髪と友情

 翌朝。

 通学路で湊姉妹と合流した千沙は、一瞬自分の頭がおかしくなってしまったのかと思った。

「詩音先輩が、2人……!? あ、灯か」

 が、すぐに親友が詩音と同じ格好をしているのだと気づいた。

 詩音と同じ髪型で、制服の着崩し方が同じでも、親友の灯なら目隠しをしていても分かる自信があったが、どうやら自信過剰ではなかったようだ。

「よく分かったな。俺はまさか灯だとは想像つかなくて本気で焦ったよ」と頬を引きつらせた表情で言う愁に、

「まあ、伊達に灯の親友やってないですから」

 千沙は自慢げに胸を張り、「それにしても、何があったの?」と灯に尋ねた。

 確かに湊姉妹は仲がいいが、ペアルックをするような方向性の仲ではないというのが千沙の認識だ。なにか理由があるはずだろう。

「休日に会長にばったり会って、そこから話の流れで」

「それだけ?」

「うん」

 灯は何かを隠している。千沙はそう確信した。なぜなら、芽依は千沙と灯の話を聞いていたからだ。つまり、芽依は明確な意図があって灯を詩音そっくりにしたのだ。

 良くない考えが脳裏をよぎる。だが、相手は生徒会長だ。そんな嫌がらせをするだろうか?

 それではなぜこんなことをしたのか。好意的に捉えるならば、無邪気さ故にという線も思いつくが、それも考えにくい。

 顔つきが似ているから、たまたま詩音と似たような髪型になったというのも微妙だ。となると結論は1つしかない。

 灯自身が望んで詩音そっくりになったのだ。

 そう結論づけた瞬間、千沙は考える間もなく動いていた。

「詩音先輩」

「何?」

「放課後に先輩をお借りしていいですか? 友達から相談を持ちかけられているんですが、男性目線からの意見を聞きたくて」


 放課後。愁は千沙とファミレスにいた。

 ボックス席に向かい合って座り、2人ともドリンクバーだけを注文する。

「それで、どういった相談なんだ?」

 愁は一口ジンジャーエールを飲むと本題を切り出した。

「その、友達に好きな人がいるみたいなんです。だけど、すでに先輩には彼女がいて……」

 千沙は烏龍茶に手を付けることなく、膝の上に手を乗せた状態だ。

「なるほどな」

 腕を組み、頷く。

 珍しい話ではないのだが、1つ考慮すべき点がある。

 その『友達』とは一体誰かという点だ。

 千沙ならば本当に友達の可能性もあるが、あくまで『友達の』という体で自分自身の相談というのも考えられる。

「でも、その相談された友達もその先輩が好きで、私に相談してきたんです」

「つまり、登場人物が4人いるということか。Aという子が先輩のことが好きだけど、すでにその先輩には彼女がいて、AはBに相談したけど、Bも実は先輩のことが好きで千沙に相談してきたということだな。あ、4人じゃなくて5人か」

 混乱してきたので、指を折って数を数える。

「そうですね。先輩の彼女と私を入れて5人です」

 なんというか、男1に女3というメンツにどこか既視感があるような気がした。

 仮にBが千沙だったとすると、Aが灯で先輩とその彼女が自分と詩音ということになるが、それもちょっと考えにくい。

 千沙は幼なじみで友達のような存在で、詩音と自分がくっつけるように協力してくれた。

 好意を持っている相手が、他の女と付き合えるように協力なんてできるものだろうか。いや、考えられない。

 ということは、AやBのような登場人物は赤の他人ということになり、ならば自分の考えを正直に言ってしまってもよさそうだ。

「そうだな……」

 背もたれに背中を預け、自分がその先輩の立場として考えてみる。やはり困る。

 しかし後輩の立場だとどうだろうか。自分が我慢すればいい。今は恋より友情を取るんだと自分に言い訳できても、後になって後悔するかもしれない。

 もちろんどちらを選んで後悔するとしても、自分の気持ちに正直になったほうがいいのではないだろうか。

「……やっぱり、そういう状況だと、迷惑ですかね?」

「いや、思いを告げずにいるのは苦しいだろうし、何かしら行動を起こすのはありなんじゃないかな? 直接好意を持ってることを話すのはだめかもしれないけど、間接的にとか」

 もし先輩の気持ちが揺らぐのならば、非があるのは先輩だ。それが愁の意見だった。

「ですよね! さっそく友達に答えてきますね。ありがとうございます!」

「おっ、おう……」

 千沙はかばんを手にして立ち上がると、そのまま店を出ていってしまった。

「……俺のおごりか」

 

 翌日、千沙も詩音と同じ髪型になっていた。


 詩音は日頃感情を人並みに露わにすることはない。

 しかしそれは感情の揺れ幅が小さいのではなく、感情表現が苦手なだけだ。人並みに笑い、人並みに怒る。

 ただ、普通の人ならば数値にして20感情が動けば顔に出てしまうのに対し、詩音は40でやっと表情に出る。いわば、蛇口から水が出るまでの『ひねりの量』が他人より必要というだけのことだ。

 そんな詩音をもってしても、困惑していることが表情に出てしまうほどのことが起こった。

 朝、通学路で愁と千沙と合流すると、千沙まで詩音と同じ髪型になっていたのだ。

「似合ってますか?」

 髪型自体には何ら意図はなく、ただ髪を切っただけですよ。と言わんばかりの態度で千沙が右耳の上辺りの髪の毛を押さえ、目を細める。

 似合っているかいないかで言えば似合っている。

 詩音の髪型は今風のオーソドックスなロングヘアで、奇抜なものでは決してない。よって、詩音とは別ベクトルの美少女の千沙が似合わない道理はないのだ。

「うん、似合ってる」

「ありがとうございます。先輩はどう思いますか?」

「いや……まあ、似合っていると思うけど」

 視線をそらし、たどたどしく答えた愁の態度は、似合っているとは間違いなく思っているものの、それを口に出す事を躊躇しているかのようだった。

「ありがとうございます。先輩にも似合ってるって言ってもらえてうれしいです」

 そのとき一瞬千沙が見せた笑みは、考えすぎかもしれないが愁の隣なんていつでも奪えると言っているかのように見えた。

 いつかはこうなるかもしれない。詩音にはそんな予感はあった。

 もちろん千沙が自分と同じ髪型にすることではない。4人の関係が壊れてしまうことだ。

 しかし同時に、4人でいることの心地よさが壊れることを誰も望んでいないのではないか、という希望的観測もあった。

 だが、人を好きになるという根源的感情の強さには、その考えは甘すぎたようだ。

 4人で一緒にいたいと思っていたのは、愁の彼女という特権を持つ自分しか望んでいなくて、2人は関係が壊れてしまったとしても愁が欲しかったのだろうか。

 千沙と話す愁に視線を向けると、愁は友人とも言えない同級生と話しているかのように、やりづらそうにしている。

 愁の告白を受けないほうがよかったのかもしれないとふと思った。

 だけど、その場合愁はここにいなかったことは間違いないはずで、そのもしもに意味はない。それならば、どうすればよかったのだろうか。

 考えてみても、答えは見つかりそうになかった。


 朝のHRが終わると、灯は人気の少ない校舎の外れに千沙を呼び出した。

「千沙……どういうこと?」

「灯がそれを言う?」

 灯が本題を切り出すと、千沙は小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「どういう意味? わからない」

「灯は私を裏切ったってことだよ」

「……裏切った?」

 普段の千沙ならば使わないような言葉だ。髪型が変わり雰囲気も変わってしまった千沙に、恐怖にも似た感覚を覚える。

「夜に散歩したときに話したこと覚えてるよね?」

「覚えてるけど……」

 あの時に話したことは覚えている。だが、なぜそこから裏切ったという話になるのか理解できない。

「私はあの時思ったの。多分灯は先輩に対して、これからも今の関係でい続けられるように接するんだろうなって」

「それは、あのときは確かにそうだったかもしれないけど」

 千沙の言う通り、最良の状態とは言えないけど、今のままでもいいかなと思っていた。だけど、やはり心の奥底ではそのままでいることを望んでいないと気づいたのだ。

「だから、それなら私もこのままでいられるようにしよう。そう思っていたのに、灯は私を裏切った」

 千沙は灯を睨みつける。

「ちょっと待ってよ。どうしてそれが裏切ったことになるの?」

「分からないの? 先輩のことを諦めたかのように私には見せておいて、急に色気付きはじめちゃってさ。自分の気持ちを隠していた私がバカみたい」

「だ、だったらそう言ってよ。そっちこそ自分の気持ち隠しておいてそれはないよ」

 なんとなく千沙の気持ちには気づいていた。しかしいざ口に出されると、想像以上に動揺してしまう。

「……小説のキャラの口調真似なきゃまともにしゃべれない人がそれ言う?」

 口端を吊り上げて笑った千沙は、まるで悪魔にでも乗り移られたかのようだった。

「……!?」

 千沙の心無い一言に、言葉を失った。愛の感じられる茶化しは数あれど、面と向かって灯のコンプレックスを突いてくるようなことは言われたことがない。

「あ、ごめ……」

 千沙もそこまで言うつもりはなく、うっかり口を滑らせてしまったのだろう。手で自分の口を押さえた千沙の目は戸惑いを抱いているようだった。

 しかし仮に口を滑らせてしまったのだとしても、心のどこかで思っていなければ、うっかり口から出たりはしない。それがショックで、灯は踵を返すとその場を走り去った。


 次の日から、千沙は愁たちと一緒に登校することはなくなった。

 学校には来ているようだが、愁が校内で千沙を見かけ声をかけようとすると、逃げられてしまった。完全に避けられてしまっているようだ。

 そんな状態のため、3人で登校していてもろくに会話は生まれず、詩音とも放課後にどこかに遊びに行くこともなくなってしまっていた。

 おかげでクラスメイトたちから、喧嘩したわけでもないのに詩音との関係を心配されるありさまだ。

 このままではいけない。愁は放課後にクラスメイトの女子生徒たちと帰ろうとする詩音を呼び止めた。

「詩音。今日は一緒に帰らないか」

「……うん」

 詩音は一瞬目を丸くしたものの、素直にうなずいた。

「お、やっと仲直りかー。詩音のこと大事にしなよー」

 事情を知らない女子生徒たちが去っていくのを見届けると、愁たちは久しぶりにレイラの店に行くことにした。


 愁は日替わりコーヒーを一口飲むとため息をついた。

 それにしても、この前の相談が本当に千沙自身のことだったとは。

 女性は長く一緒にいた男のことは異性として見ることができなくなるらしいが、千沙はそうではないということは、長いこと千沙の気持ちに気づけていなかったかもしれないということになる。

 つまり自分は鈍感クソ野郎だったということだ。

 そう思うと責任を感じ、ますますどうにかしなければと思えてくるが、だからといってどうすればいいのか。少なくとも自分が動いても逆効果にしかならないだろうし、詩音も同様だろう。

「……私達どうするのがよかったのかな。最近は家でもあまり灯と話せてないし」

 詩音はコーヒーカップを持ったまま、愁を見ずに呟いた。

 しかし愁の中にも答えはない。

 もともと4人の関係は不安定で、いつ崩壊してもおかしくなかったが、その状態をなんとか維持しようとする力によって4人の関係は成り立っていたのだ。

 詩音が納得できるような回答は思いつかず、なにか言ったところで慰めにもならない気がして愁が何も答えられずにいると、

「何かお悩みのようね。チサとアカリがいないのと何か関係があったりするのかしら?」

 レイラはカウンターに両肘を着き、身を乗り出してきた。

「それは……」

 愁は詩音と顔を見合わせる。

 これまでも何度かレイラには世話になってきた。しかしこれは4人の問題で、繊細な内容だ。千沙も灯もレイラの顔見知りとはいえ、相談するのは気が引ける。

「もちろん、ゴーインにとは言わないわ。だけど、私はあなた達をフレンドだと思っているから、やっぱり心配なのよね」

「レイラさん……」

 寂しそうに微笑むレイラに、愁は胸の奥が暖かくなってきた。謎の多い人ではあるが、優しい人だ。愁はもう一度詩音と顔を見合わせ頷き合うと、これまでのことをレイラに話し始めた。

 レイラは愁の話を最後まで聞くと、こう言った。

「あなたちは真面目過ぎなのよ。アカリとチサの問題まで背負い込もうとしちゃっている」

「だけど」

 反射的に反論しようとすると、

「じゃあもうひとつ聞くけど、仮にあなたたちが別れたとしてこの問題は解決すると思う?」

「それは……」

 反論できなかった。

「だから、あの子達が決めないといけないのよ。恋を取るのか、友情を取るのか」

「でも、もしかしたら俺たちが卒業しても2人はこのままかもしれません。2人の友情を壊してしまったことには無責任ではいられないです」

 レイラの言うことはもっともだ。しかし、2人の問題だからと投げ出すのは自分が許せなかった。

「真面目ねえ」とレイラは苦笑すると、

「チサとアカリはもう何年もフレンドなんでしょ? そうだとすると、お互い相手は自分のことを分かってるって思い込んじゃって、セップクして話すことも無いんじゃないかしら」

「……もしかして『腹を割って話す』ですか?」

「ああ、それそれ」

 その間違え方は一体何なんだと思ったものの、レイラのおかげでアイディアを思いつくことができた。

「レイラさん。ちょっと協力してもらえないでしょうか」


 翌日の放課後。

 千沙はレイラの店にやってきた。

『最近シュウもシオンも来なくて寂しい』というメッセージを送られたら、さすがに行かないわけにはいかない。

 店内奥にあるカウンターへ向かうと、すでにレイラは準備を始めていた。大きく息を吸い込みたくなるようなコーヒーの香りが漂ってくる。

「久しぶりね。アカリ。来てくれて嬉しいわ」

「いえ。私もレイラさんに会いたかったですから」

 千沙は一番左の椅子に座った。

 そういえばレイラの店に来るときはあの3人の誰かと一緒だったので、1人で来るのは初めてのことだ。新鮮でもあるが、インテリアに凝っているのにも関わらずカフェスペースが殺風景に見えてくる。

「髪切って雰囲気変わったわね」

「あはは。まあ色々ありまして」

 千沙はサイドバング部分を押さえながら笑う。自分で望んでやったことなのに、髪型のことには触れられたくないと思ってしまった。

「すぐにできるから待っててね」

「はい」

 コーヒーが出来上がるのを待っていると、入り口に取り付けられているベルが鳴った。

 一体誰だろう。愁と詩音は最近来ていないと言っていたから、壮だろうか。なんとなく気になり、視線を向ける。

「あ……」

 そこには、灯が立っていた。心臓が縮み上がるのを感じる。

「アカリ! 待ってたわよ。来てくれて嬉しいわ」

 両手を合わせ、妙にテンションの高いレイラの声に、灯は足の動きを止めた。

 きっと店から出ていこうとしていたのだろうが、流石にレイラにこうも感謝されては帰るわけにもいかないだろう。灯は無言で歩いてくると、千沙から一番離れた席に座った。

「どうぞ。これサービスね。コーヒーには何も入れないほうがオススメよ」

 そのタイミングでコーヒーが出来上がり、千沙と灯の前にコーヒーとシュークリームが置かれた。

 コーヒーとシュークリーム。甘さと苦さの対極に位置する存在だが、相性は良い。コーヒーを飲んだ後のシュークリームの甘みは口の中の苦味を中和し、そのあとにコーヒーを飲むと、苦味が甘ったるくなった口内をリセットしてくれるおかげで、2口目も新鮮な気持ちで味わうことができるのだ。

 千沙はレイラの勧めに従ってブラックでコーヒーを飲んだ後、シュークリームを一口かじった。そして再びコーヒーを一口。

 おいしい。普段はコーヒーに砂糖を入れたくなるが、この組み合わせなら中途半端に甘くせずに苦い方が正解だ。しかし、この状況では味を真に堪能できているとは言い難い。

 ちらりと灯に視線を向ける。何もかけていない豆腐でも食べているかのように、味気なさそうにシュークリームをかじっていた。

「私ちょっと事務作業があるから奥に行ってるわね。それじゃあ、ごゆっくり」

 レイラは2人を残し店の奥に引っ込んでしまい、店内が一気に静かになる。カチャ、というカップがソーサーに当たる音が一際大きく聞こえるほどだ。

 気まずい。そしてその原因である灯につい意識が行ってしまう。

 おそらく最近店に愁と詩音が来ていないというのは嘘だろう。もしかしたら昨日も来ていた可能性もある。責任を感じてこの場をセッティングしてくれたのだろう。

 なんだか癪だった。一言も喋らずに帰ることを考えたくなるが、それでいいのだろうかとも同時に思う。

 このまま灯とはずっとこの状態で、高校を卒業しても、定年を迎えて社会人卒業しても口を利かないのだろうか。そもそも、自分たちの世代に定年なんてものが存在しているのか疑問だが。

 それはともかくとしても、このまま灯とまともに口を利かずに卒業するのも全くありえない話ではなく、それは嫌だった。

「…………これ、絶対先輩の仕業だよね」

 その一言を発するだけで、ダラダラとスマートフォンをいじっているのをやめて宿題に取り掛かるのよりも、何倍もエネルギーを要した。

「……うん」

 対して灯の返事は、声を発したと言うより、喉を鳴らしたような音だった。

 会話が途切れる。何を話したらいいか分からない。以前愁のトーク力のなさに呆れたことがあったが、自分も別に上手なわけじゃないな。と鼻で笑いたくなる。

「このシュークリームおいしいね」

「うん」

 相変わらず「無視するのは抵抗あるから最低限の返事で済ませよう」という意図が伝わってくる返答だ。

「変なモノ入っていたりしないよね?」

「……大丈夫だと思うけど」

 やはりそっけなく返ってきて、再び沈黙。

「……私ばっかり喋らせてないで灯も喋ってよ」

「……その髪型似合ってない」

 悪口が飛んできた。

 憎まれ口を叩かれてしまうのも当然かもしれないが、似合ってないと言われるのは心外だ。

「詩音先輩なんていう世界で一番この髪型が似合ってる人と比べたら当然だよ。でも灯こそ似合ってない」

「私は姉さんそっくりだからそんなことないと思うけど」

「目が違う。詩音先輩に比べてなんだか目つきが弱そうだから髪型に負けてる。先輩は見分けつかなったみたいだけど、私には分かるんだから」

 本当に目の形が違うのかは分からない。もしかしたらそう思い込んでいるだけかもしれない。確かに2人はそっくりだけど、見分けられないほどじゃない。

「そんなことないよ」

「ある」

 否定したら即座に否定を否定してきた。

「なんでそんなに詩音先輩の髪型にこだわるの」

 詩音の髪型も本音では悪くはないと思うが、以前の灯がイマイチだったかといえばそんなことはない。むしろお世辞抜きで可愛いと思っていたくらいだ。

「姉さんは私の理想だから」

 腑に落ちた。詩音というのは灯の中で理想の女性で、だからこそ詩音に近づくために髪型を同じにしたのだろう。恋のためだけに。

「で、詩音先輩にはなれたの?」

「喧嘩売ってる?」

「売ってないよ。確認しただけ。まあ、なれてなさそうだけど」

 コーヒーを一口。だいぶ冷めてきている。

「……悔しいけど、なれてない。髪型だけ真似たって姉さんにはなれないし、越えられないよね」

 相変わらず態度はそっけないが、灯は千沙と会話してくれるようになっていた。

「そうだよ。灯は二つ結びの方が絶対似合ってるんだから」

「……そういえば千沙がやってくれたよね」

「灯かわいいのに髪型が適当でもったいなかったし」

 千沙が灯の通っていた中学校に転校してきた初日、千沙の前の席だったのが灯だ。

 クラスメイトたちのすでに出来上がっているグループに入っていくのは怖かったけど、灯は1人本を読んでいたから話しかけやすかった。

 不純な動機ではあったが、いざ話してみると妙に話しやすく、気がつけば一番の友達になっていた。

「……千沙も最初はポニテだったのに、ツインテールにしてたよね。これでお揃いだーって」

「今は髪型完全におそろいだよね」

「気持ちはおそろいじゃない気がするけど」

 千沙は毛先をつまみながら自虐的に笑う。

「でも、好きになった人はお揃いなんだよね」

「振られちゃったのもね」

 千沙と灯は同時にカップを手に取り、すすった。

「苦い……ね」

「うん」

 ぬるくなり始めていたコーヒーは苦かった。


 翌日。4人は再び一緒に登校するようになっていた。

 それだけではない。2人の髪型は以前と同じになっていたのだ。もちろん、千沙も灯も髪を切ってしまっているので全く同じというわけにはいかないが、2人とも以前の髪型を再現しようとしている。

 仲直りできてよかった。愁は前を歩く2人を見ながらつくづくそう思った。

 聞こえてくる会話から不穏さは感じないし、後ろ姿だけでも2人の関係は元通りになったように見える。もしかしたら、以前よりも強固になったかもしれない。

 横を歩く詩音も、2人を見ながら安心したような表情を浮かべている。

「仲直りできたんだな」

 横断歩道前で立ち止まると、2人に向かって声をかける。

「はい! というわけで、私は『ただの』後輩として先輩に甘えることにします」

 千沙は前触れ無く愁の左腕に自分の腕を回すと、抱きしめてきた。

「ちょっと、おい」

「えっと……じゃあ」

 愁が戸惑いの声を上げると同時に、今度は灯が愁の後ろに回り込むと愁の体に腕を回してきた。

「あ、灯だいた〜ん」

 愁に抱きついたまま、千沙が笑う。

 歩きにくい……と思っていると、横にいる詩音から無言のプレッシャーを感じた。恐ろしくて視界に入れられないが、ずっとそうしているわけにもいかず、錆びついた機械のように首を動かして恐る恐る詩音を見ると、

「千沙は後輩……千沙は後輩……灯は妹……灯は妹……」

 呪文のように自分に言い聞かせている詩音がいた。千沙と灯の行動はある種の意思表示で、4人でいたい詩音としても、これからも一緒にいたいのであれば許容する必要があると分かっているのだろう。

 とは言ったものの、そうしている詩音がおかしくて「フフフ」と笑い声が漏れる。

「……何笑ってるの?」

「いや、なんか詩音の反応が可愛くて」

「む……」

 からかわれているのは癪だが、可愛いと言われたのはまんざらでもないのだろう。口元を何度も小刻みに動かしていた。

 車道側の信号機が黄色に変わる。

「ほら、そろそろ信号が青になるから離れてくれ」

 体を小さく動かし、2人に離れるように促す。

「は〜い」

 2人が思ったより素直に再び愁の前に移動すると、

「ほら」

 愁は詩音に向かって手を差し出し、詩音は指を絡めてきた。恋人繋ぎというやつだ。

 信号が青になるまでのわずかな間だったが、2人はしばらく指を絡めていた。

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