雨の日はよくあたる
しとしとと降る小雨の空を飛んだ矢が、的のすぐ下の
控室で、杜浜高校女子弓道部主将の坂口が皆と向き合った。
「決勝に行こう!」
「はい!」
強く返事をしたのは美央だけで、他の三人の声は小さかった。
「どうしたの」
坂口が三人を覗き込む。二年生の小田が、
「雨で皆あたらないみたいで……」
と正直に弱音を吐いた。坂口は小田の背をパンッと叩いた。
「うちには空野がいる! ね?」
「うん。雨の日は得意なの」
美央は胸を張り、右拳で胸当てを軽く叩いた。小田は少し息を整えたようだった。
勢いは弱いが、雨は止まない。既に敗退すると予想できてしまう成績の学校の人たちは元気がない。雨の中で弓を引くのは普段と少し調子が異なる。弓具が湿気を帯びてしまうからだ。
「なんで大会の日に降るの……」とか、「ああ、すみません」とか、「大丈夫だよ、切り替えていこう」とか、周りの人たちの元気に欠ける声があちこちから聞こえてくる。落ちの坂口以外の小田、吉野、谷藤は杜浜高校の名が呼ばれるとおそるおそるといった様子で椅子から立ち上がった。
大前の美央は自信満々に歩を進めた。胸を張り、続く四人の気配を窺いながら皆が揃えやすいテンポを目指して歩く。
力強い足踏みから射法八節を始める。後ろが続いてくれる気配を感じながらも、自分の射以外は考えない。左手で弓を押し、右手で引く。弓が大きく開いていく。最大に開いた状態を数秒保ち、矢を放つ。スパン、と的の真ん中付近を射貫いた。「よし!」と部員たちの揃った掛け声がした。
美央が雨の日が得意だと分かったのは、一年生の時の大会だった。二年生、三年生のチームと一年生のチームで大会に出たのだが、途中から雨に降られた。普段は皆中も珍しくない当時の主将が二中しかしなかったのが、杜浜高校女子弓道部を焦らせた。先輩たちが動揺した姿で戻ってきた。ただでさえ初めての大会の人が多い一年生チームは先輩たちの姿を見て、怖がった。
美央は一年生チームの落ちを任されていて、ものすごく緊張していた。落ちが締まらなければチームに悪影響が出てしまう。それなのに美央は絶不調の最中だった。大会メンバーに選ばれてから不調が始まり、大会までにはどうにかしようともがく程、さらに酷くなった。
もう、私には無理かもしれないと思っていた。
一年生チームの番が来た。ざーっと降り出した雨の中、大前が外した。さらに三人も外し、美央も外した。これはまずいと、美央は思ったし、多分五人同時に思っていた。
美央が前に合わせて弓に矢を番えたその時、風が吹いて、美央の緊張で火照った頬に冷たい雨が当たった。ひやっとして、意識がくっきりした。今まで周りの事ばかり考えていた。頬の冷たさに意識が向き、湿った空気の匂いを強く感じた。ゆがけも湿っている。
雨で矢道の土が濡れている匂いや、雨を含んだ風の動き、わずかに雲間から差し込んでくる太陽の光。それらが急にくっきりと感じた。
手が勝手に離れて飛んだ矢が、的中した。部員たちの「よし!」の声で美央は我に返った。
これだ、と思った。
雨の匂いや景色を見ながら弓を引く。雨の冷たさに自分も浸る。そうすれば、矢は的にあたった。やがて、大前や皆もあたるようになっていった。
一年生チームは決勝に進む事ができた。
大前の美央は皆中した。二十射中十四射あたり、後は結果発表を待つばかりだ。
「やったあ! やりました!」
小田がはしゃぎ、
「ここからが本番だから!」
と、坂口がたしなめている。
椅子に座り、五人で並んでお弁当を食べる。
「空野がバシバシあててくれるから、やりやすかった」
吉野が嬉しそうに言った。
「皆の調子がどんどん良くなっていったよね」
谷藤もにこにこした。
二人にそう言われて美央は嬉しくなった。
「雨が降っていればあたるからね!」
「頼りになる!」
わいわい食べていると、急に窓から差し込む日光が強くなり、部屋が明るくなった。
「……晴れたね」
美央は晴れが苦手だった。
二年生の大会の時だった。
坂口が大前で二番が美央だったのだが、坂口があてたいい流れを、美央の抜きが遮断してしまった。照りつける太陽の暑さに負けないくらい熱い頬に涙が伝った。あれから、晴れも雨も関係なくあてられるようになろうと努力し続けてきた。
決勝トーナメントの一回戦で、大前の美央は一射目を外した。やはりそうなのか、と美央はどこか諦めていた。他の皆は予選と打って変わって調子が良く、的にあたった矢が気持ちのいい音を立てる。
美央は全て外したが、他の皆の的中のおかげで、なんとか勝利できた。
「皆、ごめん」
美央は汗を拭うフリをして涙も拭った。
「さっきは空野さんのおかげで勝てたから、今度は私たちが空野さんを助けられてよかったです!」
小田が美央の手を握った。
「空野の調子が悪い時はうちらが調子いいから。これってめちゃくちゃ凄い事だよ」
「今度は私たちを頼りにしてよ!」
吉野と谷藤が続いて美央に寄り添った。もう、美央は涙を拭わなかった。
二回戦が始まる。虹が出ている。
美央はもう、怖くない。皆がいる。
オアシス短編集 左原伊純 @sahara-izumi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。オアシス短編集の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます