四幕 生き写し

「おい、心蔵が帰ってきたぞ!」

 阿螺村くまらのむらの山門から戻ってきた文月たちを見るなり、残っていた童たちは口々にそう言います。共に帰ってきた、永陸と名乗るその童は、それを聞くたびむくれてそっぽを向きます。

 そうだよな、似ているよな。と、答え合わせをしているような気持ちで、清応は永陸を見ます。顔立ちも、出で立ちも、背丈も、声も。まるで心蔵と生き写しの永陸に、不躾だとは思いながらも、清応はついついじっと視線を向けてしまいます。

「ごめん、清応! でも、僕らがきみよりいくらかまし・・なのは、逃げの算段くらいだから……」

 怖気づいて逃げたかに見えた杏点は、鈴経に言われて真っ先に村に帰っていました。思いのほか大きな鬼が出たからと、お舎那さまに助けを求めに行ったのです。

 村の山門と現世を行き来するには、丁符ちょうふと呼ばれるお札が必要です。お札と言えど、それは一枚一枚模様の異なる、絵巻物の切れ端のようなものでした。

 丁符は二枚で一組となり、片方を村で待つ者が、もう片方を餓鬼祓いに出る童たちが持ちます。山門から現世に渡った童が丁符に声かけをすると、村で待っている者がそれに応え、童のいる時代と場所に山門を開いてくれるのです。

 文月を背負った清応に、鈴経は泣き出しそうになりながらぺこぺこ頭を下げます。清応はそんな鈴経の肩に手を置いてやります。

「いいんだ、ありがとう。おかげで僕も文月も助かったよ」

 杏点も鈴経の後ろで、ばつの悪そうにもじもじとしています。ですが、その視線はちらちらと、村をきょろきょろと見回す永陸に向いています。他の童も、文月を背負った清応たちを遠巻きに見守りながらも、やはり永陸のほうに興味しんしんのようでした。

「あの、永陸くん」

 清応が呼ぶと、永陸は「ん?」とにこやかに振り向きます。その仕草で後ろ髪がふわりと広がる様も、清応は何となく見た記憶があるような、不思議な錯覚を覚えます。

「ありがとう、本当に助かったよ。見事な剣だったね」

 とりあえず褒めてはみましたが、本当はあの戦いのさなか、清応には永陸の太刀筋を見ている余裕など、ありはしませんでした。文月を捕らえていた鬼の舌はいつの間にか斬り落とされ、そしてとどめの一太刀もいつの間にか終わっていたのです。

「ううん、大した事ないよ。あんなの」

 肩をすくめる永陸の言葉が、謙遜なのかただの軽口なのか、清応には今一つわかりませんでした。ですがそんな口ぶりも、心蔵とよく似て聴こえるのです。

「それより、そっちの子、大丈夫?」

 永陸は清応の横側をぴょんぴょんと跳ね、背負われた文月の顔を覗こうとします。文月は降り立った永陸の姿を目にした後、すぐにまたふっと意識を失っておりました。

「お舎那さまに見てもらうけど、そんなにひどい怪我じゃあないと思う」

「そ。間に合ったんならよかった」

「本当にね。その、きみは新しくここに来たの?」

 永陸は赤いくちびるに指先を当て「んーと」と少し考えます。清応と鈴経は、彼の話の続きを待ちながら、お舎那さまのいる塔へと足を進めます。

「別のお寺に厄介になってたんだけど、ちょっと訳があって」

「お坊さんだったの?」

「そんなとこ。お舎那さま、だっけ。あの人にお願いして、この村の修験に来させてもらったの」

 はきはきと明るく答える永陸に、つい清応は問いかけを重ねてしまいます。

「きみはその……どう聞けばいいかな、いつの世というか、どなたが治めるお国から来たの」

「ん? どういうこと、それ」

 小首を傾げる永陸と困る清応を見かねたのか、鈴経が「あの」と手を小さく挙げます。

「僕はえっと、天明二年、日本橋小網町の木村屋にいたんだけど。そういうの」

 家のことが誇らしいのか、鈴経は得意げに鼻をこすります。それを聞いてもまだ、永陸は何を尋ねられているのか、今ひとつわかっていない顔でした。

 阿螺村の童はみな、もとは孤児みなしごでした。戦や流行り病、また餓鬼の仕業で親を亡くした子を、お舎那さまや餓鬼祓いに行った童たちが連れ帰ってくるのです。

 鈴経は自ら言うように、江戸の世の豪商の一人息子でした。木村屋は米問屋で、打ちこわしに乗じて盗人に憑いた餓鬼の仕業で、鈴経は両親を亡くしました。あわや鈴経も凶刃に命を落とそうかといった時、お舎那さまと共に現れた文月に助けられました。

 杏点は、後宮文化華やかなりし平安の世の生まれでした。七殿五舎に憧れた北の田舎貴族の娘が、お公家との縁談を取り持つからと騙されて、悪い役人に弄ばれて身ごもった赤子が杏点でした。家の品位を大事にする娘の父が、娘ともども亡き者にしようとしたところを、お舎那さまがさらって来たのです。

 童たちは皆それぞれ、互いの素性を深くは知りません。推して知るべし。この村の童であるからには、きっとやむにやまれぬ経緯いきさつがあるのだろうと、互いにそう思いやっておりました。

 普段であれば清応もそうなのですが、この時ばかりは相手が相手。疑問は沸くばかりでした。ですが、永陸は「ふうん」とつまらなそうに口を尖らせてから、

「その心蔵ってのと僕が縁があるかどうか、聞きたいだけなんじゃないの」

 清応を下からじろりと睨みます。見事に見透かされて清応はたじろぎます。確かに自分は、永陸が何者であるかより、永陸と心蔵が何の関係のない他人であることを確かめたかった。そう思い知らされた文月は肩を落とし、「ごめん」と謝ってしまいました。

 その時、清応はうなじにこそばゆさを感じ、歩みを止めます。背負っていた文月が目覚めたのか、もぞもぞと動き出したのです。そして。

「お前、お前は……誰なんだ!」

 飛び降りるように清応の背中を離れた文月が、永陸を指差します。その手はわなわなと震え、まるで悪夢の続きを目の当たりにしているかのような形相でした。

「永陸っていうんだけど」

 うんざりした顔で永陸は答えますが、文月はそれを認められぬとでも言うように、首をぶんぶんと横に振ります。

「永陸? 違う、心蔵……心蔵なんだろう」

「違うってば」

「嘘だ! こ、声まで一緒じゃないか。背の大きさも、刀も……」

「ああもう、何なの? さっきからみんな僕のことを心蔵、心蔵って」

 文月を話の通じない相手と見たのか、永陸は清応のほうに聞き返します。清応はどう答えればよいかわかりません。先ほどのような助け舟を期待して鈴経のほうを見ますが、鈴経も眉を八の字にして首を振ります。

 永陸の顔も、振る舞いも、立ち姿も。まるで心蔵の鏡映しのようなそれを見て、己の目を疑わない者の方が少ないでしょう。鬼との戦の折に出会った時は、ひょっとしたら自分と文月だけに見える幻ではないかとまで、清応は思いました。ですが鈴経や杏点、童の皆を見るに、この永陸という童が確かに自分たちの前に実在していることを、認めざるを得ないのでした。

「きみによく似た子がいたんだ。少し前まで」

「少し前まで?」

「五日も前に供養をしたよ」

「死んだ子と間違えられてるの? 縁起でもないけど、そんなに似てるんだ」

 永陸はまた「ふうん」と言います。ですが、今度は何やら興味深げにうなずきながら言うのです。特別気を悪くした様子もありませんが、清応も鈴経もどう二の句を継げばよいか、困り果てておりました。

 静まり返ってしまった境内で、文月も落ち着きを取り戻し始めたのでしょうか。永陸を指差していた手を自分の胸に当て、鳴り打つ動悸を整えるように深い呼吸をゆっくり繰り返します。幾度かの深呼吸を終えてなお、未だ小さく震える声で、

「心蔵でないなら、きみはいつのどこから来たんだい」

 文月は奇しくも、清応と同じ問いかけをしました。

 永陸はすこやかな紅色のほおを、丸い指先でこしこしと掻きながら、

「ねえ、もう面倒くさいからごまかしていい?」

 と、清応に尋ねます。

 そして永陸は清応が答える前に、ほおを掻いていた指を頭の上に挙げ、

「お空の星から来たんだよ、ってことで」

 青空のいただき一点を、ぴしりとまっすぐ指したのです。


 § § §


「心蔵の生まれ変わりだったりしてね」

 食堂での夕餉ゆうげの折にも、童たちの永陸への興味は尽きません。一番端に座った文月と、その隣に腰を落ち着けた永陸本人を前にして、ひそひそこそこそと耳打ちしあいます。

「おいおい、ついこの間供養したばかりだろう」

「現世の時は、村とは関係ないんだろ。昨日ここで死んだ子が、一昨日どこぞで生まれ変わったっておかしくないじゃない」

 文月の向かい合わせに座った清応も、聞こえないふりをしてもくもくと箸を動かします。永陸がじろりと見ると、一度は声は止むのですが、またしばらくすると童たちはこらえきれず、永陸と心蔵のいろいろを話したがるのです。

「今日の当番は清応?」

 普段通り静かに箸を運んでいた文月が、ふと尋ねました。幸い大きな怪我はなく、落ちた拍子に打った肩に、清応が揉んだよもぎを包帯で巻いてやりました。

「そう。わかった?」

「変わったものが出るからね、この田螺たにしの炒ったやつとか」

「沢にいっぱいいてね。文月、滋養をつけないと」

「唐辛子? 山椒? ぴりぴりして箸が進むよ」

「じゃ、僕のも食べていいよ。味見で結構つまんじゃったから」

「ありがと、もらうね」

 村で童たちの食を支えるものは、伽藍のまわりの森と川の恵み。そして現世の人里に降りた童たちが托鉢たくはつをし、頂戴した金銭で買った食材です。

 一日二食。さまざまな時代と土地のものが集まり、そして異なる時代と土地に生まれた童たちが厨房に立つこの阿螺村には、豊かで不可思議な食生活が息づいておりました。宋の国の出の林琶が作る卵ときざみ葱の炒め飯は、童みんなが喜んでかき込みます。鈴経が江戸で大好きだった納豆汁を朝餉に出すと、においの苦手な杏点がいつも文句を言います。

「おいしい! 田螺なんて初めて食べた。すごいね!」

 文月の右隣に座った永陸が、ぱっと顔をほころばせて言います。声変わりもまだのようで、落ちそうなほおを手で支えて味覚と歯ごたえを堪能する様は、さながら甘味のしあわせに身をゆだねる乙女のようでした。

「ねえ、さっきはごめん。その、取り乱して」

 文月は一度箸と茶碗を下ろして、隣の永陸の顔を横目で伺います。

「気にしないよ。けが、大丈夫なの?」

「おかげさまで。見事な一太刀だったね」

「えへへ。あいつ気持ち悪かったから、さっさと離れたくてさ」

「ひどい顔だったね、本当に。剣は何方どなたに教わったの」

「誰ってことはないけど、京八流きょうはちりゅうって呼ぶと通りがいいみたい」

「京八流。じゃあ僕らも同じだ、お舎那さまに教わっているから」

 相手が気兼ねをしないよう、早すぎず遅すぎず丁寧に間を作りながら話す姿は、いつも通りの文月でした。面倒見のいい文月は、村に入ったばかりの童のことをよく気遣い、進んで優しく話しかけておりました。村に来たばかりの清応と童たちの間を取り持ってくれたのも、当時十になったばかりの文月でした。

 清応は文月がまた、心蔵に似た永陸を見て心を乱しはしないかと、気が気でありませんでした。ですが、夕餉を前にして笑みを絶やさず言葉を交わす二人を前に、胸の内でひと安心して、自分の箸を進めます。

 しかし。

「心蔵って子も?」

 永陸の口からその名が出た時、皆の手がぴたり、と止まりました。

 文月だけが、止めかけた箸をそのまま清応の膳に伸ばして、小鉢の田螺をつまみ、

「うん、そうだね」

 それだけ答えて口の中に収め、まぶたを伏せてこりこりとよく噛みます。

「剣は達者だった?」

「車太刀でなく独鈷の剣だったけど、お舎那さまの技をよく使っていたよ。ひょっとしておさとが近かったりするのかな」

「どこの生まれだったの?」

「ごめん。あまり聞いたことないんだ」

「きみはその子のこと、好いてたの?」

 文月の喉が、田螺を飲み下してごくりと鳴ります。そして、小松菜の味噌汁のお椀を左手に取り、すすとひと口含みます。童たちは皆、体こそきちんと座して自分の膳に向いてはいますが、耳だけはどうしても、文月のほうへ傾いてしまうようでした。

「みんなと同じくらいには好いてたよ。気さくな子だったからね」

 文月は笑って答えます。ですが、清応の目にはその笑みが、先ほどまでと違ってどことなく、硬さを増して見えました。

 それを知らずか気付いてか、永陸は重ねて文月に問いかけます。

「そうじゃなくて。もっとこう、したうというか、れるというか」

「それ以上のことは、別に」

「あれだけ取り乱して?」

「死んだと思った人が目の前に現れたら、そりゃあ驚くよ」

 急に張り詰めた空気の食堂で、ごくり、と誰かが唾をのむ音が響きました。努めて平静であろうとする文月と、まるで文月の心をまさぐるような無遠慮な永陸。

「ふうん」

 永陸は納得がいかない風でしたが、その間に文月はさっさと箸を進めます。

「ご馳走様でした」

 行儀よく両手を合わせ、膳を持って立ちます。

けておくだけでいいから、少し休みなよ」

 清応が見上げて言うと、文月は少し申し訳なさそうに「そうする」と微笑み、ひとり食堂を後にします。

 緊張していたのか、それとも見どころが終わってしまい残念なのか、周りの童たちも次々と「はあ」とため息をついて、残った夕餉を片づけて各々に食器を運んでゆきます。

「みんなはちゃんと自分で洗ってね」

「なんだい、清応はまた文月びいきで」

「怪我するくらい餓鬼祓いを真面目にやったら、その時はひいきしてやるよ」

 べえ、と清応に舌を出す杏点を、鈴経は「こら」とたしなめます。食堂に、清応と永陸以外に誰もいなくなったあたりで、清応は自分の膳がまだ半分しか空いていないことに驚きます。自分の耳が、思っていたよりも長く文月と永陸のほうに傾いていたことに気付き、清応はひとり気恥ずかしさを覚えながら、箸を早めます。

「ねえ、僕も田螺もらっていい?」

 永陸に訊かれ、清応は快く小鉢を勧めます。

「どうぞ」

「ありがと。おいしいね、これ」

 玄米の上に田螺を乗せて箸先に盛り、永陸はさも旨そうにぱくりと頬張ります。悪い子ではないのだろうけど、と清応は思いますが、

「あの子はどうしてあんなに、心蔵って子の話を避けるの」

 やはりその話を続けるのかと知り、清応の口からはついため息が漏れてしまいます。

「気になるのは仕方ないよね、心蔵のこと」

「そっちより、あの子がなんだかかたくななのが気になるんだ」

 清応は永陸の顔をうかがい見て、少し考えます。会って間もない同士ではあるものの、きっと素直な気持ちで、文月のことを案じてくれているのだろう。清応はそう思い、自分と文月がお舎那さまについた嘘の弁明を思い返しながら、ほころびが出ないよう努めて簡素に答えます。

「離れのお堂で回禄があって、亡くなったのがその子なんだ。それで、燃えているのを最初に見つけたのが僕と文月で、助けられなかったのを悔やんでいるのかもしれない」

「そうなの」

 永陸は板張りの床に気まずそうに目を泳がせ、箸先を吸います。人気がなくなったせいか、食堂の空気が冷えてきました。少しの沈黙の後、清応は味噌汁の最後のひと口を吸い、目を伏せて手を合わせます。

 そして。

「みんなはしばらく、きみのことをからかって心蔵の話をするだろうけど」

「けど?」

「きみは文月に、出来るだけまだ、その話はしないでやったほうがいいかもしれない」

「そっとしておけって?」

「そう」

「きみにも本当のところはわからないから?」

 永陸に訊かれ、清応は返事に詰まりました。詰まったことそれ自体が、自分もまだ真実を知らないと、認めているに等しかったのです。

「さっきからきみ、かもしれない、ばかりじゃない。知りたくないの? 本当のことを知って、その上で彼をたすけてあげたほうがいいんじゃないの?」

 永陸がじっと見るその視線から、清応はつい目をそらしてしまいます。どう言葉を取り繕っても、他愛なく心の内を見透かされるようで、清応は何も答えることができませんでした。

 心蔵はなぜ、死んだのだろう。文月はなぜ、何かを隠しているのだろう。

 抑え込んでいたはずの、真実を知りたいという思いが、あばらの内側で少しずつふくらんで、肺を圧しつぶすような苦しさを覚えました。

「ごめん、片づけをしなきゃ」

 ちょっと、と引き留めようとする永陸の手から逃げるようにして、清応は食堂を出ます。板張りの回廊は、ひやりと刺すように早足に冷たく、先に行った童たちの温もりは微塵も残っておりません。

 厨房の洗い場には、食べ終わりの食器はひとつも残っておりませんでした。浸けておくだけでいいから、と言ったにも関わらず、文月はいつも通り、自分の膳は自分で片付けてしまったようです。

 はあ、と清応は小さく肩を落とし、桶に溜めた井戸水でふきんを濡らします。空の器を妙に重く感じながら、こしこしとぬぐっていきます。

 そして、考えすぎだと思いながらも、気は重く沈んでゆくのです。洗い物ひとつ預けてもらえないのに、僕は文月のことを救けてあげられるのだろうか、と。

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