弥生さんは分かってる。



 朝のホームルームが終わり、数時間が経過して現在は昼休みの真っ只中である。


 学生のほとんどが昼食を済ましたり、グラウンドに出て遊んだり、もしくは図書室で読書をしたりと、各々が自由に過ごす時間帯。


 如月さんだったら、屋上で1人で過ごしているのかもしれない。卯月であれば、校舎裏にいるか、人気の無いところにいるかもしれない。


 そして僕はというと、学校の隅にある部室棟に来ていた。部活のある放課後と違って、昼休みの部室棟には全く人がいない。ほぼ無人と言っていいかもしれない。


 で、どうしてそんな場所に足を運んだかといえば……別に僕だって来たくて来た訳じゃない。呼ばれてしまったから、ここに来ただけだ。


 そもそも、僕は部活に所属をしていない帰宅部なのだから、ここに足を踏み入れる理由すら持ち合わせていない。


 学校生活の中で特に縁遠い場所だと思っていたけど、こうして訪れる事になるとは思いもしなかった。


「でも……ここで本当にいいのかな……」


 そう呟きつつ、僕は恐る恐るといった感じに部室棟の廊下を歩いていく。誰もいないと分かっていても、不慣れな場所だからこそ、ありもしない人目を気にしてしまう。


 僕が小心者だからというのもあるけど、それでも気になってしかたがなかった。


 そんな不安な気持ちを胸に抱きつつも、僕は部室棟の端にある部室の前までやってきた。そこには陸上部という立て札があり、その立て札のすぐ傍には扉がある。


 僕はそんな扉の前で立ち止まりながら、制服のポケットからある物を取り出した。それは今朝に弥生さんが飛ばしてきた紙飛行機……いや、元紙飛行機だ。


 今は広げてるから1枚の紙になっているけど、そこに書かれている内容に間違いがないかを改めて確認していく。


「やっぱり、ここだよなぁ」


 何度となく確認しても、この部室で間違いないみたいだ。色々と疑問に残る事はあるけれども、とりあえず今は早く用事を済ませたい。


「よし、じゃあ……入るか」


 僕はドアノブに手を伸ばしてひねった後、ゆっくりと引いていく。すると、本来なら鍵が掛かっているのに、扉はなんの抵抗もなく開いていった。


 そして僕はそのまま中へと入っていく。すると、そこには……


「やっほー、立花くん。ちゃんと来てくれたね」


 部室の中にいた人物……それは紛れもなく、弥生さんその人だった。彼女は部室内にあるベンチに座り、僕に向かって手をヒラヒラと振ってくる。


「いやー、立花くんがちゃんと来てくれるかどうか、私ちょっと心配だったんだよね」


「そ、そうなんですか……」


「うん。まぁ、でも……君の事だから、9割9分ぐらいの確率で来てくれると信じてたかな」


「それは……どうして?」


「だって、立花くんは優しいからさ。頼まれたり、誘われたりしたら無下に断れないでしょ」


 あははと、笑いながら弥生さんはそう答えた。明け透けの無い言葉遣い、そしてそれを隠そうとしない姿勢。これは間違いなく、騙していない方の彼女の姿だ。


 弥生さんの本性? それとも素と言うべきか。学校で見せる彼女の姿は協調性と合理性を徹底した姿であって、本当の彼女では無い……らしい。


 口調も、性格も、周りへの態度も。精巧なまでに磨き上げ、みんなを騙している。そんな彼女の事情を知っているのは、弥生さんがそれを教えてくれたからに過ぎない。


「そういえば、あの……」


「ん? どうしたの?」


「その……どうして僕を、ここに呼び出したんですか?」


「……それは用件についてでいいのかな? それとも、場所的な質問?」


「どっちもです。どっちについても良く分かっていないので……」


「そっか、そうだよね。じゃあ、まずは場所についてから説明するね」


 そう言って彼女は立ち上がると、僕との距離をゆっくりと詰めてきた。


「どうしてこの部室に呼び出したかと言えば……まぁ、これは単純だね。この時間なら誰も来ないからだよ」


「……確かに昼休みのこの時間帯に、部室棟に来る人はあまりいないですよね」


「うんうん。それと他の教室からも離れているから、声が誰かに聞こえる心配も無いからね」


「なるほど……でも、弥生さん。ここを選んだ理由については分かったんですが……どうやってこの部室に入ったんですか?」


「……知りたい?」


「それは、まぁ……だって、陸上部の部室だから、鍵が掛かってますよね。それに弥生さんは陸上部じゃないですよね?」


「うん、そうだよ。私は立花くんと一緒で、自由気ままな帰宅部だよ」


「じゃあ、どうやってここに……」


「それは……ほら、これを使ったんだよ」


 そう言って弥生さんはポケットからある物を取り出して、僕の眼前に近付けて見せてきた。


「それは……鍵?」


「そう、この部室の合鍵。ちょっと拝借してきたんだ」


 ニッと笑いながら、弥生さんは僕に向かってそう言った。


「拝借って……」


「言い方を変えれば、勝手に使わせて貰ったって感じかな」


「えっ!?」


「前にここの部員の生徒から、合鍵の隠し場所を聞いててね。そこからススっと取ってきたって訳」


「……勝手にって、いいんですか? 怒られたりしません?」


「使った事が分からなければ、怒られたりはしないでしょ。それに、隠し場所を教えたり、分かりやすい場所に置いておく方が悪いよ。そんなの、使ってくれって言ってるようなものだからね」


「それは違う気がしますが……」


「あはは、最後のは冗談だよ、冗談。本気にしないでよ」


 弥生さんはそう言って笑いながら僕の肩をポンポンと軽く叩いてきた。それから僕の横を通り抜けてから、扉の鍵を施錠してまた元の位置に戻ってきた。


「これでこの部屋はほぼ密室。どう? 女の子と2人きりになれてドキドキする?」


「い、いえ……」


「まぁ、そうだよね。立花くんは心奏ちゃん一筋だもんね」


「……はい」


「別にそんな照れなくてもいいのに」


 弥生さんは笑いながらそう言うと、僕に背を向けてそのまま部室の奥の方へと歩いて行った。


「さて、場所は説明した訳だから……本題に入ろうかな」


「本題というと、呼び出した理由について……ですよね」


「まぁ、本題と言っても、大した事じゃないけどね」


「えっ? そ、そうなんですか?」


「そうだよ。私が立花くんをここに呼び出したのはただ単に、君にとって話しやすい場所を提供したに過ぎないからね」


 そう告げた後、彼女は振り返って僕に視線を合わせてくる。そして弥生さんはこう言葉を続けた。


「私に聞きたい事、あるんでしょ?」


 弥生さんはそう言って、僕に向かって微笑んできた。その表情はどこか楽しげで……それから蠱惑的なものであった。


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