第3話 心のアルバム

 いつかまた新たな形で、祖母の精神が受け継がれることを願っている。それが彼女の豆腐屋が教えてくれた大切なことだ。ただ、やるせない気持ちが募る。


 こんな状況では、神さまからのご利益などあるはずがない。えべっさん、この悲しみや怒りをどこにぶつけたらいいのだろう。私にとってはかけがえのない、大切な店だったのに……。そばにいるのなら教えてください。涙を浮かべてそう願わざるをえなかった。


 しかし、街の景色は変わり続けている。時代の流れは冷たく、昔は賑わっていた商店街も今では雨漏りが目立ち、シャッターが閉まった店が増えている。


 馴染みの本屋やDVDレンタル店、文房具店、カラオケ屋も閉店してしまった。昨年には、高校生のデートスポットだった百貨店の屋上公園も消えてしまった。


 百合子さんの豆腐屋まで閉店するかと思うと、百円ショップだけが増えて心に穴が空いたような気持ちになる。祖母から店を引き継いだ時の苦労話も聞かされてきた。


 令和、平成、昭和、戦争の時代へと話は遡る。祖母の実家は農家で、幼い頃は白米に大豆やジャガイモ、カボチャ、麦、大根を混ぜて炊いていた。大豆が食べられただけでもましだったとは信じられない。


 かつて経験した悲惨な戦争の話を聞くたびに驚き、「まさか……。嘘みたいで、あり得ない」と涙がこぼれた。そんな時でも、祖母は怒ることなく、商売が軌道に乗るまで平穏なひとときはなかったと教えてくれる。


 今はレンタル自転車で散策する神崎川沿いの大阪の下町も、戦時中は焼夷弾で焼け野原になったという。戦後、祖母は幼馴染みの男の子と仲良くなり、リヤカーを引きながらラッパを吹いて豆腐を売り歩いた。生きるのに精一杯だったが、彼と一緒なら希望と幸せに溢れていたという。


 百合子さんから見せてもらったセピア色の写真は、ふたりが手を取り合い白い歯を見せる姿が印象的で、微笑ましい。羨ましいと思いながら「ごちそうさま」とひやかす自分の悪い癖が顔を覗かせる。


 我が家は裕福ではないが、母の美味しい手料理をいつも食べている。祖母のなれそめ話はメルヘンのようだが、戦争の恐ろしさも感じる。しかし、希望を失わず、明るい母や優しい百合子さんに囲まれていることに感謝している。


 高校に入学したばかりの時、悔しい出来事があった。担任の先生に「家業で商売をやっている人は?」と聞かれ、「ばっちゃんが豆腐屋をやっているけど……」と答えたら、クラスの男の子から「おもろい顔が主の古ぼけたおんぼろな店や」と揶揄された。なぜからかわれるのだろう。確かに祖母は美人ではないが、福を招くような大きな耳をしている。自分も同じだ。


 自分のことは罵られても構わないが、祖母の豆腐屋の悪口は許せない。大阪は商人の街として栄えてきた歴史がある。その男の子の家業が蕎麦屋だというのに、豆腐を二度と食べるなと叫びたくなるが、先生がいるため、その時はショックで口がきけなかった。


 学校の合間を見つけては祖母の家業を手伝っていた。近所のおばさんたちは褒めてくれるが、偉いとは思っていない。春になって卒業証書をもらえたら、働いて母の手助けをするのは当然だ。


 もちろん、大豆の煮炊きや機械の操作は分からないが、「絹ごし豆腐を一丁、毎度ありがとうございます」と言って、笑顔を振りまきながら店番くらいはできる。優しい香りがして、ふわふわの食べ物が大好きだからだ。


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