11. 対策特別室の招集

 現庁舎の地下にある「調査研究室」は部署として独立し、他で回収された未知のものについて解析調査を担当していた。特殊事件対策庁にとって、その地位は別格である。そのため、スプ室と似た名前、同じ地下だが、その待遇は天と地ほどの差があった。

 そして本来、自分のような立場の人間が立ち入ることのできる場所では、決してない。


「場所取るのよね、コイツ」

「調査研究室」室長の白衣を着たマトバが、大きく広げられたビニールシートの上に乗せられた「ビルイーター」の亡骸を顎で指して言う。打放しコンクリートが周囲をを囲む、がらんどうの空間に響く。


 初めて見る「ビルイーター」は、嫌悪感を抱かせるぬめった黒い表面を蛍光灯で照らされながら、その巨体を力なく横たえている。体の中程には深く切り裂いた跡。これが決定的な一撃となったと予想がつく。

 頭部に当たる部分と言えばいいのだろうか、そこから伸びた何本もの透き通った黒い触手が、黄色く泡立ったゼリー状の粘液で固まっている。

「――あと、臭いのよ」

 油性インクと動物園に漂う臭気を混ぜたような、科学的で生々しい腐敗臭が辺りに漂う。マスクを着けていないが、人体への影響はないのだろうか。


「俺の手柄を邪険に扱わないで欲しいな。コイツが例の穴の事件の元凶なんだよ。労いのひとつもかけて欲しいね」

 室長もその亡骸を前にして言う。それをマトバは鼻で笑った。


「で、コイツの正体は何だと思う?」

「遺伝子を弄られて化物になった元人間、ってとこかしら」

「まんまだろ……そんなことできるのか?」

「今の我々の科学技術では不可能ね」

「じゃあ、宇宙人?」

「さあ?」

 室長とマトバは、古い付き合いなのだろう。年齢も近い気がする。


「なんでも、急に人の中からコイツが出てきたとか」

 俺がどちらにともなく質問した。


「そうみたいね。脱皮、といったとこかしら。その際の残留物もあるけど、見る? 人の抜け殻。なかなかよ」

「結構です」

 フィクションでは笑えるのだろうが、現実に存在する実物があると思うと、胃の辺りが少し引き攣る。


「つまり、人類以外の何者かが、か弱い一市民の遺伝子を勝手に弄った。そして順調に成長を続けた中身がある日突然、人間の殻を破って羽化した。そんなとこか?」

「そんなとこね」

 機械のようなマトバの返答。


「マトバ室長、借りてきました」

 出入口のシートシャッターが上がり、モロがチェンソーを手に入ってくる。


「ありがとう。でもさすがに、マスク無しは危険か」

 チェンソーを受け取りながらマトバが呟く。


「モロさん、どうしてここに?」

「お手伝いだよ。実は僕、未知の生物も結構いけるクチなんだ」

 モロの屈託のない笑顔。


「モロ。区切りがついたら、スプ室に戻ってくれ。今後について皆で話がしたい」

「了解です」

「マトバも、何かわかったら連絡してくれ」

 そう言い終えると、室長は出口の方へ向かう。


「ちょっと」

 そんな室長をマトバが呼び止める。

「アンタこの化物、どうやって仕留めたの?」

「どうって……見たまんま、その辺にあった立て看板で、ぶった切ってやっただけさ」

 その答えに、マトバの表情が微かに曇る。

「嘘つき」

 マトバは気付いていた。この化物の致命傷が、弱点であろう核を貫通した細い直線の跡によるものだと。


「さあ、やりましょうか。これからまだ運ばれてくるみたいだから」

 そんなマトバの声を背に、室長の後についてシートシャッタ―を抜ける。


(俺の質問も、きっとはぐらかされるのだろうな)

 なんとなくそう思った。


 ◆


 スプーン対策特別室。

 二つ合わせた長机の周りに、メンバーの四人が揃う。勤務中に全員の招集がかけられたのは、これが初めてだった。のほほんとしたモロさん以外は、普段と違った神妙な面持ちをしている。


 肘の付いた手を顔を隠すように組む室長が、待ち構えた空気に言葉を発する。

「皆に集まってもらったのは他でもない――」

 緊張が走る。

「どう考えても俺に気があると思うんだ。あの姉ちゃん」

 一気に弛緩する。


「いや、室長。夜活の報告はいいですから」

 俺の力の抜けた一言に、

「えー、ホウ・レン・ソウは大事でしょ」

 と口を尖らす。


「気を取り直して。知っての通り、例の穴の事件の犯人が特定された。まだ首謀者に関しては不明だが」

 ミサキが驚いた(そうなんですか?)という顔で俺に目配せする。(あとでな)と俺もそれに目線で返事する。


「あと「スプーン」に関しても大きな進展があった。ミサキが自称「神」から神器と呼ばれるパフェスプーンを託さた。そしてそれを使い「スプーン」を阻止する使命が与えられた。そうだな?」

 ミサキが小さく頷く。


「それで、だ。これからスプ室としてどう動くかが問題となる」


 正直、俺自身このグチャグチャに散らかった状況で、何をどこから手を付けるべきか、全く見当がつかなかった。

 本来の役割である「スプーン」対策に専念すべきか?

 それとも、スプ室として深く関わってしまった「ビルイーター」の問題に取り組むべきか?

 そもそも「スプーン」対策となると、俺はミサキのサポートという任務に就くのだろうか?

 考えが一向にまとまらない。


「まず諸君に、改めて伝えておきたいことがある」

 室長が再び注目を促す。

「なぜ今の「スプーン対策特別室」が、こんなボロい旧庁舎の、陰湿な地下室にあるかについてだ」

「えっ! それは私たちが厄介だからじゃないんですか?」

 ミサキが言ってはいけない暗黙の了解を口にする。


 チッチッチッ。室長がワザとらしく指を揺らす。

「わかってないなー、ミサキちゃんは。この私だよ。その気になれば、現庁舎の空調のガンガン効いた、最新設備の部屋に移すことだってできるさ」

 確かに室長が本気になれば、十分可能な気がするのが恐ろしい。


「ココが都合良かったのさ。情報漏洩を防止して、秘密を積み重ねていくにはね」

 室長はそう言いながら視線動かす。その先には、モロの柔和な表情があった。


 ◆


 約三年前。

 すでに「スプーン対策特別室」の責任者の立場であった室長と、開発管理部から異動してきたモロは出会った。

 当時のモロは荒れていた。理由は、その上司にとって都合の悪い真実の口封じのため飛ばされたから。

 初対面の際も、モロは室長と目を合わすこともできず、下を向きモゴモゴと名前を言っただけだった。


 スプ室に移ってからも、特に決められた仕事はなく、モロは席で一日中机に向かい、何かをボヤいているように見えた。おそらく、元上司への恨み辛みの類だったのだろう。

 そう。昔のモロは今と違い、暗かった。

 そんな姿を見て、室長はいつも溜め息をついていた。宝の持ち腐れだな、と。


 モロが劇的な変化を遂げたのは、それから半年が過ぎようかという頃、ある日突然だった。


「室長、おはようございます。何か自分にできる仕事ってないのでしょうか?」

 その顔を上げるモロの姿に、室長は(夢を見ている)と勘違いしたほどだ。

 気を取り直した室長は当然、モロに尋問を行った。

 重い口をやっと開き、躊躇するその口から語られた、信じられない出来事。

 室長の思考には柔軟性があり、かつ寛大だった。

(本人が良いなら別に問題ないか)

 室長はそう思うようにした。明るくハツラツとした性格に生まれ変わった、満更でもないモロの姿を見て。


 ◆


「では、モロ。改めて自己紹介を頼む」

 と、室長は話を譲る。


(何を言っているんだ?)

 俺とミサキは、そのやり取りに付いていけず呆然とする。


 モロの開かれる口。その中から普段とは違う声が聞こえてくる。


「初めまして、私は地球の遥か彼方に存在した意識。君たちが言うところの宇宙人だ」


 固まる二人。そんな俺たちに、モロの普段の声が補足した。

「共存してるんだ」

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