29.「ディスイリュージョン」-10

「……審査はそんなにぬるいモノではないはずです」


 事と場合によると、データ申告は納税以上重要な義務である。変装で簡単に誤魔化せるようでは国もいよいよ終わりだ。


 冒険者登録時は厳しく身体検査され、測定用の器具をも用いて種族、年齢、性別、年齢ないし冒険者の力量と直結する天賦の種子タレントポイントの数も全部測られる事になっている。


 どうやって虚偽申告を通せた?


「それは……カーミラ?」


 誤魔化せというグレゴリアの無言の目配りも虚しく。


「私の職業ジョブ拷問官トーメンター。強力な幻覚を見せる特殊技能スキルを持っているわ」


 カーミラはズバズバと言い放つ。


「……なるほど。器具を騙す事はできませんが、計測されたデータを読む人間を欺くのは造作もないと」


「そうなるわね。ククク……」


 年末に近いこの季節特有の寒風が吹きすさぶ。


「思い返せば、短くも充実した二日でした」


 遠い目で農園を眺めるベルナは静かに語る。

 大切な学びを得て、少女は今、己が任を達成した実感を握り締めた。


 よく見れば、鍋料理の定番である雪葉スノーリーフも育てているな。

 温度変化に強く、うっかり煮過ぎてもふやける事はない良い食材だ。

 これからも、今眺めている雪葉スノーリーフのように、堅忍質直に生きたいと、思った。


「では、お三方。バッチリ罪状が確認した事ですし、私は冒険者管理局に戻り報告するお仕事がありますのでこれで。お見送りする必要は――」


「待って待って待って」


 グレゴリアに両肩を掴まれた。初めて弱気の彼女を見た。


 しばらく唸った後、酷く困った顔でグレゴリアは語る。


「……これについては、私のせいなんです」


「分かりました。では《戦争詩人ワーバード》は要注意人物リストブラックリストから懸賞首リストレッドリストに移動するよう申告しますね」


「待って。楽しんでいませんか?私の言い訳聞いて?」


 若干楽しいベルナであったが、仕事は仕事。余程の理由がない限り、これを報告しないのは土台無理な話だった。


「天人って記録すると、この子が死んでない事がバレます。それは避けないといけません」


 結論から語るグレゴリアの口から出たのは、思ったより深刻な理由だった。


「カーミラ。背中のそれ、見せなさい」


「あんまり見られたくはないわね。見ていて気持ちのいい物でもないわ」


「……分かっています。だから命令形にしたのです」


 有無を言わさないグレゴリアの言葉には、二人の間にしか通じ合わない、温度のある何かがあった。


「ずるいわぁ」


 カーミラは、困りながらも楽しそうな表情をしていた。

 あっけらかんとした様子で、彼女はおもむろに上着を捲り上げ、ベルナにその腰を見せた。

 それに合わせ、グレゴリアは仮面を外し、己が疵面しめんを再び大気に晒す。


 それを見て、ベルナは即座に理解する。

 カーミラは元々片翼という訳ではない。右の方は、切り落とされたのだ。


 いや。「切り落とす」、は正確ではない。


 羽根の付け根の断面部分はジグザグで、逆時計順に歪む螺旋を描いている。その上、グレゴリアの顔にある火傷と似た色をしていた。

 恐らく当時は捩じり落とされた形だったのだろう。木から果実をもぎ取るように。

 その痛みと苦しみたるや、見ているだけのベルナでも想像すると少し身を竦ませた。


「翼は我々天人にとって特別な部位。飛行能力だけでなく、マナ循環の心臓部であり、また、羽並びは天人にとって髪以上に重要視される女性としての第二の命」


 複雑な表情で、グレゴリアはカーミラの傷に軽く触れた。

 元上官が重い空気を出しているのに、片翼の天人はおどけた顔をしている。それもまた彼女なりの気遣い方なのかもしれない。


「……だから、誰もそれをトカゲの尻尾とは想像しないのです」


 カーミラに服を直させ、グレゴリアは再び仮面を付けた。


「私が脱走兵になった後、抹殺任務を請け負うのがこの子。その任務を投げ出して、こっちについて来たのです。追撃する途中、私の顔に疵を残した奴にやられたと偽装工作をして」


 ベルナはカーミラの羽の傷を思い出す。


「それで、あの色……」


「ええ。お互い治癒魔法のエキスパートでしたが、私はもっぱら肉体と精神に作用するダメージに作用する魔法を担当し、呪いと解呪はこの子の領分。私の顔を治すため、まず消えない傷跡を付けた呪いそのもののアルゴリズムを解明し、ある程度再現出来ましたが……まさか自分に使うとは」


 ベルナは、幼い頃メイドの仕事を奪って、父に紅茶を運んだ事があった。

 案の定躓き、熱湯を両手に浴びた時の痛み。大人になった今でもハッキリと覚えている。

 カーミラが自分の急所である翼に施した攻撃は明らかにそれの何倍も何倍も苦しかったに決まっていた。


「……別の隠蔽方法はなかったのですか?それこそ、その。グレゴリアさんに負けました、とか」


「ククク……」


 わざとらしい作り笑いをしながら、カーミラは会話に割り込む。


「トウフ」


「はっ?」


 突然出されたまったく前後文が読めない単語に、ベルナは間の抜けた声を出してしまった。


「トウフという食べ物は、分かるかしら」


「え、ええ。栄養価の高い植物由来の、えっと、植物本来の味を味わうプディングですよね?」


 外交場面で見た、他国の要人に振る舞う料理の中で何度か見た白い立方体をベルナは思い浮かべる。


「そうそう。その認識で構わないわ。隊長が畳んだお布団が、トウフになるのだわ」


「……いつの話ですか。恥ずかしいからやめなさい」


 珍しく羞恥を露わにしたグレゴリアの態度が、逆にベルナの興味を引いた。


「何の話ですか?」


「軍の規律の話だわ。我々の様な国外を飛び回る実働部隊は、基本新兵の時から色んなシゴキを受けるのだわ。その一環がベッドメイク」


 嬉々として喋り出すカーミラは、奇怪な身振り手振りで生き生きと情景を描写する。


「自分で使った寝具を、自分で片付けるのは当たり前なのだわ。そして、駐屯地にいて、掛布団がある事の有難さも兵士の体に刻み込むのね」


「ほうほう」


 聞いた事もない文化に、ベルナは興味津々であった。


「そして片付けただけじゃあ生ぬるいわね。上官の厳しい検査を受ける必要があるのだわ。ベッドメイクの一つも出来やしないゴミ虫は戦場に出ても無駄死にか、戦友の足を引っ張るだけという理屈だわ。その評価の標準の一つが、掛布団をいかに四角い感じに折り畳めるか、だわ」


「掛布団を、ダイスみたいな形に折るのですか?」


「その通りだわ。丸みのある、畳み方が手ぬるい隊員は大目玉を食らうの。ある程度慣れた兵士たちは、誰が一番四角い感じに出来るか競うようになるのだわ。まあ、娯楽の少ない軍人同士のおふざけよ」


「へー……」


「そんな中、隊長はトウフよ」


「トウフ……」


「ええ。それはもう素晴らしく平らな六面と、鋭利な角が出来る感じだわ。目を疑うわよ、貴族の嬢ちゃん。布団という柔らかいモノがこんな形になるのは魔法を使ったに違いないと思う程の完成度だわ」


 ほへーとベルナは口を開きながら想像する。

 お布団が、トウフに。


「想像し辛いですね……その」


「何かしら」


「……言い難いのですが、グレゴリアさんが物凄くお布団を畳めるのが上手なのは伝わりましたが、さっきの話題との関連性が見えません」


「三年間。毎日、私が起きた時には、既に隊長のベッドの上にはあの魔法じみたトウフが存在していたわ」


 ゆっくりと、カーミラはベルナの目を見ながら語る。


「分かるかしら?隊長は士官よ。兵とは違うわ。身の回りの事を誰かにやって貰うのが、当たり前なのだわ。貴族なら分かるでしょう?」


「ええ。役割分担ですね」


「隊長付きの勤務兵もしっかり毎日振り分けられているのにも関わらず、毎日毎日。我々部下がやっている日常的な苦労を、この人はサボったり、他人任せにした事などないのだわ」


「……もういいでしょう。結論を言いなさい」


 若干頬を赤らむグレゴリアが催促すると、カーミラはクククと笑いながら話を締めくくる。


「誰よりも早起き、誰よりも遅く床に就く。大部屋で兵と寝食を共にし、訓練時何時も先頭を走り、身体能力試験で後れを取った試しが一度もないのだわ。この人、軍人の模範よ」


 大袈裟に両手を広げ、カーミラは元上官を心から称賛する。


「脱走したとは言え、この人が我が身可愛さで部下に手を上げたというストーリーなど、誰も信じやしないわ」


「……だから、例の呪いを使った敵による攻撃として偽装する必要があったと」


 長い説明を聞き終え、ベルナは納得した。

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TS転生ダークエルフおじさん、二度目の熱血教師ライフ〜かわいい教え子達を全肯定してるだけなのに、高額賞金首ってあんまりでは?〜 武篤狩火 @blackaillton

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