魔法

神原

一話完結

 おばあちゃんは事有る毎に自分は魔法使いだと言っていた。死ぬ間際まで。私はそれを1ミリも信じていなかった。


「お前のピンチにはきっと助けにいくからね」


 おばあちゃんが亡くなる時、そんな事を言われたのを思い出す。


「おばあちゃん……」


 辛い陣痛で意識が遠くなる。夫は仕事だ。まだ生まれるまでひと月もある。油断していた。こんな事なら携帯を布団の傍に置いておくべきだった。朦朧として、眼前が真っ白に染まっていった。




 美しい花が咲き誇っていた。ここがどこなのか分からない。何時からここに居るのかも。


「綺麗」


 感嘆の言葉が漏れる。そっと一本摘み取るとさらさらと崩れ去ってしまった。砂の様に。


 驚いて一歩だけ後退る。長い髪がふわりと揺れた。


「あら、魂魄が紛れ込んでるわ」


 振り向く先に、白いつば広の帽子をかぶった女性が立っている。


「魂?」


 聞き返し、自身の体を見直す。ゆったりとした服と体が少しだけ透けている。両手を眼前に翳すと、肌色の向こうに女性が見えた。


「嘘」


 思わず漏れた声が震えていた。


「思い出してごらんなさい」


 優しい声音。きいた事がある様な気がする。そう思える声だった。


 必死に考える。どうしてこうなったのか。


 朧げに自分の中に温かい物がある事を思い出す。両手でお腹の辺りを擦った。


「私……」


 そう、身ごもっていた。お腹が痛くなって、いつの間にかここに居た。薄っすらと記憶が頭に浮かび上がる。


「帰らなきゃ」


 ぽつりと呟く。


 その時。ずっと見守っていた女性が口を開いた。


「あなたが帰る? となると、もう一人が旅立つわね」


「もう一人?」


 その言葉がどうしても引っ掛かった。私の代わりに何処かへ行く者の事が。


「体がはっきりしてきているわ。魂が見透かせなくなったら霊になる。今体に何か起こっているのね」


 言われて気づく、少しずつ、少しずつではあるけど、体の色合いが濃くなっていく。心臓から鼓動が聞こえた。どくどくどくと。


「あなたは運がいい。ここは私が作った場所。代わりに逝くはずだった者も生命力が高そうね。これならなんとかなりそう」


 あの綺麗な花を一輪。女性が手折ると私の口に持ってくる。甘い花粉の味が口一杯に広がった。


「これ」


「気にしないで、他の人には摘めない花なの」


 そう言ってにこりと微笑む。


 体に力が漲った。今ならあの痛みに耐えられそう。


「お帰りなさい。自分の世界へ」


 そう女性が言うと視界が白く包まれた。




「私……」


 目の前の白衣を着た人が脈をとる。傍らに居た夫に危機は脱しましたと告げていた。


「赤ちゃんは元気ですよ。早産でしたがもう大丈夫」


 空になった点滴を取り替える。口に着けている呼吸器が煩わしい。医者と看護師がもう少し安静にしていて下さいとこの場を後にした。


「あの人は?」


 枕に後頭部を預け、不意に女性の事を思い出した。あれはもしかして……。


 

 退院後、あの女性の写真をおばあちゃんのアルバムで見つけた。つば広の帽子を被った若い頃の写真を。あの綺麗な花を持って。


 もう会えないのか。そう思うと死んだ時にも流れなかった涙が頬を伝っていく。

腕に抱いている小さい赤ん坊。いつかこの子に、おばあちゃんの話をしてあげようと心に誓ったのだった。


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魔法 神原 @kannbara

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