八幕 単騎《たんき》翔《か》けり

 肺をさいなむような強い胸騒ぎに耐えきれず、清応は寝床を抜け出し、足音を忍ばせてお舎那さまの寝所に赴きました。

 文月の向かった餓鬼祓いに、どうか自分も行かせて欲しい。清応は自分の持てる何をも引き換えにする覚悟で、談判に向かったのです。その腰には、餓鬼祓いの折に持ち歩く独鈷の剣を携えております。

 ふすまの隙間から廊下へ、灯の明かりが薄く糸を引いておりました。まだ起きていると安堵しかけたその時、ぴちゃり、と何やら水を舐めるような音が聞こえました。

 清応は音の立たぬよう、廊下にそっとついた三つ指で膝を引き摺って、ふすまの隙間に近寄ります。耳を澄ませると、その音はぴちゃり、ぬちゃり、と、何度も聞こえてきました。ひどくねばついたその音に、お舎那さまは隠れて酒でもすすっているのかと、息をひそめて中を覗こうとした、その時でした。

「やれやれ、そんなにくんじゃないよ。んん……っ」

 中から聞こえてきたのは、永陸の声でした。驚きに声を上げそうになった自分の口を、清応は間一髪、手のひらで押さえます。

「今度の子に……んむっ、やたらと、ご執心ではありませんか!」

 今度は確かにお舎那さまの声でした。何かに食らいつきながら喋っているのか、合間合間にやたら荒々しい鼻息や、先ほどのような水音が混じります。

 永陸とお舎那さまの行いが、そして交わす言葉や息の荒い理由が、清応には今ひとつ理解できません。気づかれないよう、より慎重に息を潜め、そっとふすまの隙間に片目を合わせますと、そこには。

「妬いてるの? ふふ、いつまで経っても大人げないね、九郎は」

 白衣の上衣うえのきぬかれ、月白つきしろ色の肩と胸を露わにした永陸と、

「どう思われようと、んふぅ、構いませぬ! 今は、ふっ、ふうっ! 我が物で、いて下されば!」

 永陸の素肌に何度も吸い付きながら息を荒げる、お舎那さまのはしたない姿がありました。

 目にしたことのないその光景の異様さに、体が後じさりしようとするのを、清応はぐっと堪えます。ここで自分がいることを知られたら、一体どうされてしまうのかわかりません。しかしながら、見てはいけないものを見てしまったことだけは、直感のようにわかっていました。

 清応はここへ来た目的も忘れ、とにかく音を立てずに立ち去ろうと、指で少しずつ床を押し、ずい、ずいと自分の膝を擦って、元来たほうへと下がることにします。

 と、そこへ。

「ねえ、あの丁符はどうしたの?」

 永陸の言葉に、清応はぴくりと止まります。丁符が、何だって。再び清応は、ふすまの向こうの二人の口に、耳を傾けました。

あれ・・はもう必要ありませぬ故……蝋燭ろうそくけたら、きれいに燃え落ちました」

 つまらなそうに言ってのけたお舎那さまのその言葉に、さっと血の気が引きました。丁符はいわば、現世へ出向いた童がこの村へ帰るための、唯一無二の鍵なのです。それを燃やしてしまってはどんな結果を招くか、想像に難くありません。

「へえ、ずいぶん乱暴なことをするね……んっ。ほら、やっぱり妬いているんじゃないか」

 相変わらずその身を絡めあっているのか、時折永陸の吐息も乱れます。二人が洩らす吐息の熱にあてられたように、清応もくらくらと正気を失いそうになりますが、腰の剣の柄で手のひらを冷やすことで、必死で意識を保ち、考えます。

 今ここで踏み込んだところで、自分に何ができるだろうか。

 お舎那さまの言葉が嘘でなければ、文月のもとへと山門を開ける丁符は、すでにこの世にないのです。仮に嘘だとしても、京八流の達人二人を相手に丁符のありかを問い詰めるのは、はなはだ難しいことでしょう。

 文月の最後の餓鬼祓いは、お舎那さまの仕組んだ罠。そう確信した清応は、わなわなと震える手を必死で抑え込みながら、ゆっくり、ゆっくりと廊下を後ろに下がります。そして、いやらしい水音が届かなくなるまで離れた後も、足袋のつま先を押し付けるように一段、また一段と、忍び足で階段を降ります。

 庫裏へと通じる回廊まで出てから、即座に清応は走り出しました。目玉の奥が、怒りでぐらぐらと煮立つようでした。喉からあふれそうな叫び声を、自分の首を絞めて殺しました。

 鈴経だ。今は彼しか、頼れる人がいない。清応は兎にも角にもその答を頭から絞り出し、入り口で一度足を止め、一度深く大きく息を吸い、吐いてから、童たちが眠る庫裏へ、そっと足を踏み入れました。


 § § §


「そもそもあの丁符は……いや、お舎那さまはどうやって、いつの世のどこに餓鬼がいるのかを知ってるんだろうね」

 清応に連れられ庫裏を抜け出した鈴経は、何とか頭を働かせようと寝ぼけ眼をこすります。文月がお舎那さまに、村に戻れないようたばかられたことを、清応は必死に鈴経に伝えました。清応が目にした、お舎那さまの永陸との関係や口ぶりからして、文月に嫉妬してのことかもしれないとも。

「餓鬼祓いの時、お舎那さまは必ず金堂から丁符を持って出てくるよね」

 鈴経は坊主頭の後ろを掻きながら、普段のお舎那さまの振る舞いを思い返します。餓鬼祓いに誰が出るかが決まった後、お舎那さまは金堂に入り、しばらくして出てくると、身支度を整えた童たちを連れて山門へ向かうのです。

「そういえば、だいたいいつも同じくらいの間、僕らを待たせて出てくるよね」

「うん。丁符にしてるあの紙切れの、元になる絵巻物があそこにあるのなら、ひょっとしたら」

 行ってみよう。清応は冷静な鈴経を頼もしく思いながら、二人で冷たい回廊に足を忍ばせます。


 夜空の重い雲は、今にも泣き出しそうなほど、ぬるい湿り気を帯びていました。

 提灯に火を入れるわけにもいかず、庫裏の二階、それこそお舎那さまの寝所のわずかな明かりだけを頼りにしていましたが、それも先ほど、ふっと消えてしまいました。

 二人は朱塗りの柱を伝いながら、動かぬ阿吽あうんの虎の石像にびくりとしながら、本殿金堂に忍び入りました。並び桜は七本とも、奇怪なほどによく似た枝ぶりで、それが闇夜にそよいでいるのを見ると、まるで悪い幻のさ中にいるような錯覚を覚えると、童たちの間で恐れられておりました。

 普段立ち入ることを禁じられている金堂の中には、三尊尊天たる千手観音菩薩せんじゅかんのんぼさつ毘沙門天びしゃもんてん、そして護法魔王尊ごほうまおうそんの像が、闇の中に静かに立っています。まるで尊天さま方にじっと見られているような緊張感を、二人は文月のためと思うことでどうにか振り切り、そろそろと足を進めます。

 千手観音菩薩像の前に並ぶ中の一番端の燭台しょくだいから、鈴経はなたね油の灯明皿とうみょうざらを床に下ろします。そして指先に小さな法力の火種をおこし、蝋燭に火を移します。

「清応。ここ、階段」

 声を潜めて、鈴経が暗がりを指差します。そこには板張りの下り階段がありました。掃除の折も立ち入りを禁ぜられた金堂に地下室があるなど、童の誰も知りはしません。

 灯明皿を右手に掲げ、左手を腰の剣の柄に添えて、清応は一歩ずつ、ぎし、ぎし、と階段を降ります。か弱い明かりが、地下室の床にようやく届いた、その時でした。

「のぞき見はよくないよ、清応」

 中から聞こえたその声に、清応の心臓がびくん、と跳ね飛びました。ひぃ、と小さな悲鳴を上げて、鈴経はくるりきびすを返し階段を駆け上がろうとしますが、清応はぐっと足を踏ん張り、階段をもう一歩、恐る恐る降りてみます。

「そんな、どうしてここに」

 声の主はやはり、永陸でした。

 巻物がぎっしりと詰め込まれた棚を背にして、永陸は床に胡座こざし、こちらを見上げています。お舎那さまも来ているのではないかと、清応は素早くその周りに目を走らせますが、

「寝かしつけてやったよ。しばらくはのんきに高いびきだろうさ」

 清応の様子を見た永陸は、おかしそうにそう言いました。永陸の言葉に、あの寝所での二人の行為をつい思い起こしそうになりますが、清応は湿った空気をひと塊吸い込んで堪えます。

「おいでよ、清応。鈴経も」

 永陸は清応たちに向かって、猫でもあやすように小さく手招きします。鈴経が僕のことかと自分の鼻を指差し、永陸は笑顔でうなずきます。いぶかしむ気持ちを拭えぬまま清応が歩み寄ると、永陸は後ろ手に隠していた一幅いっぷくの巻物を、清応にぽんと手渡します。

「それが今、文月が行っているところだよ」

 鈴経に灯明皿を預け、清応はその巻物を開きます。その中身は、木々の合間の小さな集落を描いた、絵巻物になっておりました。清応が巻物をするすると解いてゆくと、異国の身なりの兵隊らしき人物が、ぽつりぽつりと描かれ始めました。彼らは槍のついた火縄銃のような長物で、網にかかった獲物を取り囲み、寄ってたかって突いています。

「これ、まさか、文月のことじゃ」

 鈴経は捕らわれた獲物を指差します。網の中で必死にもがいているのは、黒い翼の鴉天狗のようでした。妖狩あやかしがりの模様なのでしょうか。背中を刃で貫かれ、苦しそうに目を見開きなおもあがく烏天狗。それと文月の姿か否応にも重なり、清応は絶句します。

「ほら、これ持って早く行かないと」

 永陸は指先で絵巻物の端をつまみ、ぴりぴりと破り取ります。巻物の端はこの絵のあたりだけ、何度もつまみ取られたようにぼろぼろでした。今しがた永陸がちぎったのと似た形の欠けが、いくつも並んでいるのです。

 これが丁符の正体かと気づき、清応と鈴経は同時に顔を見合わせます。

「十五、十六……つまり誰かが七度か八度は、あの山門からこの絵巻の場所に行っているみたいだね」

 鈴経は律儀に、欠けの数を数えていたようです。そして、部屋中の棚にぎっしりと詰め込まれた巻物を見上げて、

「ふええ、ひょっとしてこの棚の巻物全部、山門の丁符になるのかい」

 呆れたような、感心したような声を上げます。

「片方ずつ二人で持って。清応が文月を助けたら、鈴経が村から門を開くんだよ」

 切れ端を渡しながら、てきぱきとそう指図する永陸に、

「ねえ、本当にきみは、何者なんだい」

 鈴経は心底興味深げに尋ねました。

「きみたちと同じ、文月のことを好いている、ただのひとりだよ」

 永陸はにこりと笑いますが、清応にはどうしても、永陸がただそれだけの理由で自分たちを手助けしてくれるとは思えません。そんな清応の心根こころねを見抜いてか否か、永陸は「ほら」と階上をくいと顎で指して、早く行くように促します。

 手にした丁符をじっと見つめながら、清応は自分に言い聞かせます。今は信じるより他ないのだから。文月を助けに行かねばならないのだから、と。

「恩に着るよ、永陸」

 清応はそれだけ言い残し、振り返りもせず階段を駆け上がって金堂を飛び出します。

 そして二人は、じっとりと雨の降り出した境内を、山門へ向かって一目散に駆けてゆきました。


 § § §



 絵巻物にあった天狗狩りの図を鑑みて、清応は山門を出るその前から、持てる力の限りを以て戦をしかける心づもりでした。錫杖から姿を変えた長弓は、ゆうに清応の背丈の倍は長く、独鈷の剣が変化した蟇目矢には、彼の腕よりも逞しい神頭が備わっております。

 鷲の翼を授かった清応は、その眼力もまた鷲のそれに劣らぬほど冴えわたります。一里も高い上空から、眼下にいくつも立ち並んだ四角い建造物の群れすべてに、さらには窓から覗ける紙の束に、その目を素早く渡らせます。第一科、電波兵器、気球爆弾。第二科、斥候機器、毒劇薬、生物兵器。清応には理解に遠い、それでもおぞましい響きであることを本能で察し、考えを巡らせます。

 月の加減から見て今は子の刻。見張りは多く、瓦斯灯ガスとうよりも強く鋭い明かりをそこかしこに這わせ、油断ひとつ見受けられません。

 さらに清応は目を凝らします。森の向こうの人里とこの不可思議な集落は、梯子はしご状の奇妙な鉄塔を渡らせて分けた、幾筋もの黒い縄でつながれております。何のためのものかはわからずとも、集落の営みに必要不可欠であることは察しがつきます。

 清応はぐっと弓を引きます。ぴんと張った弦と矢の神頭が、法力のまばゆい光をまといます。

「しぃっ!」

 鋭く吐き出した気迫と共に、光の蟇目矢が空を翔けます。それは鉄塔を支えていた要石を粉々に砕き、頑丈な骨組みを露わにします。

「しぃっ!」

 矢を引き戻し、今一度放ちます。四つ足の鉄塔は支えを二つ失い、ぐぎぃぃいと硬い音を立てて、ゆっくりと傾いてゆきます。途中で引きちぎれた黒い縄がぱちん、ぱちんと火花を吹き、研究所の明かりが次々と消えてゆきます。

 急転直下、清応は研究所の中央へ真っ逆さまに降りてゆきます。

「なんだ、停電か!」

「すぐに非常電源! 薬品保管庫の温度管理を最優先!」

「おい、監房の七羽目を確保!」

 眼力ほどではないにしろ、清応の耳も猛禽類のそれのように、鋭く研ぎ澄まされておりました。七羽目、もしや。飛び交う人の声を聞き分け、捕らえた天狗を指すであろうその言葉を口にした、声の主を探します。平たい屋根から屋根へと渡る途中に、給水塔と書かれた丸い鉄の樽に錫杖で穴を開けてやります。

 第一科開発工場と札のかかったひと際大きな建造物の中に、声の主はいるようでした。鉄扉の前では、苔茶色の洋服に刃付きの銃を携えた兵隊幾人かが、強い明かりを放つ細い筒を振り回しています。

 清応は深く息を吸い、背中の翼を一度大きく扇ぎます。放たれた旋風つむじかぜ山颪やまおろしよりも強く太く、見張りを三人ほどたやすく吹き飛ばします。

「おい、何やってるんだ!」

「わからん、いきなり吹っ飛ばされた」

 清応は錫杖を、今度は肩幅ほどの短弓に変え、闇の中で目を白黒させている見張りたちに向けて矢を放ちます。先の平たい矢がすたぁん、と見張りの額に命中した途端、神頭に込めた法力が、打ち上げ花火のようにまばゆい光を炸裂させます。

「目くらましだ!」

「て、敵襲ぅっ! 攻撃を受けた! 北東、一時から三時の方角!」

 矢を受けた見張りが声を張り上げると、傍らの扉が内側から開き、わらわらと兵隊が飛び出してきます。屋根に伏せて身を潜めていた清応は、落ち着いたころを見計らい、開け放したままの扉にするりと潜り込みます。

 弓から戻した錫杖を半分に縮めて右手に構え、左手に独鈷の剣を握ります。あまりに騒がしい闇の中、目を凝らし、耳を澄ませ、地下へと続く梯子を見つけます。

 灰色の壁の地下通路に、ふわり、とわずかに風が起こり、

「ん、今誰か……ごっ!」

 見張りの兵が明かりでそちらに向けた時にはもう、言葉通り目にも映らぬ錫杖に、顎を強か打たれております。錫杖の腹でみぞおちを、剣の柄で盆のくぼを突き、何事かとうろたえる兵たちを次々と打ち倒しながら、清応は走ります。

 七羽目の移動はまだか!

 七羽目は!

 地下道のはるか先から幾度も、七羽目という言葉が清応の耳に届きます。

 地上の母屋の大きさから、この地下道の長さは明らかに外れておりました。北へ北へと走り、そろそろ敷地から出るかと清応が疑ったあたりで、周囲の明かりが戻り始めます。左右の壁は岩肌に変わり、行き止まりに武骨な鉄の一枚扉が現れました。

 角ばった机で書きものをしていた兵を、後ろから錫杖でとんと打ちます。あふ、と情けない声を出して兵は机に突っ伏し、動かなくなります。

 清応は天井すれすれの長弓を構え、蟇目矢の神頭に再び法力を込め、鉄扉に向けて放ちました。鉄扉が音を立てて吹き飛んだ先には、


 がぁ ん!

 ずだ ん だぁ ん!


 横並びの銃口が三つ、待ち構えておりました。

「命中確認、侵入者は……おごっ!」

 ですが、弾丸は清応を捉えてなどおりませんでした。鼻の先まで迫った弾丸を、清応の鷲の目はしかと見ており、すんでのところで背を反らし、横に飛び、避けていたのです。

 鉄の遊環ゆかんで額を、喉を、脾腹ひばらを抜き打ち、ばたばたばたりと兵たちは倒れます。さらに油断なく清応は薄闇に眼を走らせますが、他に伏兵はいないようです。

「き、清応……?」

 か細く力なく、それでも確かに聞くのを待ち遠しくしていたその声に、

「文月――っ!」

 瞬発した喜びを抑えきれず、清応は声を上げ振り返ります。

 けれどもそこには、灰色の寝床の上で裸に剥かれ、射抜かれた肩の傷をそのまま捨て置かれ、右の翼を断ち折られ、両手両足を硬い鎖に繋がれた、文月の哀れな姿。

 それを目の当たりにした清応が、涙を堪えられようはずもありません。ぎり、と清応は歯噛みした力は、柄を握る手に伝わります。そして清応は四度よたび剣を振るい、縛られていた文月の四肢を解き放ちます。そして文月の体を起こし、鼓動を肌で確かめるかのように強く抱きしめ、

「大丈夫……もう大丈夫だよ、文月……っ!」

 嗚咽を堪えながら、何度も何度もその頭を撫ぜてやります。

「清応、ごめんね……こんな、あぶないとこ……」

 かすれた声でごめんね、ごめんねと繰り返す文月に、清応は涙も拭わぬまま首を振ります。

「いい、喋らないでいい。待ってて、すぐに村へ帰――!」


 がぉ ぁ  ぁん!


 交わす言葉を阻むように、銃声が響き渡りました。

 鷲の目の隅に兵の影が見えた時、清応はとっさに、左の翼で文月の身を包み守っておりました。

「ぐ……っ!」

 主の魂とつながった翼は、その痛覚も四肢や素肌と同じように伝わります。背中の少し離れたところに走った痛み、そしてじわりと溜まってくる熱に歯を食い縛りながら、錫杖を長弓に変化させます。


 がが ずぎゃ ぉん !

 ただぁん きゅ ぃぃん!


 放たれる立て続けの銃声と銃弾を、清応はすべて左の翼で受け止め、文月を守っておりました。翼から伝わる熱と痛みは、頭の中を直接焼き尽くすかのようで、

「ぁあああっ! ひ、ぐっ、うぉあああっ!」

 がむしゃらに唸り、吠え猛りながら、文月はありったけの法力を込めた光の矢を、じりじりと上げて天井を狙います。


 ずだぉ っ! ぎぅ ん

 がぁぉん が たぁああん!


 強さを増す光のほうに向けて、兵たちは容赦なく銃弾を叩き込みます。

 矢からあふれ出した黄金色の光が、少しずつ暗がりを照らして闇を払います。

「撃ったら、飛ぶぞ……掴まって……っ!」

 翼を幾度も貫かれる痛みに、清応は顔を歪めます。文月は言われるまま清応の腰にぎゅっとしがみ付きます。これまでにないほどに、清応の矢に光が満ちています。

「突入!」

 兵たちが何事か叫ぶと、弾丸の嵐は止み、代わりにいくつもの硬い足音が駆け寄ってくるのを聞きました。近寄られ、取り囲まれてしまえば、もう空を飛ぶ隙など与えてはくれないでしょう。

「す……鈴経ぇっ!」

 懐に隠した丁符にも届くように、清応は村で待っていてくれるその友の名を呼びます。そして同時に、絞りに絞った光の矢を解き放ちました。


 しゅ かぁあん!


 弦が矢を弾き撃ち放ったその瞬間、矢に収まり切らなかった法力の光が、奔流となって波打ち、広がり、闇をさっとかき消してゆきました。

 そして清応が見上げる先には、まるで最初から存在などしていなかったかのように、重苦しい天井はきれいに消し去られておりました。

「今……っ!」

 清応は無我夢中で文月を抱きしめ、床を蹴り、痛む翼を羽ばたかせます。文月も清応と息を合わせて、残る力で片方だけの翼をはためかせます。

 ですが、いざ飛び去ろうとしたまさにその時、清応はその地下室が何のためにあったのかを知りました。


「清応、あの子たちは? 僕と、一緒にいた」

 銃弾も届かぬ空へ昇ってから、文月は尋ねました。

「ごめん、見てない……僕は、見ていない」

「……そう」

 苦し気に答えた清応の言葉が嘘であったことを、非力な嘘とわかってそう答えずにいられなかったことを、文月は知っておりました。

 文月が縛られていたあの地下室には、同じ形の寝床が他に六つ、横並びになっておりました。そして、そのどれもに、ぴくりとも動かなくなった誰かが、やはり文月と同じように、鉄の鎖に縛りつけられていたのです。

 それは、さまざまな模様の翼を持つ天狗、いえ、おそらくは村の童たち。

 それも六人すべて、その顔立ちや体つきが、まるで文月その人と見紛うほどに、恐ろしくよく似ていたのです。


 § § §


 雲の中にゆっくりと開き始めた山門を見つけ、清応はようやく安堵しました。

 丁符に聞かせた清応の声に、鈴経が応えてくれたのでしょう。

「もう着くよ、文月……もう少しだ」

 翼の痛みを堪えて大きくひと羽ばたきし、清応はぐんと加速します。

 庫裏についたら、まずは体を拭ってやって、傷の手当てをして、それから何か温かい汁ものでも作って。清応は文月の頭を撫ぜながら飛びます。救い出せた喜びに泣き出しそうになりながらも、どうにか頭を働かせて、この後すべきことを順序だてて考えます。

 鈴経と、あと永陸の手も借りよう。そう思って、再び山門のほうを見上げると、鈴経の坊主頭が、こちらを覗き込んでいるのが見えました。

「おおい、ただいま!」

 清応は手を振り、声を上げました。しかし、鈴経は宙に浮いた山門から真下を覗き込んだまま、何故かこちらを向こうとしないのです。鈴経はまるで這いずるようにしながら、門から上半身をぐい、ぐいと乗り出すのです。

「ね、ねえ。変だよ……?」

 文月もまた、鈴経の様子がおかしいことを察しておりました。ただならぬ不穏な予感を清応が覚えた、次の瞬間。

 鈴経の体が、ずるり、と門から落ちたのです。

「鈴経っ!」

 清応はとっさに腰の剣を抜き、落ちてゆく鈴経に向かって思い切り投げつけます。そして素早くまじないを唱えると、剣は蟇目矢に変わり、光を放ってなおも加速します。矢が鈴経を追い越したあたりで、清応が手首をくいと引くと、矢と繋がった法力の糸がぴんと張って鈴経の体をくるくると絡め取ります。

「清応……上がって……っ!」

 息も絶え絶えでありながら、文月は清応に代わって法力の糸を掴んで引き、鈴経の重さを支えます。鈴経をぶら下げて、清応はひと羽ばたきごとに痛みに呻きながらも、どうにかこうにか山門の内側にたどり着くことができたのです。

 現世と切り離された阿螺村は、今はひどい大雨のさ中にありました。

 文月はぐったりとした鈴経を膝に抱き、揺さぶります。気を失ってはおりますが、蚊の鳴くほどの呼吸はまだ残っております。

「鈴経、鈴経しっかり……ああっ!」

 ですが、鈴経を抱く文月の手に、ぬるり、と生暖かく濡れた感触がありました。深々と斬られた白衣びゃくえの背中が、雨に濡れても流されぬほど、じくじくと染み出る血に染まっていたのです。

「この傷、まさか」

 清応がはっと振り向くと、いつからかそこ、境内の中央に、仁王立ちでこちらを見ている者がおりました。


 がらん、ぴしゃああんと怒号をあげて、並び桜の一本を落雷が貫きました。

 それはたちどころに赤い炎を吹き始め、雨を呑んでぶすぶすと煙を上げます。

 稲光いなびかり走る黒雲を背に、清応たちを待ち構えていたのは、

「悪運の強いやつだ、七羽目ななわめよ」

 血染めの車太刀を両手に提げた、阿修羅が如き相貌そうぼうの、お舎那さまその人でした。

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