ようやく辿り着いた目的地と、訪れてから発した彼女の第一声


 如月さんと電車に乗って揺られること数十分後、ようやく目的の駅に到着した僕たちは電車を降りて、そこからバスに乗って移動することになった。


 そしてバスに揺られること数分、次第に見えてきたある景色を目にした僕は思わず感嘆の声を漏らしてしまった。


「わぁ……!」


 そこには広大な海が広がっていたのだ。太陽の光を浴びてキラキラと輝く水面はまるで宝石箱のように美しく輝いており、その光景を見た僕の口からは思わず感動の声が漏れ出てしまっていた。


「……」


 隣を見てみれば、如月さんもそうした広大な光景に圧倒されているのか、黙ったままだけどじっと目の前の光景を見つめていた。


 彼女もきっと、口に出さないだけで僕と同じ気持ちを抱いているだろう。……そうであって欲しいと思っているだけかもしれないが。とにかく、彼女の様子を見れば分かる通り、少なくとも悪い気分ではないということは理解出来た。


 そうして僕らが景色を堪能していると、車内に取り付けられたスピーカーから次の降車駅を知らせるアナウンスが流れてきた。その駅名は僕らの降りる予定の駅のものだったので、それを聞いた僕は如月さんに声を掛けた。


「え、えっと、次で降りるから、準備しておいてね」


「……うん」


 如月さんが頷いたのを見て安心した僕は、停車ボタンを押す。そして目的の駅に辿り着いたバスはゆっくりと停車をし、僕らは料金を支払ってから下車をした。


 バスから降りると、近くの海から漂ってきた潮風が鼻腔を通り抜けていき、それによって一気に意識が覚醒するような感覚を覚えた。やはり普段とは違う場所に来たからか、何だか気持ちが引き締まったような気がする。


 そんなことを考えているうちにバスの扉が閉まり、そのまま走り去っていった。それを見送った僕と如月さんはお互いに顔を見合わせると、どちらからともなく歩き始めた。


 僕らが向かうのは一面に広がる海……では無く、その近くに建てられている水族館だった。館内には動物……まぁ、ほとんど魚だけど、そういった生物が多数いて、周りには自然が広がっている。そして雰囲気的にも静かな空間であれば、如月さんも少しは楽しめるのではないかと思ったのだ。


 以前にも提案をした際には断られたことがあるけれども、その理由については遠いから嫌だというもの。他のショッピングモールや遊園地を提案をした時のように、何かしらの要素が苦手ということも無いから、別に彼女も嫌ってはいないはずだ。


 現に水族館へ向かう如月さんの表情は、とても嫌そうな感じはしていない。むしろ、いつもより少しだけ期待をしているような、そんな表情をしているように僕は感じていた。


 これなら、大丈夫そうだ。内心でホッと胸を撫で下ろしながら、僕らはバス停から離れて目的の建物を目指して歩き出した。バス停から水族館まではそこまで離れてはいないので、少し歩けばすぐに到着する。


 館内への入場ゲートの前に立つと、僕は財布を取り出してから如月さんへ声を掛けた。


「と、とりあえず、僕がチケットを買ってくるから、如月さんはここで待ってて貰ってもいいかな?」


 僕がそう言うと、如月さんは首を傾げて不思議そうな表情を浮かべていた。


「……どうして?」


「えっ?」


「二人で行って、それぞれ買った方が、早いと思う」


「そ、それはそうだけど……」


 如月さんの指摘を受けた僕は、言葉に詰まってしまった。確かに彼女の言う通りなのだが……ここは少しばかり男を見せたかったからこそ、入場券は彼女の分も含めて自分が出して買いたかったのだ。


 財政的にはかなり無理をすることになるけれども、それでも好きな人の前で格好つけたいと思ってしまうのは仕方のないことだろう。だからこそ、ここは譲りたくは無かったんだけど―――


「……私、先に行くから」


「あっ……」


 僕が悩んでいるうちに、如月さんはそう言って受付に向かって歩いていってしまった。結局、こうなってしまっては仕方がないので、僕も慌てて後を追うようにして歩き始めた。


 そして受付にて僕らはそれぞれの入場券を、スタッフの人から購入する。そして購入した入場券を手渡された後に、僕らはいよいよ水族館の中へと足を踏み入れたのだった。


 館内に入ると、中は薄暗い空間となっている為、如月さんとはぐれないようになるべく近付いて歩いていく。……本当の彼氏彼女なら、ここで手を繋ぐべきなのだろうけど、残念ながらそうでない僕は近くを歩くだけに留めておく。


 そうやって歩いている内に、最初の展示エリアに到着した。そこは水槽の中に様々な種類の魚が泳いでいる様子を観察できる場所で、まるで海の世界を覗いているような不思議な感覚に陥る場所だ。


 水槽の中央辺りには回遊魚の群れが泳ぎ回っていたり、底の方では色鮮やかな小魚たちが展示物の岩や珊瑚の周りを泳いでいるのが見える。僕と如月さんは館内にいる他のお客さんたちと同じように、その水槽の中の様子をジッと眺めていた。


 するとその時、ふと横を見ると如月さんが何やらソワソワとしている様子が目に映った。その様子はまるで小さな子供が初めて水族館に訪れた時のような反応に似ており、心なしか表情もいつもより柔らかくなっているような気がした。


 もしかして、楽しんでくれているのかな……? そんなことを思いつつも、僕は水槽の中に視線を向けていると、不意に横からこんな声が聞こえてきた。


「美味しそう」


「……へっ?」


 あまりにも突拍子もない言葉が聞こえてきたことに驚いて、僕は思わず変な声を上げてしまった。そして声を発したのは紛れもなく如月さんだった。


「その……今、何て言ったの?」


「あのお魚、美味しそう」


 如月さんはそう言うと、水槽の中を泳ぐイワシの群れを指差した。


「き、如月さん? その……冗談だよね……?」


 恐る恐る僕がそう尋ねると、如月さんは首を横に振ってからこう答えた。


「私は、本気」


「……」


 どうやら、先程の発言は冗談でも何でもなかったらしい。僕はその事実を知って絶句してしまった。


 確かにもうしばらくすればお昼時だから、お腹が空くのかもしれないけれども、水族館に入ってからの第一声が『美味しそう』だなんて誰が予想出来ただろうか?


 もっと、例えば……如月さんが『綺麗……』とか言って、それに対して僕が『如月さんも、綺麗だよ』とか言って返したり、そんな会話を交わしたりとか……うん、無理だ。僕にはそんなこと出来ません。はい。


「あ、あはは……じゃ、じゃあ、お昼は魚料理でも食べようか……?」


 だからこそ、僕はそんな返しを如月さんに対してすることしか出来なかった。いや、それ以外に何を言えと言うんだ!? もし仮にさっきの発言に対して、『如月さんって、実は食いしん坊なんだね?』なんて言ったら、絶対に機嫌を悪くするに違いない。


 そして僕の問い掛けに対して、彼女はゆっくりと頷いて肯定をしてくれた。今日の昼ごはんが何にするか決定した瞬間である。


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