7. スプーン教Ⅰ
「なるほどね。建物を食べる、さながら「ビルイーター」ってとこか」
室長が、特殊現象捜査二課の穴の件に関する報告書に目を通しながら呟く。
読み終えた室長は不満げだった。
「伏線回収が甘いな。報告書としても、小説としても」
「すみません。仮説を立証する材料が全然足りなくて」
「結局は犯人を現行犯逮捕するのが、一番手っ取り早いんだけどね」
そう言いながら、報告書にハンコを押し、
「ミサキちゃん、特殊現象捜査二課の課長に回しといて。ついででいいよ」
と、ミサキへ渡した。
「はい。わかりました」
受け取るミサキは昨日と違い、まるで憑き物が落ちたようだ。
そんな様子に、俺は密かにひと安心していた。
「ヒビトには穴の事件から外れて、本来の「スプーン」調査に戻ってもらう」
目の前の室長が新たな命令を下す。
「加えて、しばらくの間、ミサキと行動を共にするように」
◆
ミサキが二課へ報告書の提出に行く間、俺は先に現庁舎裏の駐車場で待つことにした。
青空を眺めていると、唐突な背中への衝撃で平和な気持ちが台無しにされた。
「よっ! ボーっとしてんなよ!」
見ると、カタオカがニヤニヤしていた。
「穴から外れて、女連れて捜査とは良いご身分だな。羨ましいぜ」
「勘弁してくださいよ」
すると一転、顔を引き締たカタオカが俺の顔を指さす。
「あと、これだけは言っておく。建物を食う化け物なんていない。考えすぎだ」
そう言い切ると、反論する間もなく、カタオカは片手を上げてその場から立ち去る。
「あとのことは、俺に任しとけ! 真相ってやつをお前に見せてやるぜ!」
高く上げられたその手は、親指が誇らしげに立てられていた。
「ヒビトさん、なんか絡まれてましたね」
ひょっこり現れるミサキ。そのすまし顔の下に、笑いを堪えているのがわかる。
「お前、見てたな」
「はい。でも、私がこの場に来ていたら、もっとからかわれてたでしょ?」
「そんなガキじゃあるまいし」
と言いつつ、小さくなったカタオカの背中を見送る。
「悪い人じゃないんだけどな」
◆
「立派なお屋敷ですねー」
目的地の前に到着したミサキが、目を丸くして素直な感想をそのまま口にした。
格子状の門の向こう側には、手入れの行き届いた前庭と、奥に横に広がる瓦屋根の日本家屋が見える。
ここが室長から行くよう指示のあった場所、「スプーン教」国内支部責任者の屋敷だった。
(本当にあの人が持ってる人脈、底知れないな)
そう思いながら、ヒビトは門の脇にあるインターホンを押す。
物腰柔らかい、白い割烹着のお手伝いさんに案内され、立派な玄関ホール、廊下を通り過ぎる。たびたび、背後でウワーっと感嘆の小声を上げるミサキ。その度、顔をしかめるヒビト。
目的地であろう障子戸の前で立ち止まり、和室に通された。
広々とした室内。中央に置かれた座卓を挟み、ヒビトとミサキは向かい合って座った。
「美味しい」
出されたお茶を口にしたミサキが、深呼吸するようにしみじみと言う。対照的にヒビトは茶碗に手すら付けていない。
「「スプーン」と関係あるのか?」
そのヒビトの質問に、茶碗を包むミサキの手が微かに動揺を示す。
「急に何ですか? それなら、私もれっきとしたスプ室の一員ですよ」
「いや、今回の同行の理由に関してだ。室長から指示があったのは、ここで話を聞くこと。それ以外はない」
「じゃあ、「スプーン」について、有力な情報があるのかもしれないですね。それで、私にも同席して聞き洩らさないようにしておけ。そういうことじゃないんでしょうか」
ぎこちない笑みを浮かべ、またミサキはお茶を口にする。
(ヘタクソか)
ヒビトは何かを隠し切れていない真正面のミサキを見て思う。
(しかし解せない。「スプーン」に関する決定的な情報があるのなら、なぜ今まで聞き込みを行っていない?)
頭の中を整理し、事実を並べ糸口を探す。
(ここ最近のミサキの様子。昨日、室長が「スプーン」に繋がる何かをミサキから聞いた。そして、その何かは、スプーン教にとっても、重要なこと――)
スプーン教。
「スプーン」によって現世の魂が救われる。「スプーン」が神の意思だと好意的に受け入れ、その教えを布教する団体。その信者は世界中に存在し、国内だけでも数千人と言われるが、正確な規模はわからない。
「スプーン」という甚大な被害をもたらす超常現象を他人事と捉える呑気な思想。信者から崇められる雲の上にいるであろう神。そのすべてに俺は苛立ちを覚える。
◆
決め手に欠いた考えを巡らしていると、障子戸の向こうから声が掛かり、さらに屋敷の奥へと案内された。屋敷の中は人の気配がなく、静寂で満たされている。
装飾の施された襖が開かれると、広い空間の中央の奥に帳台が置かれている。四角い台座の四隅の柱がその下ろされた真っ白な帳を支えている。台座の上には、鎮座する白く厳かな着物姿。その顔は帳で隠されている。そして帳台の脇に控える、白い装束を身に纏った眼鏡の男。その姿は敬虔な銀行員のようだ。
隣で深々とお辞儀をするミサキを尻目に、俺は正面から視線を逸らさない。
「どうぞ、お座りください」
眼鏡の男の言葉で、置かれた座布団に腰を下ろす。
「話は伺っております。ヒビトさん、そしてミサキさんですね。私はヤシロ。スプーン教・支部代表教徒様の補佐をしております」
ヤシロは、その見た目通りの淡々とした口調で話を続ける。しかしその鋭い視線はミサキに向けられていた。
「そして今回、ミサキさんに、神からの啓示があったそうで」
(神からの啓示? 何の話だ)
隣に目をやると、驚きと困惑を合わせた表情のミサキ。申し訳なさそうに俺に目配せをしている。いきなり本題に入るとは予想していなかったようだ。
そしてミサキは、踏ん切りがついたように姿勢を正す。その表情からも決意が伝わってくる。
「はい。神と自称する少年に会いました」
発せられたその返答に、俺は自分の耳を疑った。しかし、その言葉は続いている。
「そして、その少年から、これを渡されました」
言い終えるとミサキは、懐から折り畳まれたハンカチを取り出し、その手の上で開く。そこには細長いスプーン、何の変哲のないパフェスプーンが、仰々しく乗せられていた。
それを見届けたヤシロは、ミサキに近付くと、
「失礼します」
とハンカチごとパフェスプーンを受け取り、帳台の前に跪くと、鎮座する代表へ恭しくそれを差し出した。身じろぎひとつしなかった、代表の華奢な手がゆっくりと動き出す。その指先でそっと慈しむようにスプーンに触れた。張り詰めた厳かな空気が場を支配している。神聖な儀式のようだ。
スプーンから指先が離れると、ヤシロは頭を下げたまま後ろに下がり、間を置いて、
「ありがとうございます」
と口にしながら、それをミサキの手元へ戻した。
帳台の脇へ座り直したヤシロは告げる。
「確かに、その神器は神からの啓示に相違ない」
断定された事実。神、啓示、パフェスプーン、神器。もはや理解の処理速度を完全に越えてしまっている。知らない間に世界が一変したようにさえ感じた。
処理落ちし固まったどす黒い顔色の俺に構わず、淡々とヤシロは続ける。
「――しかし未だかつて、そのように小さな神器を見たことがない」
返答に困るミサキ。何か後ろめたいことがあるような仕草。
「……はい。大きさについては、私が、神様に、大きすぎるのは持ち運びに不便だと、小さくしてもらっ……いただきました」
場の空気が凍り付く。
「――ただ、本当に長いパフェスプーンを持ち歩くのは大変だったので、お願いしてみたら……元の大きさに戻すことは自分でできます。もう一度小さくはできませんけど」
無表情のヤシロが、静かに手で顔を覆うように眼鏡を正す。
「それとして、その神器に関して、その責務はご存じですか?」
「いえ。詳しくは……武器にもなる破壊力があることは知っていますが」
「なるほど。しかし、それはこの神器本来の使命ではありません――」
「そこからは、私が説明しよう」
その声が響き渡ると同時に、帳台の影から男が不意に現れる。ロマンスグレーに撫でつけられた髪と、同じ色の整えられた髭、ヤシロと同じ装束を身に纏っている。
ヤシロは立ち上がり、その男に深々と最敬礼した。帳の向こうの代表も心なしか頭を下げたように感じる。
「話を遮って申し訳ない。私は、カミイと申します。ヤシロと同じく代表教徒様の補佐をしております」
見るからに紳士的な男。
こちらも軽く挨拶をする。
カミイは、帳台を挟みヤシロと反対側の脇に腰を下ろした。
「改めて、この神器は三点の能力を有している。
一点目が、先程の物理的な力の付与。つまり、打撃用の武器として使用することができる。ただし、これは付随的な能力だ。本来の責務を果たすための能力は、残りの二点にある――」
カミイは、こちらの理解を確かめながらその顔に笑みを湛えたまま丁寧に説明を続ける。
しかし何故だろう。その目の奥は笑っていないように感じる。
カミイの口角が微かに上がった。
「「スプーン」を阻止するための能力だ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます