『消えゆくモノ』

小田舵木

『消えゆくモノ』

 時は流れる。

 私の人生は削られ、どんどん無くなっていく。

 そこに惜しさを感じたりはしないのだが。

 人の死はどんどん風化していく。

 

 が亡くなって10年が経ち。

 私はその顔さえ思い出せなくなりつつある。

 誰も責めはしないのだけど、そこに一抹いちまつの罪悪感を感じるのも事実だ。

 なにせ。

 

                     ◆


 を殺したのは事故のすえの事であり。

 そこに殺意などありはしなかったはずなのだが。

 制御を外れた人造人間ホムンクルス。それをどうにかしなくてはいけなかったのは事実。

 まさか自分の手でシステムを落とし、を絞め殺さなければならないなんて。


「シャットアウト処理…」私は椅子の上で痙攣けいれんするにコードを送ったけど。

「…処理を受け付けてない」なおも痙攣を続け。


「あーあ。このまま放っとけば彼は―」痙攣が続いている内はどうでも良いのだが。

「制御を外れて動き出せば…」この実験が露見ろけんする。軍部にさえ黙って動いている『』が。


「仕方ないのか…」私はの首に手をかけ。絞め殺して。実験の『』を闇に葬った。

 

                    ◆


 私は。彼を再生したいが為に軍部に魂を売った科学者だ。

 表向きは人体を無…というより親なしに構成するプロジェクトに属していたが。

 その実験の中に亡くなった彼を『創りなおす』事を紛れこませた。

 

 …始めて産んだ子ども。夫との間の第一子。

 それが彼。私が失った者。

 原因は遺伝病。原因、と言うか発病の因子を彼に受け継がせてしまったのはX染色体を渡した私で。


 そこにずっと罪悪感があった。

 私が殺したような、そんな感じが拭えなかった。

 悪いのは私じゃない。そう幾度いくども自分に言い聞かせたし、夫もそう言った。

 だけど、理屈で納得なっとく出来るようなものじゃないのが人の死であり。

 私は亡くなった子どもの髪をシークエンシングDNA解析にかけ。

 何時の日か―

 それが私が出来る、唯一の罪滅ぼしな気がして。


 そうだと言うのに。

 私はを―

 しょうがない事だった?それは理屈の上では分かっているさ。

 でも、納得出来るかと言えばノーで。

 

                ◆


 私はあの事故以来、彼を創る事を止めてしまった。

 二重に彼を殺してしまった事が―頭から離れなくって。


 …一度目の死は、ある種の運命だったように思える。

 二度目の死はそうじゃない。私が私の判断で、を殺したんだ。自分の可愛さに。

 

 その事実が、私を思いとどまらせ。

 あれから10年が経つ。

 あのプロジェクトは表向きには成功した。

 創り出された命ホムンクルスは、今日も我が国の宇宙開発の最前線に送り出されている。

 …宇宙線の影響の大きい場所での作業員。人権を持つ者に従事させにくい現場に。


 空を見れば、紫苑しおん

 その先の宇宙には私が手を貸した人造人間ホムンクルスたちの姿があるはずで。

 そこに一抹の罪悪感を感じながら、私は墓場に足を運ぶ。

 

                 ◆

 

 ミッドナイトブルー。青を濁して煮詰めたような色が墓場を包み。

 そこには私の家の墓石があり。その下には彼が眠っているはずなのだが。


「顔すら思い出せない私は」そうつぶやいてみても。


 直接ちょくせつ締め殺したはずのの顔を想起そうき出来ないのは何故か。

 …記憶というのは都合よく書き換わるものだが。

 それにしたって

 

 私は自らのエゴで禁忌きんきに手を出した女であり。

 倫理感に問題があるのは十も承知。

 それでも、ただ、

 

「ごめんね」なんて呟いても。還ってはこない。

 何に謝っているのか?そこさえも曖昧あいまいな私。

 オリジナルの彼に謝っているのか?

 はたまた―直接絞め殺した実験体のに謝っているのか?

 

「…どっちもかな」なんて言い訳したところで。

 その言葉は何処にも行かない。

 誰にも届かない。

 

                 ◆



 今日も私は命を創る。

 男性と女性の奇跡を抜きにして。

 眼の前にはインキュベーター孵卵器、培養機、そして目覚めつつある者たち。

 そこには確かな成功がある。

 軍部に魂を売り渡した私の仕事としての成功が。

 そこには喜びはない、ただ、ついでが成功したという思いしか無い。

 

 創られていく命を見やって。

 私はそこに虚しさを覚える。

 私が蘇らせたかった者はそこには居ない。

 黄泉よみへと至った者は還ってはこない。

 その事実を知らされ続けるのみで。

 


                  ◆


 彼の顔の記憶はどんどん風化していく。

 写真を見ても、二次元に落としこまれた彼が居るだけで。

 そこには厚みがないのだ。

 必死に彼の顔を頭に描いてみても、その像はボヤけて。リアリティに欠けている。

 そこには皮肉がある。

 


 いい加減。

 拘泥こうでいすることを止めるべきか?幾度いくど問うて来たことか?

 そのたび、私は答えを出すことを拒否し続けて。

 …二度目の死以来、余計にそうだ。

 直接ちょくせつ絞め殺した感覚が、この手に残っている。

 脈打つ動脈、閉まる気道、痙攣する筋肉…うごめく命を自ら停めたという罪悪感。


 あれは殺人だったのか?

 この問いが私の前に立ちはだかり。

 確かにあれは殺人だった…と今日まで思い続け。

 だが、…と言い訳をすれど。

 人造人間ホムンクルスであれどあれはヒトの形をしたもので。

 彼として、あのを創ったはずで。

  

 

                   ◆


「君は―何時までそこにこだわる?」夫は問う。

「…出来ることなら永遠に拘っていたいのかも」私はを創った事を彼には知らせなかった。だから、まだ、私が彼を蘇らせはしないか懸念しているのだ。

「…失ったものはそのままだ」

「分かってはいるんだけど」

「そうこたえるのは簡単だ、だが理解するのは難しい」

「…理解して、いるわよ」

「なら良いんだが」


「…あのプロジェクトに手を貸さなければ良かった」

「仕方の無いことさ」

「出来てしまう可能性…そんなモノがなければ良かったのに」

「それは思うが、たまたま君の研究テーマが近かったんだ。致し方ない」

「何で私はあんな物を選んだんだろう?」

「命の儚さを知っているからでは?」


「…それは」

 私の家系は夭折ようせつする者が多い家系で。10代前半から死が私の生活を満たしていた。

 3人姉弟として産まれた私。だが生き残ったのは私だけ。

 

 だから生命科学を修めた。

 私の遺伝子を半分渡して命を継ぐ事のリスクは分かっていたはずなのに。


「君は―命を識っているはずなんだ」彼は言い聞かせるように言い。

「…識りはしない」私はこたえる。

「還ってはこないモノを追い求めるのは―止めにしよう」

「…そうしたいけど」


「君はね?」彼には言ってはなかったが。伝わってしまったのかも知れず。


を―創った…」私は10年前の所行を告白し。

「失敗したのかい?」

「制御を外れた…やむなく殺したの」

「あの頃は―技術も整ってなかったはずだろう?」

「あの子の顔を忘れつつある私が居て」

「焦ったか」

「ええ。忘れない内に創ってしまわないと―永遠に失われるような気がして」

「失ったはずの者じゃないか」

「認めたくはなかった」

「認めなきゃいけなかったはずだ」

「…そうなんだけどね」

「…君が腹を痛めて産んだ子だものな」

「…私がワガママを押し通したとも言える」選択肢として。使のだが。

「君が遺したい、と思う気持ちは分かっていたはずなんだ」

「ありがとう」

「礼を言われるほどの事じゃない…僕は何もしてないも同然さ」

「私の覚悟を受け入れたじゃない」

「それでも。

「貴方の手の及ばないところで仕事してたから」夫は科学者と政府を繋ぐ折衝せっしょう役であり。

「そういう気を起こさないように見張るのも僕の役目だったはずさ」

「…人の内面なんてどうしようも無いわよ?」

「まったくだ」


「さて。私は罪を告白したけど。監獄にでも送られるのかしら?」

「…君を監獄に送ろうが。実験は止まらないし、プロジェクトを纒めているのも君。

「…断罪してくれた方が気が済んだかも」

「一生背負っていくしか無い」

「…残酷ね」

 

                 ◆


 朱色しゅいろの光が私のオフィスを満たして。

 その中で私はコーヒーを啜り。

 彼を想う。この光と同じ名を与えた我が子の事を。

 もう還ってこない者の事を。

 

 …もう一度。彼を蘇らせることは可能だ。

 技術的な問題はクリアに出来る自信がある。

 もう二度とあのような状況にしない自信はある。

 制御は出来る。間違いなく。

 だが、あの時に殺したの記憶がオーバーラップして。

 直接絞め殺した、あの感触が私の手に伝わって。手が震えて。

 ああ。もう私は、彼を蘇らせようとすることは出来ないのだな―そう思う。

 それが摂理というものであり。

 

 あかね

 貴方あなたはもう還ってこない。二度と。

 そう思うのだけど。その像はボヤけていて。

 解像度が低い画像データみたいにガサついて。

 遠くに離れていくのが、悔しくて。虚しくて。

 それでも、どうにかしたい。

 それさえも遠く―遥か彼方に消え去って。

 もう私はその答えを識ることは永遠にないのだ。

 そう思う。 

 

                     ◆

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『消えゆくモノ』 小田舵木 @odakajiki

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