憂鬱な登校、晴れない心の靄


 ―――翌日。


 今までで一番迎えたくない朝がやってきた。昨日はあまり眠れなかったし、食欲も湧かなかった。おかげで朝食もまともに食べられず、無理矢理胃に押し込んだ感じだ。


 そして今、僕は通学路を歩いている。空はどんよりとした曇り空で、今にも雨が降り出しそうな天気だ。まるで僕の心を映し出しているかのようだった。


「はぁ……」


 溜め息が出る。学校に行きたくないという想いが強くなっていくばかりだ。出来ることならこのまま引き返して家に帰りたいくらいだけど、そういう訳にもいかないだろう。


 そんなことをしたら両親から何を言われるか分かったものではないからだ。ただでさえ、昨晩の母との会話でも小言を言われたばかりなのだ。これ以上説教されるようなことは避けたいところだ。


 それに加えて、理由も無く休めば担任である釜谷先生からどんなお叱りを受けるか分からない。時代が時代なので体罰は無いとは思うけど、確か先生は昔、あまりに問題のある生徒に対して関節技を決めたり、ボコボコにしたとかいう噂話を聞いたことがある。


 僕も以前に体罰ギリギリのアイアンクロ―を喰らったことがあったので、あながち噂話ではないかもしれないと思ったものだ。そう考えると、余計に休んではいけないという気持ちが強くなる。


 そんなことを考えているうちに、いつの間にか校門前まで来ていたようだ。僕の目の前には普段から見慣れている校舎がそびえ立っている。見慣れている景色であるはずなのに、今の僕にはとても重苦しく感じられた。


 正直、足を踏み入れたくはない。けど、僕は覚悟を決めて門をくぐり抜けていった。一歩足を踏み入れていけば、周りには校舎に向かって歩いていく生徒達の姿が見えた。彼らの表情は明るく、楽しそうな雰囲気に満ち溢れていた。そんな光景を見ていると、余計に気分が落ち込んでしまう。


 彼ら彼女らの明るさが眩しすぎて、僕一人だけ取り残されたような気分になってしまう。僕にもそんな明るさがあれば良かったのだけど、今の僕にそれを望むというのはあまりに酷というものだ。


 そしてしばらく歩いた後、僕は教室の前に辿り着いた。中からは既に話し声や笑い声が聞こえてくるし、ドアの隙間から中を覗けば、何人かの生徒が集まって談笑していたりする姿もあった。


 もう逃げられないところまで来てしまったのだと思うと、憂鬱な気分になった。だが、いつまでもここで立ち尽くしている訳にはいかない。意を決して中に入ることにした。


 ガラガラと音を立ててドアを開けると、みんなの視線が集中する。しかし、それもほんの一瞬のことで、すぐにその視線は元の位置に戻っていく。


 如月さんとの彼氏役を始めた頃は、それこそジロジロ見られたりしたものだが、今となってはあまり注目されなくなってきた。まぁ、僕もあまり周りから見られるのは好きじゃないから、むしろありがたいことなのだけど。


 そして僕は教室の中を一通り見渡してみたのだが、如月さんの姿を見つけることは出来なかった。彼女の席には誰も座っておらず不在である。どうやら彼女はまだ登校していないようだった。


 僕はそれが分かると、そのことに対して残念に思う気持ちと、いなくて良かったと安堵する気持ちが同時に湧き上がってくる。我ながら情けないとは思うけれど、どうしようもないのだから仕方がない。


 それにしても、いつもなら僕より先に来て読書をしていることが多いのに、今日はどうしたのだろうか。もしかしたら彼女にしては珍しく、寝坊でもしたのかもしれない。そうだとしたら、少し心配だな……。そう思いながら、僕は自分の席に着くことにした。


 鞄を机の横にあるフックにかけて椅子に座る。そして机の上に突っ伏すと、そのまま目を閉じた。こうしていると少しだけ楽になれるような気がしたのだ。


 しかし、そうした時間もすぐに終わりを迎える。何故なら、程なくして誰かが近付いてくる気配を感じたからだ。そしてその気配の主はすぐに僕の隣の席までやってくると、そこで立ち止まったのが分かった。それから僕に声を掛けてきたのだ。


「よう」


 短く、そしてぶっきらぼうな口調で挨拶をする声。顔を見なくても、それが誰なのか分かる。僕は伏せていた顔を上げると、そこには無愛想な表情を浮かべた卯月が立っていた。


 彼は誰も座っていない僕の隣の席に座ると、頬杖をついてこちらをじっと見つめてきた。その瞳からは何を考えているのか読み取ることが出来ない。


「お、おはよう、卯月」


 とりあえず挨拶を返してみることにする。すると卯月は少し意外そうな表情を見せた後で言った。


「ああ」


 それだけ言うと、また黙り込んでしまった。何か用でもあるのか、それともただ単に暇潰しに来ただけなのか、いまいち判断がつかない。とはいえ、こうしてわざわざ話し掛けてくれた以上、無下に扱うことも出来なかった。


「……えっと、どうかしたのかな?」


「別にどうもしてねぇよ」


「そ、そっか……」


 そう言われてしまうと、こちらからは何も言えない。どうしたものかと思っていると、不意に彼がこんなことを言ってきた。


「なぁ、お前さ」


「う、うん」


「休みの日……どうだったんだ?」


「えっ……?」


「あいつと上手くやれたのかって聞いてんだよ。人に服装を見繕わさせておいて、結果報告も何も無いのは流石にどうかと思うぞ」


 まさかそんな事を聞かれるとは思ってなかったので、僕は面食らってしまった。しかし、考えてみれば確かにその通りだ。僕は彼の為に服選びを手伝ったというのに、その結果については何も伝えていなかった。


 ……けど、彼になんて報告をすればいいのだろうか。「彼女にフラれました!」とでも言うべきなのだろうか? ……いや、それは流石にまずい気がする。というか、そんな報告は僕自身したくも無かった。


 せっかく手伝ってくれた彼に対して申し訳ないという気持ちもあるし、何よりこんな形で失敗したという事実を認めたくはなかったからだ。だから、ここは適当に誤魔化すことにしようと思った。


「あー……そうだね。一応、何とか上手くはいったよ」


「……本当か?」


 疑わしげな目を向けてくる卯月に、僕は苦笑しながら頷いた。嘘を吐くことに罪悪感が無いわけではないけど、本当のことを言うわけにもいかない。それに下手に本当のことを言ってしまえば、それはそれで面倒なことになりそうな予感がしたので、あえて誤魔化しておくことにしたのだ。


「本当だって」


 僕がそう言うと、卯月はしばらくこちらを見つめていたが、やがて小さく溜め息を吐いた後でこう言った。


「そうかよ」


 それだけ言って立ち上がると、自分の席へと戻っていってしまった。そんな彼の背中を見つめながら、僕はホッと胸を撫で下ろすのだった。

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