勢い余って
土曜日。愁はショッピングモールに来ていた。
あの後話の流れで4人は日曜日にカラオケに行くことになり、愁は詩音の私服姿を見ることができる……と当初は喜んでいたものの、同時に自分も私服姿を見せなければならないことに気づいた。
意中の女の子と会うときに着ていけるような服など持っていない。そんなわけで服を買いに来たのだが、
「何にすればいいんだ……」
服屋で路頭に迷ってしまっていた。そもそも、詩音がどんな服が好みかも分からないのだ。
しかしいつまでもこうしている訳にはいかない。気になっていた服を買うことに決めた。
左右で斜めに色が塗り分けられているという斬新さがあり、意味はよく分からないが英文がプリントされているのもクールだ。袖をまくると違う柄が顔を出すのもアクセントになっているし、何よりセール価格だ。
「よし」
愁が服に手を伸ばそうとすると、
「ストーップ!!」
どこからともなく千沙が現れた。休日ということもあり私服姿で、胸元にリボンのついたブラウスに、黒のAラインプリーツスカートというガーリーな格好だ。
「千沙? なんでここにいるんだよ」
「モールぶらついてたら先輩を見つけて後をつけてたんですよ。そんなことより、これ着て詩音先輩と会うつもりじゃないですよね?」
千沙は愁の問いには答えず、眉間にシワを寄せ、眉毛を『ハの字』にした表情で尋ねた。
「まあ、そのつもりだけど?」
「……一応確認しますけど、先輩今正気ですよね?」
「もちろん」
「はぁ~」
千沙は頭痛をこらえるように額に指を当て、ため息をついた。
「……正直言って、私からすればこの服は、『俺は他の奴とは違う!』とか内心で思ってそうなオタクが着てそうな服にしか見えないです」
「いやでもかっこいいだろ! 斜めに色が別れてたりとか、柄とかさ」
「いいえ。私から言わせれば、こういうよく分からない模様とか文字が入った服が許されるのは小学生までですね」
「しょ……小学生」
千沙に暗に「お前のファッションセンスは小学生レベルだ」と告げられ、ショックのあまり暗闇に突き落とされたような気分だった。
「先輩は今着ているような服でも全然いいと思いますよ」
「え……? これ?」
愁は自分の着ている服を手でつまんだ。無地の、使い勝手はいいかもしれないが、愁から言わせれば『地味』なシャツで少なくとも勝負服ではない。
「でも、新しい服を買うのはいいことだと思いますよ。そうですね、先輩はこれなんかお似合いだと思います」
「うーん、そうか……?」
千沙が手に取ったのは、愁から言わせれば『遊び心のない』オーソドックスなデザインのシャツだった。
「とりあえず、まずは試着です。ほら」
千沙にシャツを押し付けられ、渋々愁は試着室へ向かっていった。
愁が試着室で着替えを終え、カーテンを開けると千沙が近寄ってきた。
「お似合いですよお客様~」と服屋の店員がいいそうなことを言いながら拍手をし始め、それを見た他の客がクスリと笑う。恥ずかしい。
「……ホントにこれでいいのか?」
姿見で確認したときも思ったが、千沙の選んだ服は決して悪くないとは思う。だが、無難すぎるのではないだろうか。
「先輩はチャラめな雰囲気してるから、これくらい無難な方が逆にバランス取れてるんですよ」
「そういうもんかね……まあ千沙がそう言うならこれにするか」
「はい。きっと詩音先輩も気にいると思いますよ」
いまいちピンとこないが、それなりに服装に気を使っている千沙の言う事のほうがあてになりそうだし、予算を下回る金額なのもありがたかった。
会計を終え2人並んで店を出ると、
「あの、先輩。なかば強引に買わせちゃいましたけど、予算オーバーしてたりしないですよね?」
千沙は視線を落とし、かばんを持つ手を緩めたり握ったりしながら尋ねてきた。今更だが、強引だったかなと反省しているのかもしれない。
「いや、大丈夫だよ。むしろ予算より安く済んで助かってるくらいだ」
すると千沙は顔を上げ、
「それならよかったです。じゃあ、お礼にアイスを奢ってください!」
先程の態度から一転、いたずらに成功した子供のような笑みともに、手のひらを上にした手を愁に向けた。
「……は?」
「はじゃないですよ! 予算は使い切ってなんぼなんですよ?」
「なんぼじゃないだろ! なんでそうなるんだよ」
「あのクソダサシャツを着ていって詩音先輩に見限られずに済んだと思えば、安いと思いますけどね~」
口角を吊り上げて、恩着せがましく千沙は笑う。
「ぐっ……」
それを言われると言い返せないが、千沙には色々と世話になっている。むしろアイスなら安いものだろう。
「まあ、アイスならいいよ」
「やった! ……そういえば最近パッと見た感じ、ちょっと高そうなアイスのお店できたんですよね~」
……思ったより安くなかったかもしれなかった。
カラオケ当日。
私服姿で現れた3人に、愁は見とれていた。
詩音は胸元が広く開いたニットに、短めのスカートという格好。
対して灯はモックネックニットに長めのスカートと、詩音とは対象的な服装だ。
そして千沙は意外にもパンツルックで、子供っぽい髪型であるツインテールとの組み合わせは、思いの外バランスが取れていた。
制服も個性が出せないわけではないが、やはり限度がある。千沙は昨日私服を見ているとはいえ昨日とは雰囲気が違っており、他の2人と新鮮さが劣っていることは決してない。
方向性は違えど3人ともおしゃれではあったが、やはり詩音の可愛さは桁違いだった。
ただでさえ制服姿でも一際目を引くのに、私服姿となるとブラックホールに吸い込まれる光のように視線が引き寄せられてしまい、見つめてしまわないようにするのが大変だった。
受付を済ませると、8人は座れそうな広めの部屋に通された。他の客が歌っているのだろう、カラオケ店特有の低音が聞こえてくる。
愁たちの住む市のカラオケの多くは、店内へ飲み物やお菓子の持ち込みが自由なため、客員が持ち寄ったものをテーブルの上に広げる。
「じゃあ、最初は私が曲入れますね」
トップバッターの千沙が入れたのは、愁が名前を聞いたことがあるようなないような、微妙なところの女性アイドルグループの曲だった。しかも振り付け付きだ。ノリノリで歌う千沙に、カラオケ開始時特有のお互い探り合うような空気が吹き飛んでしまった。
次に歌い始めたのは灯。愁の好きなロックバンドの曲で、比較的最近のものだ。
灯が好きなのはなんだか意外だなと考えているうちに、灯が歌い終えてしまった。
「あれ、先輩曲入ってないですよ?」
「すまん、すぐ入れる」
次の曲を入れるのを忘れてしまっていたが、何を歌うかはもう決めていた。灯が入れた曲よりももっと前の、デビューして間もない頃の曲だ。曲発表当時、まだ愁は生まれていない。
サブスクで音楽を聴いていたときに偶然流れてきて、初めて耳にしたときの衝撃を今でも愁は覚えている。意識が空想の『あの頃』へ連れていかれてしまったのだ。
昔の曲は最近の曲と比べると洗練されていないものの、だからこそトリミングされていないそのままの感情が心にダイレクトに伝わってくるような強烈さがある、というのが愁の持論だ。それに古い曲特有の雰囲気が逆に新鮮だった。
メンバーがまだ若かったころのPVをバックに歌い終え、「最近の曲は良くも悪くも小綺麗になっちゃってるんだよなー」と面倒くさい古参ファンのようなことを言い、ディスプレイに視線を向けた。次に曲を入れた詩音が何を歌うのか気になったからだ。
「なんだと……?」
詩音が歌い始めたのは、先ほど愁が入れたのと同時期の曲だった。
とある劇場アニメの主題歌に使われた曲で、最初はテンションを上げていきたいカラオケにおいてぴったりな一曲だ。
詩音も同じロックバンドが好きだとは愁には予想外だったが、それならばここはもっと同時期の曲を入れててアピールしていくべきなのではないだろうかと思ったものの、露骨なアピールは減点になってしまうだろうし、他の2人がやりにくいだろう。
結局愁は2周目からは他の曲を入れることにしたが、詩音がなぜこのロックバンドが好きなのか気になって仕方がなかった。
カラオケが始まってから2時間が経過したころ、灯の様子がおかしくなった。バラード曲を演技かかった様子で歌い終えると、
「先輩イェーイ!」
脈略なく愁にハイタッチを求めてきたのだ。
「お、おう。イェー……イ」
今の灯は妙に陽気で、また違うキャラを使い始めたのかと思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。体がふらついており、様子がおかしい。
「灯大丈夫?」
千沙が尋ねると、
「何を言ってるんだい。どう見ても大丈夫だろう。君は何年私の友達をやってるつもりなんだ?」
本人は大丈夫と言っているが、滑舌が怪しいし、発言内容も当てつけがましい。
千沙は灯がさっきまで飲んでいた缶を手に取ると、
「あっ、これお酒だ! すみません、お母さんのチューハイ間違って持ってきちゃったみたいです……」
パッケージには『これはお酒です』と書かれていた。最近のチューハイには飲み口がジュースとさほど変わらないものがあるので、これはジュースだと決めてかかって飲むと気づかないこともあるのだ。
「うぅ……なんだか気持ち悪い……」
灯の顔色が悪くなり始めた。アルコール度数も大したことないのだが、どうやら灯は相当酒に弱いようだ。未成年の飲酒ダメ絶対。
「ちょっと灯をトイレに連れて行ってきます。……立てる?」
「うぇ~い……」
千沙は灯の体を支えながら、外へ出ていった。
部屋の中が一気に静かになる。相変わらず他の部屋からの振動音が聞こえ、テレビからはアーティストが自曲を宣伝する動画が流れているが、誰かが歌っているときと比べると寂しさを感じる静かさだ。
気まずい沈黙が室内に漂う。
詩音はタッチパネル式リモコンを操作しているが、何か歌いたい曲があるというわけではなさそうで、手持ち無沙汰をごまかすためだろう。つまり、話しかけるチャンスだ。
その前に緊張して熱くなっている体を冷やすために何か飲みたかった。愁は未開封の缶を空けると、半分ほど一気に飲んだ。思ったよりぬるくなっているというかむしろ体が熱くなってきた気がするが、気のせいだろう。
意を決し、愁は口を開いた。
「……そういえばさ」
「うん」
詩音はリモコンを操作するのをやめて顔を上げた。
「みな……じゃなくて詩音も一曲めに入れてたよな」
「うん。神田くんが歌ってるの見て、私も歌いたくなったから入れてみたんだけど、神田くんもやっぱり好きなの?」
「ってことは、みっ、詩音もか?」
「うん。一曲めにそれ入れるって分かってるなーって思ってた」
あまり深く考えずに選んだのだが、詩音の評価を上げられるとはまさに怪我の功名というやつだ。
「そういえば、し、詩音はどこで知ったんだ?」
「ちょっと前に私の周りで古い曲を聴くのが流行っててなんとなくYoutubeでPV見てみたんだよね。そしたらボーカルがTHE オタクって感じで、最初はうっわーって思ったんだけど、いざ曲を聴いてみたら見た目とのギャップのせいかな? なんだか好きになっちゃって」
目を細め、クスっと音を立てて詩音は笑った。普段教室で詩音を観察していても見かけない反応だ。
「なんていうか、司みたいだよな」
「確かに」
詩音が相好を崩す。普段冷たい印象を与える詩音の目だが、それだけで『綺麗』と感じる前に『かわいい』という感情が先に来るようになる。女の子って不思議だ。
何より、自分の発言で詩音が喜んでいるという事実にもっと笑わせたい、喜ばせたいと思えてくる。
「そういえば灯も最初に最新曲歌ってたけどさ、今の曲もいいけどやっぱりあの時期の曲が一番いいよな」
「だよね。最近の曲も安心して聴いてられるから好きなんだけど、なんていうか生の感情がそのまま心に響いてくるというか」
「わかってるじゃ〜ん!」
1つ言葉を交わすごとに、愁の上半身は無意識のうちに前傾姿勢になっていく。
それにしても、なぜだか分からないがよく話せている気がする。そのおかげだろうか、興奮状態にあるようで、頭が熱い。
「昨日も思ったけど、私達って結構気が合うんだね」
気が合うね発言再び。やはり他人に向かって「気が合う」はある程度の親近感を抱いていなければ使わない言葉だ。それを2度も。これはイケるのではないだろうか。いや、行くべきだ。急に場の空気を変えたりせずに、あくまで自然に、話の流れ的に不自然にならないように。
「だよなー! ここまで気が合うんだから、俺たち付き合ったら上手くいくんじゃないかな」
「……」
詩音は呆気に取られた表情で固まっていた。
「あれ……?」
もしかしてやってしまったのだろうかと思った次の瞬間。
「――うん。いいよ」
まるで「宿題写させて」に対する答えのようなノリだった。
「まっ……マジで? それってOKって意味の『いいよ』だよな?」
念を入れて確認するなんて格好悪いと思いつつも、尋ねずにはいられなかった。
詩音はもみあげをつまみ顔側に持っていき、愁から顔を背けると、
「その……私も恥ずかしいから何度も言うのはちょっと」
つまり、OKということなのだろう。
頭が追いつかない。もちろん、上手く行ってくれと願いながら発した言葉だったが、本当に上手く行ってしまうと目の前で起きていることが嘘のように思えてくる。
この詩音の反応を信じるならば、今日から詩音は自分の彼女……もちろん代名詞としての意味ではなく、恋人という意味での彼女ということになる。
現実味がない。おかげで今すぐにでも千沙が「ドッキリでしたー!」と言いながら部屋に入ってくるところを想像してしまう。
お互い相手をじっと見るわけでもなく、かと言って完全に視線を外しているわけでもない微妙な雰囲気を漂わせていると、千沙と灯が戻ってきた。
「戻りましたー。ってあれ、どうしたんですか?」
「あ、いや、なんでもないよ」
愁は飲みかけの缶を手に取り、口に運ぼうとすると、
「先輩……それもお酒です」
どうやらダサい大人御用達の『酒の勢い』に頼ってしまったようだ。
その日の夜。愁は電話越しに千沙から叱責を受けていた。
『はあ? 酒の勢いで告白しちゃった?』
『……』
グループ通話に参加している灯からも無言の非難が伝わってくる。
「……すまん」
目の前に千沙はいないのに、日本人のDNAに刻まれた本能から、頭をつい何度も下げてしまう。
『まあ、私がうっかりお酒紛れ込ませちゃったのも悪いですけど』
「そうだよ。おかげで上手く行ったんだし――」
これで千沙達に手伝って貰う必要はもう無いな、と言おうとしたところで、
『これで私達をお役御免なんて言わないですよね? 先輩なんて言ってみればやっとおむつが取れたばかりの子供みたいなものなんですから、これで私達がいなくなったらすぐ愛想をつかされちゃうに決まってます』
完全に先を読まれてしまっていた。
確かに、千沙達の協力があったから上手く行ったというのは事実だろう。うっかりボロを出して愛想を尽かされないためにも、しばらくは協力してもらったほうがいいかもしれない。
『というわけで2人の関係はなるべく私達に報告の上、極力この4人で一緒にいましょう♪』
「……分かった」
断る選択肢はなく頷くしかなかったものの、それにしてもそこまで4人でいようとするのには、どこか腑に落ちないものがあった。
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