五幕 楼蘭《ろうらん》の子は

「不思議な髪と目。狐さんみたい」

 天から舞い降りた白い袈裟のの子が、清応の黄金色こがねいろの髪と青い瞳を見て口にしたその言葉は、清応には何か、異国の不思議なまじないのように聞こえておりました。

「助けて、くれるの?」

 乾いて引きつる唇をどうにか動かして清応は尋ねましたが、きっとそれも男の子には、ただの異国の歌の節にしか、聞こえていなかったのでしょう。

 ですが、男の子はこくりとうなずき、清応と同じくらいの小さな手を差しのべました。金色の錫杖が、二人を囲む炎の波を照り返し、きらきらと輝いておりました。

 はるか続く草原と、おびただしい数の隊商と騎馬の亡骸。屍山血河を焼いて尚燃え広がる炎の海の片隅が、清応と文月の出会いの舞台でした。


 武帝治むる漢の国、隆盛なりし頃。

 小国楼蘭ろうらんから漢へ向かう王子その人が、九つになったばかりの清応でした。

 絹の道シルクロードを西と南に分かつ要地にあった楼蘭は、常に漢と匈奴きょうどの脅威にさらされておりました。国の形と民の益を守るため、楼蘭の王は勢力の傾きを察するたびに、漢と匈奴両方に宛て、幼い王子や姫を差し出していたのです。

 王子といえど、清応は幾人もいる王の妾のひとりが生んだ、幾人もいる子のうちのひとりに過ぎませんでした。貢がれるにあたって、王直系の第何王子などと素性を飾り、いかにも貴人を人質に捧げる風を装ってはおりましたが、その実最初から、強国への貢ぎ物となるために作られた子でしかなかったのです。

「お前はいつか、この国のお役に立つ立派な子なのよ」

 西の国の出である母に言われながら、清応はすくすくと育ちました。寝食に困ることもなく、王の言いつけで来た学者に読み書きや歴史を教わり、年老いた武技ぶぎの教官をお師さまと呼び、弓の技を授かりました。

 裕福な暮らしの中、清応は誰を疑うことも知らぬまま、思いやりあるやさしい男の子に育ちました。だからこそ、

「お前はこれから桜蘭のために、漢の国にお勤めするの。お前がお隣の国のお役に立てば、お母さんもこの国のみんなも喜ぶのよ」

 と母に言われた時にも、

「はい、お母さま」

 と、ただ素直にうなずいたのです。

 清応の母は最初から、我が子がいつか貢ぎ物として扱われることを承知の上で、喜んで楼蘭の王の寵愛を受けました。腹を一度や二度痛め、子の一人や二人失くすくらいで、貴人の暮らしが手に入るのなら。人生の悦楽のためには我が子をも生贄に捧げる、清応の母はそういう女性にょしょうでした。


 清応が九つになったその日、漢の将軍のもとへ捧げられることが、王の使いより母に言いつけられました。楼蘭の王城に二度三度、匈奴侵攻に加わる旨を要求しに来た、屈強な武人でした。

 清応はこの頃にはもう、自分が何かと引き換えにされるだけの身であることを、うっすらと気づいておりました。ですが、それが母のため、そしてお師さまや王様、まわりの皆のためになるのならばと純粋に願い、わがままひとつ言わず出立の仕度を整えておりました。

 かの国の事情に詳しい者からすれば、男色好みで有名なその将軍に捧げられた清応が、果たしてどんな扱いを受けるかなど、想像に難くありません。ですが、母や使いの者からお勤めとだけ聞かされていた清応が、どうしてそれを知ることができたでしょう。

 清応の出立の日、母は見送りの場におりませんでした。別れが悲しくて顔を見られないのだろうと、漢までの道を共に行くことになったお師さまが、寂しがる清応を慰めました。

 清応をかごに乗せ、十数人ばかりの兵隊を伴った一行は、漢の国に向かいました。東へと向かう、草原を幾何度と踏み固められ作られたその道を、四日も進んだ頃でした。国境くにざかいで野宿する一行を、匈奴の騎馬兵たちが襲ったのです。

 見張りの二人は火矢の雨に喉を射抜かれ、声も上げられず息絶えました。用足しに起きていた一人が、攻め来る兵たちをたまたま見つけて叫びましたが、迎え撃つには到底仕度が間に合いません。

「私の馬で逃げなさい、早く!」

 明らかに清応を狙って迫る匈奴の兵たちを、お師さまは幾人も斬り払い、必死に清応を守りました。ですが、繰り出された騎馬兵の槍をかわしきれず、その腹を斜めに貫かれます。死なば諸共と投げつけた刀は、騎馬兵の顔の骨を砕いて刺さります。追手を道連れにしたお師さまの壮絶な最期を、清応は目の当たりにし、どうしてよいかもわからずとうとう足を止め、声を上げて泣き叫びました。

 清応を狙い夜襲をかけたのは、匈奴に扮した漢の兵たちでした。そしてそれを操るのは、漢の武官に取りついた賢しい餓鬼でした。討ち死に兵の肉と魂しか喰らうことのできないその業の深い餓鬼は、清応を匈奴の仕業に見せかけて殺すことで、桜蘭と漢が匈奴への報復に出るよう図ったのです。

 どうして、どうしてこんな。

 自分を守ってくれていた兵たちはすべて死に、炎の壁と見知らぬ男たちに取り囲まれて、清応はその場にへたりこみ、立ち上がることもできません。

 失禁しながらただ泣き叫ぶ清応を、餓鬼憑きの男らがわらいます。かわいい子じゃないか、ちょっと尻になぶった跡でもつけてやったほうが、匈奴への恨みも高まろうて。下卑た笑みで涎を垂らし、男らがいよいよ清応の衣に手をかけた、その時のことでした。

 天から差した一条の光が、清応に手を伸ばした男の背中を貫きました。直後、清応の目の前で男の体は赤い炎に包まれ、声も出せずにのたうち回り、やがて動かなくなりました。

 何者! と他の男らが振り向くと、次なる光の一条は、真一文字に閃きます。どどうと二人、男らが揃って倒れると、その体もすぐに炎に包まれ、卑怯にも匈奴に似せた衣ごと、たやすくその身を焼き焦がすのです。

「もう大丈夫だよ」

 頭の上で誰かが何か言ったのを聞き、清応ははっと泣き止みました。自分と同じ年の頃の、女子おなごのような声でした。何と言われたのかはわかりませんが、それでも清応は、誰かが助けに来てくれたのだと察し、声のほうを振り返りました。

 涙でうるんだ目をごしごしとこすり、清応は白い袈裟のその人を見ます。金色の錫杖が炎を映し、明るくその顔を照らし出します。

 確かに自分と同じくらいのの子のようでした。ですが、百合の葉のようにしゃんと整った頬の弧線や、優しい笑みを湛えるくりんとした瞳は、まるでおとぎ話に夢見た姫君のようにも見えて、清応はしばしの間、ぼうっと見とれておりました。

「お舎那さま、この子村に連れていってよいでしょうか」

 白い袈裟の男の子は、連れらしき、こちらもゆったりとした白い袈裟をまとった大人の男に尋ねているようでした。男は黙ってうなずくと、虚空に向かって手をかざします。

 すると、つい今まで何もなかった、草原の真ん中の空間に、大きな木造りの門扉が現れました。そして、門扉はひとりでにぎいと開き、その向こうにはどういうわけか、やわらかな木洩れ日あふれる森が、清応を優しく迎えるように、広がっておりました。


 白い袈裟の男の子に手を引かれ、わけもわからず門扉をくぐります。煙と血の匂いに満ちた夜の草原から一変、杉の香ただよう昼下がりの森の景色に、清応はただただあっけに取られるばかり。男の子に肩を叩かれて振り返ると、そこには古めかしい木造りの、さっきくぐってきたはずの山門が、静かにたたずんでおりました。

 清応たちが再び山門をくぐっても、もうあの焼けた草原に戻ることはありませんでした。

「あれ、新しい子だ」

「文月のおかげで命拾いした子が、また増えたね」

 口々に何事か言いながら、同い年の、あるいは少し年上の男の子たちが、笑顔で清応たちを出迎えました。

 と、白い袈裟の男の子が、清応の手を一度くっと引き、よく見てとばかりに自身の顔を指差します。そして、「ふ、づ、き」と、自分の名らしき言葉を一文字ずつ刻みながら、繰り返して教えてくれます。清応は何度か口の中で転がすように言ってみて、白い袈裟の男の子の呼び方を覚えました。

 清応も真似て、自分を指差し名を名乗ります。ですが、清応が何度も繰り返して、文月が眉間にしわを寄せて音を真似ようとしても、うまく発音できません。楼蘭の言葉は、日本のそれとあまりに異なる音で出来ていたからです。

 文月が十ほど試したところで、清応はとうとうぷっと吹き出してしまいました。懸命に真似ようとする文月の顔の動きが可笑しくて、こらえ切れなかったのです。

 つられて文月も、おなかを押さえて笑い出してしまいます。

「きみ、器用だなあ。そんな草笛みたいな音、途中で出せないよ」

 と、半ば呆れてそう言った文月の科白に、清応は自分の名に近い響きの言葉を見つけました。そして出来るだけ文月のそれに似せて、言ってみました。

「……きよう・・・?」

 聞き返す文月に、清応はこくこくとうなずきます。

「そう。じゃあおいでよきよう・・・、お舎那さまに字をあててもらおうよ。それに、ここの言葉も一緒に覚えていこうね」

 文月がうれしそうに差し伸べた、小さな手のひら。清応は見た時、どうしてか自分の瞳から、再びつうと涙がこぼれるのを、少ししてから感じました。

「どうしたの? どこか痛むの?」

 心配そうに顔を覗き込む文月に、清応はふるふると首を振ります。

 文月の言っている言葉は、清応には何もわかりません。ですが、やさしくかけられる声のひとつひとつや、差し伸べられた手の白さに、押し込めていたあらゆる感情が、堰を切ってあふれ出したのです。

 諦めていた自らの生を、もう一度手に取ってみなさい。生まれて初めて、そういたわってもらえたような気がしたのです。

 文月は清応が、見知らぬ土地への不安に泣いてしまったのだと思い、清応の手を取ります。そして、そっと寄り添い、

「大丈夫だよ、きっとすぐなじむよ」

 そう言って清応の涙が止まるまで、手のひらで背中をとん、とんとんと、やさしく叩いてやるのでした。


 § § §


「眠れないの?」

 文月に聞かれてはっと目を開け、清応はそこで初めて、自分が夢の中にいたことを知りました。自分の目元が濡れているのと、鼓動が何故だか少し早く鳴っているのを感じた清応は、

「ひょっとして、泣いてた?」

 きまり悪そうに、文月に尋ねました。

「そんなふうだった」

「怖い夢でも?」

「ううん、いい夢だったはずなんだけど」

「どんな?」

「昔の、ここに来たころのこと」

 文月は半身を起こして清応の顔を覗いておりましたが、安心したのか、一度微笑んで、布団の中へ戻ります。

「天女さまか何かかと思ったよ、最初」

 清応がぼんやり思い出せたその情景と、そこにいた文月のことをぽそりと言うと、文月はくすりと笑います。

たすけてくれた人のことは、誰でもそんな風に見えるんじゃない」

「文月も?」

「僕の時は……天狗だったかな」

 天狗? 清応は思わず聞き返します。おそらく彼を救ったお舎那さまのことを指しているのでしょうが、翼もなく、鼻が高く見える印象もありません。

「待ち合わせをしていたら、座っていた桜の樹ごとさらわれた」

「無茶苦茶だなあ。それ、金堂こんどうの脇に並んだあれのこと?」

 そうかもね、とうそぶいた後、文月の小さなあくびが聞こえました。眠るのを邪魔してはよくないと思い、清応も布団にもぐります。と。

「もうすぐ顕現けんげんだね、僕ら」

 文月がぽつりと言いました。顕現の儀とは、餓鬼祓いで徳を積んだ童が菩提を得た者かどうか、尊天さまに試される儀式です。尊天さまがお認めになられた者は、晴れてこの村から独り立ちし、現世にはびこる魔を討つ護法童子ごほうどうじとして、永い旅に出るのです。

「清応は三度目?」

「うん。でも、駄目でもいい気がしてきたよ。出たくないな、ここ」

 こら、と清応を一度は小さく叱った文月でしたが、ややもすると、

「僕もちょっとそう思う」

 ぽそりとそう打ち明けます。

 春が来るまであと少しの夜は、空気がしんとひそやかで、清応が耳を澄ますと遠く沢の水のが、さやさやと心を静めてくれます。

 と、清応は「もし」と前置いてから、つぶやきます。

「もし尊天さまがお認め下さったら、一緒に旅に出てもいいのかな」

 それは一年ほど前、清応の顕現の儀が近いことをお舎那さまに伝えられてから、ずっと考えていたことでした。そして、奇しくも文月と同じ日に執り行われると知ってからというもの、その望みは胸の内で日に日に大きくなっていたのです。

「そうだね。それ、いいね」

 文月もまた、同じ思いを抱いておりました。楼蘭の死地での出会いの後、この村で丸五年を共に過ごした清応と文月です。先に旅立っていった何人もの童を見送るたび、もしそれが叶うのならばと、強く強く願っておりました。

 文月は少しの間押し黙って考えてから、

「お舎那さまに聞いてみようか。もしできたら、いいね」

「文月はどこへ行きたい?」

 清応が尋ねると、文月はまた少し考えてからぽつりと、

「……色情餓鬼を祓いにいかなくて済むところ」

 とこぼします。あまりに素直なその本音に、清応はくすと笑います。

「この間のあれはひどかったね」

「もうほんと、見たくない」

「でもそんなこと思ってると、尊天さまがお認めにならないんじゃないの」

「そっか」

「如何な餓鬼にも、けっふけっふ、慈悲をって! だよ」

 清応がわざとらしく声を太くして、お舎那さまの物真似をすると、文月もふふと目を細めます。お舎那さまは童たちに向かって声を高くすると、必ず合間に小さく咳き込むくせがありました。

「あの餓鬼のところにいた子。大丈夫かな」

 と、清応はふと思い出し、尋ねます。

「だと、いいんだけど」

 どうしてか文月の答えは、少しそっけなく聞こえます。清応は続けて、気にかけていたそのままを問いかけます。

「文月、あの時、どうしてあんなに怒ったの」

「そりゃあ怒るよ、だって……」

 文月は言いかけましたが、どうしてか言葉を飲み込んでしまいます。そして、一度もぞもぞと寝返りを打った後、ぽそりと答えるのです。

「僕も、ああなっていたかもしれないから」

「……あの子みたいに?」

 清応が聞き返しても、文月は布団に深々ともぐり込み、もう答えてはくれませんでした。邪推めいた憶測が、清応の頭をめぐります。あの魔王殿の回禄の夜、文月の胸元に残っていた口吸いの跡。もしや誰かに襲われかけたのでは。ひょっとしてその相手が、心蔵なのでは。

 ですが、それ以上は触れられたくないだろうと察し、清応は問いかけを素直に諦めました。文月に申し訳ない心持ちで、これ以上余計なことを口にしないうちに眠ってしまおうと目を閉じると、

「旅、清応はどこへ行きたい?」

 沈黙に気を使ったのか、文月が布団の中から問いかけてくれまました。

「そうだなあ」

 しみじみと、文月の気遣いをありがたく思いながら、清応は目を閉じて思いをめぐらせます。

 桜舞う平安の京、瓦斯ガス灯と赤れんがの港町。阿螺村の童として文月とともに訪れた地の思い出は、今も鮮明に思い出すことができます。赤い十字の前垂れの騎士たちにも、背中の袋に何本も長巻物ながまきものを差した眼鏡の学徒たちにも会いました。

 そして、いつしか幼き日の楼蘭を思い起こしているうちに、

「眠れそう?」

 と聞く文月の声が、やわらかく耳を包むのを感じながら、清応はおだやかな眠りに落ちてゆきました。

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