騙し方って、どういう事?
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「私がそれを、立花くんに教えてあげるね」
そう言って弥生さんは僕に向かって手を差し伸べてきた。僕はその手をジッと見つめたまま、何も出来ないでいる。手を取るのか、それともしないのか、悩んでいた。
「どうしたの?」
そして僕が行動を起こさない事に疑問を感じたのか、弥生さんはそう問い掛けてきた。
「ははっ、もしかして……何か裏があるとか、そんな心配でもしてるのかな? 別に裏なんて無いから、安心して手を取ってくれてもいいよ」
「いや、その……」
弥生さんはそう言ってくれたけど、それでも僕は動く事が出来なかった。だって、騙し方を教えるって事が、僕には良く分からなかったから。
そもそも、教えるって事はそれを弥生さんは知っているという事になる。つまり、騙し方を知っているという事だ。そんな人から教えて貰うというのが、なんだか少し怖かったのだ。
「……弥生さんは、僕に騙し方を教えてくれるんですか?」
「うん。立花くんが望むならね」
僕が質問すると、弥生さんはそう答えてくれた。そしてその言葉を聞いてから、僕は彼女に向けて次の言葉を投げ掛けた。
「それって、あの……今も僕を騙そうとしてるとか、そういう事ですか?」
弥生さんが『騙す』という言葉を使っている以上、それが本当の事かどうか、僕には判断が付かなかった。だから、僕はそう尋ねたのだ。
「騙す? 私が立花くんを?」
「はい」
「……ぷっ! あははっ! はははっ! も、もう、立花くんは本当に面白いね!」
弥生さんは僕の言葉を聞いてから少しの間を空けてから笑い出した。そしてお腹を抱えて笑う彼女を見て、僕は思わず戸惑ってしまう。そんな僕の反応を見たのか、弥生さんはすぐに笑うのを止めてくれた。それから彼女はこう話し始める。
「確かに騙し方を教えるって言ったけど、別に私は立花くんを騙そうなんてしてないよ?」
「……え?」
そんな弥生さんの言葉を聞いた僕は少し遅れてそう声を漏らした。すると、それを聞いた彼女がまた小さく笑ってから言葉を返してくる。
「私は100%の善意で、君を助けてあげたいだけだから。そんな立花くんを騙そうだなんて、無粋な考えはしてないよ」
「で、でも……」
「まぁ、そう疑うのも無理はないかもだけどね。でも、安心して? 立花くんに教える事は教えてあげるし、出来るだけ君の力になりたいからさ」
「……」
そう言ってくる弥生さんの目はただただ真っ直ぐで、その綺麗な瞳で僕を見つめていた。彼女が嘘を吐いている様には到底見えなかったけど、それでも僕は信用する事が出来なかった。
だって、まだ聞いていない事があるから。それを聞かない事には、納得や信用なんて出来ないからだった。
「えっと、分かりました。ただ、その……もう一つだけ、聞きたい事があるんです」
「聞きたい事? 何かな? 私で答えられる事なら、何でも聞いて」
弥生さんの言葉を聞いてから、僕は少しだけ間を空けてからこう尋ねた。
「弥生さんは……これまで一体、誰を。どんな人を騙してきたんですか?」
僕の質問に、弥生さんは驚いた様子を見せた。それからすぐに、彼女は笑みを見せてからこう答えたのである。
「みんなだよ」
「え?」
「今まで会ってきた人たち全員。私は全員を騙してきたの」
「ぜ、全員って……」
弥生さんはそう言ったけど、僕にはそれが信じられない事だった。だって、これまで見てきた彼女は楽しそうに話し、優しく笑っていて……そんな人が誰かを騙すなんて、僕には想像が付かなかったのだ。
「もしかして、信じられない?」
そんな僕の反応を見て、弥生さんはそう尋ねてきた。僕はその問いに小さく頷く。すると、彼女は少し間を空けてからこう言葉を続けた。
「信じられなくても、それが事実だから。私はクラスのみんな、学校の先生、近所の人たち、お店の常連さん。例外無く、みんな騙してきたよ」
「どうして……ですか?」
僕は思わずそう尋ねてしまった。すると、弥生さんはすぐに答えてくれる。
「簡単な事だよ、立花くん。理由なんて、その方が合理的だし、物事が円滑に回るから。だから、私はみんなを騙すの」
そして弥生さんは人差し指をピンと立てて天井を指す。それからこう言葉を続けた。
「1つ、簡単な例をあげようかな」
「簡単な、例ですか?」
僕は弥生さんの言葉にそう聞き返してしまう。すると、彼女はこくりと小さく頷いてから、こう言ったのである。
「うん。例えば……そうだね。立花くんは人と話していて、自分が知っている事が話題に上がったら、その時ってどんな反応をするかな?」
「えっと……『あっ、それ知ってる』とか、『その話なら聞いた事があるかも』って言うと思います」
僕は弥生さんの問いにそう答えた。すると、彼女はまた小さく頷く。それからこう言葉を続けたのである。
「そうだね。そう返しても良いと思う。だけど……そこから次の話って、繋げられたりすると思う?」
「それは……」
「そうなるとね、話は終わっちゃうの。相手はその話をして自慢なり、承認欲求を満たしたいからしているのに、立花くんみたいな返しをすると、それ以上は話を膨らむ事は無い。だから、そういった時は『知らない振り』をしてあげるの」
「知らない振り、ですか」
「そうだよ。例え知っていても、そうして会話の切っ掛けを作ってあげる事で、円滑に物事を進める事が出来る。時として、そういった気遣いは大事だよ」
「……」
「まぁ、でも……これは騙すと言っても、初歩中の初歩って感じだね。社会人にでもなれば、ある程度の人ならやっている事だよ」
やれやれといった具合に弥生さんはそう話す。僕はそんな彼女の話を、ただ黙って聞いている事しか出来なかった。
「本当の意味で騙すって事は……」
そして次の話を切り出そうと弥生さんが口を開こうとした……その時だった。個室内の内線が音を立てて鳴り始めたのである。
「ちょっとごめんね」
そう言って弥生さんは立ち上がると、受話器を手に取った。それから彼女は電話の相手と少しばかり会話を交わすと、最後にこう言ったのだ。
「はいはい、分かりましたよ〜」
そしてガチャリと受話器を置いた後で、僕の方へと振り返ってくる。
「受付の人がもう時間だから、退室してくれってさ」
「も、もうそんな時間なんですか?」
「すっかり話し込んでいたから、気付かなかったね。とりあえず、一旦はここから出ようか」
そう言って彼女は自分の鞄を持つと、退室しようと部屋の出入り口の方に向かって歩いていった。そして僕の方に視線を送ってから、こう言って来る。
「続きはまた外でね」
弥生さんはそう告げて、伝票を持って部屋から出て行ってしまった。僕はしばらく 呆然としていたけれども、これ以上はここにいても仕方が無いと思い、僕も鞄を持って彼女の後を追い掛けて行ったのである。
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