第6話
目を覚ましたのは、二十時半。夕飯の時間としては遅すぎるけど、夜宵はちゃんと待っててくれた。なんていい子なのかしら。となれば、お気に入りのワンピースを着て、お化粧だってバリバリに気合を入れるしかない。だって可愛い可愛い弟とのお食事だもの! ヒールの靴も履くし、腕も組んじゃうんだから! 今日はお姉ちゃん飲んじゃうからね!
大丈夫、これは浮気になんてならないわよ、矢萩君。だけど一応写真を撮って送ったら、『夜宵が楽しそうで何よりです』なんて返事が来た。成る程、これが彼氏の余裕ってやつなのね。成長したわね。
夜宵は何やら苦笑いだったけど、気にしない。だって可愛い弟を愛でるのは姉の使命ですもの。
「それじゃあ、行きましょっか!」
そう揚々と玄関のドアを開けると――、
「あっ、弥栄さん! 本日も大変お綺麗ですね!」
椰潮君がいた。
「あれ? 椰潮君、どうして?」
「僕が連絡しておいたんだ」
「夜宵が? 何で?」
「何でって……、椰潮さんも誘って一緒にご飯行こうねって言ったら、あんなに元気よく『もちろん』って言ってたじゃない」
「えぇっ!? そ、そうだっけ……?」
えーっ! 椰潮君を誘う部分は全く聞こえてなかったんですけど!
椰潮君に「ちょっとタイム」と余所行きのスマイルを向けてから、夜宵を連れて再び玄関のドアを閉める。
「……夜宵。お姉ちゃん、さっき何をどこまで話したかしら?」
「えぇっ!? 覚えてないの!?」
「半分夢の中だったのよぉ。もしかして椰潮君とお付き合いしてるってことまで話した?」
「うん、それはもう最初の方で話してた。お試しでお付き合いを始めたのは良いものの、なんか素っ気ないとか、デートのお誘いがないとか、あとはまぁ……ちょっと僕の口からは、言えないけど」
「ぎゃー! 恥じらってる夜宵可愛い〜! じゃなくて! えっ、やだ私ったらそんなことまで!?」
「う、うん……。だから、せっかくだから、皆でご飯行こうって、もし僕が邪魔だったら途中で抜ければ良いかなって……」
「何言ってるのよ、夜宵が邪魔になるわけないじゃない!」
こんなに! こんなに可愛い弟なのに!
「あのねお姉ちゃん。この場合の『邪魔』っていうのは、その、そこまで悪い意味のやつではなくてね、僕だってそんな邪魔をするつもりなんてないし。だけど、やっぱり好きな人とか、恋人だったらなおさら、ちょっと二人きりになりたいな、って思うことがあるっていうか……」
なんて、ちょっともじもじしながら話す夜宵が、はっきり言って尊いの極み。これはあれね。そういうこと、いままで何度もあったわねさては。そうよね、あなた達、ずーっと長いこと両片想いを拗らせてきたもんね。いま二人きりになれたら一歩踏み出すのに、みたいな局面もきっと何度もあったわよね。それ後でゆっくり聞かせてね!
とにもかくにも、いくら椰潮君でもいつまでも外で待たせるわけにはいかない。再び余所行きの笑顔と共にご対面して、三人仲良くお食事へGOという流れになった。
それで、だ。
気付けば二人きりである。
違う、別に夜宵が邪魔になったとかそういうことではない。やはりなんだかんだで焼きもちをやいたのであろう矢萩君からラブコールがかかって来て席を外したのである。
向かいに座る椰潮君は、やはり気持ちのいい食べっぷり&飲みっぷりで、私達は他愛もない話で盛り上がった。しばらくして夜宵が戻って来たけれど、たぶん声を聞いたらお互いに会いたくなってしまったのだろう、矢萩君も近くの駅まで来ているらしく、そちらに向かうとのこと。想定内ではあったけどしばらくぶりに会えたのになとそれを少し寂しく思っていると、「大丈夫、今日は家に帰るからね」なんて言って私の手を優しく握ってくれる。嘘でしょ。実の姉に対してもいまだにこんな王子様対応してくれるの?!
この場にいる皆さん、見ました?!
ウチの弟がリアル王子です!
ガチの王族のやつじゃなくて、絵本とかスマホゲームとか、そういうのに出て来る王子です! あっ、でも彼、激LOVEな恋人いますんで!
そんなこんなで、本当に二人きりになってしまった。
お試しとはいえ、『恋人』と二人きり、である。時刻は二十一時半を少し回ったところだ。大人の時間、というやつである。
これは、何かあるかもしれないわね。
むしろ何もない方がおかしいのよ。そうでしょう? だって私達、もう良い年――って言うほど良い年でもないけど、だけど、間違いなく大人ではある。そんなことを考えると、ぶわっと体温が上がる。熱を冷まそうと、ジョッキに残っているビールを呷った。いや、そんなの逆効果じゃん! と気付いたのは情けなくもジョッキを空にしてからだ。
「弥栄さん、一気は危険ですよ!」
「わかってるわよ。なんか、ちょっと勢いで、っていうか、景気づけっていうか」
「景気づけ!?」
「ちょっともうこの際だから酔いに任せて聞いちゃうけど。椰潮君、あなた、何のつもりなのよ」
「何のつもり、とは?!」
我ながら、嫌な絡み方をしてしまっている自覚はある。
けれどお酒の力というのは恐ろしいもので、自分でも歯止めが利かないのだ。
「あなた、私のことが好きだとか言っといて、ずーっと好きだったとか言っといてねぇ」
「違います、弥栄さん。『好きだった』じゃないです。好きなんです。過去形じゃないです。進行形で好きです」
テーブルの上に置かれた手は、ぎゅっと強く握りしめられている。それをこちらに伸ばしたりなんてこともない。何だか、懸命に己を律しているようにも見える。
「だったら、何よ、このメッセージは」
と、スマホを見せる。無料メッセージアプリのトーク画面である。ひたすらに、業務連絡のようなやりとりが並んでいて、とてもじゃないが『恋人』っぽくはない。
「何か……おかしかったでしょうか」
「椰潮君、会って話してる時は違うじゃない。常に語尾に『
そう捲し立て、再びジョッキを持ち上げてから、それが空だったことを思い出し、席を仕切る暖簾をめくって、たまたま近くにいた店員さんに「中ジョッキ一つお願いします」と声をかける。
「弥栄さん、今日ペース早くないですか? 大丈夫ですか?」
「大丈夫。夜勤明けはお休みなの。椰潮君も知ってるでしょ? 私が潰れたらおぶって家まで連れてってちょうだい」
どうせ椰潮君だもの。
これくらいのこと、よくあるし。
が。
「無理ですよ」
うんと苦しそうな声でそう言い、目の前の、いつもひたすら元気な好青年は顔を覆った。
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