ラクダのネクタイ

平 遊

~嫁にいく娘へ~

 フォーマルのネクタイを外し、準備してきたネクタイにつけ替える。

 妻は苦笑を浮かべていたが、それでも歪みを直してくれた。


「やっぱり、変か?」

「ええ、変です」


 笑いながら妻が言う。


「でも…今日と言う日には一番相応しいネクタイね」


 さすが我が妻。

 もうじき、私は花嫁の父親として挨拶をするべく呼ばれるだろう。

 込み上げる気持ちを抑えるべく、私はグラスの水を口にした。


 ※※※※※※※※※※※※


「パパ、お誕生日おめでとう!」


 まだ小学生の娘が、小遣いを貯めて私の誕生日にプレゼントしてくれたのは-


「おぉ、ネクタイか。ありがとう、嬉しいなぁ」


 深緑色の生地に、ベージュの小さな模様がたくさん散りばめられているネクタイ。

 スーツ及びネクタイ着用が当たり前の会社に勤めていた私には、本当に嬉しいプレゼントだった。なぜなら、会社にも公然と、愛娘からのプレゼントを身に着けて行けるのだから。


「あのね、これ、ラクダさんなんだよ。ラクダさんが、いっぱいなの!可愛いでしょー」


 目をキラキラさせて、娘が私の隣からネクタイを覗き込む。


「そうだなぁ、可愛いなぁ」


 お前の方が何百倍も可愛いぞと思いながら、娘の頭を撫でていると。


「あっ…」


 小さな声をあげて、娘が泣き出しそうな顔を私に向けた。


「どうした?」

「このコ…ひとりだけ仲間はずれ…」


 そう言って娘が小さな指で指し示したのは、ヒトコブラクダ。他のラクダを見てみれば、他は全てがフタコブラクダだった。


 なるほど、そんな遊び心も隠されているとは、なかなかお洒落なネクタイじゃないかと私は感心したのだが、娘はとうとう泣き出してしまった。


「かわいそう…」


 我が娘ながら、なんと心優しい子なのだろう!


 この溢れ出る愛おしさをどうしてくれようかとジリジリしながらも、私は娘の笑顔を取り戻すべく考えた。

 自分で言うのも何だが、娘は賢い。適当な説明では納得しないだろう。

 そして。

 ようやく自分でも納得のいく説明に思い至った私は、娘の頬を流れる涙をそっと拭ってやりながら、言った。


「かわいそうなんかじゃないぞ」

「なんで?だって、ひとりだけ…」

「そう。ひとりだけ、違うよな。だからこれは、すごいことなんだ」

「…すごい?」

「そうだよ。【唯一の…たったひとつの特別】だからね」


 濡れたまつげをパチパチとしながら、娘なりに私の言葉の意味を考えていたのだろう。

 暫くすると、ようやくその顔に笑顔が戻った。


「じゃあこのコは、すごいコなんだね!」

「ああ、そうだ」

「かわいそうじゃ、ないんだね!」

「もちろん」


 ニコニコとしながら、たった1頭のヒトコブラクダを、大切なものを触るようにして、娘は撫でた。


「コイツを見つけたお前も、すごいんだぞ?」

「えへっ」

「それに、お前だって、パパとママの【唯一の特別】なんだからな」


 屈託のない笑顔を向ける娘。

 私は心の中だけで呟いた。


 いつかお前は、お前だけの【唯一の特別】を見つけるのだろうな。

 寂しいけど…楽しみにしているぞ。



 ※※※※※※※※※※※※


 このラクダのネクタイを、私は勝負ネクタイとしてここ一番の日に必ず身につけていた。

【唯一の特別】であるヒトコブラクダは、会話を和ませるのにも一役買ってくれるし、場が和めば商談だってスムーズに運ぶ。


 そして。

 今日は私の人生にとって、最大の『ここ一番の日』。娘の結婚式だ。

 娘は最高の【唯一の特別】を見つけた。

 さすが我が娘だ!


「パパ…」


 妻がそっと、私の背を押す。

 緊張で聞こえなかったが、どうやら私の出番らしい。

 右手でネクタイに触れながら娘を見ると、娘は驚いたような顔を見せたあと、泣き出しそうに顔を歪めた。

 きっと、娘にも分かったのだろう。私がこのネクタイを着けていることが。


 ゆっくりとマイクの前まで歩き、深呼吸をひとつ。

 もちろん私は、このネクタイの話をするつもりだ。

【唯一の特別】を見つけ、私の元から旅立つ、愛娘への餞として。

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ラクダのネクタイ 平 遊 @taira_yuu

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