輝く時間 - Blink of Emotion -

 恋などわずかな時間だけまたたく感情の光。

 されどそれに包まれるたびひとは思い知る。

 閃光に眼がくらめば自分さえも見失うことを。


*


 その辺の住宅街にいくらでもありそうな見た目をした一軒家。そのダイニングで白い妖精たちが夜の食卓を囲む。リビング・ダイニング・キッチンのすべてがつながっているのでふたりでいる分にはかなり広々としており、くつろぐときにスペースの取り合いにならないのがいいところだった。

 部屋の明かりは弱く設定されている。詩乃の瞳にやさしい光量だ。

「いやあ、悪いなぁ、刀香。うちの方が先にモテてもうたわ」

 そう言いながら、詩乃は花束を枯らせて生気を補充する。機嫌も血色もいい。八重咲のバラの花びらに指先を触れさせ、引きちぎる。

「ハルナちゃんは、うちのこと、本当はぁ……すき、きらい、すき、きらい……」

 花占いするほどの余裕が詩乃にはあった。枯死した花弁が皿の上におちていく。

「オレは過程もしっかり楽しむ文学少女なので、別に先を越されたとかで動揺したりとか、そういうのはない」

 刀香の方は、中高生向けのファッション雑誌をめくりながらそんなことを言っていた。今日、帰り道であわてて買ったものだ。

「いまさらめかしこんでも常時ジャージのセンスはどないもならんと思うで」

「そんなことないですし。心が乙女だから、ちゃんとすればちゃんとなりますし」

 そのちゃんとするの定義があやふやだった。

 刀香はいまの着衣がマジでかっこいいと思っている。黒のジャージの上下に三本線がくっついている定番のデザイン。夏になったらこれが短パンとシャツになる。自慢じゃないが手足はすらりと伸びてるし、そこに白抜きのブランドロゴが入れば完璧なのだ。まさにスポーツ系女子のよさがこれでもかと強調される。髪の毛の白があるから、コントラスト的にもよく映えるしね。

 これが自分の中だけで完結している分にはよかった。本人が満足すれば他人になにを言われようが関係ない。普段の活動は敵を見つけて人知れず斬る。これに尽きる。そこに人間関係が挟まる余地がない以上、同僚にしらーっとした目で見られても別に構わない。

 が、今回は違う。

「実力行使があかんってのは痛いわなあ。いつもなら雪花風刃それでずばーっとやってすぐ終わりやん?」

 詩乃の言う通りだ。

 刀の導きに従い、斬るべきものを斬る。それが刀香、シルフィードの役割だった。

 ところが今回、相手を物理的に斬れば終わりということでもないので、困ったことになってしまった。

「そうだな。こんなときこそ、オレがひごろ研鑽してきたロマンスの力が試される。この冬最後をかざる、ずるかわコーデを決めなければ」

「やっぱりあかんかもしれへん」

 そして、困っているのは主に詩乃の方だった。


*


 前回の標的を消去したのが去年の十二月十八日。

 日本列島に寒気の到来が予告され、詩乃はその予報通りの寒さで目を覚ました。すぐにリモコンに手を伸ばして暖房をフル稼働し、渇いた喉を潤そうとベッドサイドに置かれたペットボトルの水を口にする。非常に冷たい。それで目が覚めた上に身体が内側からも冷えたので、部屋が温まるまで毛布の中で震えて過ごす羽目になった。

 ここに雨とか雪まで加わったらたまらない。そう思いながらカーテンを開いて窓の外を覗いた。窓からひやりとした空気が流れてくる。幸いなことにちょっと雲はあるが雨の気配はなかった。

 いつもの格好に着替えてからリビングに行くと、ベーコンの焼けるいい香りがする。刀香が朝食を作っていた。三口のコンロのうち、ひとつがフライパン、ひとつがケトルで埋まっている。詩乃は空腹を意識した。彼女は花から生気を吸う以外にも、身体を維持するために普通の食事をする必要がある。

 困った身体だ、と詩乃は思う。これに虚弱体質がついてくるのだから面倒なことこの上ない。

「起きたか。とりあえず食っとけよ」

 詩乃の前に皿が並んでいく。ベーコンエッグの目玉はふたつ。使うのはナイフとフォーク。トースターのベルが鳴り、焼き立ての食パンが加えられた。個包装のちいさなバターとそれを塗る為のナイフが添えられる。沸騰したお湯がインスタントのコーンカップスープに注がれ、これで簡単な朝食が揃った。

 詩乃はスプーンを受け取ると、それを指先でくるりと回した。

「じゃ、先にいただくとするわ」

「ああ」

 刀香が自分の分を用意している間に、詩乃はスープをひとくちした。すこし熱い。バターを色づいたパンの表面に広げていく。

 再びトースターがベルを鳴らすころには、刀香の方も朝食の準備ができていた。

「今日、決着をつける」

 詩乃はその言葉を聞き、食べかけのトーストを置いた。

「やっぱりひとりでやるんか」

「それ以外に選択肢がないからな」

 刀香が手早くトーストを食べ始める。一枚たいらげたところで続けた。

「ま、やれなきゃそれまでだったということだ。おまえはいつも通りにしてろ」

「確認しとくけど」

 眼鏡を整える仕草をしてから、パートナーの眼を見つめた。赤い。まるでルビーのような赤だった。本来、その色は自分の方にあるべきだ。バンシーは死者を想って泣くから眼の色が赤いのだという。しかし詩乃は違っていた。眼の色は薄い青で、それの理由も別にファンタジックなものではない。

「失敗したらうちは別のシルフィードとくっつく。それでほんまにええんか?」

「構わない」

 熱い液体を飲みながら刀香が言う。

「戦うのはバンシーの役割じゃないだろ」

 詩乃はまだかすかに湯気をあげるスープに視線をおとした。

「せやけど、オニキスがあれば、支援くらい」

「やめろ。余計な寿命を使うな」

「死ぬよりマシやで。すこしでも成功率あげた方が合理的やろ」

「そのためにもオレひとりでやった方がいい」

 白いシルフィードの声は冬に吹く風を思わせる。

 暖房の効きが悪い、と詩乃は感じて、自分の腕をさすった。

「たいした自信やな」

「逆だ。今回に関しては、戦闘でおまえを守るほどの余力はない」

 詩乃はため息を吐く。自分の頬に触れると、ほんのりとあたたかかった。

「勝手に死ぬんだけはやめて欲しいわ」

 相手に聞かせるつもりのないつぶやきを床に転がす。


 決行は夜だった。刀香が雪花せっか風刃ふうじんで相手の位置を捉えて追跡し、然るべきタイミングで斬る。相手を無力化したあとは詩乃が最終処理をおこなう。

 外は風が吹くたびに気温の低さを思い知らせてくる。だから詩乃はスマホでパートナーの位置情報を確認しながら待機場所を変えていく。長丁場になると思っていたから、バッグの中にはたくさんの切り花を押し込んである。ポケットの中には使い捨ての懐炉が忍ばせてあるから外にいても多少は寒さがしのげる。

「帰宅ルートにしては変だな」

 刀香の声がイヤホンから聞こえてくる。ふたりはいま、通話でつながっていた。使用しているのはマイクつきのワイヤレスイヤホンで、外音がいおん取り込み機能があるのでつけっぱなしにしていても他の音が聞こえなくて困るということはない。

「予定通りには終わらんかもしれへんな」

 相手の正体は素性を含めて割れている。二十五歳の女性で勤務先は不動産屋。その二十五歳というのは戸籍上の年齢なので実年齢とイコールであるかは不明だ。しかし詩乃が眼で確認した印象としては、実際にそのくらいの年齢だろう、という感じだった。居宅はマンションの一室で、独り暮らし。家族はいるが、こことは離れている。そちらは別の組に調査を任せたので自分たちの出番はない。ここまでが表向きの姿に関する概要だ。

 現在は午後九時を過ぎて帰宅途中だった。上等なコートを羽織りスーツパンツを履いて、ヒールのかかとがアスファルトを叩いている。仕事用のハンドバッグを肩から提げていた。髪の色は茶に近い黒だが、暗いので細部の違いはどうでもよくなる。

 そんな外見とは関係なく、詩乃の眼にはその女が青色の炎のように見えていた。血色の悪い人間の肌のような青白さで、不気味だった。それにおおきい。見慣れたものではあったので吐き気まで催すほどではなかったが、それでも普通の人間とは違うということに威圧される。自分から近寄りたくはない。実際、初見の時点で自分から声をかけようとは思わず、いくらかの写真を撮影して刀香に共有しただけで終わった。

「最悪なんは途中でひとを襲うパターンやけど」

「その線がありそうだ。異変を感知したら強行する」

「やっぱり女の子が好みなんやろか」

「どの伝承の話をしているのか知らないが、それは個人の嗜好によるだろうな。ニンニクがだめならペペロンチーノも食べられない」

「そんなんアレルギーといっしょやろ」

「かもな」

 刀香は黒ずくめの恰好で彼女を追う。目立つ白髪を隠すため、黒い帽子をかぶっていた。居酒屋や食事処を素通りし、コンビニも通過していく。住宅街に入る。駅から十五分以上歩いたところで彼女はある一軒家の前で足を止めた。

 刀香はその瞬間に雪花せっか風刃ふうじんを抜き出す。

 その刃は空気に触れた瞬間から周囲の空間を切り取り始める。女は気づかずに呼び出しボタンを押そうとするが、指を押し込むことができない。

 異変に気づいたのか周囲に視線を走らせる。

 すでに刀香は動いていた。

 駆け、斬り抜ける。

 手ごたえがない。

 雪花風刃ゆきかぜが敵の位置を知らせる。それは自分の頭上から背後に向かって飛んでいた。着地した相手はハンドバッグの紐を掴み、振り回す。回転はかなりの速度で、あんなものでもぶつけられれば重く痛いだろう。

「なぜ。なぜ気づいた」

 相手の声は低くかすれ、ディストーションを引き起こしているかのようにひずんでいた。その耳障りな音も、刀によって切り取られた狭い空間から出られない。

「おまえにはつつましさも経験も足りていない」

 相手はその言葉の途中で突っ込んできた。早い。だがフィジカル任せで技術はなかった。刀香の眼はその単純な軌道を明確に捉えている。

 高速で叩きつけられようとするバッグを切り払う。中に入れられていた財布や化粧道具があたりに散らばった。

 次の一撃は蹴り。一歩下がって回避する。

 相手もすぐに下がり、履いていたヒールを引きちぎるように脱いで、こちらに投げつけてきた。なんの訓練も受けていないだろうが、その投擲物は正確かつ高速に刀香の顔面に向かって飛んできた。

 刀の横っ腹をぶつけながら、靴はもうひとつあると警戒を緩めない。思った通りと言うべきか、次は足を狙って飛んでくる。本体もだ。自分の投げた靴に追いつくだけの脚力が相手にはあった。

 振り回される腕は空気をかき分けて唸りをあげる。刀に任せるまでもない。サイドステップで線をずらし、首を目掛けて得物を横に振った。

 硬い金属音が鳴る。空中で刃がぴたりと止まった。相手は牙を剥きだしにして刀身を噛んでいる。人間業じゃないな、と刀香は思った。

 腹部を膝で蹴り上げられる。鈍い痛みにうめきが漏れそうになった。

 体勢が崩れ無防備になった首筋に相手の牙が迫る。

 刀香は柄を握りしめ、戦闘を刀に委ねた。

 痛みは消えない。意識も。むしろ感覚は冴えて吐き気が増す。そして身体が軋んでいった。左眼に疼痛とうつう

 その場でくるりと宙返りをするように敵の攻撃をいなすと、刀身を首元に叩きつけた。力任せの一撃で相手の身体が地面にぶつかり、アスファルトが弾ける。

 刃はその衝撃にひるんだ相手を串刺しにする。一度ではなく、二度も三度も。骨のある位置は狙わない。背を、首を、脇を、大腿を。容赦という言葉を知らぬかのように刺し貫いた。血しぶきがあがるが、風をまとった刀香を汚すことはできない。

「ガッ、ハァ……」

 それでもなお、相手は死んでいなかった。

「斬れ、雪花風刃せっかふうじん!」

 最後の一閃は相手の身体を素通りした。

 刀香は血を振り払い、ポケットから取り出した布で刀身を拭いていく。

「なにを、した……?」

 動けなくなった相手がこちらを見上げてくる。

「おまえと星とのつながりを切断した。永遠は終わりだ」

「そん、な」

「吸血鬼として不滅を目指すなら、現実を改変すべきではなかったな」

「せやで。小物のやりがちなこっちゃな」

 終わりを知った詩乃がひょっこりと現れる。その手にはオニキス、過度な装飾を施された鞘付きの刃が握られている。不要と言ったのに、結局、用意して待っていたらしい。

「意外と楽勝やったな。吸血鬼やからもっと善戦するかと思うとったけど」

「そうだろ。やっぱりひとりでやった方が早かった」

 血だまりで身動ぎする先のない不死者に、詩乃はてのひらをくっつけた。

「さよならや」

 発声と現象の間にはわずかなラグがある。赤色の液体が詩乃の手を通じて吸い上げられ、消えていく。音も煙もなく蒸発するように。身体からも水分が抜けていった。

「やめ、て、く、れ……」

 詩乃が顔をそむけて目をつむる。

いさぎよぅ諦めや」

 それはものを言わなくなり、干からび、砂にまで成り果てた。 

 刀香は仕事が終わったのを見届けると、鞘を腰に構えて納刀する。

 それで世界は、元いた場所へと戻った。

 ときが動き出す。

 風によって砂は四散していき、痕跡すら残らなかった。


*


「ええこと思いついたわ!」

 詩乃はまごまごする相方の背中をどついた。

 刀香がむせてから返事をする。

「なんだよ、急に」

「じぶん、ファッションセンスが終わっとるやろ?」

 不満そうな相方を横目に詩乃は続けた。

「せやから、リンちゃんもおまとめしてショッピングに行けばええんや。うちがおったら予算も青天井やし、今後のデェトにも役に立つこと間違いなしやで」

 デェトの〝ェ〟に妙な迫力のある提案だった。

「発想がいやらしいんだから。なんでもかんでも札束で解決しようとするのはよくないぞ」

「じぶんの発想がいやらしいだけやろ。それにカネで恋心が買えるわけない。結婚とはちゃうんやで」

「は? じゃあなんでショッピングに連れていくんだよ」

「ほんまにじぶん恋する乙女なんか?」

「そうですが……」

 詩乃はとても長くおおきなため息をこぼした。

「買い物に行こうっちゅうのはあくまでもきっかけ作りやで。本筋はいっしょにいる時間を長くするこっちゃ。特に刀香はな、そんななりして精神は引きこもりなんやから、アクティブにぐいぐいいかんとな」

「いや引きこもってないし」

「心構えが引きこもりやっちゅうねん。好きに生きるとか眠たいこと言うとる時点で興味関心が外に向いとらんやろがい」

「はぁ? そんなことないですし。だいたいオレだってリンネとお買い物デートくらい選択肢に入れてましたんで」

「はいはい、賛成なら素直に認めればええねん。ちなみに占いの結果も完璧やったし、うちのプランは間違ってないと思うで」

 詩乃がやった花占いは〝好き〟で終わっていた。

 枯れたバラの残骸はその後、燃えるごみの袋のなかへ移された。


*


 すこしして、詩乃が俗世でおこなわれるという初売りセールなるものにハルナを誘うことになった。いつ入手したのかわからないが、詩乃はハルナの連絡先をゲットしていた。なんでも泣きながら抱き着いてきたんだと。謎。でもそのおかげでリンネを介して誘うみたいな迂回をしなくていい状態になっている。

 仕掛けようと思えばいつでもいけるはずだが、詩乃はまずショートメッセージを送っていた。それで都合がいいのを確認してから改めて電話をかける。

「おまえ、ハルナにはやさしくないか?」

 刀香はまだファッション雑誌から離れていなかった。この冬に男のコMIXがめっちゃ来るらしいので、そのページをがっつり読み込んでいるところだ。カジュアルコーデに男のコっぽいアイテムを入れるだけでいまっぽくおしゃれになるらしい。オレっていまファッションの最先端に近い? と彼女は思いながらも、でもジャージ一式はさすがに尖りすぎか、と自省していた。

「これからはリンちゃんにもやさしくしてくで。ハルナちゃんの友達はうちの友達にもなるんやからな。刀香にもまあ、ふたりの前ではやさしくしたるわ」

「ケッ。あいつらの前では喜んでやるよ」

 ハルナ。ミトラ=ヴァルナか。刀香は本を伏せる。

 詩乃の呼ぶところのハルナちゃんこと巳虎みとら治奈はるなは、ミトラとヴァルナという言葉を出した。どちらも契約を司る古代インドの神だ。人間の伝承はそのときどきの都合で変化するので自分の持つ情報の信憑性は微妙なところだが、あの女子が神っぽいのは間違いない。実際に会ってるわけだし。その格の違いについては、刀香本人よりも武器である雪花せっか風刃ふうじんの方が理解していた。だから抜こうとしても抜けない。戦うこと自体を拒否されているので、刀香ではどうにもならないのだった。

「あ、ハルナちゃん? ちょっと時間ええかな」

 そうこうしているうちに通話が始まっていた。

「二日からは初売りとかクリアランスとかいろいろあるやろ。新年やしぱーっと遊びにいかへん?」

 そういうの行かないなあ、と刀香は思ったが、そういえば古本屋チェーンで初売りセールがあるんだったと思い出した。やべっ。

「あれ今日からじゃん!」

「うん、え? いまの? あ、ああ、ええと、刀香の声で合ってるで……。はい? 同棲? ちゃうちゃう! ルームメイトっちゅうやつや! 断じて同棲とちゃうで! うちと刀香はそんなたいそうな仲とちゃうねんて!」

 なんか会話が脱線しちゃってるので、刀香は詩乃にバレないように音を消して自室に向かう。

「あっ、こらっ! なに逃げとんねん!」

 バレました。

「オレはふたりの邪魔をするつもりはないのでお構いなくぅ」

「はあもう。……そんなに仲ええように聞こえるかなあ。まあなんや、なんだかんだあいつとは長いから、はたからするとそういうふうに思われんのもしゃあないのかもしれへんなあ」

 こほん、とわざとらしい咳払いで間を取ってから詩乃はアタックを再開する。

「まあそれはそれ。うちはいまハルナちゃんに興味津々やからな。どこでも連れてっちゃうでぇ」

 誘拐犯が子供を連れてくときの台詞みたいだ。ほっとこう、と思って刀香は部屋に帰った。

 私室には書棚がいくつもあり、これまで読んできた本が並べられている。メインテーマが恋愛になっているものばかりだ。夏休みの読書感想文に採用されがちな種類の本も並んでいるが、全体から見ると少数派だった。

 他には読書用のデスクと、寝るためのベッド、それとクローゼットがある。家にある家具は詩乃が用意したものなので、だいたいのものが信じられないほど高級な品でできている。椅子なんか文庫本二百冊分とかそういう値段がするらしい。なんてもったいない。

「デートか」

 独り言をつぶやくと、彼女はクローゼットを開けた。いつも同じ格好しかしないもんだから、並んでるのがジャージの上下しかない。

「スカートで普段とのギャップを演出したりとかがいいのかな……」

 にわかに得た知識でどうにかしようとする刀香は、いままさに迷宮ラビリンスへと突入しようとしていた。なおアリアドネの糸はもっていない。そのため帰り道を示す道標みちしるべは存在しなかった。

 結局、いくら悩んでも特効薬なんてどこにもないという結論になり、刀香はお風呂を済ませてとっとと寝た。段取りはぜんぶ詩乃任せとなり、翌日の朝、つまりデート当日になって次のような概要が伝えられた。

 メンバーは詩乃、刀香、ハルナ、リンネの四人。都会に近くそこそこ栄えている隣の駅に行く。ハルナとリンネが慣れてるところを選んだ、ということらしい。初売りでごちゃごちゃしてそうではあるが、それも含めてショッピングとカフェを楽しむ。お代は詩乃持ち。

「やっぱこういうんはうちに任せとき。刀香は荒事あらごとだけこなしとけばええんや」

「そうだね……」

 朝食を並べる刀香の顔色は優れない。よく眠れなかったので気弱になっていた。

 いざ外出。寒い。放射冷却とかいう現象のせいで明け方の冷え込みが深刻だった。

 その名残りみたいな空気をふたりは吸った。呼気が白く吹きあがっていった。

 デート目的なのだが、詩乃も刀香も普段と変わらない服装だった。

 詩乃は真っ黒なパーカーと赤黒チェックのロングスカートに金縁の遮光眼鏡。靴は革のスニーカー。やろうと思えばもっとそれっぽい服を揃えることはできるだろうが、長時間外にいるのであれば陽射しへの対策は必須だった。だから素肌を晒す面積をできるだけ減らさなければならないし、紫外線の反射にも気を使わねばならなかった。保温用の肌着も長袖で、黒だ。

 刀香は黒いジャージの上下。選択肢がない。今日増やさないと次もこれだ。

 午前九時半ごろの駅前。代わり映えのしない自分たちの服装にごちゃごちゃ言っているふたりのところへ、リンネとハルナが手をつないでやってきた。見せつけてくれるじゃないの。こいつらも服装に関してはあまりバリエーションがない。上着のせいでそう見えるのだろうが。

「おはよう、おふたりさん」

 リンネが軽く手を振った。ハルナが続く。

「おはよう、シノさん、トーカさん」

「おはようハルナちゃん。なんや、今日もリンちゃんと仲ええなあ。うちとも仲ようしたってや」

 一息に距離を詰めようとする詩乃に、リンネの目つきがキッと鋭くなるのを刀香は見逃さなかった。

「おいリンネ、今日はオレのことだけ見てろよ」

 すっと間に割って入ろうとすると、リンネがハルナから手を離して下手な笑みを浮かべた。

「今日は一段と来ちゃってるね」

 なにが来ちゃってるのかは気にしないことにした。

「今日はオレがたっぷり楽しませてやる」

「ショッピングで? トーカ、お金ないでしょ」

 ハルナがリンネに耳打ちする。

「シノさんがぜんぶ出すんだって」

「やっぱり」

 聞こえてるんですけど?

「オレ、今日を乗り切れるか心配になってきた」

「ほんまにしゃあないやっちゃなあ。そんなにカツカツなら言えや」

 詩乃が長財布からごそっと札を十枚くらいだして刀香に握らせる。すべて一万円札だった。

「それであたたかいもんでもお食べ」

「これはそういう額じゃないだろ」

 ふたりがあぁだこぉだ言ってると、外野がすぐ会話を始める。

「トーカってシノさんのヒモなのかな」

 リンネたちの会話が勝手に弾んでいく。狭い室内にスーパーボールでも投げたみたいに跳ねまわる。

「いまのはすごかったね……。やっぱりシノさんってお嬢様みたい」

「それあるね。金銭感覚がやばいよ。なんか家に専属の執事とかいそう」

「じゃあどこか遠くで警護のひとが見てたりして」

「その割にはそれっぽいひとがいないね。あ、もしかしてトーカがそうだとか?」

「そうかも。そういえば昨日いっしょにいたみたいだったんだ。ルームメイトって言ってたけど」

「実質同棲じゃん。無自覚系モテ女子とか言ってたけど本当にモテてるとはね」

 こいつらを野放しにしていると現実がねじまがりそうだ。うわさに尾鰭がつくメカニズムが理解できる会話だった。

 刀香と詩乃はほとんど同時にその会話を遮った。

「オレと詩乃は仕事上の関係以外は一切なにもないんで」

「うちと刀香は仕事上の関係以外は一切なんもあらへん」

 リンネとハルナが顔を見合わせ、それからくすくす笑った。

「いやその息の合い方でなんもないは無理があるよ」

「やっぱりふたりはなかよしなんだね」

 むすぅ。刀香の機嫌はこんな時間から傾斜した。だがそれを表に出しているとせっかくのデートが台無しになるかもしれない。ふくれっ面をてのひらで押しつぶしてから表情を作りなおす。

「今日オレの眼に映るのは、おまえだけだ、リンネ。それはオレの見た光」

 決まったか?

「お線香のCMじゃん。もしかしてそれ、口説いてるつもりだった?」

 決まってないようだ。リンネが頭を押さえている。

「この刀香っちゅうやつは目を開けながら寝言を言う特技があるんや」

「光って言っちゃうひと、現実にいるんだぁ」

 こんなことをしているとあっという間に時間は過ぎていくもので、がやがや言いながら電車に乗るころには十時を越していた。

「でな、刀香は同じジャージをずらーっと揃えとんねん。クローゼットの中身覗いたらびっくりすると思うで」

「でもすごいわかるなあ。トーカさん、そういうのあんまり興味なさそうだもんね」

「いかにも体育会系だしね。色白だけど血色いい——今日なんか悪い?」

 多少の徹夜は平気な刀香だったが、心労の多い夜だったため体調に影響が出ているらしかった。

「今日のこと考えてたらよく眠れなかった」

「わかるなあ」

 同調したのはハルナだった。ヘテロクロミアがきらきらと輝いている。

「わたしもリンちゃんといっしょにおでかけする前はドキドキしちゃうんだ」

「私もそのがあるかな。すぐ明日になって欲しいから早く寝たいんだけど、やけに目が冴えることがある」

「そうそう。オレもそんな感じ。やっぱり恋する乙女なので、胸がドキドキして眠れない日々を過ごしているのです」

 こんなに真剣に話をしているのに、リンネたちは「へえ」みたいな反応しかしない。なんでだよ。

「実は本読んでて気づいたら朝だったとかじゃなくて?」

 偏見。

「トーカさんって本当に本が好きなんだね」

 ハルナがちょっとうれしそうに話す。

「はい。なにせ恋する文学少女ですので」

 じぃっとこちらに視線が注がれる。ハルナに見つめられていると緊張する。なにかやらかして消されるのではないかという心配で。

「ん。そっか。がんばってね」

 変な間があったのでひやひやしたが、余計な追及をされなかったのでほっとする。

「トーカよ、ハルナの査定は厳しいぞ」

 リンネが変な口調で言った。だれかの真似でもしてるのかもしれない。学校の先生とか。

「ぜんぜん平気ですし。オレってやっぱり決めるときは決めるタイプなので」

「期待を裏切るなよ、文学少女」

 電車を降りて人混みのひどいホームを四人で固まって動く。ハルナとリンネはこういうときも自然と手をつないでいて、リンネはまるでハルナの騎士のように前を歩く。その後姿を見ながら、刀香は風の妖精の便利能力を使って詩乃と内緒話をする。

「ああして見てると、あいつらの間にオレたちの入る余地ってあんのかなあって思っちゃうんだよな」

「せやね。ハルナちゃんもぜんぜんいやがっとらんし。あの子ら、なんで目を逸らそうとするんやろ」

「特にハルナな。ありゃリンネ一筋で人生送ってきてるだろ」

「リンちゃんの方は人生投げとるのにな。なんであんなんがええんやろ」

「ああいうの、オレはきらいじゃないぜ。自由の風を感じるし」

「単なる同族意識とちゃう? ま、リンちゃんはうちに興味がないみたいやから助かったわ」

「任せておけ。リンちゃんはオレがおとす」

「自信あるみたいな態度やめぇや、このポンコツ」

 ホームから改札口に降りると、東西南北それぞれにひとが散らばっていく。その中でも一番おおきな流れの中に刀香たちは乗った。

 が、さっそく脱線する者が現れた。それは詩乃だった。切符売り場の真ん前にある花屋に吸い込まれてしまった。

「この真上、百貨店なん?」

 新鮮な仏花を買ってバックに詰めながら詩乃が質問した。

「そうだね。あんまり行かないんだけど」

 リンネが答えると、ハルナがつけたした。

「高そうなお店がいっぱいあって。ちょっと雰囲気が違うかな」

「対象年齢高めな感じなんやね。言われてみればちょっと時代を感じるっちゅうか、敷居が高いっちゅうか。そんな感じがしないでもないな。そこのタイルで仕切られてるみたいやわ」

 刀香もさらっとその辺を見てみたが、言われるとなるほどと思えた。この駅はまるでキメラのように様々なものが混合してできており、都心や海辺にある有名な迷路と比べればかなりシンプルなのだが、つぎはぎ感がすごかった。駅、通路、連絡橋など、駅を構成する部品がちまちま改修されているらしく、そのせいで各パーツが浮いて見えるのだ。

「じゃああっちじゃなくてこっちに行けばずるかわコーデが手に入るってわけだな」

「なんつった?」

 今日は詩乃以外にもリンネという会話に水を差すやつがいる。

「うん? この冬を征服するずるかわコーデですが」

「どこまで本気にしていいのかわかんなくなるんだけど。どう思いますか、解説の詩乃さん」

「えっ、うち? せやなあ、今日も元気に寝言を炸裂させてると思いますわ」

「そうですよねえ。解説ありがとうございました」

 会話に加わっていないハルナも心なしか笑顔が硬く見えた。

「そんなにだめだったかな、ずるかわ……」

「そのジャージの時点ですでにずるさがないからね」

 雰囲気が他と比べると若いショッピングビルに入り、エレベータの前にあるスペースで四人は立ち止まる。

 刀香はリンネに下から上をチェックされた。

「刀香ってスカートはいたことあるの?」

「ない」

 ハルナが「えっ」っていう反応をした。

「子供のころからそうだったの?」

 彼女に子供のころなどというものはない。

「生まれたときからこうだったし」

「いや、さすがに女の子には女の子の恰好をさせるでしょ」

 ちゃんと伝わってないのがすぐにわかった。だから刀香はより正確なことを伝えようとする。すでに正体バラしてるし、普通の人間は信じないことなので聞かれても別に感がある。

 とはいえリンネたちの外聞というものもあるだろうから、そこは気を使って声の伝わる距離を調整した。

「いや、オレって星から生まれたシルフィードなので、そもそも子供時代とかそういうのがない。生まれた瞬間からこれでした」

「うちと面識持ったときにはすでにこれやったで」

 詩乃がお墨付きを与えたので、リンネとハルナは納得した。

「じゃあ今日はトーカにスカートを履かせてみるところからスタートしよう」

「なんで?」

「ハルナ、いまのトーカの見た目は女の子として何点くらい? 百点満点で」

「ええっ……。その、えと、えと……」

 すぐに答えが出てこない時点で刀香は気を使われていることを察知した。

「ご、五十点くらい……?」

 評価からくね?

「甘いなあ、ハルナちゃんは。こんなん五点がいいとこやで」

 世の中のジャージ女子に謝ってくれないか。

「おまえたち、オレで遊んでません?」

「遊んではいるけど、五十点くらいなのはそうなんじゃん? っていうか色々気になるところが出てきたからちょっとこっち来な」

 リンネに引っ張られ、フロアの奥にあるお手洗いに連行された。個室に放り込まれた刀香は、なんの断りもなくジャージのファスナーを降ろされる。その上、ジャージのズボンをぐいっと引っ張られた。

「ひぇっ。ちょっと待て、こういう関係は早すぎるのではぁ!」

「静かにしてなさい、恥ずかしいから」

 とっくの昔に音声遮断モードに入っているので、彼女たち周囲五十センチ以遠に声は届かない。

「ふうん。スポブラとレギンスくらいはつけてると。中身はけっこう女子じゃん」

「なんでなんの予告もなしにこんなことすんだよ!」

「いやだって、刀香すでにわたしに気を許してるし。だから方向性を決める前にチェックしとこうと思ってね」

 いやそんなことねぇし。おまえが勝手にぐいぐい来てるのを寛大な精神で許してるだけ。心の中でそう思っていたが、リンネが顔を間近にしてくるのは好意を持っている証拠であろう、という前向きな考え方をすることにした。

「もうオレにデレデレなわけね。仕方ないなあ」

「自己評価高いね、トーカは」

 ハルナにもそう言われた。いや、あれはミトラか。ともあれ語彙が似通っているあたり、刀香はふたりのなかよしぶりを再認識した。

「オレってやっぱり持ってるね」

「とりあえず服は総とっかえするから」

「なぜ」

 何事もなかったかのようにふたりは元の場所に戻っていく。

 ほんの数分ほっといただけなのに、詩乃がハルナに猛攻を仕掛けていた。

「ハルナちゃんになに着せたろかなあ。お人形さんみたいにかわええ服着せたらきっと似合うと思うで。甘くて明るい感じのヤツとか、いっそのことゴテゴテの地雷系なんかもええんとちゃうかなあ。ベルトとかハーネスつけたり、バッグもそれに合わせて新しゅうのうてな」

「えぇぇ……。そういうのあんまり着ないからよくわからない、かも……」

「そういう普段着とらんもん試してみると意外な発見があるもんやで。うちの財力があれば試し放題買い放題やしな。シンデレラの妖精と違ってうちの魔法は現物やさかい、十二時過ぎても消えたりせえへんよ」

「でも、私ばっかり」

「気にせんでええで。うちは身体が弱くてな、特に光があかんねん。せやさかい、ファッションに気ぃ使うのに疲れてしもてるからな。だからほんまはな、刀香のこと言える立場とちゃうねん」

 あっ、帰って来るタイミング間違えたな。

「シノさんって、そんなに身体が、」

 言い終える前にリンネの身体がゆらりと揺れた。その場でくずおれそうになる。刀香はそれを素早く抱き留めた。そのとき、刀香のてのひらがリンネの首筋に触れる。

 その一瞬だった。閃光みたいに目の前が真っ白に染まったのは。数多あまたの色が重なり合ってできたその強烈な輝きに、自身の眼がつぶれてしまうかと錯覚する。しかしそれは現実の光ではない。ただ脳裏を走る抜けていくだけのものだ。

 それでも、刀香は強い頭痛を感じた。以前、鉄パイプで頭をぶっ叩かれたことがあったことを思い出す。それと似た痛みが内側から弾けるように広がる。それでもその場に膝をつかなかったのは、刀香が人間よりも丈夫にできているという、ただそれだけのことだった。

「おまえこそ、身体は平気なのか? 詩乃のことなんて構ってる場合じゃないぞ」

「別にだいじょうぶ。慣れちゃったし、そもそも長く生きようなんて最初から思ってないから」

「嘘を言うなよ」

 刀香は赤い片眼でリンネを見つめた。さっきと似たような距離だが、今度は刀香の方がリンネに顔を近づけていた。

「やっぱりおまえからは永遠の気配がする」

「気のせいだったんじゃないの?」

 そう思っていた。だが違う。

 永遠野凛音という人間を最初に目視したとき、そこには永遠を持つ人間特有の空気が流れているように見えた。だが、それはほんのわずかな間のことだった。冬に吐く息のごとく見えなくなったその感覚の正体が刀香にはわからないでいた。

「まるでまたたく星だな、おまえは」

「はい?」

「ちょっと来い」

 身体を立て直すと、ハルナたちから離れ、フライパンがおおきく描かれたカフェの前に来る。

「おまえが永遠の中にいるって言ってた意味がわかった。すこしだけだがな」

 リンネは黙って聞いている。その瞳の端で光が揺れている。刀香は彼女の瞳の奥に宿った闇を見つめようとした。その広がりは通常の人間が持っている歴史とはまったく異なっている。その辺の石ころと夜空にある月を比べるような違いがあった。

「ふうん。じゃあ答え合わせでもする?」

「いや。それより、オレの全身コーデを頼もうかな。この冬は男のコMIXコーデでおしゃれを先取りできるらしいので」

「はあ。まあ、そういうのにつきあってる方がデートっぽくはなるね」

 その少女の瞳はすぐに乾いた。悲哀のいろあいを帯びているにも関わらず。

「……なんでだろうね」

 リンネはつぶやく。

「なんで刀香に触られるのがいやじゃないんだろ」

 刀香はなにも言わなかった。その代わり、詩乃にメッセージを送る。

〝ここからは別行動〟

 すぐに詩乃から鬼のような勢いで電話がかかってきたが、ガン無視して彼女たちは別のビルへと抜け出す。自分が冬の風と一体となったかのように、刀香は寒さを感じなかった。


*


「あのボケ、思いつきで行動しよってからに」

 荷物持ちとしては高性能な刀香がいなくなってしまったため、詩乃は心底から苛立っていた。だがリンネといっしょにいなくなったという点は評価してもいい。

「私たちのこと、ふたりっきりにしようとしてくれたのかな」

 ハルナの言葉は、状況的には正鵠せいこくを射ている。そこまで気の利いたパートナーでないと知っている詩乃だったが、ここはあえてそれに乗ることにした。

「あいつにしては上出来な気遣いやな。しゃあない。こうなったらふたりで楽しも」

 詩乃は試しにハルナの手に触れてみた。手の甲同士が擦れると、ハルナがびくっとする。しかしそれは最初の一回だけ。詩乃は自分の胸が熱くなっていくのを感じる。一人前の羞恥心を抱きながら、彼女は思い切って手を握った。

 自分から他人へとスキンシップを取るのは苦手な方だ。それは自分がバンシーだから。その眼は否が応でも他人の寿命を見抜いてしまうし、身体の成り立ちも人間とは違う。調子が悪くなったら病院に行って薬を飲めば治るなんてことはない。

「おっ。このブランドが置いてある店あるんやな。ちょっと場所変わってまうけど、行ってみよ」

「う、うん」

 ハルナを連れて外に出て、大通りを抜けて別のビルへと渡った。統一性のなさはますますひどくなっていく。ビルのおおきさは不揃いで、その上密集しているからなにがなんだかわからない。視力が低くあらゆるものがぼやけて見える詩乃にとっては厳しい環境だった。自分がエスコートしようと思っていたのに、スマホのマップを見てもらって自分の方が案内される側になってしまった。こんなことならもっと詳細に計画を立てておくべきだったと自省する。もっとも、口実とスピードを優先してしまったので行き当たりばったりになるのも仕方ないことだった。

「ここもたまに来るんだ。リンちゃんの服選びとかで」

 ハルナの服装は地味で、はたから見るとまるでペンギンのように見える。でもそこに愛嬌がある。髪の毛や肌の手入れもしっかりやっているように見えるし、爪に指先を触れさせると滑らかな曲線を描いている。手を抜いていない、ちゃんとした女の子だった。それに笑顔がとても自然で、それを見ると心がなごやかになる。

 リンネと噛み合うような人間だとは思えない。

「リンちゃんはやる気なさそうやもんな」

「その気になったらすごく頑張るんだよ、リンちゃん」

「そうなん?」

「でも、いまはしょうがないんだよ」

「ハルナちゃんのために日頃から努力してもええと思うけどな」

「もういいんだ。私たち、もうやれることはやりきったから」

 やりきった? ほんの十数年しか生きていないように見えるこの子たちが?

 ハルナだけなら意味をこじつけられる。妖精の眼でても寿命が存在しないのだから、長い時間を生きるうちにファッションなどという細かい変化にはたいして興味がなくなった、とか。それだったら見た目を整えることに意味がないという考え方になったとしてもわかる。あくまでも予想というか理屈でしかないけれど。

 でも、リンネの方はまったく違う。

「リンちゃんとはどのくらいのつきあいなん?」

「子供のころからずっといっしょ」

「せやったら十年以上か。でも、なにもかもやりきるにはみじかすぎる気がするわ」

「そうだね。十年なんてあっという間。ちょっと気を抜いたらもう過ぎてるくらい」

 ハルナがつないでいた手をほどき、左眼を押さえた。

「具合悪いん? それとも、うちがあかんこと聞いてもうたかな……」

 詩乃が恐れているのはハルナを傷つけることではなく、自身の失言によって引き起こされる身の破滅の方だった。そのはずなのだが、彼女の様子を見ているとなぜか放っておけないという気持ちになった。

「そんなことないよ。私の方がシノさんといっしょにいたいと思ってるんだから」

 鼓動が乱れる。不調という感じではない。あたたかくなる。標的に感情移入しているのか。どういう間違いが自分の身体に起こっているのかいぶかった。

「そう言ってくれるのはうれしいけどな」

 相手の感情につけ込み、すこしでも隙を作る。それが自分のできるバックアップだ。刀香の武器でハルナと星のつながりを断ち切ってもらわないことには、自分も相手の寿命を吸うことができない。これほど隙のない相手では、オニキスを使うという選択肢が最初から存在しなかった。

「なんか、ハルナちゃんが苦しんでんの見ると、うちもなんやもやっとすんねん」

「それは、」

 ハルナが言葉を止める。詩乃はその様子を見てますます自分と相手の気持ちがわからなくなった。

「うちはな、恋なんてしたことない。生きてるのでいつも手一杯やから。ハルナちゃんにはもしかしたら視えてるかもわからんけど、うちはバンシーの中でも特別寿命がみじかいんや」

「……どのくらい、なの」

「いまのまんまやと、一年っちゅうところかな。これでも最長記録なんやで?」

 目当ての服屋を探しながらふたりは会話を交わす。

「詩乃さんも、生まれてからずっとそうだったの? 刀香さんみたいに」

「生まれてこの方ずっとこの姿っちゅうわけやなかったけど、赤ん坊の時代はなかったと思う。自分でもようわからへんのや」

 目的の店の一角に、いかにも地雷っぽい子が着ていそうな服がたくさんある。こういうのは素材がよくないと服の方ばかりが浮いてしまって似合わないだろう。でもハルナは素がかわいらしいし、なにより天然のヘテロクロミアがある。それは遺伝的に見ると欠陥の一種かもしれないし、他人に攻撃されるとっかかりになってしまう部分もある。だが見方を変えれば外見的にはアドバンテージの一種となりうる。詩乃のアルビノといっしょで。

 もし自分にもっと長い寿命があれば。あるいは人間と同じように暮らすだけの余裕があったならば。

「けどそんなん、しゃあないこっちゃ。そう生まれてしもたんやから」

 たらればを重ねても仕方ない。いまこうしているのは自分の意志だ。

「強いんだね、詩乃さんは」

「ちゃうで。弱くなりとうないだけや」

 生まれを呪うことは簡単だ。そうすれば浸れる。寿命のみじかさはわかりやすい悲劇で、それに陶酔しているうちは現実から目を背けられる。

 しかし、詩乃はやはり死にたくないという感情の呪縛から逃れられなかった。そのためにはすくなくとも肉となる弱者でいてはならない。むしろ強者でなければ。そういう気持ちを思い出すと、やはり詩乃は苛立ってしまう。

 ハルナの前だからそれを必死に抑え込む。

「それが強いと思うの。私は逃げてしまったから」

「別にええんとちゃう? そんなん個人の自由や」

 まるで刀香の言い分だ。それがまた腹立たしかった。

「ま、こんな話しとってもしゃあない。それよりイメチェンしよ。黒とピンクから試すで。ハルナちゃんならフリルたっぷりでもぜんぜん違和感ないし」

「そ、そうかなあ」

 店員さんを呼び、目についた服を片っ端からハルナに着せる。時間がどんどん過ぎていく。

 詩乃の見立て通り、ハルナは強めの地雷コーデがよく似合う。やたら名前が長いハートリボンレースセーラ襟ブラウスなる商品には胸元におおきな黒いリボンがつき、中心にはハートがあしらわれている。飾りボタンがいくつも縫いつけられた黒のビジュ―スカートに加え、ツインテールを作るヘアゴムもリボンを飾りにし、網タイツを履かせレッグウォーマーをだぶつかせて、とどめはチェーンつきのショートブーツ。

「これで百点満点やな」

「これ、すごくはずかしい……」

「超似合ってるで」

「そういう問題じゃ」

「安心してや。うちも合わせるから」

「それ二倍はずかしいんじゃ」

 ハルナの言うことはもっともかもしれない。けれど自分もたまにはおしゃれというやつをやってもいい気がした。ジップ部分にリングのついたショートパーカーにネクタイつきのシャツ。三連バックルが特徴のロングスカートに厚底のパンプス。こんなもの普段なら絶対に使わない。だからこそ今日、こういう格好をする。

「ちょっと調子に乗ってしもうたかもしれん」

「え、でも似合ってる……シノさん、かわいい」

 ハルナが青と緑の瞳をきらきらさせながら笑う。

 これはもう買うしかない。

「店員さん、これぜんぶくれ。着て帰るわ」

「えっ、本気なのシノさん」

「安心せぇ。荷物ならトーカに持たせたるわ」

 値札を切ってもらい支払いをして改めて服を身に着け、刀香に鬼電した。ぜんぜん出やしない。ショートメッセージを送る。さっさとむかえにこい。

 ふたりは待機場所として猫カフェを選んだ。

「なんか場違いな気がする」

「堂々としとればだいじょうぶやで。ほら、猫もこんなに寄ってきてん」

 特に詩乃の足のまわりに猫たちが集まってくる。そのうちの一匹、真っ黒で黄色い眼をした子がひょこっと詩乃の膝の上に乗ってきた。

「どしたん? うちになんかあるん?」

「詩乃さんが気に入ったんじゃない? リンちゃんも猫に好かれるタイプだから」

「あんまり意識しとらんけど、言われてみると猫にはなつかれやすい気がするわ」

 その子は詩乃の膝をふみふみしていた。

「うちはお母さんとちゃうんやけどなあ」

「この猫、刀香さんみたいだね」

「そう思うと速攻であっちいって欲しくなったわ」

「あはは。よしよし」

 猫も詩乃もハルナに撫でられた。

 悪い気がしない。情が移っている。

 この時間を楽しんでいる自分がいることに気づく。

「たまにはええもんやな」

 目を細めて、自分のコーデしたハルナのことを見た。服を着せかえる過程でずっとその姿を見ていたからか、服よりもその指や頬、髪の毛、そしてやはり瞳のことばかりが気になるようになっていた。自分とは違う、色の濃いふたつの眼。見えない寿命。永遠を感じさせながら、どこかで儚いとも思っている。

 儚いという字は人の夢と書く。

 なぜそんな、刀香の言いそうなことを思い出したのかわからない。

 相手は永遠の寿命を持つもの。おそらくは神。あるいはその力を身に宿す。

 そんな緊張感がいまのハルナといると薄らぐ。

 弱い子だ。ただヘテロクロミアであるということが目立つばかりの、か弱い少女。

「なあ、ハルナちゃん」

 詩乃は、そこに置かれていたハルナのてのひらに自分の手を重ねた。

「ハルナちゃんは、死にたいなんて思っとらんよな」

 その質問は祈りに似ている。

「この世から消えてなくなりたいなんて、そないなこと言うような子とちゃうよな」

 あの刀香でさえ、自分から消えたいなどと口にしない。

 だれもが死にたくないと思っているはずなのだ。

「ごめんね、詩乃さん」

 ハルナはしっかりとした目つきで詩乃のことを見た。

 視界がかすむ。

 自分の眼球表面が濡れているのがわかった。

「私、もう終わりにしたいと思ってる」

「それ、死にたいっちゅうこと?」

 質問する詩乃の声は震えていた。

 わからない。ぜんぜんわからない。理由が。意味が。自分の心が。

 なぜこんなにも、この子の言葉で自分は揺れてしまうのだろう。

「ううん。もっと徹底してる。終わりにしたい。すべてを」

「どうして」

 口調が乱れる。

「どうしてそんなことが言えるの」

「私たちが永遠の中にいるからだよ」

 服装にぴったりなものの言い方だ、と詩乃は感じた。

 それと共に、自分はその永遠についてなにも知らないのだということがわかった。

 ハルナの瞳の奥には、自分の眼では捉えきれないほど広大な闇が広がっている。

「……こんなこと言うのもあれなんやけどな」

 眼鏡を整え直してから詩乃は訊いた。

「その永遠ってのはなにを指しとるんや? うちにはわかっとらん」

「そうだね」

 ハルナは猫のあごをこしょこしょと撫でた。黒猫がひょいと床に逃げ、こちらを一瞥してから他のお客さんの方へと歩いていった。

「教えてあげる。私の——ううん、私たちのこと」

 そのとき、ちょうど詩乃のスマホが震えた。

 刀香からの連絡だった。

「ほんまにタイミングの悪いやっちゃで。まあええわ。こないに荷物持ってあちこち行ったら疲れてまう。刀香に持たせよ」

 で、その肝心の刀香とリンネがやってきたとき、詩乃もハルナも絶句した。

「よう。決めて来たぜ、〝闇〟をよ……」

 ふたりはサイドチェーンのついたセーラー服風コートを着ていた。おそらく与えた軍資金で買ったのだろう。刀香が黒基調でリンネの方はピンク。まあここまではお揃いということでよしとする。

 が、刀香の方はそれに加えて革の首輪をつけている。鎖のついたガチガチのブラックロングブーツも新しいアイテム。指にいくつもはめてる謎デザインのシルバーリングなんて過剰もいいところだ。眼帯に至っては漫画の中の海賊がつけてるような見た目になっており、狼の顔が刺繍されている。どこで売っていたのか問い詰めたい。

「遅くなってごめんね。トーカ、案外ファッションに興味があるらしくて」

「オレのことは今日から死を運ぶ風〝トーデスウィンドTodeswind〟と呼んでくれ」

「アホか! おまえは一生荷物持ちやっとれい!」

 この地雷四人組は大変周囲の目を惹いたため、午後には元々の格好に戻ることとなる。ある自信過剰なひとりを除いて。


*


 ハンバーガー屋のいいところはどこにでもあるところだ。彼女たちはその中でも、円筒形をした建物の二階に陣取った。連食していたら寿命の縮みそうなメニューを囲んでいる。

「それ、気に入ったの?」

 リンネの問いかけに、刀香は満面の笑みで答えた。

「オレの魅力が存分に引き出されているからね」

 つまんだポテトを振りながら、刀香ははめた指輪の数々を見てニヤニヤしている。

「まあ自分が納得するのが第一歩って言うから」

 全員の買った服をひとまとめに持たされても刀香は平気だった。

「リンネはよかったのか? あのコート、割と似合ってたぞ」

「ハルナがあんな顔してたし、やめといた方がいいんだなと思って」

「もったいないな。ハルナと詩乃も。けっこう似合ってたぜ、あのビジュアル。あれならオレたち全員モテかわ女子になれたと思う」

「刀香の世界観ってどうなってるの?」

「え? 黒と鎖はかっこかわいい」

「うん。よくわかった」

 リンネがわかってくれたようでなによりだ。

「詩乃がめっちゃ呼び出してきたから心配して迎えに来たけど、損したな。もうすこしペアルックで街を歩いてみたかった」

「ペアルックっていう一点だけは同意してもいいかな」

「そうだろ。同じ気持ちと時間を共有することで関係は進んでいくんだ」

「そういうの、どこから仕入れてきてる知識なの」

「もちろん、文学」

 その横では、詩乃とハルナが良い雰囲気でコミュニケーションを取っている。

「やりすぎたって反省したわ」

「ううん。実はけっこう、楽しかった」

「いや、刀香見たらあかんってのがすぐにわかったで」

「でも詩乃さん、かわいかったよ」

「そないなこと言うて。またあの格好でデェトに誘ってまうで」

「はは。そのときは、覚悟しよっかな」

「ハルナちゃんはほっといたらその辺の有象無象にお持ち帰りされても不思議やなかったもんな」

「それはさすがに言いすぎだよ」

「うちの眼もだいぶ曇ってきたのかもしれん」

 恋なんてちょっとしたきっかけと強い思い込みがあればそれで成立する。刀香は会話を弾ませるふたりの少女を見ながらそう考えていた。

「ハルナ、楽しそう」

 リンネの声が寂しげな響きを帯びる。

「うらやむなよ。おまえにはオレがいる」

 ここは決めるべきとき。刀香はてのひらをリンネのそれにかぶせた。

「刀香の手、冷たいね」

「心があったかいからだ」

「頭の中にはお花畑が広がってそうだもんね」

「おまえの好きな花を咲かせるよ。それが彼岸花ならそれでも構わない」

「季節外れもいいところじゃない? もっとそれらしい花を咲かせなよ」

「挑戦してみることにする。いつもオレの心の中には六花りっかしか開いていなかったから」

 刀香は桜のつぼみを意識する。桜花はしかし、咲いてから散るその瞬間がもっとも美しい。だからその吹雪の中に立っている自分を想像すると、それは失恋するまさにそのときなのではないかと思えた。春に吹くとは思えないほどの冷たさが肌を撫でては過ぎていく。

「六花って、雪じゃなかったっけ」

「ああ」

「その雪花っていうのもそうだよね」

「うん。そいつがオレの本体だと言ってもいい」

「本体?」

「そう。雪花風刃せっかふうじんっていう日本刀。オレはユキカゼと呼んでる」

「銃刀法違反では」

「オレ以外には抜けないし、抜くまでは刃がない。もし鞘が破損したとしても中身がないんだから法律違反で捕まることはない。はず」

「そういうのはしっかりしてるわけだ」

「じゃなきゃ持ち歩いたりできないからな」

「じゃあ今度見せてよ、中身」

「は? そういうのはユキカゼが決めるので、オレの意志で勝手に抜いたりとかはできない」

「本当に刀が本体なんだ」

 リンネがオレンジジュースをすすりながら言った。誠に残念なことにその通りだった。シルフィードはそれを運用するのに必要な能力を持っているだけだ。無理に抜こうと思えばやれなくもないが、無茶をすると身体によくない。

「人目につかないところで試すだけ試すのはいいよ。星に怒られそうだけど」

「星というのは、地球のことかな」

「そういう感じ。オレもよくわかってないけどな。でも、たとえば野原に横たわって風を感じてるときとかに、オレはこの地球ほしにつながってると感じるから、きっとそうなんだと信じてる」

 こんなふうにリンネと話していると、ハルナがどんな反応をするのか気になってしまう。さっきからちらちらと横目で確認しているのだが、不思議とこちらを気にしている様子がなかった。

「ところで、ハルナ、おまえの永遠のことだけどさ」

 無視される。

「あのぉ、ハルナさん?」

 ガン無視されている。

「えぇと、巳虎みとら治奈はるなさんはいらっしゃいますか」

「ようやく試しましたか」

 ハルナがこちらを向いた。

 いや、両方の眼が青色へと変わっている。蒼穹と見紛う宝玉の色に身体がひとりでにたじろいでいた。

 これはミトラだ。

「え、なに、どういうこと?」

 刀香にはその現象が理解できなかった。

「刀香、これ、雪花風刃あれを抜いたときと同じになっとらん?」

 詩乃は会話に参加できている。だが、肝心な人間の声が聞こえてこない。

 リンネの方を見る。彼女はそこで静止していた。手を目の前で振ってみても反応がない。軽くほっぺたをつついてみると、皮膚とは思えないほど硬かった。周囲の人間もそうだ。窓の外を見ても、あらゆるものが止まっている。耳を澄ませても、三人の声以外なにも聞こえてこない。

「どういうことだよ、ミトラ」

「これがハルナの交わした契約の結果です」

 詩乃が眼鏡を外した。

「……これ、このひと、ハルナちゃんやない」

「ちなみにカラコンでもないぞ」

 ミトラがじっとりとした目で刀香のことを見たので、それ以上、余計なことは言わないことにした。

「オレたちはいったい、なにに巻き込まれているんだ?」

 切り替えた刀香はまっすぐな質問を投げかける。

「永遠」

 ミトラの答えはあまりにも端的に過ぎる。

 刀香はシルフィードとしてミトラに問い直す。

「その永遠は、オレたちの知っている永遠ではないな? 有限の寿命をできる限り長く遠くへと引き伸ばす。それがオレたちの対処してきた永遠だった。でも、リンネもハルナもそれには当てはまらない」

 ミトラは声を使わず、ただ沈黙をもって答えとした。

「どういうことなん?」

「それを知るには、もっとこいつらに踏み込まなきゃならない」

「意味わからんわ」

「オレもまだわかってない。でも、リンネの中にも永遠があるのをオレはた」

「それはないやろ。リンちゃんの寿命は一年もないんやで」

「寿命については、詩乃、おまえの言う通りだろう。じゃあ、ミトラの寿命は?」

「ない。無限——」

 そこまで言ったバンシーが、もう一度寿命の測定をやり直す。

「ちゃう。これ、こんなん見たことないわ。おおきすぎる」

「有限なんだろ」

「ずるいわ。なんなんこの差は」

「それは神と妖精の格の違いってことだろうな」

 詩乃が眼鏡をかける。それから居住まいを正してミトラに話した。

「前にうちのことを消すうてたんは、ハルナちゃんの方なんやな」

「ええ。そんなあの子がここまで変わるとは思わなかった。これほどの短時間に、あの子は自分から誓約を破ろうと努力するようになっている。やはり、あなたたちは私のあやまちをただすために遣わされてきたに違いない」

 刀香と詩乃は視線を交わした。詩乃がちょっといやそうな顔をする。なぜ。

「ちょっとその眼帯はずせや」

「えっ」

 詩乃はかなりお怒りのようだ。

「あ、はい」

 刀香は装飾品を外し、普段は見せない、ほとんど真っ白な眼を露出させる。お気に入りの狼がしょんぼりした感じになってしまった。

「刀香。ハルナちゃんはうちに自分の永遠について話す気になっとった。そん中に契約を破るためのヒントが隠れてると思う」

「リンネも自分が永遠の中にいると言っていたことがあった」

「だからもっと踏み込めっちゅうてたんやな。やっと理解できたわ」

「リンネもハルナもアカシックレコーダーだしな」

 詩乃が口をつぐむ。

 静寂は長続きしない。

「あのアカシア記憶アカシックレコードを読めるっちゅうことか? 普通なら発狂もんや。宇宙のすべての記憶がそこにあんねんで。妖精でもつぶれる」

「それはミトラが言ってたんだよ。リンネもハルナもアカシックレコーダーだって」

「ふたりの仲を引き裂けとしかうとらんかったやん。情報はちゃんと共有せい」

「すみませんでした」

「他に言っとらんことがあんならいま言え」

 刀香はリンネとハルナがアカシックレコーダーであること、そしてハルナが壊れずにいるのはミトラがついているからだ、ということを話した。逆に言えば、リンネはすでに壊れているということになる。その考えも伝えた

 また、過去にさかのぼって、リンネと出会ったときに永遠の気配を感じたこと、そして今日もまた同じ気配を感じ取ったことを話した。過去に話したはずのことであっても、とにかく自分の体験したことは洗いざらい吐いた。また怒られてもいやなので。

 そして今日、リンネが頭痛を起こした瞬間に彼女に触れると、刀香もまた同じように強烈な頭痛に襲われた。頭の中にまたたいた光について、まだ刀香は整理することができないでいる。しかしそれは白いだけの光ではなく、無数の色が混じり合ってできた白色光はくしょくこうである可能性が高い。

 つまり、あの閃光は無限に近い記憶の集合体だ。

 それまで黙っていたミトラが口を開く。

「時間、ですね。身体をハルナに返します。あとは頼みましたよ、愛しきしにがみ、シルフィードとバンシー。終わりをもたらす妖精たちよ」

 元の世界へと戻るまで、わずか数秒。

 眼帯も、かすかな服のずれさえも、すべてが静止する前へと戻されていた。

「どうかしたの、刀香?」

 戸惑いをリンネに見破られる。

 しかし、すぐに笑みで打ち消した。

「いや。オレたち全員、うまくやれればいいなと思って」

 それは偽りのない本心だった。

「そうだね」

 リンネの声はまるでささやきだった。

「そう思う。なにもかもがうまくやれればいいのに」

 彼女は笑顔を作ろうとする。刀香から見ても下手だと感じるほど、出来の悪い表情がそこにあらわれる。ぐいぐいと他人のパーソナルスペースに入ってきて連絡先を奪うようなやつとはとても思えない。

「やれるさ」

 そうとしか刀香は言えなかった。

「オレたちならやれる。教えろよ。おまえたちの永遠のこと」

 そこはリンネと刀香だけの世界。

 だれも入り込めない空気の中でふたりは見つめあう。

「うん。やってみる。やってみるよ、シラユキトーカ」

 どうして、と思う前に身体が懐かしさを感じてる。

 白雪しらゆき刀香とうか。生まれたときからずっとそこにある音の連なり。

 名前なんて、他人と自分を区別するために存在する記号に過ぎないと思っていた。

 でも違う。違うとわかる。

 この名前にはきっと、ちゃんとした意味があるんだ。

 そしてそれは、永遠野とわの凛音りんねもまた同じであるはずだ。

 刀香はポテトに手を伸ばす。

 なんか少ない。ちょっと視線を上向かせると、ハルナの手がちょうどポテトを持っていくところが見えた。

「このっ、ポテトどろぼう!」

「バレちゃった」

「いまのは運が悪かったな。タイミングは完璧やったで、ハルナちゃん」

「刀香、またやられてやんの」

 なんなのこいつら。

 むすぅ。


 でも、なんでなんだろうな。

 楽しいよ、こんな時間が。

 だから終わらないでほしい。

 やはり自分は罪深い妖精だ。

 永遠を消すために存在するのに、こんなにも永遠を求めているのだから。




   輝く時間 - Blink of Emotion -


 そしてわたしたちは新しい恋を求める。


 見失いたい自分がいるから。

 忘れたい想い人がいるから。


 ごめんね、ハルナ。

 ごめんなさい、リンちゃん。


 わたしは、

 私たちは、


 ——いま、あなた以外に心を委ねるよ。

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