第2話
駄目だった。
格上の幽霊達の圧倒的な頑強さ。それ故に霊能力者でるはずの少女0号とカチューシャの少女の拳はほぼ通用せず、いくら殴っても立ち上がる少女の幽霊達に背を向けて逃げ出す以外の手は無かった。
「殺せなかった。」
「そうだな。」
「一匹も殺せなかった。」
「そうだな。」
「いっぴきもおおおおおおおお殺せなかったああああああああああああ!」
うるさい。
と言い返す気力はカチューシャの少女にはなかった。
白衣が汚れるのも気にせずまるで駄々っ子のように床の上でのたうち回る少女0号の奇行を見ながら、組む相手を間違えたか、とカチューシャの少女は思った。
人間に擬態する熊の怪物は別に良い。所詮は有機生命体で哺乳類。人間の親戚のような物だ。代替食料を与えてやれば大人しくなるだろうし、圧倒的な質量差による攻撃力・耐久力は覆しようが無い為自分が戦わない正当な理由がある。
幽霊は駄目だ。何がなんでも駄目だ。共存の余地が無い上に気持ち悪い。その上自分は霊能力者なのだから戦う手段がある。逃げる理由はどこにも無い。はずだった。
逃げてしまった。逃げざるを得なかった。純粋な戦力差、というものを思い知らされた。
カチューシャの少女は基本的には刹那主義だ。どうせ人間は死ぬ。死んだら意味が無くなる。だからこそ自分達は。
カチューシャの少女の思考は少女0号が立ち上がった事で途切れた。
「あーすっきりした。」
「泣き叫ぶ事が君のストレス解消方法か。」
「悪いか。こちら、4月から小学校に入学する未だに幼稚園児でございます。」
同い年かよ。
カチューシャの少女は文字通り頭を抱えた。
LLM、すなわち大規模言語モデルが2022年に世界を書き換えてから半年以上が経過した。それにより幼少の身でありながら知能が大幅に向上した子供達が世界中で散見されるようになったが、LLMは知能だけではなく情緒においても教育効果があるはずである。俗に言う『良い子』が大量生産された。
だというのに少女0号のこの振る舞い。一体どんな偏った教育をLLMから受けてきたのか。
「大丈夫?悩みがあるなら相談にのるよ。」
さっきまで泣きわめいていたのが嘘のように少女0号はカチューシャの少女の顔を心配そうに覗き込んだ。カチューシャの少女は即答する。
「鏡を見ろ。」
言われて室内の壁に設置されている鏡に顔を向ける少女0号。格好良くポーズを取りながら満面の笑みで、ほざいた。
「今日も可愛い最高な私。」
「これからどうする。」
少女0号の滑稽な振る舞いを無視してカチューシャの少女が言う。
現在二人は少女0号の研究所に逃げ帰って来た状態だ。敵の追跡が無かったのはやはり幽霊の大部分が死んだ場所から動かないという特性によるものだろうが、そうなるとあの家は少女達が大量に死んだ、いや、殺された場所だという事になる。
戦力として幽霊を飼っているのか、あるいは誰かの幽霊を生き残らせる為に餌として食われた者達の残滓か。
いずれにせよあれを放置しておくのはまずい。あそこまで大量かつ強力な幽霊を保有している勢力は危険分子以外の何物でもない。さっさと潰さないと。
そうカチューシャの少女が考えていると、少女0号が左手の掌中に右の拳の底を落として言った。
「そうだ。」
二、三十年前のアニメならば頭の上に電球が表示されそうなその閃いた顔に、カチューシャの少女は心底嫌そうな顔を向けつつも、促した。
「言ってみろ。」
「吹き飛ばそうよ。爆弾で。」
どれ程時間が経過した所で状況が変わる訳ではない。
既に境界線は越えてしまった。自分は殺人の手伝いをしたのだ。
少女1号の思考はかつてのそれとは大きく異なっていた、訳ではない。結局の所、自分と妹の二人だけが居れば良いというのは子供の論理であり、もっと言えばだたの言葉だ。その程度の事を正真正銘金科玉条としていた訳ではない。根底の感情では少女1号も少女2号もただの幼子に過ぎなかった。
悪い事をすれば叱られる。怒られる。罰が下る。そして殺人はその悪い事の中で一番悪い事だ。
怖い。恐怖心がある。この事を知られれば自分達は一体どうなってしまうのだろう、という恐怖心が少女1号の心を占領してた。
だがそんな事は今の少女2号には関係無かった。
「ねえ、1号。私と他の女の子、どっちが大事かな。」
少女1号の顔を少女2号が覗き込んだ。
『天秤の傾きに従え。』
少女3号を名乗ったあの人物の声が少女1号の心の中に反響する。
もし再び自分が妹を失えば。そう思わずにはいられなかった。
自分は一体何がしたい。何をすれば最適だ。どうすれば。
どうすれば救われる。
少女1号の内心を一切無視して少女2号は彼女の前をどんどん歩いて行く。その時だ。凄まじい爆音が姉妹の鼓膜を襲った。
「あのさ。」
「そうだね。」
「まだ何も言ってないだろ。」
少女0号の投げやりな態度に疑念以外の何もこもっていない視線を注ぐカチューシャの少女。
今、二人は山中へと続く上り坂の道路から爆発炎上している黒い幽霊屋敷を眺めていた。幽霊とはなんぞや。その質問に返答出来る奴等は少ないが、今ここに居る二人は一つの答えを持っていた。
あいつらも物体だよな。
幽霊にまつわる言説の一つに『人間は死んだ時に質量がわずかに軽くなるのでそれが魂魄が肉体から抜け出た証拠である。』という物がある。
質量があるならそれはもう物体だろ。
カチューシャの少女も少女0号もそう考えている。特に幽霊は触ろうとしても立体映像のように手が通過してしまう現象が頻発する。そうならずに幽霊を殴り殺せるのは霊能力者だけだ。
要するに幽霊は気体状であると推測される。
ならば圧倒的運動エネルギーを発する爆発で吹き飛ばしてしまえば霧散して消滅するだろう、という極めて合理的思考に基づく大爆発だと確固として信じていたのは少女0号であり、カチューシャの少女は爆破直後に信じられない者を見るような目で少女0号を睨んだが、少女0号はその視線の意味を理解しない。
「もしかして私に惚れちゃったかな。」
「鏡を見ろ。」
言われて少女0号はインナーの胸ポケットから手鏡を取り出しそこにうつる自分の顔を見ながら、ほざいた。
「今日も可愛い最高な私。」
「これからどうする。」
少女0号の滑稽な振る舞いを無視してカチューシャの少女が言う。
彼女にとっての一番の心配事は警察沙汰に発展しないか、という事だったが少女0号はそんな事を気にせず言った。
「普通に考えて爆破場所に行って残党狩り。」
凄まじく癒そうな顔で少女0号を見るカチューシャの少女。爆弾を仕掛ける所でさえかなり目立っていたのに爆発直後に犯行現場に戻る等と自殺行為としか言いようがない。
絶対組む相手間違えた。
初遭遇時の理知的な振る舞いに騙されたとカチューシャの少女が後悔していると少女0号が爆発した屋敷の方を指さして言った。
「なんか来てるんだけど。」
カチューシャの少女が目を向けると住宅地から走ってくる者達が見えた。半透明のその姿は間違いなく幽霊。そいつらが全速力で二人の少女へと殺到した。
屠霊戦記 中野ギュメ @nakanogyume
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