第3話

「本当にここ、なの?」


学校敷地内のはずれにある『鏡月寮』と書かれた看板の文字はかすれ、傾いていた。古びた外観の建物は大分貧相に見える。少なくとも、さっきまでずっと頭を占めていた不安が阻害されるくらいには、目の前の建物の異様だった。初等部も含むこの学園の校舎の集まりを見た後だと、予想以上にこじんまりとして見える。閉鎖的な雰囲気の小さな寮は、今にも何か出てもおかしくない雰囲気があった。

でも、いつまでも寮の前で突っ立っていても始まらない。ゆっくりと、扉へと手を伸ばす――


「へぶっっ」


はずが、外開きのそれは、私が触れる前に勢い良く開いた。

鼻とおでこが猛烈に痛い……衝撃と痛みで頭がぐらぐらする。覚束ない足元に力を入れて、どうにか倒れないように踏んばった。


「うわっ!」

「っと」


左腕が引っ張られて、今度こそ倒れる……と思った体は、そのまま何かにぶつかった。

さっき、顔面を強打した扉より柔らかい。

目を開けると誰かの肩が目の前にあった。この人が、内側から扉を開けたんだ。


「危ないぞ」


いや、私が顔面を強打したの、あなたのせいですけど……?

その一言は、口から出なかった。

顔を強打した直後なのに、自分より相手の顔が気になってしまったから。でも、それでも仕方ないと思うくらい、今までで一番の衝撃だった。

水晶のように透き通る、目を見張るほど美しい銀髪。それと同じ輝きを秘めた色素の薄い、宝石にも劣らない瞳と相貌が目の前にあった。こんなに芸術品みたいな人間は、これまで見たことがなかったのだから。


「あ」


あまり表情が豊かな方じゃないんだろうか、と顔を凝視してしまっていた。見とれている場合じゃない。

私が入寮予定の学生だと分かっていないから、態度が厳しいんじゃない? もしかしたら、変質者だと思われた可能性もあるし。なら、まずは説明をしないといけない。うん。だからまずは――


「あの私」

「おい、だから入るなって」


まずは、私の頭を抑えるのは止めてくれないだろうか。

この人、見た目に反して言葉も行動もすごい乱暴なんですけど!? 腕が長いのか知らないけどさっきの扉といい、私の頭部に恨みでもあるのかと思うほどだ。流石に扱いが酷すぎる。


「もう、」

「波里野君!」


少しでも距離を取ろうと口を開く。それと同時に、校舎の方から誰かが近づいてきた。走ってきたのは男子生徒だ。腕には腕章をつけている。薄茶色の髪に綺麗な緑の瞳……留学生だろうか。波里野と呼ばれた美少年は、生徒と目が合うなり眉根を寄せた。


「君はどうしていつもそうなのかな」

「何のことだか分からない」

「騒ぎになるようなことは起こさないでくれと、あれ程……」

「加賀美が気にしすぎなだけだろう」

「君が気にしなさすぎなんだよ」


顔を合わせるなり口論が始まった。

その様子はあまりにも険悪で、自分がイライラしていたことなんてさっさと忘れてしまいそうだった。それに、美少年の口が悪いのは誰に対しても同じだと分かれば、なおさらそういうものか、とも納得してしまう。しかし、それでも気になることは気になる。私は、登校初日に一体何を見せられているのだろうかと。

暫く見ていると後から来た少年が、私の存在を先に思い出してくれたらしい。向き直ると、とても丁寧な口調で頭を下げた。


「お見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした。鏡守学園高等部の風紀委員長、加賀美照真です。織笠彩芽さん、ですよね」

「はい」

「こうなる前にお迎えに上がれれば良かったのですが……すみません、雑事が長引きまして」


日本語が流暢なのを考えると、留学生じゃなくて帰国子女とかかな。なんと言ったら、いいのだろう、よく見ると異国情緒のある顔立ち……とかだろうか。とにかく、長いまつ毛を伏せて謝られると、なんだかますます怒る気が失せてしまった。


「あ、お気になさらず」

「雑事、ね」


横から、皮肉めいた指摘が入る。何か含みがあるようなその口調は、どこか辛辣だった。

余程仲が悪いみたいだ、この二人。


「何か問題でも? 波里野君」

「いいや、何も? 加賀美君」


心底嫌そうな顔をする風紀委員君と、どこか意地悪そうに微笑む美少年の間には常に火花でも散っているみたいだ。

美少年の方などは、相変わらず無表情に見えるのが余計に不機嫌さを物語っている気がする。さっきから何だろう、この緊張感は。ぶっちゃけ喧嘩なら他所でやってほしい。


「おい」


はい? おいって、私に言っているのか。この美少年、本当に口が悪いなぁ……。


「波里野君、さすがにどうかと思います」

「何か?」


つい出そうになる溜息を堪えて返答する。

うん、これは風紀委員の彼の意見に賛成だ。でも何のことだか全然分からないので、とりあえずは聞いておこう……。


「そんなんじゃ、毎日大変なことになるぞ」

「どういうことでしょうか」

「こっち」


また手を引かれた。

今度は無視か……。彼、自由過ぎでは? というか、注意されるまでもなく、十分に編入初日にしてはヘビーな状況に対応してる方だと思うんだけど……

なんて思っていた自分は彼の言う通り相当甘かったらしい。


ドッカ――――ン!!!


いい加減頭から手を離してほしい、と言おうとしたところで派手な爆発音が轟いた。咄嗟に目を塞ぐ。耳は……塞いでくれたらしい。耳当てだろうか。いつの間に。花火が上がるときよりも大きな轟音だったので、結局痛いけれど。寮からは、煙が上がっていた。


「おはようぼざいますぅ~」


パラパラと砂埃が舞い、壁の中が露わになる。信じられないが壁が吹き飛んだらしいその部屋からは、呂律の回らない声が響いていた。女の子の声だ。窓がなくなった部屋の中に目を凝らす。ちらっと視界の端に映ったのは、ツインテールの髪型の人影だった。


「火野さん、あなた何度目ですか……」

「あら~、生徒会長」

「もっと反省してくださいね。まだ新学期は、始まってすらいないんですよ……」


そう答える彼女の周囲には火の玉が浮いていた。

火の玉? それに、寝起きなのにツインテールって……? いや、耳?

狐の耳のように見える……様な気もしないでもない。でも、そんなことあり得ない。そんな妖怪、みたいな。


「寝ぼけてるとどうしても火加減が……気をつけますね~…………」

「それは聞き飽きましたが、是非そうしてくださると助かります……」


ちょっと待って。私、場所を間違えただろうか。ここ学校の寮よね? 爆発が日常的に起こるなんて嫌だ。だったら、時期的なものとかだと思いたい。何より、寝起きどうこうのレベルは超えていると思うのだけれど、これ。

もうドッキリとか思っておいた方がまだ現実的な気がする。


「あー……し、新学期のサプライズ……?」

「そんなわけないだろう……もしかして、頭に破片でも降ってきたか?」


動じていないどころか、私が変な目で見られたのは何故だろうか。……私が冷静に突っ込まれているということは、これが、ここの日常茶飯事ってこと? でも、耳当てなんてものを、春にまで常備している、ということは。これは日常、なの? 爆発も??……嘘でしょう?

まだ朝だなんて信じられない。編入初日でこんなに疲れることって、あるだろうか。

編入先の学校の、今日これから私が入寮するはずの寮。そこは今、何度見ても、壁の一部分が崩れていた。


「大丈夫か。あんた、鈍くさそうだけど」


かわいそうなものを見る目をされている気がする。爆発のどさくさで紛れた苛立ちが、再び大きくなる。それは爆発する方がおかしいでしょうが!! と言いたいのに……私の方がおかしいのかな、これ。

それに、初対面の人に、鈍、くさい、とか……。失礼な。なんて口悪いんだろう、この人。とにかく、あまりにも口が悪すぎる。綺麗な顔が台無しでは?

掴まれたままだった頭から手を押しのけて、一歩後ろに下がった。


「お構いなく!」


警戒するように距離を取ったからだろうか。心なしか、さっきよりも彼の眉が下がって見えた。


「やっぱり……分からない、か」


下がった眉が、なんだか悲しそうに見える……ちょっと言い方が冷たかったかな。

というか、分からないって、やっぱりそう言うことなんだろうか。ツインテールではなくて、さっきのあれは……いや、やめておこう。あれは見間違いだった。そうに違いない。

表情だって、気のせいかもしれない。少しでもかわいそうなんて、別に思っていないし。それよりも、今一番気にすべきことがある。


「これ以上が、あるとでも……?」

「あんたの考えていることがどの程度のレベルかは分からないが、これくらいは普通だぞ」


普通。朝一番からの爆発が、普通だなんて。その能面と憎たらしい口調が何だか憎らしくなりそうだ。この事態に慣れていることを、当たり前に肯定しないでほしい。

この学園は、一体どうなっているのだろう?

これからの高校生活、私ここでやって行ける……?

まだ登校してもいないのに、編入前日から前途多難だ。

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『風紀委員のご妖事』 陸原アズマ @ijohsha_s

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