第2話 彼女の名前はディナ、止まっているこの世界を動かしたくて旅をしているらしい。

 残りの屍体を埋葬していたら、いつの間にか日が落ちていた。


 こうなっては、無闇に歩き回るのは危ない。それに行き倒れた女の子をそのまま放置するのも気が引けた。仕方がないので野営に適した場所を確保して、今日はこの街に留まることにした。


 春になったとはいえ、夜はとても冷える。幸い、薪の余りであろう枝が幾つか見付かった。この量なら、一晩はなんとか過ごせるだろう。僕は大振りの枝を三本見繕みつくろって、ポットハンガーを作り始めた。


 ナイフを革鞘から引き抜く。刃厚五ミリを超える頑丈なブレードは容易く枝を手頃な薪に替えていった。それからポットハンガー用に大振りな枝を加工する。Y字型の枝に横木を掛けて架台かだいを作ると薪を並べて火をおこし、ハンガーにする枝に切り込みを入れて水の入った鍋を吊した。


 埋葬がてらに採取した野草を刻み、とっておきの帆立の缶詰と一緒に鍋で煮込む。それらに火を通すと乾飯ほしいいと煎り大豆を放り込んで、おもむろに味噌を溶かし入れた。


「・・・・・・何か、美味しいモノの匂いがする」

「あ、起きた」


 出来上がった直後。目を擦りながら起き上がった女の子に対し、僕は適当に手を挙げて応えた。初対面、彼女に警戒されないよう僕なりにフレンドリーな態度のつもりだったが、女の子は大して気にした様子を見せない。


「君、誰?」

「一応、命の恩人かな。道端で倒れていた君を引っ張ってここまで来たんだから」

 鍋から椀へ汁を装うと、僕は女の子へ差し出す。

「ああ、やっぱり倒れたんだ。流石に五日間飲まず食わずは無謀だったね。ありがとう、助かったよ」

 椀を受け取りながら笑い、女の子は言った。


「わたし、ディナ。見ての通り旅人だよ。あなたの名前は?」

「シタル」

 僕が小枝で作った箸で椀を掻き込むディナに、僕は短く自分の名前を告げた。

 そういえば、久しぶりだ。他人に自分の名前を教えたのは。

「ディナはどうしてこの街に? 食料探し?」

「ううん。食料も大事だけれど、もっと別の物を探しに来たの」

 言うとディナは空になった椀を置き、頭上に視線を向けた。夜空に星が瞬き、存外明るい。その下では、無数のビルが僕らを睥睨へいげいしていた。


「この街、他の場所と違って大きいビルが多いでしょ? だから目当ての物が見付かると思って」

 キョロキョロと猫のように視線を動かす。きっと自分の荷物を探しているのだろう。僕が背嚢はいのうを置いた場所を指差すと、すごすごとそこまで歩いて行き、僕の前で背嚢の中身を広げた。

 盗まれた物がないか確認しているのかと思ったが、どうも様子が違う。というか、背嚢から出てきた物は役に立つとは思えないガラクタばかりで、盗まれることはまずあり得ない。


「結構、見付かったんだ。大収穫だよ」

「何、それ?」

「まあ、ガラクタだね。これだけだと」


 ガラクタという自覚はあったのか。呆ける僕の前で、ディナはガラクタを組み始めた。ある程度形になってから僕に見せてくるが、それが僕には何か全く分からない。

 例えるなら、切り取られた煙突が着いた鍋。水をくれと言われたので、その鍋に余った水を注いだ。鍋の蓋の端からパイプが二本伸び、そのパイプ二本を軸にするよう中央に棘の生えた球体が取り付けられている。


「ごめん、やっぱり分からない・・・・・・」

「まあ、これだけじゃあ分からないよね」


 出来上がった奇妙な物体を持って鍋の方へ歩いて行く。おかわりかと思ったが、どうやらそうではないらしい。ディナは沸々と沸き上がる鍋を退かして、焚き火の上に自らの煙突付き鍋を置く。暫く待つと、ぎこちなく頭頂の球体が煙を吐いて動き出した。


「取り敢えず、動いてくれてる。良かった良かった。本当はシリンダー式が作りたかったんだけれどね」

「それ、何?」

「分からない? 蒸気機関だよ」

「蒸気機関?」

「そ。二本のパイプを水蒸気が通ってこの球体の煙突から吐き出される。球体には卍型に煙突を配置しているから、丁度こんな風に蒸気を吹き上げて回転するんだ。要するに、エンジンだよ」

「エンジンって車とかバイクの?」

「あっちは蒸気じゃなくてガソリンだけど、ピストンを押し上げるという意味では同じかな。まあ、これはタービン式だから実は全然違うんだけれど。シリンダー式はもっと激しいよ、スガーンバーンって感じで」

 身振り手振りで爆発を再現するディナ。そんな彼女の奇行よりも、僕は彼女自身に驚いた。


「君、ひょっとして機械が分かるのかい?」

「まあね。勿論、全部じゃあないけれど」


 驚いた。本当に驚いた。

 かつてこの道路を我が物顔で走っていた車やバイクは、今では銃以上の貴重品だ。理由は簡単。誰も修理できないからだ。車もバイクも動かし方は知っている。僕だって、大人達の手伝いでトラクターを動かした事がある。でも、壊れたらそこでお仕舞いだ。誰も直せない。ホースが外れたとか、簡単な修理は出来る。けれどもエンジンが壊れてしまえば、お手上げだ。


 彼女はエンジンの仕組みを簡単に説明した。蒸気で動くエンジンを作って、僕の目の前で動かした。勿論、こんなモノで車やバイクが動くとは思えない。だがそれでも、エンジンはエンジンだ。僕は今までエンジンを作った人間を見た事はない。


「図書館とか本屋とか、意外とその辺に作り方は転がっているんだよ。でも皆、食べ物と武器にしか興味ないから気付かない。本なんて所詮、焚き付けに使う紙束でしょ?」

 からから笑うと、ディナは激しく回転する蒸気機関に目を向けた。


「これ、何千年も前にヘロンって人が考えたモノなんだ。当時は特に何に使うか考えていなかったらしいけれど、これがやがて形や仕組みを変えて蒸気機関車とか蒸気船とか大きな物を動かす基盤になっていくから面白いよね」

「面白い?」

「うん、面白い。現代ではガラクタだったものが、ずっと先の未来で大事な何かに使われているって考えると、わたしは愉しくて仕方がないよ」

「ずっと先の未来、か――」

 そんな事、考えたこともなかった。そんな発想をする人間が居るなんて、知りもしなかった。


 やはり、旅に出て正解だったのかもしれない。

 あそこは居心地は良かったけれど、きっと居心地が良いまま死んで逝くだけだっただろうから。


「・・・・・・ディナはそういう〝役に立たない物〟を作る為に、旅をしているのかい?」

「役に立たないって、ちょっと心外だな。これは試作品だよ。何にも使えないという意味では役立たずだけど」

 相変わらず回り続ける球体を一瞥すると、ディナはまな板代わりに使った木片に突き刺した僕のナイフに視線を向けた。


「良いナイフだね。君が作ったの?」

「いや、誕生日に父親から貰った。業物だって」

「だろうね。レーザーで〝バークリバー〟って刻印されてるし、グリップはマイカルタ。オマケにコンベックスグラインドのブレード。同じモノは今の世の中じゃあなかなか作れない」


 マイカルタ?

 コンベックスグラインド?

 彼女の口から紡がれた言葉の意味と意図が全く分からない。


「君の腰からぶら下がっている拳銃だってそう。それ、ステンレスフレームの92FSだね。それもブリガディアだ。見たところ純正品みたいだし、ベレッタ製かな? ひょっとしてストーガー製? まあいいや、どっちにしても今の技術じゃオートマチックなんて到底制作出来ない」

「何が言いたいのさ?」

「たった数十年」


 僕の言葉を遮るように、ディナは言った。


「わたし達の世界が時間を止めてから、まだ数十年だよ? 百年も経っていない。それなのに、わたし達は原始時代スレスレの生活をしている。数十年前には当たり前に動いていた車も、最近じゃあ全然見掛けない。その銃だってナイフだって、普通にお店でお金を払って買えた商品だった筈なのに、今では貴重品扱い。そこの缶詰だって、たった一つで殺し合いが起きるような超贅沢品じゃあなかった。何か、おかしいとは思わない?」


 彼女の語る言葉が、僕には殆ど理解出来なかった。

 しかし、少しだけ分かった事がある。

 この骨だけになったビル達がまだ生きていた頃、きっと僕ら人間達の暮らしはもう少しマシなものだったのだろう。


「わたしはね、この止まっている世界の時間を動かしたいの。その為に本を読みあさって、こうして実験して――」


 途端、ドカンという爆発音が鳴る。二人して同時に音のした方へ視線を向けると、蒸気機関の鍋が吹き飛んでいた。


「・・・・・・こんな風に、失敗もする」

「ああ――――」

 格好、付けたかったんだろうな。


「と、とにかく・・・・・・わたしはね、人間がまた当たり前のようにこの街で生活が送れるようにしたいの。車に乗って買い物して、好きな物を食べる暮らし。わたしが生きている間は無理かも知れないけれど、そのきっかけぐらいは作りたいと思っているんだ。おかしい?」

 鍋を片付けながら、変かなとディナは上目遣いで僕を見た。

 同意を求める辺り、さっきの失態が尾を引いているのだろう。


「ううん、全然」

 僕は首を横に振って、答えた。

 彼女の夢はよく分からないけれど、彼女の熱意はよく分かったから。


「それより、わたしだけ質問に答えているのは何かズルい。君だって、旅人なんでしょ? 何が目的で旅をしているの? 話してよ」

「目的・・・・・・」


 そんなモノ、特にない。

 ただあの木訥な毎日が物足りなくて、誕生日の夜に何も考えず飛び出すように旅に出たのだから。


「観光、かな」

「観光?」

「そう。当てもなく旅をして、色々な場所を見ている。この街に来る前は、積み重なった電車の塔を見た。雪の重みで、重なった車体が軋むんだ。昼間だと怖いんだけれど、不思議と夜だと落ち着く。多分、夜は静かな方が怖いからだと思う」

 だから僕は、この間の出来事を語って適当な目的を捏ち上げた。


「観光かぁ――――」

「変?」

「変じゃないよ」

 愉しげにディナは首を振る。

 彼女にとって何が愉しいのか、僕には分からない。


「同じだなって思ったの。わたしと同じ」

「同じだって?」

 そう、とディナはまた愉しそうに頷いた。


「だって観光ってさ、まさに思い描いた世界だもん。食料を探したり住む場所を見付ける為じゃなくて、ただ単に観光する為に旅をする。こんな世界でそんな風に旅しているなんて、わたしと一緒だって思ったの」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 無邪気に笑う彼女の顔に、僕は少し胸の奥がチクリと痛む。

 そんな高尚じゃあないんだ、僕の旅は。ただ何となく、ただぼんやりと。人と関わるのが苦手だから、ふらふらと当て所なく旅をしているだけなのだから。


「わたしとシタル、きっと似たもの同士だから出会ったんだね」


 微笑むディナから、僕は反射的に視線を逸らす。

 逸らした先で、焚き火の小さな炎が弱々しく揺らいでいた。

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