13. スプーン教Ⅲ
目立った事件がなければ、時が過ぎるのは早い。
スプーン対策特別室での招集から、数ヶ月が経とうとしていた。
その場で聞いた話は、ヒビトに拭い去れない影を落としていた。平穏な日々に隠れつつも、間違いなく近付いている絶対的な危機の存在。それはどんな時でも、頭の片隅から不気味にこちらの様子を伺っているようだった。
脱皮を遂げた「ビルイーター」の出現は、日に日に増加している。ヒビトは気を紛らわせるかのように、その対応の手伝いに奔走した。
「スプーン」とミサキの持つ神器であるパフェスプーンに関しては、引き続き変化に注意を払いながら情報収集に努める、現状維持の方向で決着した。こちらから行動を起こすことないし、そもそも何もできない。
ミサキは休日に、御朱印集めや、病院や施設でのボランティア活動を始めたらしい。それも「スプーン」対策の一環として。その休日の過ごし方を嬉々として話している姿を前にすると、改めてミサキは、女というものは強いな、と深く感じる。
◆
数ヶ月前と変わらぬ様子で帳台の内側にいる代表教徒、その脇にヤシロが控えている。外から微かに聞こえる蝉の声が唯一違った。
スプーン教から室長宛てに連絡があり、その代理としてヒビトとミサキが再び屋敷を訪れている。
「室長は急用で来れません」というヒビトの言葉に、ヤシロは顔を覆うように眼鏡を正しながら
「全くあの人は……」
と小さく口にした。
カミイとは途中の廊下ですれ違った。その紳士的な外見は、口の前で立てた指と軽いウインクで秘密をお願いしてきた。そのとき改めて自分の気持ちを再認識したのだ。コイツを神とは信じたくない。
「単刀直入にお伝えする。今回あなた方をお呼び立てした理由は、近々甚大な被害を及ぼす危機が起こるからだ。しかしそれは「スプーン」ではない。
宇宙から来たる巨大な未知の生命体によるものだ」
真っすぐにこちらを見据えるヤシロ。その目に一点の曇りもない。
「ちょっと待て。あんたらの専門は「スプーン」だろ。なぜそれ以外の危機について言い切れる?」
と透かさず指摘する。
そのシャツの裾を引っ張りながら小声で注意するミサキ。
「ちょっと……ヒビトさん」
それを一瞥し、ヤシロは帳の奥にいる代表に顔を向け、確認するように小さく頷く。
「我らが代表教徒様は、未来予知の能力をその身に備えておられるのだ」
ヤシロの非現実的な告知。
帳に顔が隠れた身動き一つしないその身体に、俺とミサキは驚きの視線を向ける。関わらずヤシロは言い切った。
「そしてこれは、御加護である」
「付き合ってられねえ。これだから、何かを盲目的に信仰する連中は気に入らねえんだ
俺は呆れたように腰を上げる。
「ヒビトさん! いい加減に」
「私としても、不本意です……あなた方のような無作法者の集まりに、代表教徒様のお慈悲を与えるのは――」
眼鏡を正すヤシロ。
「それに、今日はよく吠えますね。この野良犬」
「いま何て言った!」
振り返り、ヤシロに向かって荒々しい歩調で近付く。その胸倉を掴もうとする俺を止めるため、駆け寄るミサキ。
面倒そうに一つ息を吐いたヤシロは、自分に向け伸ばされた腕を両手で掴み、それを内側に巻き込むようヒビトの身体を背中で受け流す。鈍い衝撃音と共に床へ叩きつけられる。
軽く息を整えたヤシロは、掴んでいた腕を離し、装束の襟と眼鏡を正す。そして、床にぶつけた後頭部を抑え悶えるヒビトを見下しながら、
「お似合いですね」
と感情なく言い放った。
「大丈夫ですか!?」
「ちくしょう! この野郎!――」
((お止め下さい))
またヤシロに食って掛かろうとしたヒビトの頭に、女の声が響く。
((これ以上、見たくありません))
ハッキリと頭の中に聞こえる。気のせいでは片付けられない位に。
ミサキにも聞こえているようで、両手耳をで塞ぎ、信じられないという顔をしている。
「姉さん!」
ヤシロが取り乱すように、帳の奥に呼びかける。
((構いません
私は、スプーン教徒たちの代表。あなた方の聴覚に直接話し掛けています))
(トリックではない。これは現実だ)
そう気付くと同時に嫌な汗が滲む。
そんな気持ちを振り払うかのように、帳で顔の見えない代表に声を向ける。
「こんな回りくどい方法じゃなくて、直接話せばいいだろう」
((それができれば良かったのですが。私は、未来予知と、幾つかの特別なご加護を授かった代償に、人としての機能のほとんどを失っているのです))
その答えに息を呑む。
((これから襲来する敵については、あなた方の一人と共にある者が良くご存じだと思います。
その日は、三日後。人類の未来が掛かっています))
「三日……」
その突然の目前に迫る危機に、はっきりと嫌な汗が背中を伝う。
「それで……その後の未来はどうなるのですか?」
一縷の望みを託すようなミサキの質問。重い沈黙。
((わかりません。そこから時空が歪んでいて、その先は……))
そのか細い代表の声が、暗闇に覆われる想像上の未来に重なった。
◆
(この屋敷に来ると、ロクなことがない)
そんな忌々しい考えが、暗い気持ちに浮かぶ。
「こんなことばっかりですね」
と、ミサキが弱々しく笑う。同じ気持ちらしい。
案内される先に、柱の影から不意にその姿を現すカミイ。
小さな手の合図で、案内の者は頭を下げその場を立ち去った。
「どうでした?」
「どうもこうもない。何ならあんたに神らしいところ、見せてもらいたいね」
呑気な質問に、俺は悪態をつく。
「それは無理です。そんな都合の良いことは、ありません」
何もしない神の回答に、もはや溜め息しか出ない。
「でも、準備も進めていますし……頑張れば、なんとかなりますよ!」
と、両手を握り締め小さく前に出すミサキ。
(この前向きさをべきかもしれない)
そんな考えに、ふっと力の抜けた笑みがこぼれる。
「とにかくミサキさん、いざとなったら、いやそうならなくても、パフェスプーン、元の大きさに戻して使ってくださいね。私はそれを伝えたかったんです」
「はい。わかりました」
神の言葉に、ミサキは従順に頷く。
「それとヒビトさん。もう少し冷静になった方が良いですよ」
「余計なお世話だ」
反発するように俺はそっぽを向いた。
そうしながらも俺は、これからの行動について考えを巡らせていた。
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