地獄の鬼からは逃げられない


「ふんふんふ~ん♪」


「……」


 屋上で僕が釜谷先生に確保されてから少しして、僕は先生によってある場所に連れて来られていた。その場所というのは生徒指導室。本校舎では無くて離れた特別棟にある一室。生徒達からは俗称として『監獄』だとか『説教部屋』とか呼ばれている、絶対に行きたくない部屋ナンバーワンに輝く場所である。


 ほとんど殺風景と言っても過言では無いこの部屋には中央に長机と椅子、隅に電話と電気ケトルが置かれているくらいしか物が無い。広さはそれ程は無くて、教室の半分ぐらいのスペースしかなかった。


 そんな室内にて、僕はダークドレアム―――もとい、釜谷先生が歌うおぞましい感じの鼻歌を耳にしつつ、室内の中央に置かれた椅子に縮こまって震えながら座っていた。正直、ここから早く出て行ってしまいたいが、そんな事を先生が許してくれるはずもなかった。僕は逃げ場が無い事を悟り、更に項垂れた。


 そんな状態の僕とは違って、釜谷先生は鼻歌を歌いながらコーヒーを淹れる為に準備を始め、電気ケトル内の水がお湯になるのを待っていた。僕は釜谷先生の後ろ姿を見つめるが、やはり威圧感しか感じられない。完全にあれ、いてつくはどうを放ってるよ。僕に掛かっているバフ、打ち消されちゃってるよ。


 やがて、お湯が沸いたのか釜谷先生はケトルのスイッチを切ると、二つのカップへと中身を注いだ。途端に室内がコーヒーの香りで満たされていくが、そんな事で僕の恐怖心が和らぐことはない。寧ろ、強くなっていく一方だった。


「はい、どうぞ」


 僕の目の前に置かれていく二つのカップ。それは今から見る地獄の時間の始まりを告げる物にしか見えなかった。


「ありがとう……ございます……」


 特に何も込めていない棒読みの感謝を告げると、僕は差し出されたコーヒーをじっと見つめる。砂糖もミルクも入っていない真っ黒なブラックコーヒー。それが何故か毒の様に見えてしまい、ごくりと喉を鳴らしながら一口も飲まずにその光景を眺めていた。


「あら、ごめんなさい。ブラックのままだと、子供には苦いものね」


 釜谷先生は微笑みながらそう言うと、僕の目の前に追加でミルクとスティックシュガーをそっと置いてくれた。そして先生自身は特に何も入れず、ブラックコーヒーのままカップに口付けた。その姿からは優雅さや上品さが際立ち、これぞ大人の余裕という物を感じた。


 そんな先生の様子を伺いつつも、僕は出されたミルクとスティックシュガーを遠慮無くドバドバとコーヒーに入れていき、見る見るうちに真っ黒だったそれは真っ白な物へと変貌していった。その光景を見て先生は驚いた表情を浮かべていた。そしてカップを机に置いてからゆっくりと口を開いたのだ。


「あら、立花ちゃんったらコーヒーはミルクと砂糖をたっぷり入れないと飲めないタイプなのねぇ」


「えっと……まあ、そうですね」


「やっぱり、苦いのは苦手なのかしら?」


「苦手……というよりも、好んで食べたいだとか飲みたいとかは思わないですね。それよりかはまだ甘いものや美味しい物の方が好きですけど」


「そう。なるほどねぇ……」


 先生はそう呟いた後、自分の顎に手を当てて何か考え事をするような素振りを見せる。一体何をそんなに考え込んでいるのかは分からないが、早くこの場から解放されたかったので余計な事は言わない様に僕は黙していた。


 すると、先生は少しだけ時間を置いてからカップの中身を飲み干すと、僕に向かってこう口を開いた。


「さて……それじゃあそろそろ話して貰うかしらね。どうして午後の授業に出て来なかったのか」


「うっ……」


 ストレートに聞いてくる先生に、僕は言葉を詰まらせてしまう。しかし、ここは下手に隠したり誤魔化したりしない方が賢い選択だと思ったので、正直に話す事にしたのだ。まあ、最初に掴まった時は完全に誤魔化そうとしたけども……。


「その……怒らないで、聞いて貰えます?」


「は?」


「ひっ!? やっぱり駄目ですよね!?」


「……そうね。内容次第では、怒らないであげてもいいわよ」


「へ?」


「やむにやまれぬ事情があるのなら、今回ばかりは仕方ないと割り切ってあげるわ」


「……えっと?」


「何か困った事があったんでしょ? 先生に言ってごらんなさい」


「あっ、はい。分かりました……」


 意外とあっさりと承諾されたので、僕は内心驚きつつも安堵していた。しかし、これは地獄に仏、渡りに船。これを利用しない手は無いのである。


 だからこそ、僕はありのままに起こった事を先生に対して話し始めていった。途中、休憩を挟みつつも要所要所をかいつまみつつ説明するのに意外と時間が掛かってしまったけども、何とか全てを語り終える事が出来たのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る