16. 呪文

「さあ、やってくれ!」

 一瞬の気の緩んだミサキからパフェスプーンを奪い取った室長が、神に向け両手を広げた体制を取る。

「先は長くない。最期の花道だ」

 すぐに神は室長の方へ腕を伸ばし、目を閉じ聞きなれない呪文を詠唱を始めた。


「室長!」

 ヒビトとミサキの声が重なる。

 室長は二人の姿を見て静かに小さく頷く。そして離れて見守るモロに顔を向けた。

 モロは涙をこらえながら、ぎこちない笑顔でゆっくりと頷いて応じる。


 急速に大きくなる、パフェスプーンを持った室長。その姿は既にボロボロで満身創痍だ。

 そんな室長に向け、ミサキが精一杯の涙声で伝える。

「室長! 呪文! 刺すとき『命捧げます』! 最後に『人生万歳』です!」


「はあ?」

 思わず声が出るヒビト。予想外のバカバカしい呪文に、室長も呆れた表情を浮かべている。

 そんな一瞬が皆の悲しみに、ほんの少し前のスプ室で過ごした日々を思い起こさせた。


 冗談のつもりかもしれないが、どこまでも悪趣味なヤツだ。そんなことを思いながら、三人は室長から距離を取るため再び走る。


 拡大の止まった巨大な室長は、頭上の宇宙船を睨んだ。雲が晴れて全貌が明らかになったそれは、滑らかな楕円形で、まるで巨大な碁石だった。


 そして室長は力強く両足を揃え、

「発進!」

 と叫ぶ。その掛け声と同時に、その身体を空へ飛ばすように、靴を履いた足、脛の部分と順番に爆発するたび空へと昇っていき、見上げるほど高くでその膝の断面から白い炎が猛烈な勢いで噴射されるのが見えた。

 地上に残った三人は、離れた場所で地面擦れ擦れまで姿勢を低くし、その巻き起こす風に耐えながら見守る。

 宇宙船へ近付くと同時に小さくなっていく室長の姿。なんとか丸みを帯びた宇宙船の端に着陸できたのが確認できた。三人から上がる歓声。

 そして室長は腰を落とし、両手で持ったパフェスプーンを、身体を捻じるようにして振り上げる。宇宙船の中心部に向け刺すために。

「命、捧げます!」

 寝かせるように、パフェスプーンを深く突き刺す。

 その瞬間、室長の煮え滾るような頭に冷たい嫌な予感が走る。あまりにも手応えがなかったのだ。

 しかし、そんな嫌な予感を振り払うように、腹の底から叫ぶ。

「人生万歳!!!!」


 そこで爆発が起こり、すべてが終わるはずだった。


 空の宇宙船の端で、パフェスプーンを突き立てたまま固まる室長。その姿を目の当たりにした三人に戦慄が走る。

 ヒビトは焦ったように、神に詰め寄った。

「おい! 爆発するんじゃなかったのか!」


 柔和な顔のまま、空の方を見つめていた神は、あっけらかんと口にした。

「やられました。あの宇宙船の内部、異空間と繋がっているみたいですね」


 堪らずそのまま神の胸倉を掴み、さらに問い詰める。

「どういうことだ! 説明しろ!」


「ヒビトさん!」


 そんな興奮したヒビトの襟首が掴まれ、神から強引に引き剥がされる。

 静観していたモロだった。


 代わりにアルファが神へその理由を確認する。

「異空間で爆発が起こり、あの宇宙船にはダメージが全くないということですね?」


 それに神は平然と答える。スーツの乱れを整えつつ、まるで自分と無関係のことのように。

「そうです。手の打ちようがありません」

 

 打ち砕かれた希望。それを深い絶望が呑みこむ。もう終わりだ。そんな空気が場を支配する。


 ただミサキは心を侵食する闇に必死で抵抗していた。何か突破口があるはず、そんな微かに残った希望だけが頼りだった。

 ただ何かが引っ掛かっている。心細さに折れそうになりながらも懸命にその糸口を探す。

 そして、答えに辿り着く。絶望に開いた針の穴ほどの隙間、そこから差し込む一条の光に気付いたのだ。


「室長を巨大化させましょう」

 ミサキの一言が重く暗い沈黙を破る。そして続いたのは冷酷な提案だった。

「室長を巨大化し続けて、次元にヒズミを発生させるんです」

 モロがそれを理解する。

「次元の歪……ブラックホール! 

 ブラックホールを発生させて、宇宙船を呑みこませようってことだね! それなら可能性はある!」


「そうです! 神様、それは可能ですか?!」

 熱に浮かされた様子でミサキが神に聞く。


「できるよ。巨大化だけならね。でも、どういう結果をもたらすのかは保障はできない」

 神の返答は変わらず平熱だった。そして、落ち着いた声のまま問いかける。

「それで、その代償として誰の命を捧げてくれるのですか?」



 ヒビトはそんな展開される会話を、傍でただ聞いているだけだった。しかし、その心中は決して穏やかではない。

 ミサキの提案の残忍さを軽蔑する心。室長を犠牲にする罪悪感、嫌悪感。代替案を出すことのできず、否定することしか考えられない己の無能さ。何も役に立っていない自分に対する自己否定。

 そんな負の感情が心の中で渦を巻き、自分自身の何もかもが、その闇に呑みこまれてしまいそうな感覚に陥る。自分の中に残った怒りを、力に変えることすらできない。


 そんななか、室長との過ごした時間の記憶が甦っては消えていく。

(室長、俺やっぱりダメみたいです)

 頭の中の室長に向かい、懺悔するように許しを乞う。悔しくて涙が零れそうになる。

 その室長は、笑いながらそんなヒビトをからかう。

『まったく、ケツの穴の小せえ男だ』

 そして、しっかりとその顔を見据えてこう言う。

『大人になれ』



「……俺の命だ」

 ヒビトが、神の問いかけに答える。

「俺の命を捧げる!」


「ふーん。それでいいんですか」

 神の気の抜けた最終確認にも、ヒビトは力強く答える。

「構わない! 室長の覚悟を無駄にできない!」


「ヒビトさんダメです! 私の命を捧げます!」

 ミサキもそれに同調する。


「ミサキ頼む、ここは俺に格好つけさせてくれ」

「いや、でも!」


「じゃあ、三分の一ずつでどうかな?」

 そこへモロが朗らかに提案する。

「でも、僕が年長者だから、多めに出すけどね」


 三人の気持ちが重なり、こんな絶望的な状況にもかかわらず、フッと笑みがこぼれた。

 そして神を見つめる、三人の真摯な眼差し。


 「はあ」という溜息と共に出る、呆れたような神の声。

「もういいですよ。私は邪神でもないので、何も捧げなくて結構です。でももう金輪際、神頼みはやめてくださいね」

 そう告げると、神は一息つき、小さく見える室長に向かって再び腕を伸ばす。


 モロは二人を両側に抱き寄せ、静かに力強く言った。

「これでいいんだ。僕たちは間違っていない」


 空を見上げる三人の目から涙が止めどなく溢れる。


 呪文を詠唱する声が響いた。

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