8. スプーン教Ⅱ

 「スプーン」を阻止する能力!?

 思わず身を乗り出す。しかし、カミイの話は続く。 

「能力の二点目が、「スプーン」発生を予知する力――」

 勝手に展開していく新たな真実に、俺は混乱していた。沸騰した頭から漏れ出す思い。抑えることができず、話を大声で遮ってしまう。

「ちょっと待て! 「スプーン」がわかる? そんなバカな話があるか!」

 嘘だと自分に言い聞かせる。鼓動は早まり、汗が滲む。


 静かに控えるヤシロが射貫くような視線を向け、ミサキが謝りながら俺を抑えるように押し戻す。

 そんな状況に少し冷静になった。

「……すみません。取り乱しました」


 平然と見守っていたカミイは「いいかな?」と軽くあしらい、何もなかったように説明を続ける。

「「スプーン」の発生が近付くにつれて、神器に触れると違和感を感じるようになる。これは感覚的なことなので説明が難しい。実際のその場で体感して欲しい――」

 

 悪い夢を見ているようだった。

 今まで全く手掛かりもなかった「スプーン」に関する情報が、こうも呆気なく出てくるものだろうか。自身の今までの行動、人生の無意味さを突き付けられているようだ。

 膝に置かれた拳に力がこもり、血が滲むくらい爪が食い込む。


「そして最後。この三点目が一番重要な能力だ。この神器に「スプーン」へ捧げる、力を集めて欲しい」


 声が遠くに聞こえる。分厚い壁、もしくは大きな空洞が頭の中にできたみたいだ。

 提示された情報について、もう何も考えられない。考えたくもなかった。


「力とはすなわち、生命のことです」

 呆然自失のヒビトの隣で、押し黙って聞いていたミサキが「生命」という単語に、慌てたように立ち上がる。

「生命ってなんですか! 「スプーン」を止めるために、誰かを殺すっていう意味ですか!」

 その姿は完全に取り乱している。


「落ち着いてください。「スプーン」から人々を救うための神器で、誰かを殺めることがあれば、それこそ本末転倒です」

「でもっ……いや、そうですよね。すみません」

 ミサキは肩を竦める。今のヒビトにミサキを気遣う余裕はなかった。

 並んだ意気消沈した二人は、力なく俯いている。


「力を集める方法は二通りあります。一つが、信仰心と紐づけされた力を集める方法。これは、我々が行っていることです」


 情報が通り過ぎていく。


「勿論、支障をきたさない程度。僅かな量を大勢の信者の方々から頂戴します。人々を集めなくても逆に、人々が集まる場所へ行くという方法もあります。例えば、大勢の人が参拝に訪れる寺社仏閣に行くとか、初詣など人が集まる行事に行くとかですね」


 考えることを放棄したにもかかわらず、知らなかった真実が勝手に流し込まれる。それを先刻まで、必死に探し求めていたはずだった。


「もう一つの方法が、その場に力が溢れている場に行くことです。例えば、病院、事故現場、災害現場などが――

 それに空気中に漂っている力は、一定の期間が経過すると自然に霧散するだけ――

 神器に集められた力は集積され捧げられます。生贄の儀式がその役割を――

 説明は以上です。ご理解いただけましたか?」


 終わりを告げた説明に対して、憔悴し切ったミサキが質問する。

「あの……「スプーン」を阻止するためにはどれくらいの力が必要なのでしょうか?」


「力の必要量に関しては、わからない、が答えです。言い換えると「スプーン」を感じたら足りなかったということでしょう。言うまでもないですが、そこから改めて力を集める必要があります」


 俺は目の前の現実ではなく、俯き、目を逸らし、ずっと頭の中に沸き立つ疑念と対峙していた。


 何もなかったこの十年間の平穏は、誰かの命の上に成り立っていたのか?

 真相を何も知らなかった俺は、的外れな努力を重ねて、意味のない行動をしていたのか?

 仮に知っていても、俺に何ができたというのか?


 結論の出ない纏まりを欠いた思考の断片が、無力感を引き連れて全身を巡る。

 心は凍て付き、頭は空洞のままだ。その空洞に俺の独り言が反響し、堂々巡りのそれが全身に浴びせられる。


 カミイが最終確認をとるように二人を見下ろしている。二人はわかっていても顔すら上げることができない。

 その様子を見届けたヤシロは徐に立ち上がった。

「では、案内の者に出口までお送りさせましょう」

 案内の者を呼ぼうとするヤシロを、穏やかにカミイが制する。

「私が二人をお連れします」

 驚くヤシロ。

「カミイ様がそんなお手間を――」


 やりとりが行われる間、横顔に伏目がちな視線を感じていた。しかし、俺はそれにも応えることができなかった。


 ヤシロと沈黙したままの代表教徒に礼を述べ、カミイに続き部屋を後にする。

 全身から力が抜け気怠い気分のまま、その背中に付き従う。


 さっきまでの出来事がすべて遠い過去、夢、幻のように感じる。

 この屋敷から出れば、また以前の自分がいた現実に戻ることができるのではないか。そんな現実逃避が首をもたげる。


 中庭に面した廊下に出ると、唐突に前を歩く背中が振り返り、ミサキに話し掛けた。

 その笑みを湛えたカミイの表情は変わらない。

「ミサキさん、数日ぶりです」


 突然のことに、ミサキは目を丸くする。

「何を言って……先程お会いしたばかりのはず、ですけど」


 笑顔の奥に潜む目が、そんな困惑する姿を捕らえている。

「人を外見だけで判断してはいけません。仕事上、人智を超えたものを相手にするミサキさんなら尚更です」


 懐疑的であったが、直感が示す些細な違和感が、認識の中に徐々に広がり確信へと染め上げていく。

 発する気配が明らかに違う。


「ヒビトさんにも、改めてご挨拶を」

 カミイの外見をした何者かが、こちらへ身体を向け、姿勢を正し、手を添えた腰を軽く屈める。

 妖しい眼光が俺をつかむ。


「初めまして「神」です」


 ◆


 部屋にはまだ、二人の気配が残っている。


「これからの出来事に耐えられるでしょうか」

 ヤシロの窪んだ座布団に向けられたままの視線。

「僅かなズレが、大きな結末の誤差に繋がります」


「そこまでする必要は……わかりました。いざとなれば――」

 ヤシロの声だけが部屋にこだまする。


「大丈夫です。心配ありません――」

 黙った代表教徒の白く透明な瞳は、帳の遠くに向けられている。

「姉さん」


 ◆


(普段なら狂人の戯言だが)


 距離を空け、背後のミサキをかばうように構えを取る。

「カミイさん。冗談なら少し笑えないです」


「そうでしょうね。別に構いません」

 その笑顔は張り付いたようだ。


「あと、ミサキさん。スプーンを小さくしたこと、他の人に言ってはいけませんよ。駄々っ子をなだめるため、特別だったんですから。通常ならそんなことしたくありません。物質を大きくしたり小さくしたりすると、空間と次元の間に歪みが生じる可能性があって安全とは言えないのですから」


 ミサキはそんなカミイの姿へ恐る恐る、俺の背後から少し顔を出す。

「本当に神様? なんでここに、しかも、そんな微妙な名前でいるの?」

 

「失礼な。私としては、神という名前でもよかったのですが、色々とややこしいですからね。

 ここにいるのは、教徒代表とその弟を守るためです。大勢の教徒を束ねるには、いささか若すぎると思いましたので。

 別にあなた方に私の存在を教える必要はなかったのですが、そこは気まぐれです。

 あと、もう機会がないかもしれませんが、二人に私の正体が神であることは秘密でお願いします。恐らくもう気付いているのですが、一応」


「そもそも神様なら、こんな回りくどいことしなくても「スプーン」は止められるんじゃないのか?」

 返事のわかり切った質問。可能であれば、こんな状況になっていない。


「残念ながら、それはできません。管轄が違うんですよ。できれば楽なんですけどね」

「そうか」

 わかり切ってはいたが、またその場しのぎの空元気が抜けていく気がした。

 そんな俺を心配そうに見つめるミサキ。

(人の心配してる場合じゃないだろ)


「それでは引き続き、玄関までご案内します」

 カミイの姿をした神は、前方に身体を戻し歩き始める。


(ありがたみを感じない、神のお導きだ)

 そう思いながら、神の背中に付き従った。

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