最終話 先輩と二人だけの世界その2
俺の本家は郊外の田園風景広がる自然豊かな場所に鎮座している。
当主は代々この辺りの地主をやっているらしく、この時期になると伝統の夏祭りを主催している。
まだ小さかった頃は、そんな本家のことを少なからず誇らしく思っていた。
そうして集めた信用を私利私欲のために悪用していると知るまでは。
「夏祭り、ですか」
田んぼ道を浴衣を着て歩いている人たちを横目に、夜切先生がそう言う。
「毎年この時期に本家が主催するんですよ」
「へー、立派なところなんですねぇ」
「私も、それを吸血鬼がやっていると知らなければ素直に感心出来たんですが」
妖崎を挟んで反対側に座っているスズが、頬杖をつきながら関心無さげに言い放つ。
「す、すみません」
「別に、先生は悪くありませんよ。悪いのは吸血鬼ですから」
スズのその一言に、妖崎の周囲の空気が一気にピリつく。
「今回の件、私たちも悪いと言いたいんですか」
「ふっ」
スズはあからさまに鼻で笑い、挑発するような視線を妖崎に向ける。
「そんなことは思っていませんよ。ただ、ご自身でそう思うなら、多少は思い当たる節があるのでは?」
「っ! 言わせておけばっ」
「やめて二人とも!」
妖崎がスズに掴みかかる前に、助手席に座ったリンが二人を制する。
「これから協力して櫻先輩を助けるんでしょ? 今喧嘩してる場合?」
「せ、先生もそう思いま~す……」
「ふっ、くくっ」
しかし、スズは堪えきれないといったように笑い出す。
「な、何がおかしいの」
「いえ、ごめんなさい。リン、あなた成長したわね。ただ」
スズは車内ミラー越しにリンの目を見つめる。
「魔物どもに迎合することでしか自分を守れないあなたに、最もらしいことを言われるなんてと思って」
「なっ……!」
リンはみるみるうちに顔を真っ赤に染め上げ、スズを睨みつける。
スズは受けて立つとでも言わんばかりに足を組み、リンを見下ろす。
「はあ」
こういう暴れ馬を鎮めるのは、どうやら俺専属の仕事らしかった。
「スズさん、何でそんな風に悪役ぶるんですか」
「は? 悪役?」
「そうです、悪役。海で会った時は普通の綺麗なお姉さんだったのに」
「き、綺麗な……⁉」
「今はどっちが魔物かわからない」
「ぷっ、ふふっ」
次に我慢出来ずに吹き出したのは妹のリンの方だった。
「確かに、お姉ちゃんみたいな妖怪とかいそうだよね」
「は、はあ⁉ 何ですって⁉」
「夜な夜な枕元に近づいてきて嫌味を言ってくるみたいな? 地味に嫌な妖怪ですね」
「何よそれ! そんなことしないわよ!」
「へへ、日本昔話みたいな……あ、今の若い子って知らないんだっけ。ああ、無駄に年取ったなぁ」
「先生ドンマイ。お姉ちゃんに八つ当たりして発散しましょう」
「あ、あんたら、言わせておけば……!」
「そういうわけなんで」
俺は少し前のめりになって、怒りに震えているスズの顔を覗き込む。
「無理に嫌われ役やらなくても大丈夫っすよ。そんなのが無くても、俺ら最初からやる気あるんで」
皆、落ち着きながらもエネルギーに満ち溢れていることがわかる。
こういうときは、はっきり言って負ける気がしない。
「はあ、悪かったわよ。ちょっと見くびってたみたい」
「わかってくれたなら良いんです。それで? そろそろ作戦を共有してくれませんか?」
「……」
「まさか、何も考えてないわけじゃないですよね?」
「……わかったわかった。良い? よく聞いておきなさい」
本家が主催する夏祭りは毎年、無作為に選ばれた十代の若者に先祖の霊を降霊させるという不気味な儀式で締めるのが恒例になっている。
それ自体はとっくに形骸化していて、地域の人たちもそれをわかって見世物として愉しむわけだが……。
「なるほど、今年はその役が先輩だと」
「あくまで可能性の話ね。生身の人間に吸血鬼を憑依させるなんてこと、普通のやり方じゃ出来ないだろうし」
「そして、そこに全員で向かっていくんですか?」
妖崎がそう聞くと、スズは窓の外を眺めながら唸る。
「そこが難しいのよね。言ってしまうと、全員で行くことは考えてない。大事にしてしまうと、現代のような時代になっても人ならざる者たちとの戦いが終わっていないと周知されることになる」
「社会的な動乱を呼び起こしますね」
「そうね。下手したら日本社会どころか、世界を巻き込んだ問題になりかねない。そこまでの責任は取れない」
「慎重に、内密に、果たしてそこまで統率が取れた動きを、私たちが出来るでしょうか」
「だから、私が犠牲になってでもあの子が逃げ出す隙を作って……」
「俺が行きますよ」
スズがらしくないことを言い終える前に、俺がギリギリで滑り込む。
「あなた、話聞いてた?」
「聞いてましたよ。大事にしなければ良いんですよね?」
「だから、吸血鬼のあんたが行ったら」
俺は窓の外に視線を移す。
小高い丘の上に佇む神社の周りがほんのりと明るくなっているのが見える。
「儀式に選ばれた女の子に片思いをしている男の子が、その子を誰にも触れさせたくなくて、無理やり儀式に乱入してその子を連れ出す」
「は?」
「青春ドラマにありそうじゃないですか? そういうラスト」
そう言ってスズを振り返ると、スズは俺を凝視してきょとんとしていた。
「実際、俺は先輩に恋してるわけだし」
「ぷっ」
すると、スズは口を抑えて笑い出す。
「あっはっは! なるほど、大胆に、かつ仰々しくね。確かにそうすれば、ちょっとした事件で世間の評価は落ち着くでしょうね」
「正也君を力づくで抑えつけようものなら、自分たちが世間からの注目を浴びる可能性がある。慎重に事を進めたい本家の思惑とも一部合致します」
「流石、相手の嫌がることだけはすぐ思いつくのね」
「今回はお前も加担してるんだぞ? リン」
「そうだったわね。こういうことは今回で最後にしてほしいわ」
「ああ、なるさ。最後に」
「じゃあ最終局面はあなたに任せるとして、そこに行くまでは」
「きゃっ!」
そのとき、夜切先生が小さく悲鳴を上げ、急ブレーキを踏む。
「いったた、せ、先生?」
「リンさん、前、見て」
「え?」
車内に流れる沈黙。
俺の席からだと前の状況がよく見えない。
「な、何だ?」
妖崎に寄りかかるように前の様子を伺う。
「っ!」
黒装束を身に纏った男たちが数十人、狭い道路いっぱいに広がり、俺たちの行方を阻むように立ち竦んでいる。
「お姉ちゃんっ」
「わかってる。リン」
本家が寄越してきた刺客と見て間違いなかった。
「動くな! 私たちは祓魔師! 言うことを聞かなければ痛い目を見ることになるわよ!」
彼らは数珠を構えたスズの警告に耳を貸すことなく。虚ろな足取りでこちらに向かってくる。
「このクソ操り人形どもめ……!」
スズは数珠を握り込んで手首を捻る。
すると、彼らの内の数人が首を抑えてその場に倒れる。
「よしっ」
しかしその間隙を突いて数人がスズに襲いかかる。
「えっ」
「お姉ちゃん!」
リンがスズの後ろに回り込み、数珠を構える。
「こんの野郎っ!」
一瞬動きが止まった彼らに一閃、回転蹴りをお見舞いする。
流れるような一連の動き。スズは少し笑って構え直す。
「リン、本当に成長したわね」
「お姉ちゃんの妹ですから」
「ふふ、スパルタ教育の甲斐があったわ」
「リンちゃん、私も」
そう言って二人の前に立ったのは妖崎だ。長い白髪が薄暗い空気の中に溶け込むことなく揺れる。
「妖崎! 俺も!」
「正也君はダメ! さっき話したでしょ」
「で、でも」
「私だって、大事な人のために頑張りたいんです」
妖崎はそう言ってリンの方を振り返る。
目が合った二人は言葉を交わさず静かに頷く。
「先生! 私たちが道を開くので、その隙にぶっ飛ばしてください!」
「は、はいいっ!」
バタンッ! と勢い良くドアを閉めると、妖崎は走り出す。
巻き上がった砂塵が地面に戻る前に、黒装束の男が数人宙を舞う。
そうしてぽっかりと空いたスペースは丁度車が一台通れる程のものだ。
「先生っ! 早くっ!」
リンに急かされ、信じられない程の急アクセルで車は発進する。
「よ、よしっ」
先生はしきりにバックミラーを確認し、呼吸を整える。
「正也君、怪我はありませんか?」
「は、はい」
「良かった。後は、頼みますよ」
「はい」
リンとスズはやっとお互いを認め合い、残って戦う覚悟を決めた。
「先生、俺は」
妖崎は吸血鬼としての能力を遺憾なく発揮し、一瞬で道を切り開いた。
「俺は、俺が」
「正也君、気持ちは、痛い程わかります」
前方を鋭く睨みつけながら、夜切先生が言い放つ。
「自分に無い才能を目の前で見せつけられるといたたまれない気持ちになりますし、才能溢れる人に認められても、過大評価を受けてるような気分になる」
「……先生」
「こういうときは、事実を見つめるんです」
夜切先生はゆっくりとブレーキを踏む。窓の外を見るとそこには、神社へ続く階段が伸びていた。
「皆、君のことを一番大事に思っているんです」
そう言って振り返った夜切先生の表情は、いつものおどおどしたものとはかけ離れたものだった。
「そんな君が一番大事に思っている人を、胸を張って守ってあげてください」
「……先生」
「はい」
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい」
ドアを開ける。生温かい風が肌を撫で、コンクリートの上に降り立つ。
振り返らず、走り出す。
上る。昇る。それからまた走り出す。
人混みを搔き分ける。怒鳴り声。今は無視だ。
『シャリン』
鈴の音が聞こえる。
白装束を着た一団が遠くに見える。
「先輩」
見覚えのある黒髪が揺れる。
そして、先輩も俺に気付いて俺を振り返り……。
「久しぶりだな、坊」
人混みの中、その声は俺の耳にはっきりと届いた。
「妖よう木き、玄げん徳とく」
「ほほ、名前を覚えてくれていたとは、じじい感激じゃ」
声の主は古めかしい着物に身を包み、白髪だらけの前髪の隙間から俺を見上げていやらしく笑った。
「ちょっと話をしようじゃないか」
俺は、目の前に立つ老人から目を離すことが出来なかった。
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