28.「ディスイリュージョン」-9

 ささやかな勝利を得たベルナは寛大な姿勢を持って己の勝鬨とした。

 考えてみれば、ファデラビムに到着して以来の、自分の力で取った初金星かもしれない。そう思うと何気にテンションが上がる。


 余裕を演出するため、案山子を設置してある石造りの台の隣で座ろうと、まだ腰を下ろし切れてないその時。


「……ここで不用心にくつろぐのは、おすすめしないわよ。ククク……」


「ぬわぁ!」


 耳元でそれは囁かれた。

 突如として至近距離から話しかけられ、驚きのあまり転びそうになったベルナを、グレゴリアはしっかりとキャッチした。


「だ、誰?」


 グレゴリアでも、ロザリアスでもない。聞いた事のない声音であった。

 しゃがれた、まるで枯れ木の様な声だ。老婆の様にも、死に往く動物の様にも聞こえた。


 ……一言で言えばこわい。


 体面も忘れ、ニコニコと微笑むグレゴリアの袖を掴んで離さずに振り返るベルナであったが、そこには誰もいなかった。


「何?幽霊?アンデッドモンスター?」


「今回の装いも、大成功かしらね……ククク……」


「何ですか、そのキャラ。またイメチェンですか?」


 グレゴリアには相手が見えているのだろうか、いたって普通に話しかけた。しかも、敬語を辛うじて維持しているが、言葉のトーンから親しい間柄の人間に対する無遠慮が聞き取れた。


「植える物、野菜だけにあらず。野菜泥棒にトラウマも植え付けちゃうわよ」


「だからスケアクロウ……園芸部に合わせたキャラですか。仕事熱心で何よりですが、『ククク』を口に出して言うのはホラー感がかえって減りますよ」


「隊長殿は相変わらず厳しいわねぇ」


「……冗談でも、もう私を隊長と呼ぶなとあれ程。隊はもうないのです。次はありませんよ?」


「ククク……」


 流石のベルナも、声の主が誰なのか理解した。

 案山子だ。

 案山子とベルナがずっと思っていたオブジェクトは、薄汚れた聖職者の祭服を身に纏い、ポーズを取って完全に静止していた誰かだったようだ。


「お疲れ、ミラン様。今日は新メンバーと見学しに来たんだ」


「見れば分かるわ」


 ロザリアスの声がけに不愛想に答え終えると、案山子が動き出す。


 まるで木製のマリオネットのように関節部を硬く直角に曲げる歪な姿勢を解き、グレゴリアを隊長と呼ぶ正体不明の《安息の地エルピス》メンバーは石台の上から飛び降りる。


 顔を覆う灰色の長髪を掻き分けると、辛うじて多分女性であると分かるこれまた年齢不詳の蒼白の面容が露わになった。

 目と口の周り、鼻、頬と隙間なく黒い紋様が描かれており、傍目から見ればドクロの顔だった。


「……またそんな変なメイクをして。素材はいいのに、イローランゼ教団の国を出てからいつもこんな道化気取り。勿体ない」


 言われてみれば、顔のパーツ単体単体は確実に端正にして精緻だった。だが初見の人間から見ると、メイクのインパクトでほぼ分からない。


「ククク……もう隊長じゃないのであれば、その忠告を聞き入れる必要もないのだわ……」


 はぁとグレゴリアがまるで子煩悩な親の様な溜息を漏らす。

 ベルナにとって、全く新しい《戦争詩人ワーバード》の一面であった。主である《万紫千紅カレイドスコープ》に向ける感情とはまた別のベクトルの愛情を感じ取れ、グレゴリアの日常の欠片や戦う理由の一角を垣間見えた気がする。


「このひょうきんな子の名前はカーミラ・ミラン。この間着任した、新任の園芸部部長でございます」


 額に手を当てながら、グレゴリアは案山子の人を紹介する。


「《芻狗の夢ダストコレクター》のカーミラだわ。この私の前で隊っ……グレゴリア様にひっつくとは、度胸のある娘だわ……ククク……」


 指摘され、ビクンとグレゴリアの袖を離しベルナは立ち上がる。


「し、失礼しました。私は――」


「噂は聞いているわよ、貴族のお嬢ちゃん。不運ねぇ……あの闇妖精ダークエルフに目を付けられたら最後と思った方がいいわよ。私のようにズブズブと最終的には馴れ合う羽目になるのだわ……」


「カーミラ!」


「ちょっとした冗談だわ……ククク……」


 ギルドマスターに対する不敬と受け取ったか、グレゴリアがマジトーンの叱責を飛ばすも、カーミラは飄々とそれを躱す。


 見た目はメイクなど込みで、どう見てもカーミラの方が大分年上だが、グレゴリアとの関係性がまるで悪戯好きの妹とそれを窘める姉の様に見えた。


「カーミラさんは、その。グレゴリアさんとはどういったご関係で?」


「ククク……魂で結ばれた姉妹だわ」


「……軍属時代の元部下です、ただの」


「つれないわぁ……」


 よよよとウソ泣きをするカーミラは、ずっと維持していた猫背を反り返し、それにつれ腰にくるまった何かが紐解かれる。


 ベルナはそれを見て、口を開け驚愕する。


 翼だ。グレゴリアと同じである。

 ただ……


「片翼……?」


 グレゴリアの身に四枚もある翼は、カーミラには一枚しかなく。

 それでも。この形は間違いない。


「カーミラさん。つかぬ事を伺いますが」


「いいわよ」


「もしかしてグレゴリアさんと同じ、天人の方?」


「ベルナ嬢。似てはいますが、カーミラは――」


 グレゴリアが言い終える暇もなく。


「そうだわ」


 あっさりとカーミラは自供する。

 数秒間、気まずい沈黙が場を支配する。


「二人目の天人冒険者……?でもそんな情報どこにも」


 ベルナは監察任務に当たり、《安息の地エルピス》の名簿と要注意人物リストブラックリスト両方を確実に頭に叩き込んでいた。

 だが、天人という目立つ種族をしている冒険者は、国中でもグレゴリア一人のはずであった。


「……公式データ上鷹身人ハーピーになっています、この子」


 諦めたのか、グレゴリアは大人しく所以を語った。


「ククク……あの時の化粧とコスチュームは、それ程素晴らしいという事だわ」


「虚偽申告……」


 ベルナは眩暈がした。


 冒険者のデータ登録はなあなあで済ませていい物では決してない。

 先ほどの蛇身女ラミア水蛇人ナーガの話といい、他の種族に対し害になり得る習性を持つ種族はこの世の中いくらでも存在している。


 自分の正体を正しく申告する事は、アドヴァンス冒険者の国の法に従う意思表示であり、冒険者登録において絶対に必要な手順である。


 国籍のないものすらも、国是として冒険者はアドヴァンス冒険者の国では正規労働者としての権利を得られるのだ。ならば義務も果たしてもらわなければ困る。

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