今日も彼女は変わりないのと同時に、その考えについては分からない事ばかりである
少しずつ、小さな歩幅で、しっかりと如月さんはこっちに向かって歩み寄ってきている。自分の席に向かっているだとかそういうのでは無く、確実にこちらに近付いて来ている。
「……」
僕はそんな如月さんの姿を眺めながら、固唾を呑んで待っていた。彼女と最後に会ったのは昨日の事。そして、その時の会話は彼氏役を解消させられたという、あまり僕にとって良くない終わり方だった。
そうして彼氏役という役目を終えた僕の下に、一体何の用があるのか分からないけど、彼女はこうしてこちらに向かって来てくれている。緊張していて強張っている表情の僕とは違って、彼女はいつも通りの無表情で歩み続けてくる。
あんな事があっても如月さんの変わらなさに安心するのと同時に、僕はこれから何を言われるんだろうと不安も一緒に襲ってくる。彼女と話すのは正直に言って怖い。
……だけど、話さないならそれはそれで、如月さんとの関係も終わってしまう。そして僕がどれだけ迷っていようとも、彼女は僕の事なんか関係なく、どんどん近付いてきている。
「……」
そして僕の目の前で、如月さんは立ち止まった。それから少しした後で、彼女は小さく息を吐いてから、僕に声を掛けてきた。
「おはよ」
「……お、おはよう、如月さん」
僕はそう返事を返しながら、彼女に向けて軽く頭を下げた。すると、そんな僕に対して如月さんも同じ様に、ほんの少しだけど頭を下げてきたのだった。……あれ? 今までこんな事、あったかな?
そうしたこれまでに無い如月さんの行動に違和感を覚えながらも、僕は彼女に向けてなんて言葉を続けようか考えていた。しかし、考えてはいるものの……何て言っていいか全く浮かんでこなかった。
「……」
僕が何を話そうか悩んでいる一方で、如月さんも特に何かを話す訳でも無く、黙って僕の顔を見続けていた。逆に彼女が何か語り掛けてくれれば、僕としては助かるのだけれども、そうした助け舟も何も無い。
「……えっと」
「……」
何も会話が始まらない。ただ、僕と如月さんがほぼ無言で見つめ合うという、何も生まれない時間だけが過ぎていく。じれったい空気が僕らの周りに蔓延していく中、そんな長く続いた無言の時間に終止符を打ったのは―――僕では無く、彼女だった。
如月さんは少しの間だけ目を閉じた後、それから僕に向けていた視線を別の方向に向けるのだった。その方向というのは……何故か、卯月の方にだった。
「……あ?」
当然、急に視線を向けられた卯月は如月さんにそんな声を漏らした。しかめっ面というか、顔を歪ませて如月さんを見ている。そんな卯月に対して、如月さんは無表情のままで口を開いた。
「ねえ」
「お、おう?」
「今日、予定」
ん? よ、予定……? 短く、そして簡潔に如月さんは卯月にそう告げていた。その圧倒的なまでの短さからか、僕には何の事かさっぱり伝わらなかった。今日の学校の授業予定でも聞いているのか……そんな風に考えたけども、それを卯月に聞くだろうか?
「……」
そして当の卯月はというと……凄く面倒臭そうな表情を浮かべており、さっきよりも険しい顔に変わっていた。
「予定」
そんな卯月に如月さんは追い打ちを掛けるかの如く、はっきりとそう言っていた。本当、僕には分からない世界に展開は突入しつつあった。
「……はぁ」
如月さんの追撃を受けた卯月は、もの凄く嫌そうな表情を浮かべてから深いため息を吐いていた。そしてそれから数秒経った後で、卯月は頭を掻いてからゆっくりと口を開いた。
「ったく……空いてるよ。で、何だ?」
「うん」
卯月はため息交じりに、ぶっきらぼうな感じでそう返事をしていた。すると、如月さんはそれを受けてから小さく首を縦に振っていた。……ん? あれ? ちょっと待って。
僕は何が何だか分からないまま、2人の会話とやり取りを聞いていたんだけども……ふと、ある事に気が付いた。如月さんは卯月に『予定』と聞いて、それを卯月は『空いてる』と返した。もしかすると、もしかしなくても、これって―――
「じゃあ、付き合って」
「……え?」
そして如月さんは無表情のまま、そんな事を口にしていたのだった。それに対して卯月は少しの間を空けてから口を開く。
「……分かったよ」
卯月は如月さんの言葉を受けてから、どこか断りたそうにしながらも、渋々了承の言葉を口にしていた。それから如月さんは卯月から視線を外し、僕の方にも視線を向けてくる。
「……」
「え、えっと……」
僕は突然の事に、どう反応していいのか分からなかった。だから、とりあえず如月さんに向けて何か話そうと思ったんだけど……結局何も思い浮かばず、言葉に詰まってしまった。だけど、そんな僕に対して―――
「……おい。立花は、いいのか?」
と、まさか卯月が助け舟を出してくれたのだ。僕は驚いて卯月の顔を見ると、彼は何故だか助けを求める様な、そんな視線を僕に送っていた。いや、助けて欲しいのはどっちかというと、僕の方なんだけど……。
「蓮くん?」
一方、卯月からそう提案をされた如月さんは、彼からの言葉を受けて、不思議そうな表情を浮かべて首を傾げながら、僕の名前を呼んでいた。
「あ、あの……」
「……」
僕は如月さんに何か言おうと思って彼女に声を掛けようとしたのだけども、彼女は相変わらず無表情のまま僕をじっと見て、何かを考えている様子だった。
「……」
「蓮くんは……」
「え、えーっと……」
「蓮くんは……」
僕の名前を呟いた如月さんは、何かを考える様な仕草を見せてから、またも僕の名前を呟いた。……あ、あのー? 僕、一体どうすれば……?
「……うん」
如月さんはしばらく考えた後で、何かを納得した様にそう口にした。そして僕の方を見てから、また口を開いた。
「蓮くんは」
「う、うん」
「蓮くんは、ダメ」
「……えっ?」
如月さんは無表情のまま、僕にそう告げてきた。僕はその言葉の意味が分からず、思わず聞き返してしまう。すると、彼女はまたも考え込み……そして数秒後に口を開いた。
「蓮くんは、来なくていい」
で、考え込んだ結果……もっと否定的な言葉が返ってきたのである。
「え? いや、あの……」
「来たら、ダメ」
更に如月さんは僕の言葉を遮る様に、またも否定の言葉を口にしてきた。そして彼女は視線を僕から外して、また卯月の方をジッと見てから口を開いた。
「じゃあ、お願い」
「……あぁ」
卯月に短くそう告げた後、如月さんは僕を見る事も無く自分の席へ歩いて行った。そして鞄を机に置いた後で、椅子を引きゆっくりと腰を下ろしたのだった。
「全く、あの馬鹿……」
そんな彼女を見ながら、卯月がそんな悪態を吐いていた。そして彼は僕を一瞬見てから、小さくため息を吐いていた。
「で、お前ら……喧嘩か?」
「へ?」
「あいつと喧嘩でもしてるのか、って聞いてんだよ」
呆れた様な表情で、卯月は僕にそう問い掛けてきた。僕はそんな卯月にどう返事をしていいのか分からず、ただ黙って彼を見ていた。すると、彼はまたも小さくため息を吐いてから口を開いた。
「まぁ……昨日、お前が気落ちしていた理由が分かったよ。何となくだが、察しがついた」
「い、いや……」
違うと僕は口にしようとしたけども、それを言う前に卯月は座っていた席から立ち上がってしまった。
「早く仲直りしちまえ。俺から言えるのは、それぐらいだ」
卯月はそう告げてから、自分の席に戻っていった。そしてそんな彼の背中を見詰めながら、僕は呆然としていた。……仲直り? 僕が如月さんと? ……そんな事、出来るはずがないのに。
だって、僕らは別に……喧嘩なんてしていないから。僕らがしたのはただただ、共犯関係の解消だ。……喧嘩をしただけだったら、どれだけ良かったのだろうか。
「はぁ……」
僕は思わずため息を吐いていた。そして如月さんの方に視線を向けると……彼女はもう既に授業の予習を始めていた。僕の事はもう眼中に無いみたいだ。
そんな彼女を見てから、僕は視線を今度は外に向けた。今はもう……如月さんの姿を視界に入れたくなかったから。そして透き通る様な青い空を見つつ、僕は憂鬱な気持ちに包まれながら、ボーッとするのだった。
「……ふーん」
ふと、教室の喧騒の音に消えてしまいそうな程に小さな声。そんな声が聞こえた様な気がしたけど、僕は特に気に留める事も無く、窓の外に広がる青い空を見続けるのだった。
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