彼女との約束、そして迎えた昼休み
いつもより時間が経つのが遅く感じながらも、午前の授業をなんとか終えて、ようやく僕は昼休みの時間を迎えた。
授業で使っていた筆記用具や教科書、ノート等を仕舞うと、僕は顔を上げて如月さんの席へ視線を向けた。
相も変わらずというか、そこに如月さんの姿はもう既に無く、彼女はとっくに教室を出て行った後のようであった。
それを見て思うのが、毎回の様に颯爽と教室から姿を消す如月さんだけれども、僕は彼女が教室を出ていく瞬間を目撃した試しがあまり無かったりする。
一体どんなスピードなんだと、もしかして瞬間移動でもしているんじゃないかと思いつつも、僕は教室を出て歩き出す。目指す場所はただ一つだけだ。
如月さんと会う場所といえばいつものあの場所。そう、校舎の屋上だ。なので、僕は廊下を歩き、階段を上っていき、やがて屋上の扉前まで辿り着くのであった。
それから深呼吸を繰り返して気持ちを整えると、僕は意を決して扉のドアノブに手を乗せた。そしてゆっくりと捻りつつ力を入れて押すと、ガチャリと扉が開くと同時に外の涼しい風が一気に入り込んできた。
肌に感じる風は涼しくても、どこかじめっとした感じの空気と、雨季らしい暑さを感じさせた。僕は思わず顔を顰めてしまう。
そんな暑い空気を肌で感じつつも、重い扉から手を離して屋上へと足を踏み入れると、僕の視界に見慣れた女の子の姿が飛び込んで来た。いつものベンチに腰掛けて、黙々と何かの本を読んでいる彼女―――如月さんの姿が。
どうやら彼女は本に視線を向けている為か、僕が来た事には気付いていない様子である。そんな如月さんの様子を遠目で眺めた後、僕は意を決して彼女の下に歩み寄っていった。
そしてある程度距離が近づいたタイミングで声を掛ける事にした。というのも、最初に一言なにか声を掛けないと、そこから会話を続けるのも一苦労かもしれないと思ったからだ。
「お、お待たせ」
そう言って如月さんの前に立つと、彼女はようやく本から視線を僕の方へ向けてくれたようだったが……何故か無言だった。
無表情のままじっとこちらを見つめてくる如月さんに、僕は段々と気まずくなり始める。
「あ、あの……」
声を掛けようと再度試みたものの、それでも彼女は無言のままであった。一体どうしたというのだろうか。流石に耐えきれなくなった僕は戸惑いながらも諦めずに話し掛けることにした。
「そ、その……ごめん……待たせちゃったみたいで」
「……? どうして謝っているの?」
如月さんは不思議そうに首を傾げたかと思うと、淡泊な調子でそんなことを聞いてきた。
何で……と言われても、いや、まぁ、何となくというかなんというか……。
「いや、ほら……待たせちゃったから……申し訳ないなって……」
そう言って申し訳無さそうに頭を掻く僕とは対照的に、如月さんの表情はまるで変化が見られないままだった。
「別に気にしてない」
それだけ言うと、彼女はまた視線を手の中の本へと向けてしまった。全くと言っていい程に気にされている素振りがないことに僕は一抹の寂しさを感じずにはいられなかった。
そんな中、如月さんが読んでいる本の表紙が目に入ってそれが何なのかを確認した僕は、「あ」と思わず声を漏らしていた。彼女が読んでいる本、それは『世界のサメ大全 これであなたもサメマスター』であった。参考書ばりに分厚いその本の表紙には、厳めしい顔つきのサメのイラストが大きく描かれている。
とてもじゃないけれども、女の子が読む様な本じゃない事に戦慄しつつも、如月さんらしいチョイスだと思う。だけど、何故にこの場面においてそれを読んでいるのかという謎が生まれる訳で……。
「……ね、ねぇ、如月さん」
「なに?」
「えっと……あの、どうしてその本を……読んでいるのかなって……」
僕は恐る恐る尋ねた。すると、如月さんは表情を変える事なく―――
「……ちょっと調べ物」
と、淡々とした口調で返事をしてきた。
「し、調べ物?」
「そう」
「そ、そうなんだね。ちなみにだけど……それってどんな事なのかな?」
僕がそう尋ねると、如月さんは少し間を空けた後で急に本を閉じ、それから前髪を弄りながらこう答えてきた。
「……それ、言わないとダメ?」
「へっ!? いや……べ、別に構わないんだけど……」
まさかそんな言葉が返ってくるとは思っておらず、動揺しながらそう返事をする。如月さんはやっぱり表情こそあまり変わっていないものの、どこかばつが悪そうな雰囲気を漂わせていた。
どうやら、彼女にとってそれはあまり触れて欲しくなかった話題だった様だ。もしかしたら、知られたくない内容だったのかもしれない。
「ご、ごめんね。変な事聞いちゃって」
「別に」
「ご、ごめんなさい……」
そう言って僕は頭を下げた。なんかもう謝る事しか出来ない気がしたからだ。こんな事になるなら、最初から話題に出さなければ良かったかもしれない。そんな後悔の念を抱いていると、彼女はぼそりと呟いた。
「……座らないの?」
「へ?」
「いつまでも立っているから。座れば?」
そう言うと、如月さんは自分の座っているベンチの右隣をポンポンと手で叩いて示した。その行動の意図は分からないけども、どうやら隣に座れと言っているようだった。
「いや、その……」
「……」
「じゃ、じゃあ……失礼します……」
有無を言わさぬ無言の重圧に負けて、僕は観念したかの様におずおずと彼女から少し距離を置いて座った。
そんな僕に如月さんはちらりと視線を向けてから本に視線を落とし、それから僕同様に黙ってしまう。
誰もいない屋上で二人。そしてどちらも何も話そうともしない。気まずい空気が周囲を支配する中、僕は頭を悩ませた。
あれ? 話があるんじゃなかったっけ? なのに、何故如月さんは何も言ってこないのだろうか……。このままだと、何も起きずに昼休みが終わってしまいそうで怖い。僕はそんな不安に襲われながらも、意を決して口を開いた。
「そ、それで……話って、何かな?」
僕がそう言うと、如月さんは視線を本から外して僕に視線を向けてきた。その直後に彼女がぽつりと言葉を紡いだ。
「うん」
「……」
「……」
そして、そのまましばしの沈黙が続いた。……って、いやちょっと待って。如月さんが何か話さないとこっちも何を話せばいいか分からないんだけど!?
心の準備は万端のつもりだったが、流石にこれは予想外過ぎた。おかげで頭の中が真っ白になってしまったのだ。どうしよう……そんな事を考えて一人慌てていると、不意に彼女の口から言葉が零れ落ちてきた。
「話がある」
「……う、うん」
「話があるの」
「そ、そっか」
「そう」
……本当に話が進まないぞ、これ。僕は途方に暮れながらも、如月さんの次の言葉を待った。だけど、一向にその気配が見えてこないのである。
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