精巧な贋作は、誰にも見抜けない。



 カラオケ店を出た後、僕らは少し歩いて近場の公園にやって来た。ここは確か、前に下校中の如月さんと一緒に訪れて、2人でたい焼きを買った場所だ。


 あの時は如月さんがたい焼きをお腹から食べ出して、僕はその行動に驚かされたのを思い出した。……そういえば、今日も彼女は大判焼きを買って食べていたけど、もしかするとああいうのが好きなんだろうか。


 たい焼きと大判焼き。どっちもあんこが入っていて、生地も似たような感じだ。もし好きだとすれば、次は僕も彼女を誘って……って、いや。もう如月さんとは、そういう関係じゃないから、もう無理なのか。


「ね、立花くん。ここに座ろっか」


 そんな事を考えていると、弥生さんは適当なベンチを指差してそう言ってきた。そして僕が何かを言う前に、颯爽と彼女はベンチに腰掛けてしまう。僕はそんな弥生さんを見てから、彼女の隣に腰を下ろした。


「それで立花くん。さっきの続きなんだけど……」


「あ、はい」


「本当の意味で騙すって事は、とても大変な事なんだよ」


「大変、ですか」


 弥生さんの言葉を僕は思わず聞き返した。すると、彼女はこくりと頷いてからこう言葉を続ける。


「そうだよ。その点、立花くんは人を騙すのには慣れてないよね。良く言って正直者。悪く言って嘘が吐けない不器用な人。そんな感じかな」


「あぁ……はい。そうですね」


 弥生さんの言葉に僕は納得してしまった。実際、僕は嘘を吐くのが苦手だから、嘘を吐こうと思っても、すぐに見破られてしまう。


「だから、私は早々に嘘だって分かったよ。騙し慣れていないから、目や仕草を見たら簡単に分かるの」


「目と、仕草ですか」


 そんなに僕は分かりやすかったのだろうか。自分ではあまり意識した事は無かったから、少しばかり戸惑ってしまった。そんな僕を見て弥生さんはこう続け様に言ってくる。


「立花くんの場合、あの時は目が泳いでいたり、視線が定まってなかったりで、バレバレだったよ? だから、フォローしてあげたの」


「そ、そう……ですか」


 弥生さんのそんな言葉を聞いてから、僕は少し恥ずかしくなって俯いてしまう。あの時の僕、そんなに分かりやすい態度をとっていたのか……。


「これからも心奏ちゃんの恋人の振りをしていくのなら、自然体な演技も身に付けないと駄目だと思うよ」


「自然体、かぁ……」


「その方が、よっぽど上手く行くと思うかな」


「……そうですかね」


 僕はそう聞き返しながら、自分の両手へと視線を落とす。それからその手をぎゅっと握り締めた。弥生さんの言わんとする事は何となく分かる。けど、分かったとしても実践が出来るかどうかは別物だ。


 それと、果たして僕がそんな技術を磨き上げたところで、また如月さんが僕に振り向いてくれるのかどうか、そこが問題だ。弥生さんから教わったとしても、発揮出来る場所が無ければ意味が無いと言える。


 ……でも、待てよ。弥生さんは『自然体な演技も身に付けないと駄目』と言うけど……なら、彼女の場合はどこまでが演技で、どこからが素の彼女なんだろうか。いつも見ていた弥生さんが演技だったら、本当の彼女はどんなものなんだろうか。


「あの、弥生さん」


「ん? どうしたの?」


「弥生さんは、その……あなたの本当って、どこにあるんですか?」


「私の……本当?」


「えっと、あの……何と言うかなぁ。僕と違って、自然体の演技をしているのが、弥生さんなんですよね。だったら、どこまでが演技で、どこまでが本当の弥生さんなんだろうかな、と……」


 僕がそう疑問を投げ掛けると、弥生さんは目をぱちくりとさせて、それから少し困ったように笑った。


「あー、なるほど……そう来るかぁ」


「えっと、弥生さん?」


「まぁ、私がそう言ったら、立花くんとしても気になっちゃうよね。私がどこまで実践出来ているかって」


 そう言った後、弥生さんは頬を掻いて、少し考える素振りを見せた。それからしばらく間を置いた後で、彼女はこう口を開いたのだ。


「そうだなぁ、強いて言うならば……」


 弥生さんはそこで一旦言葉を止めると、僕の方をじっと見つめてからこう続けた。


「全部だよ」


「え?」


 僕は思わずそう聞き返してしまう。すると、弥生さんが小さく笑ってからこう言葉を続けたのである。


「立花くんが見ている全て。表情、仕草、立ち振る舞い、言動、呼称、一人称、外見、思考、好み、それから立ち位置。それら全部が徹底した偽物。みんなが見ている『弥生未来』そのものが、全て演技だよ」


「……全て、ですか?」


「うん。だから、本当の私なんて、どこにもない。みんなを騙す前に、自分自身を騙して偽っている。だから、自然な立ち振る舞いが出来るんだ」


「……」


 弥生さんの言葉を聞いて、僕は思わず黙り込んでしまった。そんな僕の事を見た彼女はこう言葉を続ける。


「そこまでして、初めてみんなを騙せる。100%嘘でしか無いから、疑う余地が無い。そんなものを見抜ける訳が無い」


「いや、その……」


「誰にも分からないほどに精巧に作られた偽物は、本物にしか見えない。だから、私は誰にも見抜かれないまま、ここまで過ごしてきたんだよ」


 そこまで言って、弥生さんは言葉を止めた。そしてどこか中空をぼんやりと見つめていたと思ったら、弥生さんはまた僕の方を見てこう言葉を口にしたのである。


「……いや、誰にも見抜かれていないはちょっと誇張が過ぎたかな。多分、数人にはバレてはいると思うよ。その人たちは優しいから、何も言わないけど」


 乾いた様な笑みを浮かべながら、弥生さんはそう続けた。


「ま、だから……ほとんどの人は私という存在は誤認しているよ。物事を合理的に進め、周囲を円滑に纏める事が出来る、そんな理想を追求した贋作。それが私という存在だから」


「そ、そうなんですか」


 僕はそう答える事しか出来なかった。弥生さんの言葉を聞き返してはみたけど、正直言ってあまり理解出来ていない。そこまで徹底して嘘を吐いてきた人なんて、今まで1人として見た事が無かったから。


 誰もが自分自身の為に平気で嘘を吐いているのに、彼女の場合は誰かの為、みんなの為に嘘を吐いている事になる。これは全く共感が出来ない、理解が出来ない。


 自分の嘘を本当にする為に自らに枷を課して、それで彼女は幸せなんだろうか。それが本当に、彼女の為になっているのだろうか。


「だから、私はみんなの味方だよ」


 僕の考えている事を見透かしたかの様に、そう告げた弥生さんの表情はとても穏やかで、優しいものだった。


「立花くんが上手く騙せないなら、騙せる様に助けてあげる。心奏ちゃんが彼氏の役目を君に求めているのなら、それに見合った技量を私が教えてあげる」


「え、えっと……」


「クラスの平穏の為。立花くんや心奏ちゃんの平穏の為。拗れる原因は排除してあげるから、安心して私の手を取ってくれればいいよ」


 そうして彼女は僕に向けて手を差し伸べた。さっきと違って、今度は弥生さんの事情を知った上での、彼女の手。そして僕はその手を、掴むべきか否か迷ってしまう。


 本当に掴んでしまっていいのだろうか……その躊躇いが僕の中を駆け巡っていく。僕は本当に弥生さんの手を取ってもいいのか。それとも、断るべきなのか。優柔不断な僕には、それを判断する事は難しかった。



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