最終話 先輩と二人だけの世界その1


 俺は今、本を読んでいる。




「……」




 先輩のいない部室で、ただ静かに本を読んでいる。




「……はぁ」




 誰かのため息が聞こえる。リンだろうか、それとも妖崎だろうか? しかし、すぐにどうでも良いと思ってしまった。




「櫻先輩、今日も来ないねぇ」




 そう言ったのはリンだ。リンはまるで先輩の軌跡をなぞるように教壇に立ち、白いチョークを弄んでいる。




「もう三日になりますね」




 俺と同じく本を読んでいた妖崎が顔を上げてそう言う。


 そう、三日。たかが三日だが、あのやる気に満ち満ちていて今にもはち切れんばかりの先輩が、何の連絡も無しに三日も部活に顔を出さないなど、普通なら考えられないことだ。




「あんた、何も知らないの?」


「……」




 少し顔を上げ、黙って首を横に振る。きっと今の俺の目つきは史上最高に悪いだろう。




「あんたも知らないとなると、誰も知らないわよねぇ」




 リンが教卓に顔を伏せ、大きなため息をついた。そのとき。




『ガララッ』




 そのとき、部室のドアが開く。


 皆の視線が素早くそこに集中する。




「えっと」




 無数の視線を浴びた夜切先生はいつにも増してたじろいでいた。




「ごめんね。先生、です」


「……」




 ここでため息をつくのをグッと堪える程度の理性はまだ残っているが、きっと思いっきり顔に出てしまっているのだろう。




「櫻さんのことなんだけど」




 再び皆の視線が夜切先生に集中する。




「やっぱり、お家にも帰ってないみたい」


「……失踪、ていうことですか」


「何か、事件に巻き込まれた可能性も……」


「っ!」




 事件、その単語を聞いた瞬間に俺は立ち上がる。


 今度は皆の視線が俺に集中する。俺の先輩への気持ちはもちろん皆が知っている。だから皆どこか怯えている。




「あの先輩だぞ」




 無意識の内に拳に力が入る。




「正也君、落ち着いて」




 妖崎のその一言も、火に油を注がれたような気分になる。




「あの人がそんな目に遭うわけない!」




 俺以外の空気がピンと張りつめる。俺の炎で緊張の糸が燃えてしまわないかと怯えている。




「正也っ」




 すかさずリンが俺に駆け寄る。その小さな手に導かれて着席させられる。




「落ち着いて、きっと大丈夫だよ」


「……夢を見たんだ」


「え?」




 そう、あの日見た夢。あの夢の後に先輩はいなくなった。




「先輩は俺に跨って」


「え、ん?」


「俺に、お別れを言いに来たんだ」




 すると、妖崎が立ち上がる。




「その後、何と言ってましたか?」


「君の、将来のためだと、言ってたような気がする」


「それは」




 妖崎は信じられないといった表情で、口に手を当てる。




「もしかしてそれ、夢ではないかもしれません」


「え?」


「正也君、聞いたことありませんか? 私たちの本家が、完璧な吸血鬼を現代に誕生させるための、生贄を探していると」


「ああ、リンの姉から聞いた。だけど、まさか」


「え? お姉ちゃんから? え? いつの間に?」


「先生も聞いたことありまよね? あの男から」




 妖崎の言うあの男、とは俺の祖父、つまりその計画の中心人物を指しているのだろう。




「はい、あります。きっとあの人は最初、正也君をその儀式の生贄にしようとしていたんだと思います」


「儀式? 生贄? え?」


「そうだと思います。だから、正也君に特別な感情を持っている私たちをこの学校に送り込んで、正也君をコントロール下に置こうとした。辻褄が合います」


「え? ちょっと待って、追い付かないんだけど」




 妖崎は混乱しているリンの肩に手を置き、力強い視線を送る。




「リンちゃん、まず、私と正也君の本家が、現代に完全な吸血鬼を召喚するための儀式をやろうとしているんです」


「う、うん」


「それで、彼らは最初正也君を使おうとしていたんですが、諦めて櫻先輩を使おうとしているんです。もしくは、櫻先輩が自分でそれを望んだか」


「ええ? でも、何で櫻先輩が?」


「きっと、普通の人と比べて高負荷に耐えられるからでしょう。櫻先輩が正也君を助け出した話を聞けば納得出来ます」


「そ、そんな」




 妖崎はリンの肩から手を離し、悔しそうに顔を歪める。




「わかっていたはずなのにっ。私が、正也君のことしか見えてないばかりに」


「いいや俺が悪いんだよ。俺が、先輩を守ると誓ったのに」




 罪悪感に押し潰されて項垂れる。前髪が千切れそうな程強く握り締める。




「今も、受け入れられない」




 そうだ、きっと嘘だ。妖崎の考えすぎだ。


 俺が先輩を守れなかったなんて、そんなことあって良いはずがないんだから。




「もっともっと痛めつけて、魔王様」




 そのとき、夜切先生が妙なことを口走る。


 夜切先生は紙の束を片手に目を泳がせる。




「あっ! いえ、その、皆さんは櫻さんの書いた小説、読みましたか? 全体的に構成がちゃんとしていて、面白い小説なんですけど、状況がちょっと似ているというか」




 夜切先生は先輩の書いた小説を俺の机に置き、一ページ目を指さす。




「特に、この冒頭のところとか」


「悪の組織に囚われているところに、主人公が魔王様と呼んでる男の子が助けに来る……」


「ちょっと過激な描写もありますけど、確かに似てますね」


「こ、これは、私の推測なんだけど、櫻さんはこうなること、きっとわかってたんじゃないかな」


「……つまり、どういうことですか」




 夜切先生はしゃがみ込み、俺の顔を覗く。




「つまり、櫻さんは君に助けてほしいんだよ」




 そんなに真剣な目を向けられても、俺にはどうすることも出来ない。




「でも、俺なんかが助けに行くより、警察に頼んだ方が良いんじゃ」


「捜索はしてくれてるけど、こんな状況証拠にもならないものばかり集めても、警察が本格的に動いてくれるわけないよ」


「っ!」




 確かにそうだ。最もな意見だ。




「でも、こんなことになって先輩に合わせる顔がねえよ」




 そうだ。あんなに偉そうに啖呵切っといて、あなたを危険な目に遭わせてしまいましたごめんなさい、なんて、通用するわけがない。幻滅されるのがオチだ。




「俺はこんなときになっても自分が大切なんだ」




 どうしようもない奴さ。




「もう俺が出る幕じゃねえよ」


「正也」


「あ?」




『ビダンッッッ!』




「……」




 猛烈な破裂音。左頬が熱い。


 見上げると、涙目のリンが俺を睨んでいた。




「あんた、この前先輩が私らの教室に来たとき、先輩が何て言ってたか覚えてる?」


「え?」


「高校を卒業するとき、私に残っているのは人との繋がりだと思う。だから私は、それを大事にするって」




 確かに、そんなことを言っていた。




「櫻先輩を諦めたあんたには、一体何が残ってるの?」


「っ!」


「はあ~あ」




 妖崎がこれ見よがしにため息をつく。




「正也君、私は常日頃から、あなたには人より卑屈なところがあるとは思ってましたが、ここまでとは思いませんでした。正直幻滅しました」


「……」


「そ、そうですね」




 夜切先生も続く。




「正也君はその、自己評価が著しく低いというか、根っからの孤独主義というか、有体に言えば卑屈ですよね。それでも、ぶつのは良くないですけど……」


「ふんっ! 私は謝りませんよ。だって、こいつまだ気付いてないんですもん」


「え?」




 気付くって、何に?




「そうですね。確かに」




 一転、妖崎がくすぐったそうに笑う。




「つまりね、正也君」




 夜切先生が俺に優しく微笑む。




「私たち三人はとっくに、正也君にどこまでも付いていく覚悟が出来てるってことです」


「え?」




 リンを見る。ふくれっ面で目を逸らす。




「えぇ?」




 妖崎を見る。照れくさそうに微笑む。




「で、でも、きっと凄く危険で、無事に帰ってこれるかなんてわからないし」


「だから、そんなのわかってるつうの!」


「正也君も罪な男ですねえ。リンちゃん、言ってあげて」


「な、何で私が!」


「適任でしょ?」


「……良い? よく聞きなさい」


「おわっ」




 リンは俺の襟首を掴み、顔を真っ赤にして俺を見下ろす。




「私たちはとっくに、あんたにゾッコンだってこと……! ぶってごめん」




 その瞬間、妖崎と夜切先生から黄色い悲鳴が上がる。




「先生聞きました? ゾッコンって! 今どきそんな言葉使う人いるんですね!」


「なっ! ちょっと!」


「そうですねぇ。でも、的確な表現ですよねぇ。流石優等生!」


「こらぁ! 茶化すのだけは無しでしょ!」


「……皆」


「え?」




 俺は俺の襟首を掴んだままのリンの腕を掴み、立ち上がる。




「ごめん、正直言うと、一人だと怖かった」


「や、やっと正直に言ったわね」


「ありがとう。目が覚めた」


「ちょ、離しなさいよ」




 俺はリンの腕を掴んだまま顔を上げる。




「皆で協力して、先輩を助け出そう」




 すると、皆一様に照れくさそうに笑う。




「もちろんですっ」


「学校への説明は任せてください」


「言われなくてもやるって。離しなさいよ。手」


「話は聞かせてもらったわ」




 そのとき、部室のドアが開く。


 そこに立っていたのは、制服姿の筧スズだった。




「なっ! お姉ちゃん⁉」


「何で制服⁉」




 思わずそんな疑問が口をつくと、スズは不満をさらけ出す。




「何でって、私高校三年なんだけど。この前手芸部だって言ったよね?」


「え? リンさんのお姉さん? が何でここに? 一応関係者以外立ち入り禁止というか……」


「今回の件に関しては立派に関係者よ。とにかく詳しい話は後、今は早くあなたたちの部長さんのところに行くわよ」


「祓魔師さん」




 妖崎がスズに呼びかける。彼女は見るからに緊張し、スズを警戒している。




「何か、確かな情報を掴んだんですか」


「無かったら来ないでしょ、吸血鬼さん。今さっき、あなたの本家に部長さんがいるという情報が入ってきた」


「それは、間違いないんですか」


「うちの連中を疑うなら、同時に地球が球体であることも疑わなきゃね。それくらい、こと魔物退治においては信頼の置けるプロ集団よ」




 スズは次に俺に視線を移す。




「それで? そこの吸血鬼さんのことは、戦力に数えて良さそう?」




 俺の覚悟はもう決まっていた。




「もちろん」


「そう」




 スズは心なしか嬉しそうに笑う。




「さあ、そうと決まれば行くわよ! 急いで!」




 スズが教室から出ると、俺たちは急いで荷物をまとめ始める。




「お姉ちゃんと一緒に……緊張する」


「まさか祓魔師と共闘とは、世も末ですね」


「他校の生徒も巻き込んで……どう説明すればぁ」




 俺は皆のことを見渡す。


 皆信頼出来る仲間たちだ。


 きっと皆とならどんなことでも可能だろう。




「あ、そういえば」




 俺は最後に先輩の書いた小説を鞄に詰める。




「正也! 行くよ!」


「ああ!」


「もう夕方、吸血鬼の本領発揮ですね」


「ああ」




 日が落ち始め、夕焼けが顔を照らす。


 先輩と二人だけの世界を、もう誰にも邪魔させない。






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