第2話
「弥栄さぁーん!」
仕事帰り、駅に向かって歩いていると、後ろから呼び止められた。この声質、声量。振り向かずともわかる。我が神田家のお隣さん、南城家のご長男殿である。たぶん、私が振り向く前から全力でこっちに手を振ってる。人違いだったらどうするのかしら。
「本日もお綺麗ですね、弥栄さん!」
「はいはいありがとうね
「はい! 弥栄さんもいまお帰りですか?」
そうだと返すと、食事に誘われた。特に断る理由もない。神田家と南城家は家族ぐるみで仲が良く、食事会なんかも定期的に開催されるのである。椰潮君と二人でご飯なんていうのも別に珍しいことではない。
「運命の人、ですか」
「そうなのよ」
そんな経緯で訪れたのは、がやがやと騒がしい大衆居酒屋である。男の人とデートをしたことは何度かあるが、こういう店に連れてこられたことはない。私としては炭火で焼いた焼鳥とジョッキのビールをガッと飲みたかったりするのに、誘われるのはなんか小洒落たバルだの、レストランだのだ。
ジムのパーソナルトレーナーとして、体型維持にはかなり気を遣っているとはいっても、あれも駄目、これも駄目という食事制限はしたくないし、生徒さんにも強要したくないらしく、椰潮君は案外何でも食べる。大事なのは、頻度と量。さすがに毎日はアウトだが、たまには好きなものを思いっきり食べることも精神衛生上必要らしい。そして、食べた分はしっかりと消費することが重要なのだとか。
見ていて気持ちの良い食べっぷりだ。夜宵が割と食の細い方なので余計にそう見えるだけかもしれないけど。
大きなジョッキで烏龍茶をゴブゴブと飲み、山盛りの唐揚げに舌鼓を打ちつつ、私の話に耳を傾けてくれていた一歳下の好青年は、ふむ、と頷いてから身を乗り出した。
「俺じゃ駄目ですか」
「はい?」
「弥栄さんの『運命の人』、俺じゃ駄目ですかね」
「駄目ですかも何も、運命って立候補制なの?」
向かいに座る椰潮君は、ものすごく真っ直ぐな人だ。直進しか知らないのだろうかと心配になるくらい。その彼が、やはり真っ直ぐに私を見つめている。数回の瞬きはあれども、わずかにも逸らさない。
「立候補制じゃないかもしれませんけど、だけど、運命は切り開くものだってよく言うじゃないですか。切り開けるなら、自分で選び取ることも出来るのでは」
「言われてみれば確かに」
何も一目合った瞬間に恋に落ちなくても良いのね。それは盲点だったかも。そういや夜宵が矢萩君のことを意識し始めたのはいくつの時だったのかしら。それはまぁ今度ゆっくり聞けば良いか。
「というわけで、俺は、俺をお勧めします」
「勧めるのね、自ら」
じゃあちょっと、私にプレゼンしてみてよ、とほんの冗談のつもりで言った。少し酔っている。その自覚は、ある。
「わかりました。まず、俺はめちゃくちゃ一途です。仕事上どうしても若い女性と触れ合う機会はありますが、弥栄さん以外の女性には決して心を動かされないと誓います」
「何だかいきなり重いけど、一途はポイント高いわ」
「それから、見ておわかりかと思いますが、俺は頑丈ですし、力持ちです。三十キロの米袋、余裕です」
「頼りになるわね」
「毎年人間ドックを受診して、健康面にも気を遣っています。酒は舐める程度、煙草は咥えたこともありません」
「うん、健康は大事ね」
「金のかかる趣味も特にありません。ギャンブルも一切やりません。身体を動かすことが趣味ですので、職場の器具で事足ります」
「成る程」
「ですが、意外と思われるかもしれませんが、映画鑑賞や読書も嗜みます。嗜む程度ですけど」
「それは意外かも」
こう言っちゃ何だけど、四六時中野山を駆け回って汗を流しているものだと思っていたので、本当に意外である。
「料理も多少出来ます」
「鶏肉とブロッコリーを茹でるだけとか、そういうレベルじゃなく?」
「あんまり手の込んだやつは無理ですけど、さすがにそれ以上は出来ます」
「何かもう、椰潮君、めちゃくちゃ優良物件に見えてきたわ」
「そうでしょう!」
いかがですか、と椰潮君は胸を張った。まぁ見事な大胸筋である。
「いや、椰潮君ね。ほんとに優良物件だと思うんだけど、だとしたら尚更私じゃなくて良くない? ジム勤務ってそんなに出会いないの? それこそ若い女性だって来るわけでしょ? 何も私じゃなくても」
だって私、筋トレとかあんまり――ううん、全然興味ない。だったらジムに来るような女性の方が合うのではないだろうか。
弟同士がくっついたからと言って、その兄と姉もそれに続かなくてはならないということはないだろうし。
「駄目です!」
「うるさっ。椰潮君、ここ店内。もっと抑えて」
「すみません。でも、駄目です」
「駄目なの? 何で?」
「それは、俺はずっと弥栄さんのことが好きだからです」
ぎゅっと握りしめた拳をテーブルの上に置いて、やはり彼は私を真っ直ぐ見つめて言った。これ、告白、よね? 照れるとか、恥ずかしいとか、気まずいとか、微塵も感じないのかしら。しかも椰潮君はお酒なんて一滴も飲んでいないのだ。
「小さい頃からずっと好きです。一度も他の女性にうつつを抜かしたことはありません」
「嘘、そうなの? 全然気付かなかったけど」
あれ、でも言われてみれば、会う度いつも、
「やぁちゃんかわいいね(幼稚園時代)」
「弥栄ちゃん可愛いね(小学生時代)」
「弥栄さん可愛いですね(中学時代)」
「弥栄さんお綺麗ですね(高校時代)」
「弥栄さん本日もお綺麗ですね(現在)」
って言われてたな。ただの挨拶かと思ってたけど。もしかして。
「待ってごめん。もしかして会う度会う度可愛いだの綺麗だの言ってくれてたのって」
「そういうのは、弥栄さんにしか言ってません。常に本気でそう思って、本気で言ってます」
「てっきり欧米的な挨拶だとばかり……」
「俺は日本人です! 渡米経験はありません!」
「わかってるわよ。そうじゃなくて」
一体いつから本気だったのかはわからないが、一番古い記憶は幼稚園だ。もし、その頃から私のことが好きだったというのなら、一途にもほどがある。
「椰潮君って、お世辞とか、嘘とか下手そう」
「一応、社交辞令は必要だってことで、お世辞を言ってみたりもしたんですけど、両親曰く、『わざとらしいからやめた方が良い』だそうで」
「うん、わかる気がする」
「毎年、エイプリルフールには矢萩に嘘をついてみたりもするんですけど、これが毎回びっくりするほどすぐバレて」
「まずエイプリルフールにだけ嘘をつく時点でバレバレだと思うわ。ちなみに今年はどんな嘘をついたの?」
「道端の石を拾って、隕石が降って来たのをキャッチしたぞ、って」
「……うん、成る程」
「いや、さすがに片手でっていうのは無理があると思ったんで、ちゃんと両手で捕まえたことにしたんですよ?」
「そういう問題じゃないと思うのよね」
むしろそこで矢萩君がまるっと信じたらそっちの方が心配だわ。あっ、でも私が同じこと夜宵に言ったら信じそう。お姉ちゃん大丈夫?! って血相変えて薬箱持って来そう。容易に想像がつく。ああ可愛い。
「うん、でもまぁ、面白そうではある、かな」
「面白いですか!? 良かった! ちなみにその隕石は――」
「ごめん、違うの。その嘘については全然面白くなかったんだけど」
「えぇっ!?」
それじゃあ一体何が、とそこで初めて彼は私から視線を逸らした。
「面白いのはね、椰潮君よ」
「えぇっ?! 俺ですか?」
「何でそこそんなに驚くの? そこもアピールポイントなんじゃないの?」
「あっ、そうか! そうですね! えっと、どうやら俺は面白い男のようです!」
「そこは自信ないのね」
「ですね。うるさいとか暑苦しいならよく言われるんですけど、面白いと言われたことはなかったので」
「嘘でしょ。相当面白いのに」
まぁ、うるさいも暑苦しいも否定はしないけど。
「じゃあ、お付き合いしてみませんか」
「そうね、良いかも」
昔から一番身近にいて、人となりも知っているし、ご家族もみんな良い人達だし、まぁ、悪い話ではない。単純にそう思った。ただ、正直なところ、彼に対して恋愛感情を抱けるかと言われたら、それはまだわからない。何せ身近にいすぎたのだ。年齢も一つ下だし、南城兄弟もある意味弟のような存在だったというか。
そんな私の思いを見透かしたのだろうか、椰潮君は、ジョッキに半分くらい残っていた烏龍茶を一気に飲み干してから、「それではまず」と、ある提案をしてきた。
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