進展

 翌朝。

 愁は自転車置き場から生徒昇降口へ続く道で、千沙と灯、そして詩音の3人が前を歩いていることに気づいた。どうやら3人一緒に登校してきたようだ。

 本来ならば声をかけるべきなのだろうが、2人だけならまだしも詩音がいては気まずすぎる。

 それにせっかく女子だけで盛り上がっているのだから、そっとしておいたほうがいいだろう、と自分に言い訳をし、気づかなかったフリをして横を通り抜けようとすると、

「あっ、せんぱ~い! おはようございます!」

 しかし千沙に気づかれてしまった。広げた右手をブンブンという音が聞こえそうなほど大きく左右に振り、朝から昼間のようなテンションの挨拶が飛んでくる。

「おっ、おう……おは……よう」

 こうなっては、もう逃げることはできない。

 引きつった笑みを浮かべつつ、力なく千沙に手を振ると、横にいる詩音と目が合った気がして、脳が急激に判断力を失っていく。

「あれ、2人って顔見知りなんだ」

「そうなんですよ! 先輩とは所謂『幼なじみ』というやつです」

「あ、そっか。千沙って途中で転校してきたんだっけ」

 詩音と千沙の会話を耳にし、今がチャンスなのだと愁は気づいた。このタイミングならば、会話に加わってもなんだ不自然ではない。

 前回詩音に話しかけられたときは無愛想な態度を取ってしまったが、もう同じミスは繰り返さない。

 愁は意図して目を見開き、口角を釣り上げると、

「そうなんだよ! 実は千沙とは昔家が近所で――」

「プッ」

 最後まで言い切る前に千沙がなぜか吹き出した。

「なんですかその顔。朝からにらめっこですか? じゃあ私も」

「違うわ!」

 目と口角を元に戻し、変顔を作ろうとしていた千沙にツッコミを入れる。

「へえ、気心知れてるって感じだね。さすが幼なじみ」

 口調に変化はなかったが、詩音の口元に笑みが生まれる。

 日頃愁が観測している範囲では、詩音が声を立てて笑うことはなく、せいぜい口元が動くくらいだ。つまり、それなりにいい反応だと言えるのではないだろうか。

「そ、そうなんだよ! 昔はよく一緒に遊んでたなー。というか、今日は早いんだな」

「今日は気持ちよく起きられる気候だったから」

「気候? あ、ああ! 確かに今日は天気がいいもんなー」

 ムリにテンションを作っているせいか、声が普段より高くなっているし、なぜだか背中に汗がにじむ。

「……」

 理由は分からないが、詩音は愁をじっと見つめ始めた。

「な、何?」

「神田くん、もしかして体調悪い?」

「いっいやいやいや! 全然元気だから! ほら!」

 腕を曲げて力こぶを作るポーズを取る。長袖を着ているので外からは見えないのだが。

「そう? 汗かいてるみたいだし、熱でもあるのかなと思ったんだけど」

 詩音はきょとんとした表情で首を傾げる。

 体調を気遣ってくれる優しさ、そして反則的な可愛さの仕草に内心では感動していたが、状況が状況なだけに喜べなかった。

「先輩は詩音先輩と話してて緊張してるんですよ」

「ち、千沙!」

「間違いなくそうだね」

「え、ちょ……」

 動揺から、まるで関節が錆びついたロボットのような不自然な動きになってしまう。

「え? 私たちクラスメイトだよね。そんなに緊張しなくてもいいと思うんだけど」

「そ、そうだよな〜。アハハハハ」

 内心では「それができれば苦労しねえよ!」と思いつつも、まったくその通りだ。乾いた笑いでごまかす。

「……それにしても、千沙って神田くんの事よく見てるよね。実は付き合ってたりするの?」

「え?」

「はい?」

 その一言に、愁と千沙、そして灯も凍りつく。

 即座に否定しようとしたものの、先に言葉を発したのは千沙だった。

「そんなわけなじゃいないですか〜。先輩は、あくまで先輩、ですよ」

「あ、そうなんだ。ごめんね」

「いえいえ」

 凍りついていた空気が溶けていき、愁は安堵のため息をつく。

 このときの本心を隠すかのように、唇を閉じて微笑む千沙の不自然さに、第三者ならば気づけたのかもしれない。

 しかしその時の愁には違和感を抱く余裕もなかった。


 昼休み。愁と司の2人は生徒昇降口に向かって歩いていた。

 愁の通う高校は昼休みに外出が認められており、学校近くのコンビニやパン屋でお昼を購入する生徒もいる。愁達も同じ目的だ。

 目の前に昇降口が見え始めた頃、ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。

 取り出して画面を確認すると、千沙から『先輩どこにいますか〜?』というメッセージが来ていた。

 返信しようと文字を打ち始めると、横から「あ、先輩ここにいたんですね!」と声が聞こえ、そこには千沙と灯が立っていた。2人とも弁当を手にしている。

「一緒にお昼食べましょ!」

「俺は構わないけど……司、いいか?」

 横に立つ司にお伺いを立てると、

「いや、俺は遠慮しておこう。他のヤツと食べることにする」

 司は3人に背を向け、歩き始めた。

 罪悪感から、「その、悪いな」と司の背中に声をかけると、

「いや構わないさ。愁にとっては大事な場面だからな」

 司は立ち止まり、上半身だけを愁に向けて言った。

「……どういうことだ?」

 司がまたおかしなことを言い始めたぞ。そう思いながら尋ねる。

「きっとお昼を食べている途中に選択肢が最低は1つは出てきて、その選択いかんによってルート分岐が決まるはずだ」

「お、おう」

 何を言ってるのかよくわからないが、とりあえず相槌を打つことにする。

 司は「うむ」と満足気に頷き歩き始めたかと思いきや、すぐに立ち止まり振り返ると、

「これだけは言っておく。八方美人はバッドエンド直行だ」

 相変わらず愁には理解のできないことを言うだけ言っておいて去っていった。

「なんか変わった先輩ですね……」

「私には何のことを言ってるのか理解できなかったよ」

 千沙と灯も同様だったようで、困惑した表情で感想を口にした。

「まあ、とりあえず時間ももったいないし移動するか。どこにするんだ?」

「それはですね……」


 愁、千沙、灯の3人は、高校の裏手の丘にある公園のベンチに、愁を真ん中にして座っていた。

「なんでここなんだ……この公園のこと知らないのか?」

 愁は辺りを気まずそうにチラチラと見ながら千沙に尋ねる。

「知ってますけど……まあ、いいんじゃないですかね」

 千沙は特に気にした様子もなく弁当の蓋を開けはじめた。

 この公園自体には特に何か問題があるわけではない。遊んでいる子供もいるし、1人本を読んでいるお年寄りもいる。この公園が特別になるのは、昼休みの間かつ、愁の通う高校の生徒たちの中でだけだ。

「いや、俺らだけ場違い感があって居心地が悪いんだが」

 愁たちの周りは、愁と同じ高校の男女のペア……つまりカップルばかりだ。

 いつからこうなったのかは分からないが、外の空気が心地よい季節になると、ここはカップルたちの隔離場になる。隔離というと聞こえは悪いが、周りもカップルだらけで気兼ねなくイチャつけるということで、何代も前の先輩たちから綿々と受け継がれている伝統だ。

「じゃあ、ここは1号2号公認で二股してるって設定でいきましょうか」

「それなら、もちろん私が1号という設定でいいんだよね?」

「おいちょっと待て」

 インモラルな発言が飛び出し、たまらずツッコミを入れる。

「別に本当に二股する訳じゃないんですから。あくまで設定ですよ、設定」

 千沙はそう言うとウインナーを箸でつまみ、口に運ぶ。

 愁はお茶の入ったペットボトルのキャップを開けると一口飲み、

「いやいや、設定だからってそういうのは良くないだろ」

「ふふ。先輩ってホント純真ですよね。今朝なんか詩音先輩のこと好きなのモロバレでかわいかったですよ」

「ブホッ!」

 愁は飲んでいたお茶を吹き出した。

「わ、先輩噴水みたいですね」

 愁が千沙の前で詩音と話していたのは時間にして数分くらいのものだ。そんなに自分って分かりやすかったのかと思うと急に恥ずかしくなってくる。

「私から見ても先輩の反応は分かりやすかったと思うよ」

「ほらほら~素直になったほうがいいですよ〜」

「か、勝手に決めつけるんじゃない」

 もはや無駄な抵抗なのかもしれない。だが、素直に認めるのも癪だ。

「幸いにして詩音先輩は彼氏いないんですよね〜。よく告白はされるんですが、『ろくに話したこともない人に告白されても困る』って全部断ってるんですよね」

「……」

 ここで喜んでしまったら間違いなくからかわれる。あくまで平静を装おうとしたものの、勝手に口元が笑い始めてしまうのを必死に押さえつける。

「……ちなみに姉さんはスポーツ上手い人好きって言ってたよ」

「マジで!?」

 あれほど必死で我慢していたのに、反射的に灯に詰め寄ってしまった。灯もびっくりしたようで、目を丸くして固まっている。

「う、うん。この前友達から誘われて練習試合見に来てたのも、多分それでだと思う。まあ、あの後『坊主頭はちょっと』って言ってたけど」

「ああ……」

 疑惑が晴れただけでなく、自分にチャンスがあるという耳寄りな情報まで得られてしまった。嬉しさのあまり、千沙と灯に間抜け面を見られているのを気にすることなく、両拳を握りしめ、空を見上げていると、

「やっぱり詩音先輩のこと好きだったんですね〜」

 その一言で我に返った愁の視界に入ったのは、ニヤニヤと笑う千沙の顔だった。もうここまで来ては認めざるを得ないだろう。

「まあ……そうだよ」

 左右からの視線をかわすべく、空を見上げながら渋々認める。

「それじゃあ」

 千沙は立ち上がると、

「私達が協力しましょうか?」

 愁の視界に入るように愁の真ん前に立つ。

 しかし愁の中ですでに答えは決まっていた。

「いや、いい」

「ええ〜? この流れなら普通は頼みますよね?」

「いいよ」

 こういうことは人に力を借りるものではない。自分の力でやるべきというのが愁の持論だ。

「じゃあ、今すぐ詩音先輩をデートに誘ってみてくださいよ」

 急に真顔になった千沙が愁に顔を近づける。

「いや、どうやって」

「普通に連絡すればいいじゃないですか」

「……それはちょっと」

 詩音の連絡先を知らないなんて、とてもじゃないが恥ずかしくて言えなかった。

「あれ、もしかして、連絡先も知らないんですか? そんなんじゃ高校卒業までどころか、定年迎えて社会人卒業してもムリですよ」

「ぐ……」

 言い返すことができなかった。妙に千沙の当たりが強い理由は不明だが、確かにこのままでは一生無理だろう。

「だから、私達に力を借りておきましょう」

 先ほどまでの態度から一転、甘い声をともに笑みを浮かべた。まるで自白を強要する取り調べ中の刑事のようだ。

 なぜここまで協力しようとしてくるのか、何か裏があるんじゃないのかと勘ぐりたくなってくるが、他に頼れる人間はいない。それに千沙は詩音と仲がいいようだし、灯に至っては詩音の妹なのだ。味方に引き入れて損はない。

「……頼む」

 頷くように千沙に頭を下げた。千沙はそれを見て満足そうに頷き、

「決まりですね。では早速今日の放課後詩音先輩を誘いましょう」

 千沙はスマートフォンを取り出すと、文字を打ち始めた。詩音へ今日の放課後が空いているのか確認しているのだろう。

「おい、ちょっと待てよ。今日いきなりって……」

「甘いですよ先輩。何事も決意が固まったらすぐに動かないと」

 千沙はメッセージを送り終えたのか、スマートフォンを再びスリープにした。

「それはそうかもしれないが……」

「あ、もう返信きた。今日大丈夫ですって」

 ここまで来たらもう引き返すことはできなさそうだ。助っ人で試合に参加するときとは比べ物にならない緊張感が愁を襲う。しかし1つ疑問がある。

「放課後どこへ行くつもりなんだ?」

「レイラさんの店でいいんじゃないかな。あそこは姉さんも気にいると思うよ」

「じゃあ決まりですね!」

 灯の一言で放課後の行き先は決まった。しかしなぜあの店を詩音が気に入ると思うのかは分からなかった。


 4人がレイラの店に入るなり、詩音は早歩きで展示ケースの前へ向かっていった。その反応を見る限り、確かに灯が言っていたことは本当のようだ。

 千沙は詩音の隣へ歩いていくと、

「これなんて種類の鳥なんでしょうね?」

 2人の視線の先には鳥の剥製が置かれていた。柄から言って日本固有種ではなさそうだ。条約とか色々あると思うのだが、大丈夫なのか不安になってくる。

 そんな2人を入り口から3歩も歩いていない場所から見ていると、隣に灯がやってきた。

「姉さんと話さなくていいのかい?」

「いや……それは」

 もちろんせっかく作ってもらった機会なのだから、多少ムリしてでも話にいかなければ意味がないと分かっているのだが、隣に立つことすら躊躇してしまうのだ。

「あら、今日も来てくれたのね」

 店の奥からレイラが現れた。今日も金髪が眩しい。

「はい、今日は新しい人も連れてきました。詩音先輩、この店の店主のレイラさんです」

「湊詩音……です」

 千沙に紹介され、詩音はレイラに頭を下げた。

「ミナト? もしかしてアカリのシスターかしら?」

「はい。姉です」

「姉ね。ふぅん……」

 レイラは左手の指先を頬に当て、何か意味ありげに微笑む。

「今日も飲んでいくでしょう? 今日はちょっと暑いからカフェオレとかどうかしら」

「はい! ゴショーバンに預かります!」

「千沙。意味が違う」

 元気よく手を上げた千沙に、灯が冷静なツッコミを入れた。


 4人は左から詩音、愁、千沙、灯の順番で並んで座った。

 詩音は出されたカフェオレを一口飲み、

「おいしい……」

 表情と口調には驚きが混じっていた。

 愁も一口飲む。詩音の反応も納得だ。今まで飲んだカフェオレが、黒い水に牛乳を混ぜてガムシロップで苦味を中和しただけの液体に思えてくる。

「これ、よかったらどうぞ。新しく入ったの」

 カウンター越しにレイラが小皿に入ったお菓子を差し出した。前回はクッキーだったが、今回は500円玉を一回り大きくしたくらいのせんべいだ。

 アイスコーヒーとせんべいってどうなんだろう。というよりそもそもここは何の店なんだと一瞬思ったものの、1枚を手に取り、口の中に放り込む。

 何のお菓子なのかすぐに分かった。これはえびせんだ。一般的なものより粉っぽい気もするが、香ばしさはこちらの方が上だ。えびせんなんて全部同じだと思っていたが、こんなものもあるとは。

 千沙と灯も気に入ったようで、

「最初はアイスコーヒーとえびせんってどうなんだろうって思いましたけど、結構合いますね」

「悪くないね」

 2人とも次の2枚めを口に運ぶ。

「……おいしいけど、これえびせんじゃない」

 詩音はえびせんを親指と人差し指ではさみ、じっと見つめながら言った。

「いやいや、詩音先輩何言ってるんですか。これがえびせんじゃなかったら何だって言うんですか?」

「正解よシオン」

 レイラは腕を組み、満足げに詩音を見ると、

「これはコオロギせんべいよ」

 その一言で詩音を除く3人は凍りついた。だが、その後の反応は三者三様だった。

「……」

 灯は無表情で凍りついたまま、

「コココココ、コッ、コオロギ!? もう、私、2枚も食べちゃいましたよ……あ、いやでもおいしかったし………いやでも、コオロギ!?」

 千沙はコオロギがおいしいはずがないという認知的不協和のせいか取り乱し、

「意外にイケるし……まあコオロギでもいいか」

 愁はあっさりと受け入れてしまいもう1枚食べ始めた。

 しかし詩音は3人の反応のどれとも異なっていた。レイラのネタバレの後と前で特に変化なく自分の分を食べ終えると、

「食べないならもらってもいい?」

 千沙の皿の上に残っているコオロギせんべいを物欲しそうに見つめる。

「……どうぞ」

「ありがと」

 千沙が差し出した皿を受け取った詩音は、愁の空になった皿に視線を落とした。

「あれ、神田くんも大丈夫なんだ」

「え……」

 一瞬時が止まったような気がしたかと思うと、その直後、時ともに止まっていた血液が一気に流れ始めたかのように、心臓の鼓動が早くなっていく。

『当たり障りのない受け答えでこの会話を終わらせよう』という悪魔の囁きが聞こえた気がしたが、それはありえない。詩音と会話をするチャンスなのだから。

「か……」

「か?」

 とりあえず声を出そうとしたらそんな音が出た。いや、「か」ではない。訓練すれば犬でも出せそうな音なんか出していないで、言葉を発さなければ。

「あっ……ああ! うまいよな! エビとはまた違う後味に野性味があるっていうのか、なんか香ばしいよな!」

 無理やり声を絞り出したせいか距離の割に大声になってしまい、詩音は一瞬体をビクッとさせたものの、すぐにその表情は微笑みに変わり、

「へえ……私達、気が合うのかもね」

 その一言は、愁の心地を一瞬にして天へと打ち上げてしまった。

 気が合う。ある程度の親近感を抱いている相手でなければ、決して使わない言葉。それを詩音は自分に対して使ったのだ。そう思うと、表情がニヤケ面へと自然に変わっていく。

「いやあ、湊にそう言ってもらえるなんて、コオロギに感謝しないとな」

「なにそれ」

 詩音が笑う。悪い反応ではなさそうだ。

 きっかけがコオロギというのも複雑な気分だが、これはチャンスだ。ここから普段からコオロギを食べているのかとか、バッタはどうなのかとか話を膨らませていける。

 しかし昆虫トークを始めようとしたところで千沙が2人の会話に割り込んできた。

「先輩、灯のこと呼びました?」

「え? いや、呼んでないけど。呼んだのは湊……あ」

「そうです。今ここには『湊』が2人いるんです。こういうときって名前で呼ぶべきでよね、詩音先輩?」

「私は構わないよ」

 詩音はあっさり許可を出すと、コオロギせんべいをまた1枚口へと運ぶ。

 しかし構う男がいた。愁だ。会話ですらまともに成り立っていないのに、名前呼びだなんて、子供にバーベル100kgを持ち上げろと言っているようなものだ。

 とはいえ、詩音を本人公認のもと名前で呼べるというのは、願ってもない。

「ほ、ホントにいいのか?」

「もちろん」

 念押しでもう一度確認するも、やはり即答する詩音。呼び方の問題は今後もつきまとってくるだろう。許可も取っている以上、名前呼びをしないという選択肢はない。深呼吸し、心を落ち着ける。

「しっ……ししし……詩音」

 発する言葉の意味を考えず、とりあえず口に出すと、

「うん」

 詩音は小さく頷いた。

「お、おう……」

 何だか顔が熱くなってくる。お冷を一口飲みホッとため息をつくと、千沙が耳打ちをしてきた。

「よかったですね。先輩。これで詩音先輩との距離が縮まりましたよ」

「そのさ、別に今じゃなくても良かったんじゃないか?」

 愁も千沙にだけ聞こえる声で返す。

「ホントですか? どうせ昆虫の話にもってこうとしてたんじゃないですか?」

「な、なぜそれを」

「はあ。やっぱり。いいですか先輩。いくら美味しそうにコオロギせんべい食べてたからって、詩音先輩は女の子なんですよ。やはり止めて正解でしたね」

「……ぬ……う……」

 舞い上がってしまっていたせいで、冷静な判断ができていなかったようだ。確かに牛肉が好きだからと言って牛自体が好きというわけではない。自分の短絡的な思考に寒気すらしてくる。

「……何の話?」

 何を話しているのか気になったのか、詩音が体を寄せてきた。それと同時に甘い香りが漂ってくる。

「あ、いや! なんでもないよ。アハハ!」

「……そう」

 詩音は特に追求することなく、愁から体を離す。

 安堵のため息が思わず出る。もし深く突っ込まれてしまったら、ごまかしきれる自信がない。

 しかし、それにしてもいい匂いだった。女の子ってなんであんないい匂いがするのだろう。もう少し嗅いでいたかったと名残惜しさを抱かずにはいられなかった。

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