屠霊戦記

中野ギュメ

第1話

 2023年3月20日朝。

「何が令和のチェーザレ・ボルジアだ、馬鹿馬鹿しい。」

 見知らぬ天井にある見知ったジプトーン天井板を視界に入れたカチューシャの少女の第一声がそれだった。

 毒手紙で殺されそうになった奴の名前は教皇アレクサンデル6世であり、毒殺しようとした奴の名前はカテリーナ・スフォルツァである。自分の覚え間違いに腹が立つ。

 上体を起こして周囲を確認。どうやら病院、あるいは保健室等の医療関係の室内のようだ。寝台は就寝用の家具ではなく清潔な白さを保っている病人用のそれ。

「目が覚めたか。」

 文字通りに解釈すべきその台詞を、しかしカチューシャの少女は気を失う前の自分がしくじったという腹立たたしさから『頭を冷ましたか。』という意味に一瞬誤解した。良くない傾向。心の余裕が失われている証拠。しっかり自分に言い聞かせる。

「誰だ。」

 姿を見せないどこからかの声にカチューシャの少女は質問する。声の位置は推測すら出来ない。全体に反響しているような気もするのだが。

「君に頼みたい事がある人物だ。」

「名前は。」

「必要かな。」

「最低限区別する程度には。」

「理解した。」

 声の主は自分を少女0号と名乗り、何も存在しないはずの部屋の中央に白衣をまとった姿を現した。

 空間その物が着色されたかのような鮮やかな出現の仕方にカチューシャの少女は驚きもせずに言ってのける。

「見事な大道芸を見せてもらった。メタマテリアルか。」

「違う。自前だよ。驚かないのか。」

「訳ありでね。」

 人間に擬態する熊の怪物を見た後で驚く物等何もない。ただ一つ、敵意の塊である精神的にも物理的にも気持ち悪いあの遺書を除いて。

 少女0号は言う。常人ならば頭の異常を疑うような発言を。

「君は幽霊を信じるか。」

「信用しない。奴等は根絶すべき敵だ。」

 即答だった。故に少女0号は少し驚いた顔を見せたが、すぐに表情を整えて言葉を続ける。

「ならば私に手を貸して欲しい。君の力が必要だ。」


 幽霊。その定義は何か。

 一般的には想像上の産物である為世界中の伝承にある姿はまばらだが、大体共通しているのは『死んだ者の肉体から抜け出る者』という事。

 だからどうした。

 それが少女0号の結論だ。

 既に人間の脳波から画像を生成する実験は成功した。してしまった。これが何を意味するのか。それは人間の唯一性の喪失だ。生成出来るのは画像だけか。記憶は。感情は。思考は。この研究が進めばやがて人間の意識その物を複製出来るだろう。

 それはAI等の最先端技術を使わないと不可能な事なのか。生命はナノマシンなんて使わずともその身体を構成する細胞によって自動的に傷が修復される。自然界が生み出した奇跡は人間の科学技術の遥か昔からその圧倒的緻密さを世界に向けて披露し続けていた。

 ならば幽霊とかいう奴等も、いずれ完成する人間の意識の複製技術の産物と同等に過ぎない可能性がある。

 だからだ。奴等は何ら超越的存在ではなく未解明なだけで単なる物理法則の眷属に過ぎない。同じ地球上に生きる生存競争相手の異種族に過ぎない。手加減は不要。手を緩める事無く殲滅すべし。

 それが少女0号の幽霊に対する思考だった。


 もし死んだ者と再び会えるのであればどのような犠牲も支払う。

 だが。

「まさか幽霊とはな。」

 カーテンを閉め切った自室で少女1号は自分の目の前に現れた半透明の妹の姿を見て思わずそう言った。

 二人は一卵性双生児だ。生まれる前からどころか生殖細胞の段階から一緒だった二人であり永遠に離れる事は無い。

 と信じていた。

 その信仰を捨てざるを得なくなったのは一ヶ月前だ。

 未だに雪が残っていた二月の終わり頃。路面凍結により家族四人が乗っていた乗用車は大きく転倒。少女1号の妹である少女2号は死んだ。

 運転をしていた母親とその妹である叔母は重症を負った。母親は一命をとりとめたが言語野に大打撃を受けたらしく支離滅裂な事を言うようになった。先に退院した叔母は母親の介護の為に病院に通っているがその顔が日に日に疲れていっていたのは幼い少女1号にも見て取れた。

 大人達はどうでも良い。それが少女1号と少女2号の判断だった。

 母親は極めて優秀な父親に対して損得ではなく感情で喚き散らしてしまい逃げられてしまった無能だ。

 叔母は結婚する事が出来なかった空虚さを自分達双子姉妹の世話をする事で埋めようとしている寂しい人だ。

 価値があるのは自分達二人だけ。それ以外は所詮利用する為の道具と背景。

 それが少女1号と少女2号の最終判断。だった。

 自分の半身を奪われてしまった少女1号は呆然としていた。いつだって一緒だった。いつだって分け合っていた。いつだって自分達は一人と一人ではなく二人でもなく二人で一人だった。

 生まれて初めて複数形を含まない純粋な単数形に成り果ててしまった少女1号は、何も出来なくなった。ただひたすら毎日が過ぎていった。母親が入院している為叔母がその間自宅に居てくれるようになったが、常駐出来る訳ではない。

 二人で一人居るはずの自宅に一人で一人しか居ない状況が半年間続いた。

 限界だった。自分と同じ経験を共有しない同年代の奴等は少女1号を気遣って話しかけてくれたが、何を言っているのかさっぱり理解できなかったし理解するつもりもなかった。故に空洞を埋める事が出来ず、ひたすら孤独に過ごしていた。

 過ごさざるを得なかったのではなく、過ごしていた。

 半ば受け入れていたのだ、妹の死を。どれ程二人で一人、他の奴等は背景と道具、等と主張した所で現実には幼い少女が二人居ただけ。そして片方は既に死亡済み。それが現実。飾られた言葉の色は既に褪せた。受け入れて成長すべきだろう、と自分に言い聞かせた。その次の日の事だった。状況が変わったのは。

 昨日、とある少女が現れた。少女は自分を少女3号と名乗った。

 少女3号は開口一番こう言った。

『君の妹は死にたくて死んだ訳ではない。』

 当然の事だ、と即座に同意する事は少女1号には出来なかった。死んだ事を受け入れる為、あれは仕方がなかったと自分に言い聞かせていたのだから。

 妹が死んだ事は間違いだった。そう、誰かに言って欲しかったはずだ。

 少女3号は続けた。

『もう一度君の妹に会いたくはないか。』

 そして今がある。

 今、少女1号の眼の前には半透明になった少女2号が、死んだ時の姿で現れている。

「これで私の役目は終わった。」

 そう言って少女3号は少女1号に背を向け少女1号の自室から出ていこうたが、少女1号が言う。

「本当に必要なのか。」

 少女3号は振り向かずに言う。

「当然だ。死んだ人間が肉体を持たずに存在し続けられる訳が無い。君の妹をもう一度失いたくないのであれば生贄を捧げろ。人間の生贄を。」

「だが。」

「天秤の傾きに従え。君にとって君の妹の命は他人の命よりも重いのか。」

 少女3号の言葉に少女1号は黙るしかなかった。


 少女0号にとって幽霊は敵でしかない。

 死んだ人間が存続し続ける方法を知っているだろうか。ゾンビ。キョンシー。吸血鬼。スケルトン。リビングアーマー。その他大勢。一つ残らずろくでもない奴等ばかりだが、その中でも特に凶悪だと少女0号が考えているのが幽霊である。

 仮初の身体すら持たないという事は常にエネルギーが発散し続けていくという事であり、それ故凄まじい量のエネルギーを摂取し続ける必要がある。つまり、無駄飯食いなのだ。

 その上エネルギーだけでなく思考・意識も拡散していく為、自己保存の為に自分と似た思考・意識を持つ者を食い殺さなければいけない。要するに幽霊の主食は人間。

 更に酷い事に幽霊は出現条件があまりにも緩い。ゾンビやキョンシーや吸血鬼のように肉体を必要とする奴等はそうなる前に火葬してしまえば予防出来る。スケルトンも同様でリビングアーマーに至ってはそもそも鎧が無いのが現代社会。それに引き換え幽霊は肉体も骨も鎧も必要無い。死んで運が良ければ、いや、悪ければ幽霊になる。

 そして現在、少女0号とカチューシャの少女は山中の公園で幽霊達に囲まれていた。

 見た所大した霊力の無い塵芥のような低級の者達だがどうも様子がおかしい。どいつもこいつも少女達の幽霊だ。

 幽霊は自己保存の為に自分と似た人間を襲うが、流石にここまで条件が揃った奴等がまとまった数で現れると何者かの計画的犯行と思わざるを得ない。

「どうやって突破する。」

 カチューシャの少女が言った。霊能力に初めて目覚めたならば今の状況に困惑するはずだがカチューシャの少女は完全に落ち着いている。成程。道理で最初に彼女の前に姿を現した時に驚かなかった訳だ、と思いつつ少女0号はカチューシャの少女に言う。

「初心者じゃないのかよ。」

「こう見えてくぐらなくてもいい修羅場をくぐり抜けてきたからな。」

 そう言ってカチューシャの少女はまず一番手前の少女の霊の横っ面をぶん殴った。

「援護しろ。」

「えー。立場逆でしょ。」

 そう返しつつも少女0号も近くの少女の霊をぶん殴った。

 ゴーストバスター。そう呼ぶのにふさわしいのが今の二人のしている事のはずなのだが、恐らくその単語を知っている者達は彼女達の今の姿を見て一斉にこう思うだろう。

『なんか違う。』

 と。


 少女2号の思考は混乱していた。自分は今どういう状況だ。姉に連れられて近くの森までやって来た。それよりも空腹だ。いや状況を把握しなければ。今、目の前には双子の姉である少女1号が居る。それがどうした。いつも通りだろう。いやよく見ると違う。成長しているのか。成長。それは一体何だ。記憶の欠落か。言語野に異常が見られる。それよりも空腹だ。何か食べないと。

 そんなことよりも一番大事な事を伝えなければ。

 少女2号は質量が極限まで減った自分の口を開き、そして言った。

「死にたくない。」

 そうだ。死にたくない。記憶が蘇る。交通事故に遭った。痛みで苦しんだ。徐々に意識が無くなっていき、今ここに居る。痛かった。苦しかった。死にたくなかった。死にたくない。死ぬものか。死ねばいい。お前が。

 その思考に至った少女2号は少女1号を睨みつけ、そして飛び込んだ。少女1号の背後の空間へと。

 一瞬怯えた少女1号が振り返って見たのは少女2号の足許に一人の少女が倒れている光景だった。

 少女2号の思考が鮮明化していく。自分が拡散していくかのような徐々にぼやけていく気分は無くなり、自分が何者なのかを再び見つけた。

 自分は姉の双子の妹で、両親と姉と一緒に自動車に乗っていた時に交通事故に遭った。痛みと苦しみの中で意識が途切れて、今ここに居る。それらを途切れ途切れの回想としてではなく、明確な記憶として理解した。

 自分の足許に横たわる物言わぬ少女を見た。死んでいる。間違いない。そして記憶によるとその命を奪ったのは自分だ。

 罪悪感はわかなかった。少女2号は死を理解できない程度の精神的幼さは無かったが、それでも自分が殺した事を一切悪いとは思わなかった。それどころか足許の少女の死が自分の輪郭を再び強固に描画したという因果関係を理屈を無視して理解し、そして違和感無くそれを受け入れてしまった。

 だって死にたくないのだから。

 誰かが死ぬ。それで誰かが生き残るならばその死はやむを得ない死と言わざるを得ない。特に天秤に載せられるのが自分の命と見知らぬ誰かの命ならば一体どっちに傾くかなんて誰にもわかりきっている事ではないか。

 顔を上げると自分の双子の姉の未だに瞳の中に怯えを宿しながらこちらを見つめている顔が目に入った。何故怯えている、とは言わなかった。

 ただ一言

「ただいま。」

 そう、少女2号は少女1号に告げた。


 全員を殴り殺した。

 幽霊に対して『殺した』という表現は正しいとは言えないという人達も居るだろう。だが、殺したで統一する、というのがカチューシャの少女と少女0号の共通見解だ。互いに話し合って納得した訳ではないが、初対面のはずの二人は共通する思考回路を有していた。

 彼女達にとって幽霊とは元の人間との連続性を維持した同一人物ではなく、元の人物の死の直前の記憶と思考を材料にして新たに誕生した新生物である。故に『殺した』で二人は統一している。

 死は絶対であり、覆せない。その価値観を譲り渡す訳にはいかない。

「よく見たら何人か逃げてないか。」

 全員殴り殺した、という結論をひっくり返すそのカチューシャの少女の発言を少女0号は少し考えた後、肯定した。

「言われてみればそんな気もする。」

「追跡は可能か。」

「伊達に白衣は着ていない。」

 そう言いながら少女0号は白衣の衣嚢から円盤状の電探のような物を取り出した。

「いくぞ。なんか市街地に向かってるっぽい。」

「面倒な事になったな。」

 幽霊が組織的行動を取った、というだけでも事件性があるのに、その上死んだと思わしき場所から移動するというのはもう誰かが裏で糸を引いているとしか思えない。カチューシャの少女の経験則ではあるが、大体の幽霊は自分の材料になった人間が死んだ場所から動かない。そう考えながらカチューシャの少女は走り出した少女0号の背中を追った。

 カチューシャの少女はその短い人生の中で様々な敵と遭遇してきた。宇宙人、異世界人、サイボーグ、電脳生命体、奇蹄人類、吸血鬼、その他大勢。幽霊もその一つでありこれが初めての戦闘ではない。

 他の奴等はまだ共存の道があるだろうと思いながらどうでも良いと投げ捨てていたが幽霊だけは許せない、というのがカチューシャの少女の結論だ。

 だって際限が無いから。

 幽霊の食糧事情もそうだが、それ以上に幽霊が死んだ人間を材料にして生まれる新生物というのが厄介だ。しかも見える見えないの二種類の人間がいる事も。

 現在ポリティカル・コレクトネスによって様々な疑問が生まれてもそれを呈するだけで処罰される風潮が世界中を覆いつつある。そこに『死んだ』という被害者属性と存在の可視・不可視という主観的条件が揃うと『見えなくとも被害者がそこに居るのだから配慮しろ。しなければ幽霊差別だ。』という最悪の悪用手段が確立してしまう。

 絶対にそれだけは駄目だ。潰す。何が何でも潰す。

 全ての人間はいずれ死ぬ。だから全ては無駄だ。無駄になれよ。死んだ後も足掻くな。足掻くだけでなく有害な足掻きは更に駄目だ。潰す。絶対に潰す。

 二人は森を抜け、市街地へと伸びている下り坂を疾走する。そして辿り着いたのがなんか見るからに怪しい家。極めて黒い外装だが、縁取りは白。表札にはどういう訳かフリル状の縁取りが付いている。

 それを見た瞬間、カチューシャの少女の背中に怖気が走り、そして次の瞬間、庭にうごめく無数の目が一斉に少女0号とカチューシャの少女に視線を注いだ。

「今までの雑魚共とは明らかに格が違うけど、いけるか。」

 少女0号の言葉にカチューシャの少女は偽る事無く正直に答えた。

「気持ち悪いので帰っていいかな。」

「駄目。」

 庭に蠢いている幽霊達が二人の少女に殺到した。

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