五章

沙月おばさんは 侮れない。



「はぁ……」


 日が沈み、すっかりと辺りが暗くなり始めた頃。私は一度、煌真の家を後にし、自分の家に帰ってきていた。そして、今は自室にて着替えをしている最中だった。


 別に、服なんて着替えなくてもいいんだけど……煌真がごちゃごちゃとうるさいから。こうして私は戻らざるを得なくなった。


「最悪」


 私はそんなお節介な煌真に対して、思わずそんな言葉を呟いてしまう。彼はいつもそうだ。私の事を心配して、まるでお母さんみたいな事ばかり言ってくる。


「煌真は煌真なのに。いちいちうるさい」


 そうして私はぶつくさと文句を言いながらも、着替えを済ませていく。着ていた制服と下着をベットの上に放り投げ、それから適当に収納ケースから替えの下着とパーカー、それとショートパンツを取り出すと、それを順に着ていった。


 それから靴下も履いて……いや、いらないかな。別に遠くまで出掛ける訳じゃないなら、素足で十分だろう。そう思った私は一旦は掴んだ靴下を再度、元あった場所に戻した。


「……よし」


 着替えも済んで、準備が出来た私はスマートフォンと鍵だけ手にして、自分の部屋から出て、また煌真の家に戻る為に家を出た。彼の家は真正面のお向かいさんなので、戻るまでに1分も掛からなかった。


「あら、お帰りなさい、心奏ちゃん」


 リビングに入ると、台所にいた沙月おばさんがそう声を掛けてきた。フライパンを片手に持ちながら、ひょっこりと顔の覗かせて出迎えてくれた。


 そんな沙月おばさんに私は軽く会釈をして、それから少し前まで座っていたソファへと歩いていく。そして腰掛けようとしたところで、台所から美味しそうなにおいが漂ってきて、私は思わずそっちに視線を向けてしまった。


 台所では沙月おばさんが晩ごはんの支度をしていて、そこからにおいが漂ってきていた。私はソファには座らず、そのまま台所の方へ歩いて行く。そして、沙月おばさんの調理する姿を見ている事にした。


「んー、心奏ちゃん、どうしたの?」


 私の存在に気が付いた沙月おばさんは、目線は目の前の料理に向けつつ、そう質問してくる。私はその質問に対して、少し間を空けてから答えた。


「……その、見てただけ、です」


「あら、そうなのね」


 沙月おばさんはそう言ってから、慣れた手付きでフライパンで何かを炒め、それからその真横のコンロで調理している鍋の中身をお玉でかき混ぜていた。


 それからお玉で少量だけすくい取って、味見をする。その味を確認した後は何度か調味料を加えて、味の調整をしながらまた鍋の中をお玉でゆっくりと混ぜていく。


 そんな沙月おばさんの様子を、私はジッと見つめて続けた。特に何でもない、ただ料理しているだけの、普通の光景。でも、それが私には少し眩しくて―――


「……良かったら、心奏ちゃんも一緒に作らない?」


 すると、考え事をしていた私に向けて、不意に沙月おばさんは手を止め、私の方に顔を向けてきた。それからにっこりと笑みを浮かべてから、私にそう言ってきたのである。


「一緒に?」


「うん。せっかくだから、我が家秘伝の味付けを、心奏ちゃんにも教えてあげようと思って」


「……いいんですか?」


「もちろん。心奏ちゃんなら、大歓迎よ。というか、うちはあんな息子しかいないから、文句ばかりで教え甲斐が無いのよねー」


 沙月おばさんは冗談半分でそう言っているんだろうけど、本音が多分混じってる様な気がする。けど、煌真が料理が出来るのも、沙月おばさんが教えたからというのもあると思う。ああ見えて、彼は料理が出来るのはそれが理由だ。


 で、私はどうするか考える。このままずっと見続けたままでいるか、それとも沙月おばさんの厚意に甘えて、一緒に料理を作るか。でも、せっかくだから私は沙月おばさんの厚意に甘えてみる事にした。


「その……じゃあ、お願いします」


 私は沙月おばさんの提案に乗り、そう返した。それを聞いた沙月おばさんは嬉しそうに笑うと、その笑みを崩すことなくこう告げてくる。


「じゃあ、心奏ちゃんは鍋を見てて貰えるかしら。私はこっちの料理を仕上げちゃうから」


「……うん」


 そして私は沙月おばさんの隣に立ち、お玉で中身をかき混ぜていく。鍋の中身はコンソメスープだろうか。色とりどりの野菜が煮込んであって、見ているだけでも美味しそうだった。


「とりあえず、こっちが仕上がったらあともう1品作る予定だから、それは心奏ちゃんにお願いしようかしら。その時、味付けについてもレクチャーしてあげるからね」


「はい」


「ふふふ。でも、こうやって心奏ちゃんも美味しい料理が作れる様になって、いつかは好きな男の子に手料理を作ってあげるのね」


「え?」


 沙月おばさんの放ったその言葉を聞いて、私は手を止めた。そして、沙月おばさんの方に顔を向けて、こう尋ねる。


「好きな男の子……ですか?」


「ええ、そうよ。あっ、だけど、おーまは駄目よ。うちの息子なんかに、心奏ちゃんはもったいないから」


「は、はぁ……」


 私は沙月おばさんの言葉に戸惑いながら、曖昧な返事をしてしまう。


「あら、でも、そういえば……確か前に、心奏ちゃんからお化粧を教えて欲しいって頼まれた事があったわよね」


「あ……はい。その時は、ありがとうございました」


 以前、と言っても数日前の事だけど、私は沙月おばさんにお化粧の仕方を教えて貰った事がある。蓮くんと出掛ける時に何となくだけどした方がいいかもしれないと思って、教えて貰ったのだ。


「もしかして、もしかしてだけど、心奏ちゃんったら、もう好きな男の子がいたりしちゃったり?」


 そして目を輝かせながら、沙月おばさんはそんな事を聞いてきた。それからものすごく期待に胸を膨らませる様な、そんな様子を見せてくる。


「まあまあ♪ そういう事なら、おばさんに何でも話しちゃってよ! これでも私、恋愛経験は豊富なんだから!」


「えっと……」


 私は沙月おばさんの勢いに圧倒されながらも、何とかして言葉を返そうとする。だけど、返す言葉なんて1つしか無かった。


「そういうのじゃ、ないです」


「あら、違うの?」


「……そんな人、まだいません」


 私は沙月おばさんが残念そうに言った言葉を、間を空けてからそう返した。それからすぐに顔を下に逸らして、持っていたお玉で鍋の中をかき混ぜる。そしてそのまま無心で料理を続けた。


「ふふ……そっか」


 沙月おばさんはそんな私を見て、小さく笑う。それから少しして、また私に声を掛けてきた。


「なら、心奏ちゃんはどんな人が好みなの?」


「……え?」


「例えば……思いやりがあって誠実な人とか? それとも、ちょっと意地悪だけど実は優しいタイプの人とか?」


「えっと……その……」


 そんな質問に対して私は戸惑いながらも何とか答えようとするけど、言葉が上手く出てこない。そもそも、どうしてそんな事を聞くのかすら分からなかったから。だから、私はこう答えるしかなかったのだ。


「……分からない、です」


「ふふっ、そっか」


 沙月おばさんは私の答えを聞いて、小さく笑みを見せた。


「じゃあ、そんな心奏ちゃんには……また化粧とかおしゃれとか、そういうのを私が教えてあげる」


「……? どうして、ですか?」


 私は沙月おばさんの言っている事の意味が分からずに、思わずそう返してしまった。すると、そんな私の反応を見て、また沙月おばさんは笑う。


「好きな人はいなくても、今のうちに女を磨いておくのは悪い事じゃないわよ。女の子は少しくらいおめかししていた方が、きっと素敵な恋が出来ると思うから」


「そうなのかな……」


 沙月おばさんの言葉はいまいち理解出来なくて、私は首を傾げる事しか出来なかった。それに女磨きなんて言われても、何をするのか全く想像が付かない。


「それにね。女は化粧をする事で、化ける事が出来るのよ」


「化ける……?」


「そうよ。素の自分とは違う、別の自分を作り出す。化粧にはそういった力があるの。まぁ、仮面と同じ様なものだと思ってくれても構わないけど……とにかく、魅せ方によって相手を騙す事が出来るのよ」


「騙す……」


 私は沙月おばさんの言った『騙す』という言葉に対して、少し引っかかりを覚えた。別におかしいと思って引っ掛かった訳じゃない。ただ……そんな感じの人を知っているから、気になっただけ。


「という訳で、また時間のある時でいいから、心奏ちゃんに教えてあげるわね」


「……ありがとう、ございます」


 沙月おばさんのその言葉に、私はそう返す。そしてそれに対して沙月おばさんはにっこりと微笑んでくれた。


 それから私と沙月おばさんは晩ごはんの支度の続きに取り掛かった。出来上がるまでの間、沙月おばさんは何度も話し掛けてきたけど、別に悪い気はしなかった。


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