2. 穴の事件

 到着した新築マンションは十三階建てで、その外観は出来立てを誇るような、汚れのない白だった。

 現場はその正面から裏の駐車場へと続く、車が通れない位の脇通路の途中にあった。隣の敷地との境には塀が立ち、人通りも滅多にないような場所だ。


 建物に穴が開けられる事件。

 近頃頻発するその事件は、目的不明、方法不明、犯行の規則性もない。当初は悪質な悪戯とも考えられたが、開けられた壁の材質や厚みが、単なる悪戯の範疇を越えていたことから、その線もすぐに消えた。

 そして、壁に開けられたそれは、単純に穴と呼ぶにはいささか奇妙だった。


 ◆


 室長から「特殊現象捜査二課」の手伝いを指示されたヒビトは、そのバディ、カタオカと二人で現場のマンションへ向かうこととなった。


 ヒビトが自己紹介すると、相手の反応は大体二パターンに分かれる。

 一つが、複雑な表情を浮かべ、さりげなく関係の距離を取る。

 そして二つ目が、少しニヤけるだ。

 カタオカの反応は後者だった。


 ヒビトの自己紹介が終わると、カタオカは顔を緩めた。

「お前が、例の……」

 そう呟くと、おもむろにヒビトに近付き、その背中をバンバンと叩き始めたのだ。

「俺は、嫌いじゃないぜ!」


 最初は、カタオカの唐突な行動に驚いたヒビトだったが、そこに悪意は感じられず、内心ホッとした。

 しかし同時にこうも思った。叩き過ぎではないかと。


「カタオカさん、痛いです」

 そんなヒビトの訴えもどこ吹く風、手を止めることなく、

「そうか? これくらい、俺からしたら労わってるつもりだぜ。

 気合が足りないんじゃないのか?」

 と口を開けて大きく笑う。

 ヒビトはそんなカタオカに対し、苦笑いを浮かべるほかなかった。

(いい人そうだが、熱量が高すぎる……大丈夫か?)

 

 後日、鏡に映ったヒビトの背中に、クッキリと無数の手形が浮かんでいたことは言うまでもない。

 

 ◆


「こりゃ、ひどいな」

 遠目に見えた現場の壁にカタオカは呟く。

「……そうですね」

 ヒビトにも、それがドリルやホールソーといった工具の類で開けたものではないと、すぐに判った。

 壁には大小無数の穴が開いており、そのほとんどが丸ではなく、縦長の楕円形のような形をしている。

 穴の輪郭は、何らかの方法で溶かされたように所々盛り上がり、まるで冷え固まったロウソクのようだった。力によって破壊されたものではない。

 カタオカは、その歪な輪郭のフチを確かめる。

「スベスベしてやがる」

空いた穴からは、壁の中を走る配管や配線が見えるが、そこに破損は見られない。

(ほんとに、壁だけなんだな)


 現場まで案内したマンション管理人は、観察する二人の傍で、

「どうしてこんなことになったんでしょう。できたばかりなのに。困りました――」

と一人愚痴をこぼしている。

「壁の破片が見当たらないですけど、掃除しましたか?」

 ヒビトが質問すると、

「いいえ、そのままです。

 触りたくも、近づきたくもありませんよ。まったく――」

 とまた愚痴を続けた。


「カタオカさん、これやっぱり溶かしてますね。

 しかも、一旦穴を開けた後、その壁の断面に溶解液を塗るようなやり方で」

 カタオカは、そんなヒビトの意見を鼻で笑う。

「そんな愉快犯いるのかよ。手間かけて、分厚い壁に穴開けてよ。

 いたとしたらそいつ、よっぽどの暇人だぜ」


(暇人、か。確かに時間もかかるし、そもそも時間をかけるにしても、この壁を溶かすほどの薬品なんて存在するのか? それとも高温……いや、馬鹿げている)


 考えながら、ヒビトは壁から距離を取り、全体を見渡す。

 無数に空いた穴は、丸い花模様のような形もあるが、大抵は開けられたあと下に向けて広がる縦長だ。幅は肩幅くらい。そして、並んだ穴は一定の高さの範囲に限られ、極端な高さの箇所には見られない。おおよそ上半身、腰から頭くらいの範囲。


「カタオカさん、被害の建物って、新築ばかりですか?」

「いや、新築だけじゃない。比較的新しい建造物が多いが、郊外の中古の空き家の被害もある。ここよりも被害が大きい。躯体を残して穴だらけだ」

「マンション。一戸建て。ビル。商業施設。工場。今のところ確認されてる被害は建物ばかりですけど、それ以外の物はないですか? 例えば、車とか」

「いや、今のところそういった報告は来てないな。建物だけだ。人の出入りがあるような」

 会話を手掛かりに再び考えるが、明確な糸口は浮かばない。

 頭を捻る様子のヒビトに、カタオカが思い出したように付け加えた。

「でもよ、不思議なことに、古い廃屋の被害はないんだ」


これまで物質が溶けるような事件はあったが、こんなに特定の物に限定して頻発する事例は初めて聞く。

(仮説は立てられるけど、断定はできないし、そのどれも非現実的で、馬鹿げている)

思考を巡らせるヒビトの顔を、カタオカが覗き込む。

「どうだ?」


「カタオカさん、ちょっと近いです」

「なんだよ、神経質だな」

「人か……人の大きさをした何かの犯行だとは思うんですけど、それ以外に関しては、正直わかりません」

「まあ、そんなとこだろうな」

 間近で穴を見ていたカタオカも壁から離れ、ヒビトに並ぶ。


「でもよ。わかんねえのは、お前のトコの室長が、どんな手でこの事件の補佐にヒビトをねじ込んだのかだ。

 普通はこんなデカい事件に他部署の人間、関わらせないぜ」


 カタオカの指摘は的を得ていた。ヒビトの他部署の手伝いは、人員を割く余裕のない事件や、手のかかる雑務がその大半だった。メインの事件は、部署内で内密に捜査を進めることが慣例だ。

 そもそも室長の具体的な仕事の指示も例外的だった。その基本方針は「自分の仕事は、自分で探せ」である。

 そこから、答えが導き出される。

 室長が何らかの目的のため、ヒビトをこの事件に関わらせる必要があった。そしてその必要のため、ある程度の地位にある人間を、その握った弱味で脅した。

(どう考えても、真っ当なはずがない)


「ウチの室長、こういう訳の分からない事件、大好物なんですよ。

 そんな自分も負けず劣らずなんですけどね。正直今、実際の現場に来れて興奮してます」

「はあ? なんだそりゃ」

 誤魔化すヒビトにカタオカは怪訝そうな顔を向ける。しかし、そのおどけた表情は変わらない。

 カタオカは、諦めたように一息つき、気を取り直して言った。

「よし! 次の現場に行くか」

「そうですね」


「あの、どうでしょうか? 犯人捕まえていただけそうでしょうか?」

 そんな二人の様子を見た、管理人が不安そうに尋ねてくる。

「大丈夫、心配するな! 悪事を働いた奴は捕まる。世の中そういうもんだ」

 カタオカは、ガハハと笑いながら、管理人の背中を励ますように叩く。

「痛いな、アンタ!」

 カタオカとその横で文句を続ける管理人の後姿にため息をつく。

(本当に訳の分からない事件だ)

 ヒビトは腑に落ちないまま現場を後にした。

 

 ◆


 ノセは、電車の外を流れる風景を眺めていた。飲食店でのバイト帰りで、空は少し夕方に染まり始めている。

 数えきれないほどの建物が通り過ぎていく。一戸建て、瓦屋根の一戸建て、住宅地の新築、レンガのレトロな雰囲気のマンション、モザイク模様のマンション、決まった型の二階建てのアパート、団地、謎の工場。

 幼い頃から電車に乗っているとき、ただ風景を眺めるのが好きだった。


 風景に目をやりながら、不意に少し前の出来事が頭の中で再生される。


 その日もバイトの帰り道、駅から自宅アパートまで歩く途中だった。

 突然プッツリと途絶える記憶。

 その直前に心当たりもなく、気を失うような経験は人生で一度もない。

 気が付くと、アパートの自分の部屋のベッドの上に、昨日の服装そのままで仰向けになっていた。ショルダーバッグを置くどころか、靴すらも脱いでいない。

 しばらくボーっとしていたが、頭が徐々に冴えてくる。

 ハッと、枕元にある置時計を確認した。昼過ぎ。とっくにランチタイムは始まっている。

(ヤバい!)

 そう慌てて店に連絡するも、急遽の代わりが見つかったらしく、問題ないそうだった。その子への「ありがとう」の伝言を頼み、「忙しい時にゴメン」とともに電話を切り、急いで店長へも謝罪メールを送る。

 ノセにとって、バイトの遅刻もこれまで経験にないことだった。

 後日、代わりシフトへ急遽入ってくれた子へ、お礼の意味を込めて、デパ地下でお菓子の詰め合わせを買う。一人だけにでは角が立つなと、結局みんなの分も合わせて休憩スペースに置いておくことにした。

(別に、スーパーとか、コンビニで買っても良かったのにな)

 こういうとき変に見栄を張る自分が少し可笑しくなる。今月は少し切り詰めないと。


 回想から、目の前の風景へと意識が戻る。


 ただ最近、少し変わったなと感じることがある。


(チョコレート。モカ。チーズ。少し固そうだな。カラフルで口の中が弾けて楽しそうだ。長いのはサクサクしてそう――ダメだ、埃っぽくて嫌な味)


 以前は、風景を眺めているだけだった。

 しかし今は、どうしても想像してしまう。

 目に留まる一つ一つの建物を食べたら、どんな味なのだろうと想像してしまう。


(あの白くて新しいマンション、新鮮な生クリームみたいで、美味しそうだ)


 想像するだけで、子供の頃に戻ったような愉快な気持ちになる。

 緩みそうになる頬をノセは必死に抑えた。

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