複雑な想い

 GWに突入し、愁、詩音、千沙、灯の4人は優子の運転で山道を走っていた。

 時刻は午後1時。広大な草むらを挟んで遠くにそびえる山の輪郭がはっきりと視認できる快晴で、まさに絶好の行楽日和だ。

「姉さんそこ」

 助手席に座っていた愁は、前方に見えた舗装されていない脇道を指差す。スマートフォンのマップで見る限りでも、レイラから聞いていた特徴から言っても間違いなさそうだ。

 脇道の先は坂道になっていて、そこを上り切ると、山を削って場所を作った平地に丸田づくりの家が建っていた。2階建てで、こういう趣のペンションだと言い張っても通じそうな大きさだ。

「なんかGWって気がしてテンション上がってきますね〜」

「おっきい……いい値段してそう」

 一足先に車から降りた1年生コンビは、レイラの別荘を見上げながら感想を口々にする。

「いらっしゃい」

 車の音を聞きつけたのか、レイラが家から出てきた。優子はレイラのもとへ歩いていくと、

「この度は誘っていただいてありがとうございます。愁の姉の優子です。……それにしてもオシャレな別荘ですね」 

 別荘を一瞥した後、レイラに向かって微笑みかける。

「前のオーナーが高齢で利用することがないからって譲ってもらったの」

「レイラさん……でしたよね。前のオーナーのお孫さんとかですか?」

「いいえ。……円で買い取ったわ」

「……」

 優子は時が止まったかのように凍りついた。

「しゅーくんちょっと来て」

「何」

 荷物を下ろしていた愁が手招きをする優子のもとへ向かうと、優子は愁の耳元に顔を近づけ、

「……レイラさんって何か悪いことしてる人じゃないよね?」

 愁としても答えに困る質問をしてきた。

 一応本人は違法なものは売っていないと言っていたが、それだけでは優子の疑問を解消するには至らないだろう。しかしここは否定しておかねば。

「前に法に触れるものは売ってないって言ってたけど」

「でも、この別荘……円って言ってたよ。まだ若そうなのにそんなお金ポンと出せるなんて普通じゃないよ」

「……マジで?」

 優子が口にした金額に愁は耳を疑った。そんな金額をポンとだせるのなら、確かにそのような疑問を持つのも当然だ。本当にこの人一体何者なのだろう。

「優子さん」

 2人がコソコソと内緒話をしていると、レイラが優子を呼んだ。

「は、はい!」

「ビールは好きかしら?」

 レイラが手に持った缶を傾けるようなジェスチャーをする。

「はい、好きですけど……」

「キンキンに冷やしてるのがあるから、今晩一緒に飲みましょう」

「……はい! もちろんです!」

 元気よく返事をする優子。さっきまで疑惑の目を向けていた相手への態度とは到底思えなかった。酒で買収されるなんて、なんて情けない姉だと自分まで情けなくなってくる。

「おそろいですか」

 次に別荘から姿を現したのは壮だった。以前とは違い、短パンにアロハシャツという格好で、前回会ったときと雰囲気が違いすぎている。

「壮さん?」

「男一人じゃ肩身狭いかなーと思って呼んだの」

「それはそうかもしれませんが……」

 レイラの言う通り、1人でも他に男がいたほうが気が楽ではある。

 しかし、客である壮を別荘に招くなんて、この2人は一体どういう仲なのだろう。実は恋人か何かだったりするのだろうか。

「ところで、まだ早いから近くの自然歴史博物館に行ってきたらどうかしら? 最近リニューアルしたらしいわよ」

「博物館……!」

 詩音が目を輝かせ始める。以前詩音はレイラの店で商品を興味津々に眺めていたこともあっただけあって、知的好奇心が旺盛なようだ。

「それじゃ、夜のビールが美味しくなるように、一汗かいてきましょうか」

「賛成」

 右手を上げた詩音が近寄ってきた。誰が見ても一番乗り気なのは詩音だろう。

「2人はどうだ?」

 愁が1年生コンビに尋ねると、

「いいよ」

「……灯がそう言うなら、私も大丈ーー」

「それじゃあ決まりね!」

 優子が運転席に飛び込んでいく。違う意味で一番乗り気なのは優子かもしれない。もちろん、博物館自体ではなくその後が楽しみなのだろうが。

 愁、詩音、千沙、灯の4人は、優子の運転で近くの博物館へ向かって出発した。


 自然歴史博物館には、岩石標本や化石、動物の剥製など、大人でも知的好奇心を満たせる数々の展示物が並んでいた。

 GWということもあり、家族連れが目立ち、子供たちはもちろん、大人たちも興味深そうに展示物を眺めている。

 しかしそんな中でただ1人、千沙は興味を持てずにいた。

 4人の中でおそらく一番乗り気でなかった千沙にとって、展示物はその辺りに生えている雑草よりはまだ見ていて面白い、位の感覚だ。

 象と同じくらいのサイズはありそうな恐竜の化石の前に立つ千沙は、左側へ視線を向ける。

 視線の先では、同様に化石を見上げる詩音と愁の姿があった。もう10分はそこにいるだろうか。愁は流石に飽きてきたのか、足元を見るとつま先は他の所を見たそうに通路側を向いているが、詩音は飽きもせずに同じ姿勢で眺め続けている。

 どうしてあそこまで興味を持てるのか、詩音を見ていると不思議に思う。

 当初一緒に行動していた灯は、博物館に置いてある本を読み始めてしまい、愁と詩音と一緒に行動するのもなんだか申し訳ないので、時間が早く過ぎることを願って展示物をただ眺めているしかないのだ。

「退屈そうですね」

「……えっ、あ、はい」

 気がつけばボーッとしてしまっていた千沙は、いつの間にか横に立っていた優子の声で我に返った。

「やっぱり退屈なんですね」

 優子は「気持ちは分かる」といった様子で微笑む。

「いえ、そんなことは」と連れてきてもらった手前失礼だと思い否定したものの、

「仕方ないですよ。私は世界で一番美味しい飲み物はビールだと思ってますけど、それでも世の中には『あんな苦いだけのものがうまいと言ってる奴は頭おかしい』なんて言う人もいるんですから」

「え……はい、そうですね……」

 なんと返したら良いのか分からない。

 ビールについての発言は置いておくとしても、それにしてもきれいな女性だと思う。横顔は理想的なEラインで、目からは大抵のことは笑って受け入れてくれそうな大人の余裕を感じさせる。

 詩音はいつ見てもきれいだと思うが、優子が相手では詩音でも分が悪いだろう。ましてや子供ぽい自分なんかでは。無意識のうちに自分のツインテールを握る。

「ふふ。やっぱり」

「いっ、いえ……まあちょっとは」

 気がつけば暗い顔になってしまっていた。表情を作って否定しようかと思ったものの、逆に気を使わせてしまいそうだったので正直に話すことにした。

「じゃあ、ちょっと付き合ってもらえますか?」

「は、はい」

 2人は館内にある自販機のすぐ横に置かれたベンチに、並んで腰を下ろした。

「気が利かなくてごめんなさいね」

「い、いえ! でも1人残るのもなんだか寂しいですし」

 千沙は手にしたお茶に視線を落とす。普段は見もしないのに、ついパッケージの文字を読みたくなる。

「でも、目の前で好きな男の子が他の女の子と一緒にいる、っていう所なんて見たくないですよね」

「えっ、いや、私は」

「分かりますよ。私も女ですし、何よりしゅーくんの姉ですから」

 最後のはどういう理屈なのかは理解できなかったが、その上でなぜか説得力があるような気がしてくる。しかしそれはともかくとして、なんと答えたらいいのか分からない。

「別に奪っちゃってもいいと思いますよ?」

「え?」

 思わず顔を上げると、不穏な発言内容とは不釣り合いな微笑みを浮かべる優子がいた。

「しゅーくんって飽きっぽいんですよね。子供の頃から両親は家を開けがちで、しかも末っ子だからしゅーくんが寂しがらないようにとおもちゃを望むままに買い与えていたら、いつしか飽きっぽい性格になっちゃって」

「……」

 子供の頃を振り返ると、確かにもういらないからとおもちゃをくれたことがあった。結局両親から怒られて返しに行く羽目になったのだが、そういう事情があるなら納得だ。

「だから、女の子もすぐに飽きちゃうんじゃないかなーって」

「……それは違うと思いますけど」

「もちろん冗談ですよ。そんな男の子に育てたつもりはありませんから」

 優子は目を細めて得意げに笑うと、

「でも、私も高校時代に好きだった男の子が友達と付き合っていて……。私はもちろん友情を取ったんですけど、今でもたまに考えてしまうことがあるんですよね。本当にそれでよかったんだろうかって」

「……」

 千沙は何も言えなかった。

 愛を誰かから奪い取ると他のものが壊れてしまう。それを恐れて大抵の人は消去法で友情を取ってしまうが、修復不能な破損が発生することを承知で愛を取ってしまう人もいる。それほどまでに強烈で、適当に取り扱ってはならない感情なのだ。

 現時点では千沙は前者を選択し、納得しているつもりだったが、ふとした瞬間に選択は果たして妥当だったかを考えてしまうのだ。

 今も自分の中に答えはない。だからこそ千沙は何も答えることができなかった。


 愁たちが別荘に戻ると、レイラと壮がすでに庭で準備を始めていた。バーベキューコンロではすでに炭がオレンジ色の炎を滲ませ、準備万端といった状態だ。

「……では」

 壮は某アメコミヒーローの爪のように肉や野菜の刺さった串を指の間に挟むと、その状態で両手をクロスさせキメ顔をした。その格好に何の意味があるのかは分からないが、儀式のようなものかもしれない。

 謎のポーズをやめた壮が串をコンロの上に乗せると、食欲をそそる香りが漂い始め、その香りを嗅いだ瞬間、胃が自分の仕事を思い出したかのように、急に空腹感が現れた。

 焼け次第すぐに食べられるように、愁たちも皿や飲み物の準備をしていく。

 愁たちから離れたところでは、レイラがアイスボックスから缶ビールを取り出し、折りたたみ椅子に座る優子に差し出していた。

「どうぞ」

 レイラも優子の隣に置かれている折りたたみ椅子に腰を下ろす。

「え、これ飲んで良いんですか?」

 優子がレイラから渡されたのは1缶500円を超えるなかなかいい値段のビールだ。普段は平日は発泡酒、休日でもここまでいい値段のビールを飲むことはない。

「ええ。しっかり飲みなさい。おかわりもあるわよ」

 レイラはアイスボックを空けて中を優子に見せた。確かにまだ何本も残っている。

「それでは、遠慮なくいただきます!」

 レイラと優子はステイオンタブを引き上げると、ビールを一気に煽った。

「ああ……おいしい」

 優子は頬に左手を当て、表情を緩め、

「大自然の中で飲むビールもなかなか悪くないわね……」

 レイラも微笑を浮かべながら遠くの山に視線を向けていた。

「どうぞ」

 2人がビールに舌鼓を打っている間に肉が焼け、壮が4人に皿に載せた串焼きを渡してくれた。程よく焦げ目がつき、視覚と嗅覚の両方から食欲を刺激してくる。

 愁は「いただきます」と言い終えるやいなや即座にかぶりついた。瞬間、炭と肉の香りが鼻を通り抜け、噛み切ると肉汁が滴り、おいしさに脳が悦びの声を上げる。

「なにこれうっま!」

「……おいしい」

「おいしいです!」

「おいしい」

 4人揃って称賛を送る。

 が、その直後に「……これまたおかしな肉じゃないですよね?」と千沙がつぶやき、

「いや、これどう考えても牛肉だよ……な」

 不安になり串焼きの肉を再度確認してみるが、味も見た目も間違いなく牛肉だ。

「ただの牛肉だから安心して。……ご希望なら冷蔵庫にあるけど」

 顔を赤らめたレイラがニヤリと笑い、

「いっいえ、大丈夫です」

 千沙は苦笑を浮かべながら手を振った。


 バーベキュー開始から1時間が経過し、それぞれの定位置が決まりつつあった。

 コンロから少し離れたところでレイラと優子は折りたたみ椅子に座りビールに舌鼓を打ち、愁と詩音、千沙と灯が並んで座り、コンロを向かい合うような形になる。

「意外と食べるんだな……」

 愁は隣で串焼きを食べ続けている詩音を見ながらつぶやいた。最初とあまりペースが変わっていないように見える。ひょっとしたら男の自分と同じくらい、いやもしかしたらもっと食べていそうだ。

 また1本串焼きを食べ終えた詩音と目が合った。

「……?」

 一瞬見つめ合った後、何を思ったのか、詩音は新たな串焼きを手にすると、

「あーん」

 愁に向かって突き出してきた。

「えっ……」

 男なら一度は憧れる彼女からの「あーん」とはいえ、今は手放しに食らいつける状況ではない。

「嫌?」

 詩音は普段どおりの表情で首を傾ける。その仕草には思わずグッと来てしまうが、それはそれ、これはこれだ。

「いや、嫌じゃないけど」

「じゃあ、ほら。お肉冷えちゃう」

 詩音は串焼きをさらに愁に近づけてくる。ここまでされて食べないという選択肢はもはやないだろう。意を決し、串焼きにかぶりついた。

「おいしい?」

「……おいしい」

 肉の味は変わっていないはずだ。なのに羞恥心のせいだろうか、味が違う気がした。

「若いっていいわねぇ……」

「なり言っひぇるんですか。レイリャさんもまら若いじゃないれすか〜」

 酔いが回ってきたのか、レイラは締まりのない笑みを浮かべ、優子は初対面のはずのレイラを肘で小突いていた。見事に出来上がってしまっているようだ。

 やっぱり恥ずかしい。愁が顔を赤くしながら二口目に行こうとしたところで、前触れ無く千沙が立ち上がった。

「……私達、ちょっと散歩してきます。行こう灯」

 千沙は灯に視線で立つように促す。

 灯は迷っているのか、手にしている紙コップに視線を落としすぐに立ち上がろうとはしなかったものの、結局千沙に続いて立ち上がった。

「あまりろおくまれいっちゃらめれすよ〜!」

「はい。もちろんです。優子さんもあまり飲み過ぎちゃダメですよ」

 千沙は優子に手を振り、2人は坂道を並んで降りていった。

 愁が2人の背中を見送りながら、相変わらず仲の良さに感心していると、

「愁」

 詩音に呼ばれて首を戻すと、詩音が再び串焼きを愁に突きつけていた。うれしいにはうれしいのだが、こう何度もされていると違う意味でお腹いっぱいになってくるし、舌も違う味を求め始めている。

 だが肉には罪はない。一口頬張る。

「美味しい?」

「おいしい」

「よかった」

 口元に笑みを浮かべる詩音。

 しかしそれにしても間に野菜が挟まっているとはいえ、違う味が恋しい……と思っていると、どこかからスープの香りがしてきた。

 いつの間にか姿を消していた壮が小鍋を持って戻ってきたのだ。

「よかったら、お口直しにいかがでしょう?」

 壮がテーブルの上に鍋を置き、蓋を開けると、中から湯気が立ち上る。ネギとなにかの肉が入ったスープだった。

「これ、壮さんが?」

「ええ。新鮮な素材を使っています」

 言葉遣いは丁寧で、発言内容に他意はないのだろうが、本当に食べても大丈夫なのかとつい思ってしまう。しかし胃に優しそうな鶏ガラスープの香りが、愁から警戒心を奪った。

「じゃあ、いただきます」

 愁は壮からお椀を受け取ると、スープをすすった。うまい。さっぱりとしたスープが胃を癒やしてくれる。隣では詩音も同じようにスープをすすっていた。黙々と食べている辺り、どうやらお気に召したのだろう。

 愁はスープに浮かんでいる切り身を箸でつまみ口に運んだ。味はさっぱりした鶏肉のようだが、身の崩れる感覚は白身魚のようだ。

 食べ終えてお椀をテーブルの上に置き、

「おいしかったです。この肉? 食べたことのない食感ですが、なんですか?」

 そう訊ねると、壮はニヤリと笑った。嫌な予感がしてくる。

「コンロの準備をしているときに、草むらからちょうどニョロっと這い出てきたところ見つけましてね……」

 それを聞いた瞬間、愁は血の気が引いていくのを感じた。こうやってレイラに誘われるほどの仲なのだから、趣味趣向が近いくらいは想像できてもよかったはずだ。

 壮のスープは決して不味くはなかった。気持ち悪くなってきたというわけでもない。

 しかし、今自分の胃にはさっきまで草むらを這っていた『アレ』の死骸がいると思うといたたまれなくなってくるのだ。

 だが、対して詩音は、

「おかわりもらえますか?」

 平然とした顔で壮にお椀を突き出していた。

「ちょっと俺も散歩してきます……」

 椅子から立ち上がり、逃げ出すように歩き出そうとすると、

「おかわりいいの?」

 2杯目を手にした詩音が「こんな美味しいもの一杯でいいの?」と言わんばかりの表情で聞いてきた。

「いや、もうちょっとお腹いっぱいでさ。腹ごなしに散歩してきたい気分なんだよ」

「……そう」

 声のトーンを落としスープをすする詩音に、後ろ髪を引かれるような思いを抱きながら、愁はその場を後にした。


 千沙と灯の2人は、他愛のない話をしながら道を歩いていた。

 片側一車線の道路は整備されており新しいが、そこから一歩外側に踏み出すと、そこには人間の手が入っていない自然、闇が広がっている。

 街灯は少なく高い建物も周りに無いため、見上げると天然のプラネタリウムが広がっているが、きれいと感じる前に暗さのせいで不安感が先に来てしまう。

 そんな場所なためあまり遠くに行く気にはなれず、すでに2人は道を引き返しはじめていた。

 風の音や虫の鳴き声が断続的に聞こえてくるものの、通りかかる車もなく辺りは静まり返っている。

「先輩たち、アツアツだったね」

 千沙が遠くを見つめながらつぶやく。視線の先には闇の色に染まった山が、眠りに落ちたように鎮座している。

「……うん」

「……ねえ灯」

「なんだい?」

 千沙は横を歩く灯の方を向く。

 灯の背後にはトタンでできたバス停があった。古びているせいでなにか出そうな不気味さがあり、普段ならばあまり視界に入れておきたくない物体だ。しかし、もっと大事なことがある今の千沙には存在していないも同然だった。

「本当に、先輩とはこのままでいいの? 彼女の妹のままで、このまま、先輩のことを諦めてしまっていいの?」

 灯が学校で愁を見て一目惚れしてしまったと言っていたから、幼なじみの立場を生かして2人を引き合わせようとしたのに、愁が詩音のことが好きだと知ったらあっさり身を引いてしまった。

 でも近くにいればチャンスがあればすぐに後釜に収まることができるから、そう決めてこうやって今でもチャンスがあれば行動を共にするようにしていたのに、灯は何かしようとする気配すらない。

「……今でももちろん好きだよ。だけど、相手が姉さんじゃ勝てる気しないじゃないか。私よりもおしゃれだし、かわいいし」

 灯は千沙と視線を合わせずに答える。

「でも、だからってずっと本を読んでたって」

「だから読んでたんだよ。本を読んでなきゃ、2人が博物館デートしてる事実に耐えられなくて。私もどうすればいいのかわからない。わからないよ……」

「灯……」

 確かに、詩音が相手なら戦う前から戦意喪失する理由は分かる。しかし勝負に出なければ諦めることすらできない。いくら親友とは言えども、灯の気持ちが理解できなかった。

 だが、理解できなくとも灯は親友だ。

「答えづらいこと聞いちゃったね。ごめん」

 重くなってしまった場の空気を少しでも明るくできるよう、精一杯の笑顔を灯に見せると、

「いや、私こそごめん」

 灯もぎこちない笑みを浮かべる。

 2人の間には気まずさがまだあったものの、再び別荘へ向かって歩き始めた。


 愁は2人が去った後、音を立てないようバス停の陰から体を出すと、2人が歩いていった方向に視線を向けた。道はカーブしているため、2人の姿は愁からはすでに見えない。

 2人を驚かそうと思って隠れていたのだが、とても出ていける状況ではなかった。

 まさか灯が自分に好意を抱いていたとは信じられなかったが、練習試合の後といい、芽依とトークの練習をしていたときといい、自分に好意を持っているという前提を知っていれば行動の意図を納得することができる。

 だとすればどうすればいいのだろう。詩音と別れて灯と付き合うべきか? いや、そんなことできるはずがない。だからといっていい顔をし続けているのもためにならない。

 であれば答えは1つ。諦めてもらうしかない。なるべく無理のなく、あとを引かない方法で。

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