第3話
「もう助からないのかな」
涙が流れる。もう一度会いたかった。
「由紀……」
誰よりも、そう誰よりも。
その夜。
ベッドで夢を見たのだ。由紀と付き合っていた頃の事を。
朝になってぼうっとする昴の耳に風の音が聞こえる。ふと外へ出たくなった。
「今日は、体調がいいんです。屋上に行かせてくれませんか?」
暫くの間、昴の具合は良いと言えるものではなかった。だからだろう。直ぐには許可がおりない。昴の頼みを看護師が医者に伝える。血圧などを調べる為に昴はベッドで横になりながら待った。外はもう直ぐ春になる。
「うん、この数値なら大丈夫でしょう。君、車椅子を」
「はい」
応えた看護師が部屋から出て行く。そして数刻で戻って来てくれた。
看護師が屋上までのルートを動きだす。昴は痩せてしまった自分の体を見下ろしていた。エレベーターを降りて、車椅子を押されながら病院の屋上に到達する。外には光が降っていた。眩い陽射しを浴びて、柔らかい風に包まれる。
「しばらくここに一人で居たいな。いいですか」
「ええ」
そう言って彼女はその場を立ち去っていった。後で迎えに来ると言って。
風が吹く。昴は屋上で車椅子に座りながら、目を細めた。あの時もこんな気持ちのいい風だった。由紀がいた頃の事が鮮明に思い出される。
腕を広げ風を受け止める。その温かさに「ああ」と感嘆の声をあげた。深呼吸をした後、大きく「ドコン!」と心臓が波打った。鼓動と共に力が抜けていく。次いで、だらんと両腕が肘掛からぶら下がった。
集中治療室に昴が運ばれる。
微かに動いていた心臓が完全に止まる。機械から出る音がピー―――――――――――。
っと絶望的な音を響かせた。
と数秒して声が聞こえた。昴の脳はまだ血液が止まったばかりだったからか生きていた。
(だれ、だっけ)
懐かしい声に心が反応した。
夢を見ていた。由紀が美味しそうにケーキをほおばる。
(ああ、懐かしい。彼女の笑顔……)
胸に何かが乗っかっている。夢の中で由紀が腕に抱き着いてくる。
(生きたい。由紀と一緒に)
「戻ってきてっ!」
(由紀っ!)
一度止まっていた心音が跳ね上がった。
機械から発せられる音が安定していく。
「下がってください」
一度ご臨終ですと言った医師が急いで昴の胸に聴診器をあてた。
由紀と母親が病室から出される。
「生き……てる」
意識が覚醒する。峠は越えました。と二人に説明した医師は話せる状態に復帰した事を喜んでくれていた。隣にいる女性に昴は驚かなかった。なんとなくそんな気がしてしまっていたから。
「由……紀」
由紀の瞳から一筋の涙がこぼれ落ちる。
「ばか」
ああ、由紀が呼び戻してくれたのか。とようやくここで昴は理解した。最初から彼女には話すべきだったと後悔しながら。
昴の会社へ、上司へと聞き回り、一年かけてここを見つけ出してくれた。きっと訳があるんだ、と確信していた事を聞かされる。
ここへ来る新幹線の中で夢を見たらしい。二人が付き合っていた頃の。それは昴が見た夢と同じだったのだろうか。
急いで駆けつけてくれたのが三〇分でも遅かったら昴はもうこの世に居なかったに違いない。
「由……紀。あり、が、とう」
たどたどしい言葉で言う昴の手を由紀はしっかりと握ってくれた。
「もうどこにも行かないでね」
小さな声でそう言った由紀は両目を潤ませて微笑んでいた。
医者にそろそろと促されて二人が病室を出る。廊下では父親が泣いていたらしい。
翌年の春。昴が由紀と手を繋いで退院した。暖かい風が吹く。そんな気持ちの良い一日だった。
春の風 神原 @kannbara
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