観音経の功徳
ここに親類の萬兵衛さんというおじさんのお家が金次郎さんを家にまねいて養ってくれることになりました。
弟の三郞左衛門と末子の赤ちゃんとは曾我別所村の川窪さんのうち(お母さんの実家が川窪という名前だったので、お母さんの関係の家だったようです)が二人を養ってくれることになりました。
当時は洪水、飢饉、流行病などもあり、孤児などに援助する感恩講(秋田)、困窮した人をたすける組立貯仕法(山形・米沢)などの制度があらわれはじめてはいましたが、足柄上郡にそのような制度があったかはわかりません。お父さんにくわえ、お母さんを亡くしてしまった金次郎さん兄弟にはつらい日が続くはずでした。
そんななかで、金次郎さんはあるできごとを思いだします。
これより以前のことです。金次郎さんが十四歲の時だといいます。金次郎さんは隣の村の飮泉村にある観世音さまに参拝して、堂下に坐って念ずることがありました。
観音菩薩さまとは般若心経にも登場する菩薩の一尊、つまり数ある菩薩の中の一体で、阿弥陀如来さまの補佐となり人々を浄土へ運ぶ菩薩とされることもあるようです。
ちなみに「菩薩」とは「如来」となるために修行しているもののことで、仏の次の位に位置をし、人々を救う修行をすることで悟りをひらこうとしているとされます。
観音菩薩さまは世の人を救うため、三十三もの姿に身をかえるとされます。特に六観音(聖観音菩薩など)とよばれる像につくられて、六観音さまをお祀りしている霊場をめぐることで功徳が高まるとされているそうです。
金次郎さんも観音さまをお参りすることで、何か願いごとをされていたのかもしれません。
そこに忽然として行脚の僧がきたりました。堂前に坐って読経をはじめます。
その声は微妙でそのお経の深理は広大であり、一たび聞くと丁然として金次郎さんのこころの中は歓喜に堪えませんでした。
誦経はようやくおわりました。
金次郎さんはつつしんで僧に問われておっしゃいました。
「今、誦されたところのお経は何というお経でございますか」
僧はこたえておっしゃいました。
「観音経です」
観音経とは正確には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」というそうで、法華経(全二十八品、品とは章のようなもの)の第二十五品の部分を指すそうです。また冒頭の句をとって「世尊偈」とも呼ばれるようです。
内容は「観世音菩薩さまが世の人を救うことを誓っている」もので、苦しみの中にいても、観世音菩薩さまを心に念じ、その名前を唱えると救われる、そういう内容だとされます。
金次郎さんは、観音さまの力で自分が救ってもらえる、ということに感じるものがあったのでしょうか。
観音経には、他に十句観音経というものもあるようですが、内容がかなり違うようですので、おそらく法華経内の観音経をこのお坊さんは唱えられたのだと思います。
さて金次郎さんは続けてお聞きになりました。
「私はかつてしばしば観音経をお聞きしましたが、今、聞いたものと異なっております。どうして私の心にとおることが明かであったのでしょう」
お坊さんはこたえておっしゃいました。
「世に誦するものは呉音というものでできています。今は国音をもって転読いたしました。これがあなたの理解された理由ではございませんか」
お経には様々な音による読みかたがあるとされています。もっとも古くにきたった呉音、次いで入ってきた漢音、さらにのちに入ってきた唐音などです。普通は呉音をもってお経は読まれるとされますが、時に他の読みかたをされることがあります。
このお坊さんはさらに国音とおっしゃっていますから、日本語に書き下した読みかたで読まれたのでしょう。
漢文の日本語訳に訓読という方法が日本ではつかわれましたが、漢文を日本語に訳すため、個人によって解釈がかわることがあります。お経についても訓読に個人差ができてはいけません。ですので、通常は呉音でお経は読まれます。それをこのお坊さんは、学識があったのでしょうか、訓読して読んだのではないかと思われます。
金次郎さんは懷中を探って、錢二百を奉じておっしゃいました。
「願くは寸志をさしあげます。今、一たび誦読してください」
お坊さんはその志に感じて、以前と同じように転読してくださいました。読みおわられると去っていかれ、その行方はわかりませんでした。
金次郎さんは胸中が豁然としてさっぱりし、大いに喜んで、栢山村の善榮寺にいたって和尚にお会いになりました。
善榮寺は古くからこの地域にあったお寺で、もともと律宗だったのが、のち臨済宗となり、金次郎さんの頃には曹洞宗となっていたお寺です。
巴御前が木曽義仲公の菩提を弔うために創建したともされますが、一時荒廃しており、北条氏康公の夫人瑞渓院が帰依して再興し、寺が整備されたともつたえられているお寺のようです。なお金次郎さんのお墓も今はこのお寺に納められ、像が建立されているといいます。
そのお寺の和尚さんに、十四歳の金次郎さんがおっしゃいました。「大なるかな観音経の功徳は。その理は広大無量で、その意はうんぬん」とその説き解説することは流れる水のようでした。
和尚は大いに驚いておっしゃいました。
「私はすでに耳順(六十歳)を超えた。多年、このお経を誦すること幾百千篇だったが、いまだその深理を解することができなかった、そうではあるにあなたは若い年で一たび読誦を聴いて無量の深理を明解された。ああ、これはいわゆる菩薩さまの再来ではないか。今、
そうおっしゃいました。『報徳記』という金次郎さんの伝記は、お母さんが亡くなられ、兄弟が散り散りになる時にこの逸話をはさんでいます。
これはお母さんの菩提を弔うためにこの挿話がはさまれたのか、それとも孤児の金次郎さんにお寺に入り、お坊さんになる道があったのか、何らかの事情があったのでしょうか。ともかく金次郎さんは答えます。
金次郎さんは固辞しておっしゃいました。
「それは私の望むところでございません、私は祖先の家を起しその霊を安んじたいと思います。志すところは出家にはないのです」
そうおっしゃって去っていかれました。
ただこれよりのち、いよいよ仏の想いもおおくの人を救い安んじることより大いなるものはないことを、了知なされたということです。
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