最終話 先輩と二人だけの世界その3
たくさんの人が往来する中で、俺たちのいるスペースだけぽっかりと穴が空いているようだ。
しかし無理もない。俺たちが纏っている殺気は、一般人から見れば狂気としか取られないのだから。
「何の用だ。化け狸」
「ほっほっほ。化け狸と。わし、裏でそんな風に言われてたなんてショックなんだが」
「はぐらかすな。俺に何の用だ」
俺は俺の唯一と言っていい凶器である鋭い牙を露わにする。
しかし、目の前の老いぼれはそれに怯むことなく、吸血鬼家系の元締めらしく口角を吊り上げ、鋭い牙をさらけ出す。
「交渉をしに来たんじゃよ」
「交渉?」
「今ならまだ間に合う。あのお嬢さんと坊、交代してやっても良い」
「はっ、弱気なのか強気なのか」
「なーに、お前さんたちの能力とわしらの能力、それらを比べて妥協点を提示したまでよ」
俺は人混みの向こうに目を凝らす。
鈴の音がさらに数回鳴り、観衆も徐々に集まってきている。
「俺が身代わりになれば、先輩は助かると?」
「ああ、安全は保障しよう」
なるほど、理解した。
俺が少し我慢すれば先輩のことを……。
ちょっと待て。おかしくて笑えてくる。
「む? 何がおかしい?」
「だってお前、この期に及んで物事が自分の思い通りに進むと、本気で思ってんの?」
笑いを堪えながらそう言うと、玄徳の纏う殺気が一層強くなる。
実の孫に本気の殺気を向ける男の言葉など、どうして信じられるだろう?
「俺がお前の手に渡っても、俺の仲間たちが黙ってない」
「ほほ、お仲間が」
「必要ならお前たち全員を皆殺しにするだろう」
「さながら虎の威を借りる狐だな」
「ああそうさ。ただ、虎は本物で、しかも凶暴だ」
「そうか」
玄徳は牙をしまうと、少し寂しそうに笑った。
「交渉の余地は無いということだな?」
「そう言ってるつもりだ」
「坊、変わったのだな」
玄徳は夜空をふっと見上げる。纏っていた殺気が徐々に消えていく。
「昔の、自分一人で生きていくと、青い決意を抱いたままだったら、勝機はあると思ったが」
「……」
「お主らを勘当してから、坊、お前のことがずっと気掛かりだっただが、こんなに立派に育ってくれてわしは……」
「今度は昔話に付き合わせて時間を稼ぐ作戦か?」
「ほほ、鋭いのぉ。あ、そういえば」
玄徳の横を通り過ぎるそのとき、玄徳は思い出したように口を開く。
「吸血鬼の血って、全身に浸透するのに少し時間かかるらしいんだよねぇ」
「あ?」
「だから、あらかじめ血を入れておいたんじゃよ」
「っ!」
「覚えておけ。お主らが人間への憧れを捨てんように、わしらの憧れも消えんことを」
俺は弾かれたように走り出す。
無我夢中で人混みを搔き分ける。
「くっそ!」
しかし、怪しげな儀式を一目見ようと群がった群衆に行く手を阻まれる。
『大事にしないように』
スズの言葉が頭をよぎる。
吸血鬼の存在が世界に知れたなら、俺は責任が取れるのか?
「いいや、そんなの知らねえ。知らねえよ」
ああ、俺は本当に変わったらしい。
「そうさ、好きな人のためなら」
こんなことを本気で思うようになるなんて。
「周りの目なんて知ったことか」
二歩、三歩下がって助走をつける。
一気に走り出して飛び上がる。
「……えっ⁉」
真っ直ぐに先輩の目の前に着地する。
人混みをジャンプ一つで飛び越えた俺を見て、どよめきが広がる。
「ま、正也君⁉ 何で⁉」
「良いから」
「良くない! 私は、君を守るためにっ」
「俺が、誰かに守られて満足する質たちだと思うか?」
俺は先輩を、いわゆるお姫様だっこで持ち上げる。
「ひゃっ⁉」
「退け!」
吼える。ぽっかりと空いた道を駆けていく。
「もうっ! 降ろして!」
「ちょっ!」
先輩は俺の腕を振り払い、着地する。
「このっ、我儘! 何で君は自分を大切にしないんだ!」
「こっちの台詞だ馬鹿!」
「ばっ……! 馬鹿はそっちでしょ! 何でこんな危ないことするの!」
「あんたを手放したくないからだよ!」
先輩は泣きながらハッと顔を上げる。
「えっ、何あれ?」
「駆け落ちみたいな? 初めて見た」
群衆が俺たちにカメラを向けているのがわかる。
「お前は俺だけの物だ」
「ちょ、正也君⁉」
先輩の顎をくいっと持ち上げる。
「わからせてやる」
「こっ、ここで⁉ んむっ!」
唇に噛みつき、血を吸い取る。
舌に傷を付けてさらに貪る。
「もう、お嫁にいけないな」
「わかってるくせに」
「ああ、これからもよろしく頼むよ。我儘なご主人様」
「正也ー!」
「正也君ー!」
遠くから皆の声が聞こえ、顔を上げる。
そのときの皆の、呆れ半分、嬉しさ半分のような表情は忘れられない。
何はともあれ、その後俺は、帰りの車内でリンにキツいお叱りを受けたのだった。
「やっぱり、滅茶苦茶バズってるし」
「ば、ばず……?」
「公衆の面前であんな大胆なことすれば当然よ。はあ、大事にしないでって言ったのに」
「でも、吸血鬼のこともバレてませんし、当初の目的は達成出来ましたね?」
「確かにそうだけど、なんか、その」
「わかるよお姉ちゃん。嫉妬でしょ? 彼氏いなさそうだもんね」
「はあ⁉ そんなわけないじゃない! かっ、彼氏の一人くらいいるわよっ」
「はあ、私も彼氏作ろうかなぁ」
「だけど、正也の寝顔見ると憎めないのよね」
「わかります。二人とも、本当に幸せそうで」
暗闇の向こうから薄っすらと皆の声が聞こえてくる。
だけど、今はもう少しだけ眠っていたい。
狭い車内で先輩に抱きつかれながら、まだこの余韻に浸っていたいと、そう思ったのだった。
◇ ◇ ◇
それから約一か月が経ち、この前の一件のほとぼりは冷めつつあった。
その間、先輩のファンクラブとの闘争や先輩の両親への説明など、あらゆる対応に追われて嵐のような日々を過ごした。
あのクソじじいからの接触も、今はまだ無い。
「先輩っ! 何でこんな場所で」
そして、俺と先輩は何故か部室の物置ロッカーの中で身を寄せ合っていたのだった。
「だって、他の場所だと人目につくだろ? 私たち、すっかり有名人だし」
「あんたは前から有名人だから関係無いって! 別に、こういうことしたいなら俺の部屋でも良いんですけど……」
「そっ、それはつまり、そういうこと、か?」
「しっ! あいつらが来た!」
ロッカーの隙間を覗くと、妖崎とリンと夜切先生が部室に入ってきたのが見える。
「あれ? お二人がいないですね」
「お手洗いですかね?」
「荷物はあるのに……なんかこれ、デジャヴかも」
「正也君」
「は、はい?」
「キス、してくれ」
「はあ⁉」
「ん?」
思わず少し大きな声を出してしまい、妖崎に勘づかれる。
「今、正也君の声が聞こえたような」
「え、そう?」
「あのときみたいに、情熱的に、ね?」
「先輩、最近ほんと多すぎですって」
「だって、あの日からずっと身体が火照って仕方ないんだ」
あのクソじじい! 変に吸血鬼の血混ぜたせいでこいつの繁殖欲爆上がりしてんじゃねえか!
「ね? 頼むよ」
「……わかりましたよ」
「やった!」
「静かに、目、閉じて」
「んっ」
俺も目を閉じ、先輩の唇に唇を重ねる。それから少し唇を噛んでやると先輩はとても喜ぶ。
「んあっ! 正也君っ!」
「先輩っ」
「好き、好きだよ」
「先輩、俺も」
『バンッ!』
そのとき、ロッカーのドアを思い切り開けられる。
そこには、鬼の形相のリンが立っているのだった。
「不純異性交遊」
「もうっ! 正也君! 次は私の番ですよ!」
「せ、先生も、そろそろ欲しいかなぁ、なんて」
「ダメだ! 正也君は私だけのものなんだからな!」
「ちょ、皆落ち着いて!」
服を掴まれ、腕を引かれ、脳震盪でも起きそうな状況だが、そうなったらこいつらは責任が取れるのだろうか。
「正也君」
「え?」
俺の耳に口を寄せた先輩が悪戯っぽく微笑む。
「今日親いないから、続きは私の部屋で、ね?」
「っ!」
先輩はずっとズルい。
これからも、この笑顔の前に屈服する未来しか見えない。
「ああ、覚悟しとけよ」
しかし、精一杯の抵抗とばかりに先輩の頭を撫でる。
「は、はいぃ」
先輩はすぐに赤面してふにゃけた声を出す。
「ああ! そういうスキンシップズルいですよ!」
「良いなぁ、先生も頭撫でられたいなぁ」
「ちょ、そういう欲少しは抑える努力しましょうよ!」
吸血鬼な俺と、俺に血を提供してくるドMで真面目な先輩。
そんな俺たちの物語は、これからも続いていくらしい。
吸血鬼な俺と、俺に血を提供してくるドMで真面目な先輩の話 渋谷楽 @teroru
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