破局の予兆

 お昼休み。

 詩音は自分の席から立ち上がった。

 愁と付き合うようになっても、お昼は今までと同じように仲のいいクラスメイトたちと食べるようにしている。

 彼氏も大事だが、だからといって友達をおろそかにしてはいけないという信条だ。

 いつものようにすでに集まっているクラスメイトたちの所へ向かおうとすると、教室内がざわめき出した。

 一体どうしたのだろう。クラスメイトたちの視線の先に詩音も目を向けると、そこには芽依がいた。

 芽依は視線を気にする様子を見せることなく詩音のところまで歩いてくると、

「詩音ちゃんこんにちは」

 チャームポイントの垂れ目を細めた。

「は、はい。こんにちは……」

 一体何の用なのだろうかと困惑しながら挨拶を返す。

「お昼一緒に食べない?」

「はい?」

 芽依は生徒会長だから全く知らない相手というわけではないが、交流が特別あるわけでもないのでお昼を誘われても正直困る。

 どう角が立たずに断れるかを考えていると、芽依から聞き捨てならない発言が飛び出した。

「神田くんのことでちょっと話したいことがあって」

「愁のことで?」

「うん。生徒会室でどうかな?」

「……はい。大丈夫です」

 愁に関係あるなれば話は別だ。それにしても、会長は愁といったいどのような関係なのだろうか。


 初めて足を踏み入れた生徒会室は教室の半分ほどの広さだった。

 部屋の中心には4人掛けのテーブルが置かれ、奥の壁には何かのファイルが収納された棚が設置されている。それとなぜか詩音の腰の高さくらいの冷蔵庫が鈍い音を立てていた。

「どうぞ〜。あ、生徒会室にこんなのあるの内緒だからね?」

 芽依は冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出すと、詩音に差し出してきた。

「ありがとう……ございます」

 お茶を受け取ると、芽依はパイプ椅子を引き出して座った。詩音も芽依と向かい合う位置の椅子に座る。

「いただきます」

 2人は手を合わせると、それぞれお昼を食べ始めた。詩音はカレーパン、芽依はサンドイッチだ。

 芽依は最初の一口を飲み込むと、

「神田くんとは上手く行ってる?」

 いきなり突っ込んだ質問をしてきた。

「え……? はい。まあ。……というより、愁とはどういう関係なんですか?」

「あっ、詩音ちゃんが心配するようなことは何もないから安心して。ただ前々から『どこかの部か生徒会に入って』ってお願いしてるだけだよ」

 芽依は困ったように目を細める。

「もしかして、愁のことってそれだけですか?」

「まあ、そういう意味ではそうなのかなー?」

 芽依はゆっくりと左手で頬杖を着くと、曖昧に答えた。

「……どういうことですか?」

「ほら、神田くんって結構モテてるでしょ?」

「……」

 どうだろうか。改めて考えてみる。

 千沙と灯から好意を持たれていたのは確実だ。そして今もおそらくは。

 さらに球技大会の後もそういえば後輩3人から言い寄られていた。……確かに思ったよりモテているかもしれない。

「あ、心当たりあるって顔してるー」

「……はい、まあそうですね」

 頑なに否定する理由もないだろう。素直に頷く。

「やっぱりー。神田くんとよく一緒にいる後輩の子たちもぜったい神田くんのこと好きだと思うんだよね。もしかしたら、こっそりどっちかと付き合ってたりして」

「……」

 勘違いだったかもしれないが、その時見せた芽依の笑顔が妙に冷たく感じ、正直に答えてはいけないと直感的に思った。平静を装って、芽依を観察する。

「あっ、そんな怖い顔しないでよー。ほら、神田くんって見た目なんだかチャラいし、大丈夫かなーってちょっと心配してるだけだから」

 芽依は焦ったように、両手のひらを詩音に向けた。

 どことなくチャラい雰囲気をしているのは認める。髪の毛は長いし、妙に自信に溢れているような態度がそう見せるのかもしれない。

 だけど見た目の割には不器用なところがあるし、意外と家庭的なところもあるし、優しい。芽依が思うような人物では決して無い。

 とは言ったものの、誤解されるのも仕方がない。芽依は純粋に心配してくれているだけで、自分の考えすぎなのだろう。

「……ありがとうございます。愁はそんな人ではないですが、一応気をつけます」

 穏便にこの場を流そうかとは思ったものの、やはり愁が誤解されているのが嫌だったのが口調に出てしまった。

 芽依は一瞬目を丸くして固まったかと思うと、無言で立ち上がった。椅子の脚が床と擦れて耳障りな音が鳴る。

 そして反対側に座る詩音の方へ向かってきた。

 まさかあの程度で怒ってしまったのだろうか。と、思いきや冷蔵庫の前に方向転換し、何かを取り出すと、詩音に差し出した。

「気を悪くしちゃったよね。ごめんね。これで許してもらえるかな」

 芽依の手にあったのは、300円を超える高級アイスだった。100円台で買えるアイスよりサイズは小さいのに、値段は倍近くする。

「ありがとう……ございます」

 芽依の手から受け取ると、ひんやりとした感覚が伝わってくる。

「ううん。私もちょっと無神経だったね。ごめんね」

 芽依は詩音に向かって両手を合わせた。

 パッケージを確認すると、バニラ味だった。この手の高いアイスでは避けがちな味だ。だからこそ、凝った味をもらうよりなんだか嬉しかった。

 もしかしたら、意外にいい人なのかもしれない。そう思ったものの、詩音本人にも気づけないような小さな疑念がその時生まれていた。


 その日の放課後。

 詩音は愁と別れたあと、シャンプーが無くなりそうだったことを思い出した。

 自転車を走らせ、国道沿いのドラッグストアで買い物を済ませると再び家に向かう。

 途中信号待ちをしていると、

「あの、すみません」

 横から何者かに話しかけられ、首を横に向けると見覚えのない男性が立っていた。中性的な雰囲気があり、年齢は20行くか行かないかだろうか。詩音はそうは思わなかったが、第三者視点ではなかなかの美形だ。

「……なんでしょう?」

 田舎とはいえ、詩音のような美少女はやはり声をかけられることがある。警戒心を隠すことなく、刺々しい口調で返事をする。

 男は詩音の冷たい態度にやり辛そうに苦笑を浮かべつつ、

「あの、市役所ってどっちでしょう? 最近引っ越してきたんですけど、土地勘ない上にスマホの電池も切れちゃって」

 男はポケットからスマートフォンを取り出し、スリープ解除ボタンを押したが画面は真っ暗なままだ。

 市役所を探している、というのももしかしたらナンパの口実なのかもしれない。

 しかし、電池が切れていたらナンパに成功しても連絡先が交換できないことを考えると、話しかける口実にするには不都合な設定だ。

 市役所は今いる場所と家の間にあり遠回りというわけでもないし、このまま見なかったことにするのも胸が痛む。

「……じゃあ、案内します」

 ちょうど信号が青になり、詩音は自転車を押して歩き始めた。詩音の横を男が歩く。

「ありがとうございます。田舎の人って親切でいいですね。都会だと無視されちゃいますから」

「はぁ」

 詩音も年頃の女の子だけあって、やはり都会には興味がある。

 とはいえ、困っている人が助けを求めても無視されるのが当然。というのは都会という場所は華やかでも寂しいところなんだなと思ってしまった。


 10分ほど歩くと、前方に市役所が見え始めた。5階建てで、高い建物が少ない市内なので近くに来れば一目瞭然なのだが、大体の方角を分かっていないとやはり見つけるのは難しい。

「あれです」

 詩音が視線で指し示すと、

「助かりました。親切にありがとうございます!」

 表情をほころばせ、詩音に頭を下げた。

「いえ。それじゃあ、私はこれで……」

 詩音が自転車に乗り、ペダルを漕ぎ出そうとすると、

「ちょっと待って」

 男は詩音の腕を掴んだ。

「なんですか? もう用は済んだと思うんですけど」

「いやいや。まだ済んでないよ。今思ったんだけど、もし俺が道を迷ってなかったら、スマホの電池が切れてなかったら、君とこうやって出会うことはなかったんだよ? これって運命なんじゃないかな?」

 真顔でさも当然のように言う男に詩音は恐怖を覚えた。今すぐこの男の手を振り払ってこの場を去らなければ。

「離してください。大声を出しますよ」

 詩音は男を睨みつける。

 市役所があるのは市内でも発展しているエリアだ。大声を出せば少なくとも誰かが気づくはずだ。

「……っ」

 何か言ってくるかと思いきや、思いの外男は素直に手を離した。詩音は即座に自転車を全力疾走で漕ぎ始める。

 信号機に捕まらないようしばらく走り続け、恐る恐る後ろを振り返る。誰もいない。思わずため息が出る。

 季節は初夏だと言うのに、恐怖で腕が震えていた。深呼吸をして心を落ち着ける。恐怖心は若干マシになったものの、それと入れ替わりに悲しみが湧き上がってきた。

 しかし、考えていても仕方がない。もう一度深呼吸をすると、見通しの良い道を選んで自宅に向かった。


 詩音が立ち去った後、男はもうひとつスマートフォンを取り出し、どこかに電話をかけ始めた。

「あ、俺です。どうでしたか? いいの撮れました?」

『よくやった。撮れたよ』

 スピーカーから満足げな男の声が聞こえてくる。

「それにしても、ガードが固かったですね。道案内してもらってる最中雑談を振ったんですが、めっちゃ壁作られてましたよ。今日の仕事はこれで大丈夫ですかね?」

『おう、ご苦労』

 通話が切れ、男はスマートフォンから耳を離す。ディスプレイには、『須田躍士』と表示されていた。


 夜。愁がテーブルの上に置いていたスマートフォンを手に取ると、『連絡先に追加されました』という通知が表示されていた。

 誰かに最近連絡先を教えた覚えはない。アプリを起動し、追加されたアカウントを確認すると、『須田躍士』と表示されていた。アイコンもキメ顔の須田の自撮り写真で、どうやら須田本人で間違いなさそうだ。

 一体どこで連絡先を知られたのだろう。相手が須田なだけに怖くなってくる。

「おわっ」

 今度は須田からメッセージが送られてきた。

 奴ならば罵詈雑言の限りを尽くしたメッセージを送ってきても不思議ではないが、最初の数行だけ見て判断すればいいだろう。

 メッセージを開く。

『お前にこれ伝えなきゃと思って』

 本文は思ったより短い内容だったが、添付されていた画像は目を疑うものだった。

 詩音が若い男と並んで歩く写真で、背景も市内の見覚えのある場所だ。

 とはいえ、今は簡単にフェイク画像を作り出せる時代で、この写真もその可能性が高いし、須田ならやりかねない。

 メッセージを無視してアプリを終了しようとすると、今度は動画が送られてきた。

 再生してはならない。直感的にそう思った。しかしそう思うと人間見たくなってしまうもので、愁の親指は、ディスプレイの数センチ上を部屋に迷い込んだ羽虫のようにさまよう。

 しかし結局誘惑に勝てずに再生ボタンを押すと、詩音と若い男が並んで歩く動画が流れ始めた。

 やはりどう見ても詩音だ。一体隣にいる男は誰なのだろうか。きっと親切心から道案内をしているに違いない。そう思いたかったものの、思おうとすればするほど、考えは悪い方向に流れていってしまう。

 愁はメッセージを削除し、須田をブロックするとスマートフォンの電源をOFFにした。

 きっと何かの勘違いだ。間違いだ。自分は何も見なかったと何度も自分に言い聞かせたものの、その晩は結局一睡もすることができなかった。


 翌朝。

 愁は歩きながらあくびをした。

 まぶたは重いし、頭は今すぐ横になれと強烈な眠気を放出し続けている。

「夜ふかしでもしてたんですか?」

 横を歩く千沙が愁の顔を覗き込んできた。

「まあ、そんな、ひゃっ」

 首筋に何か冷たいものが触れ、猫背気味だった愁の背骨がピンと伸びる。冷たいものの正体は、千沙の手だった。

「わっ、先輩の首あったかいですね。それに太くて固い……」

「いや、何してんだよ」

「眠気を覚ますには刺激を与えるのが手っ取り早いかなと思いまして」

「……ふたりとも何してるの?」

 声の方向に視線を向けると、怪訝な顔した詩音と、灯がいた。ちょうど湊姉妹との合流地点に来ていたようだ。

 昨日のことがフラッシュバックするが、即座に頭の中から振り払う。

「先輩が眠いって言うんで、首に私の手を当てて目を覚ませようとしてたんです」と千沙が答えると、灯は愁のもとに駆け寄り、

「喉仏って結構固いんだね」

「灯!?」

 愁の首の手触りを堪能する会に灯も加わってきた。首の後ろから左にかけてを千沙が、喉仏周辺が灯だ。

 それにしても、やはり女の子の手は男とは違うのだなと改めて思う。手程度で大した違うわけがないと思うのだが、明らかに違う。

 首を擦られるのは思いの外気持ちよかった。本来の目的に反して眠くなってくるが、悪くないなと思っていると、

「……何デレデレしてるの?」

 突如詩音が発した冷たい声に、千沙も灯も怯えたように手を離した。

「詩音、先輩……?」

「千沙は黙ってて」

 その一言に千沙は一瞬体を震わせ、詩音は千沙に構うことなく愁を睨みつける。

「私愁の彼女だよね? なのに目の前で他の女の子にベタベタされて鼻の下伸ばしてるのおかしいと思わないの? そうやって私の知らない所で他の女とイチャついたりしてるんじゃないよね?」

 普段ならばその発言への反応はまた違っていたかもしれない。

「そ、そんなことするわけないだろ! ……大体、詩音はどうなんだよ。聞いたぞ。他の男と市役所近く歩いてたって」

 心の奥に押し込んでいた感情が一気に溢れ出す。

「それは……道案内をしてただだけ」

 詩音の声が急に弱々しくなる。

 昨日はそんなところに行っていない。何意味のわからないことを言っているんだ。そう返してくれればどんなによかっただろうか。

 頭がのぼせ上がり、冷静な判断ができなくなっていく。

「ホントかよ。自分に後ろめたいことがあるから俺に厳しいんじゃないか?」

「……!!」

 詩音は冷気を吹き付けられたかのように表情を凍りつかせたかと思うと、無言で走り始めた。

「詩音!」

「詩音先輩!」

 愁と千沙が詩音の背中に向かって呼びかけるも、詩音はまるで何も聞こえていないかのようだった。


 教室での詩音は、愁から見る限りは普段とは変わりないように見えた。普段どおり授業を受け、普段どおりクラスメイトたちと雑談を交わしている。

 ただし愁と距離が近づきそうになると露骨に距離を取ろうとするため、話しかけに行くことができない状態だ。

 自席に座り詩音がクラスメイトたちと話すのを眺めていると、司が話しかけてきた。

「どうしたんだ。湊の記憶から愁との思い出だけ消えたのか?」

「はあ?」

 こんなときも意味のわからないことを言ってくる男だ。

「でなければ、オーソドックスに喧嘩でもしたか」

「さあな」

「ふむ」と司が自分の顎に手をやると、

「これはあれか。個別ルート特有の一時的に2人の心の距離が離れてしまう。このまま終わってしまうのか? しかしすれ違う心をつなぎとめたのは、別のルートでは主人公と結ばれるヒロイン……というのがお約束か」

 またも別ルートだのよく分からない単語が飛び出す。普段なら「はいはい」と流せられるものだったが、今日は気に障って仕方がなかった。

「司」

「なんだ?」

「静かにしてくれないか」

 司とは目を合わさず、短く言い放つ。

「……何があったかは知らないが、俺に当たるのは少なくとも望ましい行動ではないな」

「……!」

 司は背中を向け、愁から離れていく。

 今のは間違いなく悪いのは自分だ。しかし「すまん」の一言すら口にできず、去っていく司の足音を聞いてることしかできなかった。


 放課後。

 愁は1人昇降口を後にした。最近は3人の誰かしらと一緒に帰っていたので、1人で帰るのも久しぶりのことだ。

 気晴らしがしたい気分だった。どこかの部の練習にでも混ぜてもらうかと考えていると、

「あの、神田先輩」

 愁を呼ぶ声が聞こえ振り返ると、そこには球技大会のときに教室にやってきた1年生3人組がいた。

 声をかけてきたのは、以前愁に連絡先を聞こうとしていたボブカットの女子生徒、甲斐だ。

「ああ、球技大会の時の……」

「はい! 覚えててくれたんですね。今日は1人なんですか?」

「まあ1人だけど」

 待ち合わせをしている、とウソを付くこともできたが、正直に答えることにした。

「じゃあ、よかったら私達と遊びませんか? 2人もいいよね?」

 ボブカットの女子生徒が左右にいる2人に同意を求めると、

「もちろん!」

「行こう」

 2人は素直に頷いた。

「決まりですね。それじゃあ、行きましょうか」

 4人が校門に向かって歩き始めようとすると、

「先輩、どこ行くんですか?」

 再び何者かに愁は呼び止められた。今度は聞き覚えのある声だ。立ち止まり後ろを向くと、険しい目をした千沙が立っていた。


 数分前のこと。

 千沙と灯は昇降口に向かって廊下を2人歩いていた。

 お互い表情は固く、会話もない。

 千沙はけさのことに責任を感じていた。2人の会話内容から言って、何かあったことが口論に発展してしまった原因だとは思われるが、その口火を切ってしまったのはおそらく自分自身の行動にあることは間違いないだろう。

 愁へのスキンシップは、過度なものでなければ容認されるものなのだと思っていたから、首を触るくらいならば問題ないと思っていた。

 しかしやはり他の女に自分の彼氏がベタベタされているところを見るのは、決して気持ちのいいものではないのだ。

 でも、自分は身を引いたのだから、それくらいは許してほしかった。そして詩音もそれを容認しているのだと思っていたのだから。

 一旦は解決に見えた4人の関係も、やはりゲームの進んだジェンガのままだったことには変わりなかったということだ。

 今日は灯とどこかに寄ったりせずに、まっすぐに帰るべきか、気晴らしに2人レイラの店に行き相談するのがいいのか。

 千沙が思索にふけっていると、

「千沙、見て」

 灯が昇降口を出てすぐの所を視線で示す。ガラス製のドアは開け放たれており、外の様子がよく見えた。

 愁が女子生徒3人と何か話している。嫌な予感がして、考えるよりも先に千沙は駆け出していた。

 手早く靴を履き替えると外へ飛び出し、3人と歩き始めた愁の背中に向かって名前を呼ぶ。

「先輩、どこ行くんですか?」

 愁は後ろを向き、めんどくさそうに千沙を見ると、

「何って、この3人と遊びに行くだけだけど?」

 女子生徒3人も千沙の方を向き、無遠慮な視線を向けてくる。

 千沙にはその3人に見覚えがあった。隣のクラスの3人組だ。面識はないが、ボブカットの子が甲斐で、他の2人はちょっと思い出せない。

「若宮……さんだっけ? あなたも行きたいの?」

 会話に割り込んできたのは甲斐だった。発言内容とは裏腹に、「私達についてきたりしないよね?」と牽制したいのが口調からまるわかりだ。

「いえ、行きません。それより先輩、今朝詩音先輩と喧嘩したばかりですよね? 私にも原因はあるかもしれないですけど、その日の放課後に他の女の子と遊びに行くってどうなんですか?」

「いやいや、詩音だって俺以外の男と歩いてたし、それなら俺も他の女の子と遊びにいくくらいいいだろ?」

「私は2人の間に何があったのかよく知らないですが、その発想はあまりにも短絡的ではないですか?」

「じゃあ、詩音はお咎め一切なしで許せって言うのか?」

「……そういうわけじゃないです。でも、先輩ちょっとおかしいですよ。以前の先輩だったら、詩音先輩に当てつけるようなことはしなかったはずです」

「当てつけって。浮気じゃないんだからさ、別にいいじゃん」

 その発言の向き先は、千沙と言うよりは愁自身に向けられているようだった。

「……先輩、見損ないました。行くよ。灯」

「え、うん」

 斜め後ろで心配そうに事の成り行きを見守っていた灯に声をかけると、歩き出す。

 詩音には勢いで告白してしまうし、トーク力やファッションセンスが壊滅的なところはあるが、優しいところがあるのが愁のいいところだった。なのに今の愁にはそんなところが何一つ感じられない。

 ふと、以前優子に言われたことを思い出す。

『しゅーくんって飽きっぽいんですよね』

 もしかして、すでに詩音に愛想を尽かしつつあるのだろうか。いや、そんなことはない。そう思いたかったが、

「……私達と来ちゃってよかったんですか?」

「いいよ別に。じゃあ、行くか!」

 後ろから聞こえてきた会話を耳に入れたくなくて、歩く速度が無意識のうちに早くなってしまっていた。


 土曜日。

 愁は久しぶりに助っ人でバスケの試合に出ていた。

 詩音と付き合うようになってから周りも遠慮するようになったのか、頼まれることは減っていたが、今回は愁から頼んで出させてもらうことにしたのだ。

 試合に出るのは久しぶりだったが、勘は鈍っておらず、予めどう動くかを示し合わせたかのように愁は相手選手の間をすり抜けていく。

 ボールを頭上に構え、いざシュートというところで、ゴールネット付近に応援している女子生徒数人がいることに気づいた。

 時間にして一瞬のものだったが余計な力が入ってしまい、ボールはリングに弾き飛ばされ、相手にボールが渡った。

「ドンマイ!」

 かつて球技大会で一緒に戦ったバスケ部梅木に肩を叩かれ、「ああ」とたまたまミスった感のある返事をしたものの、その後もミスを連発し、逆に相手チームの助っ人と化してしまった愁は途中で交代させられてしまった。


 結果は僅差での敗北だった。

 愁のミスがなければ勝てていたのでは、という試合結果に、チームメイトたちからの視線は冷たい。

 愁がコートの端で座っていると、梅木が近寄ってきた。

「どうしたんだよ愁。久しぶりに出たいって言うから、どうしたのかと思ったらボロボロじゃないか」

「……すまん」

 面目なく、頭を伏せるしかなかった。

「どこか調子が悪いのか?」

「いや、そんなことはない」

「そうか。愁がそういうならたまたまなんだろうけど……。ところでさ」

 梅木は愁の隣に座ると、

「お前って湊さん以外に彼女何人もいるって本当か?」

 脈略のないことを尋ねてきた。先ほどの愁を気遣うような態度から一変、下衆な笑みを浮かべている。

「はあ?」

「いや、よく女子何人も侍らせてるじゃん。この前も1年3人と一緒にいる所見かけたって聞いたし。だからそういう噂だけど違うのか?」

「いやいや、そんなわけ無いだろ」

 手を左右に振って否定した。

 今も詩音とは冷戦状態が続いている。クラスメイトたちも2人の関係を察しているようで、なるべく2人が関わらないように、それとなく気を遣ってくれているのを愁も肌で感じていた。

「まあ、愁は見た目チャラいけど、心までチャラい奴だとは思ってないからさ。早めに湊さんと仲直りしなよ」

「ああ」

 愁の肩を叩き去っていく梅木の後ろ姿を眺めながら、仲直り、それだけのことが今の愁にとっては目隠しして5連続スリーポイントを決めるよりも遥かに高難度に思えてならなかった。


 週明け。愁が廊下を歩いていたときのこと。

 窓側で何かを話していた生徒2人が愁の姿を認めるなり、小声で何かを話し始めた。愁は2人に面識はない。

「……あいつだろ? 3股してたってやつ」

「マジかよ。えげつねー」

「ちょっと運動できるからって調子に乗ってんなー」

 愁が視線を向けると、彼らは先ほどまで自分たちが話していたことを忘れたかのように視線をそらした。

 その時は須田のように、自分の事を快く思っていない生徒が溜飲を下げるための心無い言葉だと深くは気に留めていなかった。


 翌日。下駄箱から校舎内に上がると、視線をあちこちから感じた。中には愁には聞こえない声で何かを話している生徒もいる。表情から言って、いい話をしているわけではなさそうだ。

 何かがおかしい。

 教室に入ると、一斉にクラスメイトたちから視線を向けられ、なぜか道端で通りすがった面識のない人へ向けられるものに似ているような気がした。

 どういうことなのだろう。適当な1人へ視線を向けると、その生徒は視線を愁から外し、何事もなかったかのように会話に戻っていた。

「どうした? 自分が同じ日をループしているのに3週目でようやく気づいたような顔をしているな」

 愁のもとへ司が歩いてきた。司の態度は普段と変わらないように見える。目は……相変わらず髪の毛で隠れてしまっていて分からないが。

「いや、なんでもない」

 きっと気のせいだ。それにしても、強く当たってしまったにも関わらず何事もなかったかのように接してくれる司の存在がありがたかった。

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