやく、自身とそばかすの少年の他にも、広場に人間がいることに気付く。


 紺色のふちをした眼鏡を掛けている少年。

 赤茶色の髪を三つ編みにした少女。

 真っ直ぐな黒の長髪が印象的な少女。

 茶色の髪をボブカットにした少女。


 彼らは皆制服を着ていて、絢人とそこまで歳が変わらないように見える。四人ともどことなく緊張した面持ちを浮かべながら、絢人とそばかすの少年を眺めていた。


「ここがどこかは、オレにもわかりません。それと自己紹介は、皆目を覚ましてからの方がいいと思って。もうちょい真ん中に行きましょう」


 絢人はこくりと頷いた。そばかすの少年の背中を追うように、そっと歩き出す。ばらばらの場所にいた六人は、広場の中央部で歪な円を描くように集まった。

 話し始めたのは、そばかすの彼だった。


「ええとまず、オレ、どうしてここに自分がいるかとか全くわかんないんすけど、その辺り知ってる方っていたりします?」


 その質問に対して、首を横に振る者、俯く者と反応は少しずつ異なっていたが、誰も現在の詳しい状況を把握はあくしていないようだった。

 そばかすの少年は頷いて、それから柔らかな微笑みを浮かべる。


「そうなんすね、ありがとうございます。……取り敢えず、自己紹介でもしませんか? お互いを知らないままだと、話すにおいて色々不便ですし」

「いいんじゃないかな。名前を知っていた方が、呼ぶときとかも楽だもんね」


 絢人の言葉に、そばかすの彼は安堵したように笑う。


「それじゃ、オレから行かせて頂きますね! 瀬川宏太郎せがわこうたろう、高校二年生っす。弟、父さん、母さん、オレの四人家族です。正直、どういう状況なんだよこれ、もしや夢かな、って感じなんすけど、何回ほっぺたつねっても覚めないんで、現実を受け入れる方向性にしました。よろしくお願いします!」


 ぺこっと頭を下げた少年――宏太郎に、絢人は軽く手を叩く。他の数人もそれに倣って、ぱらぱらと淡い拍手が場を満たした。

 茶髪の少女がすっと手を挙げて、にこっと笑う。


「時計回りだとわかりやすいと思うから、次はわたしでもいいかな?」

「あ、勿論勿論! 助かります!」

「ふふっ、どういたしまして! うう、自己紹介とか四月以来だから、緊張するなあ……」


 茶髪の少女は軽く頭を抱えてから、ぴんと背筋を伸ばして話し出す。


「わたしは、糸野千里いとのちさと。高校一年生です! わたしも宏太郎くんと一緒で、目覚めたらこんな綺麗な場所にいて、すごくびっくりしちゃった。でも、こうして皆と出会えたのも何かの縁かなあって思うので、よろしくしてくれたら嬉しいです!」


 少女――千里は、小柄な身体で大きな身振りをしながら、朗らかな口調で話し終える。絢人は感心する。宏太郎と言い千里と言い、きっと強い不安を感じているはずなのに、それを表に出そうとはせず場の空気を軽くしようとしている。見習わなきゃな、と思う。


「えーと、それじゃあわたしの次は、黒髪ロングのあなただね! お願いしてもいい?」


 絢人は千里から、その隣の少女へと視線を移す。

 胸の辺りまで伸ばされた黒い髪には、左右の横髪に二本ずつ、合計四本の赤いヘアピンが付けられていた。目付きや雰囲気に、どことなく冷たさをにじませているような人だった。

 彼女はそっと、荒れた唇を開いた。


「……鶴木文香つるきふみか。高校一年生です」


 それだけ言って、少女――文香は口を閉ざした。宏太郎と千里の自己紹介が長めだったから、絢人は彼女の自己紹介が終わったことに数秒気付かなかった。それは千里も同様のようで、


「ええっ、文香ちゃん、それだけ!? もうちょい情報が欲しいよー、好きな食べ物とか教えてほしいなあ」


 そうやって彼女に向けて元気に質問する。

 文香は千里のことをじろりと睨んで、それから視線を落とした。もう会話する意思はない――そうやって態度で示しているようだった。千里は少し視線を彷徨さまよわせてから、「ご、ごめんね……」と呟くように言う。


 若干空気が重くなったことを察したかのように、三つ編みの少女が口を開いた。髪の色が随分ずいぶんと明るかったから、もしかすると染めているのかもしれなかった。


「あたしは弓山蘭ゆみやまらん、高校二年生よ。弓山でも蘭でも好きなように呼んで。よろしく」

「ええっ、名前すごくかわいいね! 蘭ちゃんでもいい、呼び方?」

「別に構わないわよ。というか、ここであたしが駄目だって言ったらどうするのよ」

「うー、そう言われると困っちゃうなあ……どうしてたのかなあ、わたし……」


 考え込むようなポーズを取ってみせた千里に、場の雰囲気が再び和やかさを取り戻す。

 絢人は次の少年の方を見た。切れ長の瞳を隠すかのように眼鏡を掛けていて、随分と利発そうな人だなと思った。

 彼はどこか面倒くさそうに、口を開く。


影谷零かげたにれい、高校三年生。先に言っておくが、俺は愚かな人間が嫌いだ。お前らともれ合うつもりはない。以上」


 また微かに、空気が張り詰めた。

 彼の自己紹介に、絢人は驚きを覚える。馴れ合うつもりはないとはっきり言われて、何だか寂しい気持ちになる。その感傷かんしょうに浸り掛けたところで、次は自分の番だと思い出し、慌てて口を開いた。


「僕は嶋倉絢人、高校二年生です。人と話すのが好きだから、仲良くしてくれたら嬉しいな。……妹の体調が最近よくなくて、それが一番の心配事です。どうぞよろしくね」


 軽く頭を下げてから、顔を上げる。視線を感じて横を見ると、宏太郎が心配そうな面持ちを浮かべていた。


「妹さん、風邪でも引いちゃったんすか? これからかなり冷え込む季節ですしね……」


 絢人は微かに目を細めた。

 ――その程度の病気だったのなら、どれほどよかっただろうか?

 そう思いながら、真実を隠すかのようにそっと微笑んだ。


「まあ、そんなところ。心配してくれてありがとう、瀬川くん」

「いや全然気にしないでください! ……さて、自己紹介も終わりましたし、これからどうしましょうか。庭園の探索でもしてみますか?」


 宏太郎の提案に、千里は自身の手を合わせて顔を輝かせた。


「それ、いいんじゃないかな! 何か手掛かりが見つかるかもしれないしね! 賛成だよ」

「でも、どうなのかしら。何か罠とか仕掛けてあったりしたら、危ないと思うけど」

「うわあ、確かに。蘭ちゃん、洞察力あるねえ」

「この程度で?」


 少し呆れたように笑う蘭に、千里はえへへと頬を掻く。

 そのとき、だった。



「――いやはや、きみたちが仲良くしてくれて、ぼくは嬉しい限りだよ」



 最初に絢人の目に飛び込んできたのは、恐ろしいまでに白い髪。

 腰の辺りまで伸ばされたそれは、雪を想わせるほどのけがれのなさ。

 瞳は青かった。今広がっている空を閉じ込めたかのような、寂しげな色合いだった。


 ――年端もいかない一人の少女が、円になっていた六人の中に立っていた。


「うわああっ!」


 宏太郎が大きな声を出す。絢人も小さな叫び声で喉を震わせた。千里は隣の蘭に抱きついて、文香と零は特段驚いた様子もなく少女のことを見つめていた。


「……君は?」


 皆を代表するかのように、絢人が尋ねた。少女はにやりと笑って、口角をつり上げる。


「ぼく? ぼくは、ロゼ=ブレアー。ロゼと呼んでくれて構わないよ」


 少女――ロゼの真っ青な瞳は、絢人の姿をくっきりと映し出していた。彼女はそれから、ゆっくりと身体を回転させる。宏太郎、千里、文香、蘭、零――彼等のことを順番に見つめ、そうして再び絢人と目を合わせた。真っ白な睫毛まつげは、広がる情景と似て幻想的だった。


「さて、回りくどい話は嫌いなんだ。さっさと本題に移るとしようか」


 ロゼは六人の円を割くかのように、絢人と零の間をすり抜ける。皆の視線を一身に浴びながら、彼女は目を細めて微笑んだ。



「瀬川宏太郎。糸野千里。鶴木文香。弓山蘭。影谷零。嶋倉絢人――きみたちにはこれから、命をけたゲームに参加して貰おうと思う」



 言葉が終わるとき、強い風が吹いた。

 絢人の長い前髪が風にあおられて、隠されていた右目が姿を現した。

 鮮明になった彼の視界で、楽しげに笑っているロゼの姿が主張していた。

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